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短編:カップルだけを狙う異形(2)

「で、だよ。電車の中で話したとおり、ここで異形は人間の品定めをしてるみたいなんだけどさ」

「そんな気配は感じないけどね。明るい時間帯だから、活動を抑えてるんでしょうけど」


 水族館のエントランスで、物騒な話をしている俺たち。初めて来た場所なんだけど、思ったよりは人が多くて。


「よりどりみどり、なんだろうなあ。言われてみればカップルばっかだし」

「趣味の悪い異形よね。それで? 囮になるって、私たちはなにをすればいいの?」

「狙われやすいルートがあるみたいなんだよな。だから、ほら」


 すっと冬華に手を差し出す。じいっ、とそこに視線が刺さる。


「手を、繋げって?」

「ここにいる間は離れるなってさ。できるだけ身も寄せて、バカップルみたいにくっついて目立てって話なんだけど、それはさすがにだろ?」

「でもまあ……仕事だものね」


 そうして冬華は、ためらうことなく手を取って。


「だったら、これくらい、するべきじゃない?」


 まるで倒れ込むみたいに、俺の腕へと抱きついてきた。


「いっ……!?」

「……くっつかれたところで、なんの感触もしないって……?」

「言ってねえ!」


 確かにまあ、言うとおり、お決まりであろう『胸が当たって……!』みたいなことは、残念ながらないんだけど。

 預けられた体重も、ぎゅうっと握るちいさな手も。男友達とは違うんだと、可愛らしい女の子なんだと、意識させるには十分すぎて。


「あらー? 顔が真っ赤ねえ? こんな程度でそうなっちゃうなんて、すっけべー」

「急に来られてびっくりしただけだよ! ああもう、行くぞ!」

「先生の考えたコースとはいえ、エスコートしてくれるのよね? これはお手並み拝見かしら」

「引っ張るな先に行くな! 言葉と行動が噛み合ってないぞ!?」

「呼びかたも変えたほうがいい? ええと、ろっくーん?」

「超楽しんでるなお前!? だから違う、そっちじゃない!」

「ふふふ、だって、水族館ってすごく久しぶりなんだもの! ほら、見て見て!」


 妙に機嫌のいい冬華と、水族館を見て回る。カップルのふりをしろなんて、どうしたものかと思ってたけど。



「へえ……実際に触れる展示……そういうのもあるのね……」

「それがここのウリみたいだぞ? ふれあいがコンセプトとかなんとか」

「じゃあこれ、強めに握ってみよっか? ろっくんの、かっこいいとこ見てみたいー♪」

「いい笑顔でウニを指さすのはやめていただけませんかねえ」



「食卓で見る魚を集めた水槽……なんだか悪趣味じゃない……?」

「いいじゃん、寿司食べたいなあ」

「こんなに健気に泳いでいるのに、可哀想だとは思わないの……あっ、ほら見てあれ、前に本で読んだんだけど、あんなふうに鱗が光ってるとすごく美味しいんだって」

「完全に食材として見ておられる」



「ろ、ろくや! あそこ、あれ、ぺ、ぺん、ぺん……! よちよちのぺん……!」

「はいはい大丈夫だよ急がないから。ほんとお前、ペンギン好きだよなあ」

「べ、別にそういうわけじゃなくて……! 秋穂が大好きだから、しっかりと見て報告してあげなきゃって……! ああっ見て! あの子ずっとばたばたしてる! あっちの子はまだ赤ちゃん!? ふわふわ、ふわっふわっ!」

「あいつ前『まるまるしてて美味しそうだから好き』って言ってたぞ、ペンギンのこと」

「えっ……えっ……?」



「あはははっ! イルカショーの最前列って、ほんとにびしょびしょになっちゃうのね!」

「なったのは俺だけどな!!! さっと隠れやがってお前!」

「あんたの異能は『護り』でしょう? 助かる助かる……きゃああっ!?」

「見事にバチが当たったな……?」



 白状します。課題のことはすっかり忘れて、普通に楽しんでしまいました……!


