07:真理の森へようこそ(1)
右を見ても本、左を見ても本。正面を見ればカウンターで、後ろを見れば子供向けの絵本コーナー。この景色には見覚えがある。子供のころ、ふたりとよく通っていた図書館だ。
見回しても人はいないし、どこかにいそうな気配もない。隙間なく中身が詰め込まれている本棚に囲まれながら、俺はひとりでここにいる。
「ええと……?」
角の生えた異形と戦って、なんとか追い払った覚えはある。そこで記憶は途切れていて、目が覚めたら図書館で。
そうなると、誰かが俺をここまで運んだ。そういうことになるんだろうけど。
「おかしいだろ。ここ、俺が小学生の時に取り壊されてるんだし」
【それはここが、キミの心象風景の投影というヤツだからだね。キミが安心できそうな場所に似せたつもりなんだけど、お気には召さなかったかな?】
「……ッ!!!」
【おっとそう警戒しない……というのは無理があるかな。『あなたの頭の中に直接語りかけています』状態じゃあ気味が悪いもんね……じゃあ――】
「――ええと、これならどうかな? わたしとなら、緊張せずにお話できる?」
カウンターから顔だけを出すのは、にこにこ機嫌の良さそうな秋穂。どうして、と声をかける前に、頭がひょこっと引っ込んで。
「それか、私のほうがいい?」
次に出てきた顔は、むーっと不機嫌そうな冬華。見慣れに見慣れた眼鏡越しのつり目が、じいっと俺を見ているけれど。
「……チェンジで」
「ははーん。アンタ、ついに秋穂のほうを狙ってるって認めちゃうのね?」
「じゃなくて、どっちもナシでお願いします。俺の心象とか言ってる以上、お前は冬華でも秋穂でもないんだろ?」
「おっと、理解が早くてなによりだ。それでも、よく見知った顔のほうが安心して話せはしないかい?」
「見知った顔が知らない口調で話すほうが混乱するわ」
「それは失礼。だったらそうだね、キミが絶対に出会うことのない、そんな人の姿を取ろうか」
そうして姿を現したのは、着物を着た大人の女性。金髪碧眼の見本みたいな顔立ちなのに、和服の着こなしは完璧だ。
平均よりも背の低そうなその人は、長く伸ばしたさらさらの髪をくるくると指で巻きながら。
「なんにせよ、再会できて嬉しいよ。よくぞあの場を切り抜けたもんだ」
気安く俺に近づいて、嬉しそうに優しく笑った。
再会。つまりこの人は俺と会ったことがある、そう言いたいんだろうけど。
「……はじめましての間違いじゃない?」
「にどめましてだよ。キミはええと……キミの時間で半年前だね、ここに来たことがあるんだけど」
「一応確認させてくれ。これは俺が見てる夢、だからいろいろ支離滅裂。そういうわけじゃ」
「答えはペケ。夢みたいなものなんだけど、確かに夢とは異なるものだよ」
「ごめんなさい、ぜんぜん記憶にありません」
「ひどいなあ。あれだけよくしてあげたのに、本当になにも覚えてないの?」
「痛い痛い叩かないで謝るから」
子供みたいに笑いながらも容赦なく、俺の背中をバシバシと。誰かに似たこのなれなれしさ、これで初対面と言われても困るけども。
「よーく思い出してみて。半年前、いったいキミの身にはなにが起こったのかな?」
「思い出してって、そりゃ……」
そんなもの、思い出そうとしなくてもわかる。
去年の暮れ。
ふたりの家族と俺の家族、たまたまみんなの休みが合って。
受験前の最後の息抜き、遊びに行こうと日帰り旅行に出かけて。
そこで、異形に襲われた。
俺の姉さんとふたりの両親――俺たち以外の家族のみんなが殺されて。
俺たちもケガをして、そのまま入院することになって。
冬華と秋穂は軽く済んだけれど、俺はそうでもなかったらしい。目を覚ましたときには季節が変わりかけていたけれど、眠っている間も俺はずっとどこかで、なにかを――
そこまで考えたとき、目の前が明るく開けた気がして。
「うんうん。その顔、思い出してくれたみたいだね」
記憶の扉が、次々と開いていく。
「俺だけじゃない。異形に襲われ生き残った人間の魂は、必ずここに導かれる。そこではお前が願いを聞いて、求める異能を選んで渡す。そうして人は異能者になるんだ」
そうだ、思い出した。眠っていた数ヶ月の間、俺はこいつとここにいたんだ。
異形のこと、異能のこと。あいつらがどういう存在なのか、俺にふさわしい異能はなんなのか。
時間はたくさんあるからと、すべてを教えてくれた人。姿も声もコロコロ変わる、よくわからない謎の存在。
「そう、お前は。異能者の始まり、全ての異能が集う場所――『真理の森』の管理人、キリ!!!」
「だーいせーいかーい!!! 名前まで思い出してくれて、ボクは本当に嬉しいよ!」
