17.上書き
「やぁ、アンナ。久しぶりだね」
向かい側のソファに座るライル様が笑顔で挨拶をしてくれる……けど、その笑顔はどこか冷たい気がする。最近は、仲良くなってきたと思っていたのに。
「ご無沙汰しております。ライル様」
私は硬い表情で挨拶する。
「また今回は随分と無茶をしたようだね」
クスクスとライル様が笑う。
……謹慎の話を聞いたから、ライル様は怒ってらっしゃったんだわ。婚約者として相応しくない行動を私がしたから。
「……お父様からお聞きに?」
「あぁ。渋っていたんだが、無理やり聞き出した。
アンナは僕の婚約者だもの。謹慎の理由くらい教えてもらってもいいだろう?」
「はい。……馬鹿なことを致しました。
……ライル様の婚約者として不適切な行動をし、申し訳ございませんでした」
私はしっかりと頭を下げた。どんな責めの言葉もしっかり受け止めるつもりだったのに、ライル様から放たれたのは質問だった。
「何が不適切なの?」
「え? あ、えっと……」
質問をされるなんて思ってみなかった私は返答に詰まる。ライル様は席を立ち、何故か私の隣に座った。
鋭い目線で見つめられ、私は動けなかった。
「一人で平民街に行ったこと? それとも……
ラスカシエ辺境伯の息子と二人でデートみたいな真似をしたこと?」
「…………ど、どうして、それを」
ライル様はニコっと嘘くさい笑みを浮かべる。
「そんなの調べれば分かるよ。僕は王子なんだよ?」
その笑顔が恐ろしくて、私は謝った。
「……ご、ごめんなさい」
ライル様は依然としてその冷たい笑顔で、私との距離を詰めてくる。
「ねぇ……楽しかった?」
「いえ、あれはーー」
ライル様の手が伸びてきて、私の髪を一房取る。
「許せない、な」
そう言うと、ライル様は笑顔を消し、まるで獣のような視線で私を見つめ、私の髪にキスを落とした。
「君はもう僕のなのに」
ライル様の恐ろしいような雰囲気に圧倒され、私は身じろぎひとつ出来ない。
「……あいつなんかに渡さない」
次の瞬間、ライル様の顔がゆっくりと近付いてきて、私の額にキスが落とされた。
「……へ?」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
……額に、キス、された?
顔に熱が集中し、今にも爆発しそうだ。きっと私の顔はみっともないほどに赤くなっているだろう。
その反応に満足したのか、ライル様はいつもの笑顔に戻った。
「ふふっ。ちゃんとアンナの婚約者が僕だって思い出してくれた?
今回はこれで許してあげるけど、今度やったら、アンナが恥ずかしくて耐えられないようなこと、しちゃうからね?」
そう言って、ライル様は私の鼻を摘んだ。
「ふぐっ……!」
「あははっ!!」
「ライル様! ひどいです!!」
「このくらいで許してあげるんだから、優しいと言って欲しいな。婚約者でもない男と手を繋いでいいんだっけ?」
「う……。ご、ごめんなさい」
私が繋ぎたくて繋いだ訳じゃないと言いたかったけれど、ただの言い訳にしか過ぎない。それに手を繋いだのはほんの最初だけだ。だけど、振り解けなかった私に責任がある。
「いいよ、きっとあいつが一方的に掴んできたんだろうし。力も強いし、振り解けなかったのかもしれないしね」
ライル様は私の手を取ると、指を絡ませて、ギュッと握ってきた。
「ライル様っ?!」
「上書き。あいつの手の感触なんて忘れるんだよ?」
いや、こんなことしなくても手の感触なんて覚えてないし!!
そう思うのに、ライル様は私にその感触を覚え込ませるように、何度もにぎにぎとしてくる。少しくすぐったい。
「も、もう……大丈夫ですからぁ」
私は火照った顔を隠すように俯く。
「駄目だよ。これもお仕置きの一つだから。今日話してる間はずっと握ってる」
「……うそ」
……いや、私の手汗、すごいんですけど。
「本当。で、アンナはなんで平民街なんかに行ったの? 理由があるんでしょう」
ライル様にそう問われて、私は困る。
ソフィアのためにジョシュア様について調査したかったって言ったら、何て思うだろう。それにライル様に話したところでこの問題が解決できるとは思わない。
私が返答に迷っていると、ライル様が言った。
「アンナ。
何か困っていることがあるなら、力になりたい。君は僕の大切な婚約者なんだ。一人で無茶をして、また君に何かあったらと思うと、心配で堪らない。
僕に出来ることなら手伝うから、どうか話してくれないかな?」
「ライル様……」
ライル様の真剣な瞳に見つめられて、私は今回のことを打ち明けることにした。
「実は……今、私達ソフィアのきつい言い回しを矯正しようとしてるところなんです。
それで、その……ソフィアがそうなってしまったきっかけがソフィアのお兄様であるジョシュア様が原因なんです」
「……ジョシュアが?」
私はライル様に先日ソフィアから聞いたことをかいつまんで話した。話を聞き終えたライル様は、少し険しい表情だった。
「……そうだったのか。確かにジョシュアは他人に厳しいよね。僕にとってはただの礼儀正しい奴だけど。
……ソフィア嬢も大変だったんだ。僕はてっきり彼女は元々ああいう性格なのだと思っていた」
「ソフィアはツンデレなんです」
「……ツンデレ?」
ライル様は眉を顰める。
「あ、えっと……。普段はツンツンしてキツい性格なのに、好きな人の前とかだとデレデレと甘えん坊になっちゃう、みたいなことです。多分」
「そうなんだ」
「で、話は戻りますが、私はソフィアからその話を聞いて、ジョシュア様が変わった原因を突き止めようと平民街に行ったんです。
平民街に着いたら、たまたまユーリ…様がいて、一緒に聞き込みを手伝ってくれました。でも、誰もジョシュア様のことを知らなくて、もう無理だと思った時にジョシュア様を知っている同い年くらいの女の子に会ったんです」
「その子はなんて言っていたんだ?」
「ジョシュア様の友達だと。
けど……そこで、お父様が来てしまって、二人を巻き込みたくなかった私は一人離れてお父様の元に行きました。だから、それ以上、話は聞けていません。
ユーリ様がその子の働いているところを聞いてくれて、手紙で教えてくれたんですが……もう平民街には行けないので、諦めるしかないと思っています……」
私が俯くと、ライル様は繋いだ手をより強く絡ませ、ギュッと握った。
「でもーー
諦めたくないんだろう?」
私は滲む視界をそのままに、頷いた。
「……だってーー
私は変わろうとしているソフィアを応援したいんです。公爵令嬢として生きてきた彼女がプライドを捨てて、ほかの御令嬢の指摘を受け入れてまで変わろうととしている…それってすごくすごく大変なことだと思うんです。だから、私も何かしてあげたい……。
ジョシュア様だって、このまま誰も信じられないなんて悲しすぎます。確かに私たち、高位貴族は誰かに狙われたり、騙されたり…何かしらの標的になることが多いと思います。…だけど、だからって誰も信じられないなんて辛すぎるもの……」
ライル様が目を細めて、優しい目つきでこちらを見つめる。空いている方の手で私の頭を撫でてくれる。
「そうだね、アンナ。
……君は本当に人のことばかり気にかけて、優しすぎて心配になるよ。でも、そんなお人好しの可愛い婚約者にはご褒美をあげなくてはね」
「……ご褒美って?」
「ふふっ。楽しみにしてて」
首を傾げる私に、ライル様は綺麗なウインクを飛ばした。