「まったく、これだから六哉は。私たちは任務中なのよ? わかってるの?」

「でっかいぬいぐるみを抱えた人に言われたくないなあ……」

「………………楽しんでいるカップルを偽装するには、必要不可欠だったのよ」


 お土産コーナーでさんざん迷って選んだペンギン(俺には違いがわからなかったけどひとりひとり顔が違うと言い張っていた)を持った冬華が、真面目な顔で俺を見上げる。はいはいと適当に手を振りつつ、気づけばここは最後のフロア。


「ここを越えたら出口だけど、どうするの?」


 真ん中の大きな水槽では、クラゲがふわふわ舞い踊っている。そこを目立たせる演出なのか、すこし離れれば足下も見えないくらいの薄暗さだ。


「……えーと、だな。異形に狙われた人間は、ここで姿を消すらしいんだけど」


 俺の言葉を聞いたとたん、冬華の表情が張り詰める。


「そのためには、ひとつ条件があるみたいで」

「どういうこと?」

「……周り、わかるか?」

「周り……? あ……」


 冬華も気づいてしまったみたいで、ぷい、と視線をそらしてしまう。

 今この場所には3組のカップル。その3組のみんながみんな、暗がりの隅へと移動していて。


『ほどよい照明と、適度に離れたベンチの配置がいいのかな。このフロアはどうも、キスしたりそれ以上だったり……そういう空気になりやすいみたいでさ。どうやら異形にとってはそれが、美味しさの指針になってるみたいでね』