「こんな大事な場所のこと、なんで今まで忘れてたんだ!? それに、誰かから聞かされたことだってないぞ!?」
「ああ、それはそういうものだからね。ここを出るとき、持っていけるのはボクが渡した異能だけなのさ。ほかはキレイに忘れちゃう、そういうふうにできてるんだよ」
「忘れるなんてひどいみたいなこと、さっき俺に言わなかったっけ」
「それはそれ、これはこれ。あと、誰が変なヤツだって? ひどいよろっくん!」
「流れるように秋穂に変わるのやめろ。そういうところだぞ」
えへへー、と笑う秋穂はくるりと回ると、姿がまた着物の人に。そうだそうだ、基本的にはこの姿なんだよなこいつ。モデルになった人はいるみたいだけど、誰かは教えてくれなかったんだっけ。
こいつ――キリのことを考えるたび、記憶がバンバン蘇ってくる。とはいえそれの大半は、意味のないバカ話のことだったりするんだけど。
「目を覚ましたらここの記憶をなくすこと、確かにお前に聞かされてたな」
「うんうん。特にキミは長くいたから、最後はさみしがっちゃってさ。それはもう、涙の別れって感じだったんだけど」
「なんだかんだでお前といるのは楽しかったからな。2度と戻って来れないとも言われてたし、そうなって当然……あれ?」
そう。この図書館みたいな場所、真理の森に入館できるのは人生でたった1度だけ。普段は冗談ばかりのキリが、珍しく真面目な顔でそう言ってたから間違いない。
「それならさ、なんで俺はここにいるんだ?」
「んーとね、理由は色々あるんだけど。いちばんの原因はあれだよ、キミが使った異能だね。手助けしなきゃと思ったんだけど、ちょっと手を出しすぎたみたいでさ」
そこでキリは漫画みたいに、てへぺろ☆ と舌を出して。
「現実世界のキミの体、怪我というより異能の反動でヤバいことになってるんだ。具体的には死亡寸前? みたいな?」
かるーい口調で、そう言った。
「ああでも心配しないで、あくまでも死亡寸前だから。今回はギリギリ……本当にこう……すんでのところで……打ち首だけど皮一枚で首が繋がって垂れ下がってる……みたいな……?」
「それ死んでるな?」
「真理の森はあの世とこの世の境界に位置する大図書館だからね。たまにこう、死人の魂が迷い込んできたりするのさ。キミが今ここにいるのは、つまりそういうことなんだよ」
「やっぱり死んでるんじゃねえか!!!」
「いやーあ、楽しくなってちょっと強化を重ねすぎたね! 身体強化だけならまだしも、持ち得ない技術を強制挿入からの即実行とか、そりゃ脳が焼き切れてもしかたないよね!」
わっはっはと大笑いするキリ。笑ってる場合じゃない俺。え、なに、本当にこれで終わりなの? さすがにもうちょっと生きていたかったよ?
そんな俺を見かねたのか、キリは大きく手を振って、冗談だとニヤけて笑い。
「まあ、今回は色々な幸運が重なってくれてね。キミは無事、それは間違いないから安心しなよ」
その勢いでバンバンと、俺の背中をまた叩いた。
「これっぽっちも安心できないんだけど。無事だけど起きたら1年後とか、どうせそういうオチなんだろ?」
「信用ないなあ、目を覚ましたら次の朝だよ。少しは痛むかもしれないけど、体の不調もそのくらいで収まってるはずさ。ついでに言うなら、クラスのみんなや愛する双子ちゃんも無事だからね。キミが頑張ったおかげだよ」
「愛してないです」
ないない、と手を振ると、嬉しそうにキリが笑う。このやりとりも何度もしたなあ。
「……と、そうじゃない。結局さあ、どうして俺はあの異形に勝てたんだ? 頑張った程度でどうにかなる相手じゃないだろうし、やっぱりお前が助けてくれたから?」
「うーん、そうとも言えるしそうじゃないとも。ボクはきっかけを与えただけで、能力自体はキミが選んで目覚めさせたモノなんだから……と、いうわけで。せっかくここに来たんだし、キミの異能になにが起こったのか、このボクが解説してあげよう!」
えっへん! とふんぞり返りながら、キリは拳で胸を叩
――いたと思ったそのときには姿がない。
「こーっちーだよー!」
声は奥のテーブルから。キリはそこの椅子に腰掛けていて、こっちこっちと大きく手を振り手招いているところだった。
秋穂以上の落ち着きのなさにため息をつきつつ、向かいの椅子を選んで座る。それを見たキリは満足そうにうなずくと、まずは、と前置きをしたうえで。
「キミのその異能なんだけどね。キミ自身はどうしてか、防御のためだけのものだと思い込んでたみたいだけど」
楽しそうに、本当に楽しそうに笑いながら。
「その本質は、たとえ相手が神でも殺せる、化け物じみたチカラなんだよ」
そんな、物騒なことを言い切った。