「ええと、それは、つまり……?」

「……………………せめてキスくらいはしてこいって、先生が」


 さっきとはきっと違う意味で、冬華の表情が張り詰める。改めてそれを口にすると、冗談にしか思えない。


「というか、本当に冗談なんじゃ? 異形の気配は感じないし、そもそも前提がおかしいだろ。実はみんなであとをつけてて、ドッキリ大成功! みたいなやつ」

「ちゃんと課題が出てるのよ? でも……発令が先生の個人名なのよね……」

「秋穂もグルで……ありえるよなあ」

「ありえるわね……」


 視線を交わす。同時にため息。


「……帰るか?」

「それが正解な気がするわ……でも……」


 ちら、と冬華の視線が動く。その先にあるのはちいさなベンチ。例には漏れず暗がりにある、カップル用の二人席だ。


「もし本当だったら……私たちが帰ったせいで、被害は拡大しちゃうのよね」

「まあ、な」

「それなら……確かめるしか、ないんじゃ、ない?」

「確かめる?」

「だからその……人工呼吸と一緒よ。人命救助のための、そういった行為ってことになるわよね」


 そうして冬華は俺を引っ張り、あっという間にベンチのそばへ。空いてる椅子の片方に、ペンギンのぬいぐるみを座らせて。


「こっちはアンタ。で、私の顔を見て」

「あの、冬華さん?」

「座って。いいから」


 有無を言わさぬ迫力に、すとんと腰を下ろしてみれば。

 正面に立った冬華の顔が、どんどんこっちに近づいてきて。


「ちょっちょっちょっ!? お前っ!?」

「だから、これは私の感情とは関係なくて、課題の、学院の、人命救助に必要な行為なの!」

「ちょと待ていったん落ち着け!」

「言ったでしょ、これはそういうのじゃないんだから。初めての……とか、そんなふうに意識するものじゃないの!」

「いや……初めてじゃ……」

「……え?」


 冬華の表情が凍る。まさか、という顔で、わなわなとくちびるが震えるけれど。


「あっ……」


 俺がなにかを言う前に、思い出してくれたんだろう。

 あのとき。

 死を覚悟したであろう冬華と、最後の言葉を交わしたとき。

 俺たちは、そのときに、くちびるを。


「~~~~~っ!!!! だ、だったら余計に問題ないでしょう!? ほら、いくわよ!」


 冬華が顔を近づける。長いまつげは伏せられて、うるんだ瞳は閉じられて。

 ぷるんとしたくちびるが、ゆっくりと俺に迫ってくる。なにをしようとしているのか、ここまで来ればさすがにわかる。

 そうと自覚したとたん、ばくんばくんと大きく跳ねる、バカみたいな心臓の音。

 辺りの音もかき消すそれに、ちいさく混じって聞こえてきたのは。


「……でも、あんなのじゃなくて、楽しかったデートを『はじめて』にしたいじゃない……」


 そうして迫ってくる冬華を、見つめることしかできなくて――




 ※ ※ ※




「ふたりともお疲れさま! 妙な異形だったけど、しっかり討滅は確認したよ」

「異界に囚われていた人たちも、無事に救出することができました。迅速かつ的確な対応、本当に感謝いたします」


 水族館を出てすぐに、先生たちに連絡を入れる。隣の冬華もほっと一息、伸びをしながら課題終了の開放感にひたっていた。


「本当だったなあ……」

「まさかだったわよね……」


 結論から言えば、課題の内容はなにひとつ冗談なんかじゃなかった。聞いていたとおりのあの場所で、俺たちは異界に引きずり込まれてしまったからだ。


「呪符のサポート、ありがとな。逃げ隠れがうまいやつだったから助かったよ」

「一太刀で倒しちゃうとは思わなかったけどね。アンタも成長してるじゃない」


 にひ、と薄く笑う冬華に、はいはいと適当な言葉を返す。外はすっかり真っ暗で、人の姿もほとんどない。閉館時間を過ぎてしまえば、これが当たり前なんだろうけど。


「静かでちょっとさみしいよな。来たときはたくさん人がいたのにさ」

「んー、でもまあ、私はこのほうが好きかな。お昼はちょっと騒がしすぎたし、ふたりきり、って感じがしな……って、ちが、今のは間違い! 忘れて!」


 足を止め、背伸びをして、噛みつくみたいに否定してくる冬華だけれど。


「そっか。これでやっと、お前とふたりきりなんだよな」

「……それは、どういう」

「そうなんだって気がついたら、なんだかもったいない気がしてさ。だから……ええと……」


 とてもじゃないけど、恥ずかしすぎて口には出せない。だからゆっくり腕を伸ばして、やわらかな冬華の手を取って。

 

「嫌じゃなかったら、もうちょっとだけ。学院に戻る……秋穂に会うまで、かな」

「………………スケベ」


 きゅっと細い指がからむ。乱暴な言葉とは裏腹に、優しく俺の手をにぎってくれる。

 課題とはもう関係のない、冬華とふたりだけの時間。体を寄せ合うわけじゃないけど、確かに彼女を感じられる、少しだけいつもより近い距離。


 秋穂には悪いけど、たまにはこんなのも、いいなあ。


 そんなことを思いながら、帰ろうと足を踏み出すと――


「……あ」


 と、冬華がつぶやいたのが早いか。


「ろっくーん! ふゆちゃーん! お疲れさまー!!!」


 余韻も静寂も吹き飛ばす、聞き慣れた声が飛んでくる。ものすごい速さで近づいてくるのは、これまた見慣れに見慣れた顔だ。


「ふふ、やっぱり今日はここまでみたいね」


 そうして冬華は手を離し、小走りで前へと進んでいって。


「近所迷惑になるでしょ、もう。秋穂こそ、課題はきちんと終わらせたの?」


 そのまま飛びこんでくる秋穂を、一歩踏み出して受け止めた。


「ふたりのことが気になってねー! 終わってすぐに飛んできました!」

「それだけ元気が余ってるなら、怪我なんかはしてないわね? まったくこの子は……」


 デートなんてなかったかのよう。すっかり冬華はいつも通りで、秋穂とふたりでじゃれ合っている。ほんの少しだけさみしいけれど、それは嫌な感じじゃない。


「……まあ、これはこれで。いつも通りがいちばんだって、そういうことなんだよな」

「ほらほら、帰るよろっくーん! お寿司、お寿司食べに行こうよー!」

「早くしないと置いていくわよ……っと、学院への報告を忘れてたわね。ごめん秋穂、すこしだけ待って」

「先生には電話したんだし、帰ってからでもいいんじゃないか?」

「それとこれとは話が別でしょ。ほらほら、アンタも早く!」


 せかされながら端末を取り出す。その瞬間、ぽん、と画面にメッセージ。表示されている名前は冬華、どういうことなんだろうと、すぐにそれを開いてみると。




『「はじめて」のやり直しは、またこんど、ふたりきりで』




「……はい、終わり! それじゃあ、ご飯に行きましょうか!」

「すごくお寿司の気分なんだよー! きっとふゆちゃんがねえ、水族館のお魚さんを食べたいと思っちゃったからだねえ」

「う……それはその……そういう展示があって、それでね……?」

「顔が真っ赤だよー? わたしもそう思うだろうし、恥ずかしがらなくてもいいのにねえ」

「うーるーさーいー。ほら、六哉も! 固まってないで、早く!」


 そうして冬華は振り向くと、頬を真っ赤に染めながら。


(ひみつ、ね?)


 いたずらっぽい笑みを浮かべて、人差し指をくちびるに当てた。

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