54:エピローグ/冬華は風呂に突撃する
「はああああああ~~~~~~~」
風呂に入ってやっと一息、大きな大きなため息が出る。俺から頼んだこととはいえ、秋穂のお世話がちょっとヤバい。ようやくひとりになれたところで、心の底からほっとする。
いやまあ、嫌なわけじゃあないんだけど。それでもこう、男としてのプライドみたいなアレとか? そういうのがね? 完全に幼児扱いされてるからね?
存分にリラックスしたところで、湯船から出て体を洗う。ボディソープをタオルにつけて、泡立てようと手に取ったところで。
「……あ、これもダメか。軽いからいけると思ってたんだけどなあ」
タオルをしぼれない……というか、つかめない。お湯を吸った重さを受けれず、ずるりと何度も落としてしまう。
あきらめようかと思ったけれど、今は夏場で汗をかく時期。自分ひとりなら目をつぶろうにも、臭うとふたりに迷惑だろうし……というか、秋穂がどんな『お世話』に出るかわかったもんじゃないし。
まあどうにかなるだろうと、改めてボディソープを出そうとした、そのとき。
「大丈夫? 滑ってコケて頭打ってない?」
軽いノックの音といっしょに、冬華の声が転がってきた。勝手に殺すな、そう返事をしたところで。
「あと……なにか不便なことはない? 体、洗いにくいんじゃないの?」
「……あれ、心配してくれてる?」
「へえ……?」
「ごめん悪かった。確かにやりにくいけど、まったく動かないわけじゃないからさ」
「ふぅん、やっぱり苦労してるのね」
「ちょっと時間がかかるけど、そこだけ勘弁してくれたら。ありがとな、様子を見に来てくれて」
「………………」
返事はない。磨りガラス越しのシルエットが、なにかを考えるみたいに止まる。
「……冬華?」
「これは介護、これは介護、これは介護……」
「あの? ちょっと?」
「……いいから、前を向いたまま動かないで。振り向いたら殺す」
「……はい?」
耳を澄ませば、しゅるしゅるぱさっと衣ずれの音。なにやって、と声を出そうとしたときに。
パタン、と浴室のドアが開いて。
「……ふりむいたら、ころす」
そんな、真夏の怪談みたいな冷たい声が響いた。
「あと、さすがにその、下半身にはタオルを掛けてくれないと……ころす……」
「待て。もう手遅れだろうけど待て」
「介護! 介護なの! 秋穂がご飯の片付けをしてくれてるから! 私もなにかしなきゃって! そういうことなの!」
「ノー介護! まだそんな歳じゃない! というかなんで脱いできた!?」
「うるっさいわね! ここまでさせて追い出す気!? さっさとその体、洗わせなさいよ!」
「痛ったいな!!!? なんで殴ったんだよ!!!」
ばしんと背中に痛みを感じて、反射的に振り向いてしまう。
あ、と。
思った時には、目の前に冬華の顔があって。
「……振り向いちゃうんだ。このスケベ」
にや、と笑うその顔の下は、濃紺の水着に包まれていた。
「………………」
「なによ、がっかりしたとか言うの? やっぱり六哉もそうなのねえ」
「いや……スクール水着とはまたマニアックだなと思って……その発想はなかったわ……」
「その発想のほうがないわよ!!! マニアックでもなんでもない、学校指定の水着でしょうが!!!」
「痛い痛い痛い! 悪かった、悪かったから!」
バシバシバシと背中を叩く、容赦を知らないスク水冬華。なんだこれ、なんのプレイなの?
「あーもう! とにかく! さっさと洗っちゃうわよ!」
「誰も頼んでませんけ……あ、はい、お願いします」
そう言わないと手が止まらないことを、長いつきあいの俺は知っている。腕にかけるみたいに拾ったタオルを渡すと、冬華はそれをひったくるように受け取って。
「じゃあ……うん……いく……わね……」
「変なタメを作らないでくれ。なんか恥ずかしくなる」
「うるっさい!」
そうして背中に当てられる、泡だったタオルが滑る感触。言葉とは裏腹、ゆっくり優しくていねいに、冬華は体を洗ってくれて。
「……背中も腕も、傷だらけね」
「んー? まあ、毎日『癒やし』てもらってるおかげで、痛くもなんともないから。痕だけは残るみたいだから、ちょっと気になるかもだけど」
「そう……ね」
「自分のせいだとか思うなよ? 戦うことを決めたのは俺なんだし、半分以上は先生に転がされたときの傷だろうしさ」
「うん……だけど……」
手が止まって、タオルが離れる。ふう、と。覚悟を決めるような息づかいが聞こえて。
「……いいって言うまで、振り向かないでね。冗談でもなんでもなくて、本当に」
「冬華?」
ぴちゃぴちゃと小さな水音がする。冬華が後ろで動く気配が、むずがゆく背中を叩いていく。
「ええと……変な声とか、出さないでね。こっちを見て、くれる?」
言われて、ゆっくり振り向くと。
水着の上半身をめくるようにはだけて、こっちを見ている冬華がそこにいた。
「えっ……と……」
肝心なところ、と言ってもいいんだろうか。胸元は両手で隠されていて、あらわになるようなことはない。ほんのりとしたふくらみは、それでもはっきりわかるけど。
冬華の意図がわからない。でも、からかうような顔じゃない。
どうしていいかわからないまま、視線をさまよわせていると。
「……私も、ね。傷はすっかり治ってて、後遺症もないんだけど」
「……よかったよな、本当に。あんなに大きな傷だったのにさ」
「その傷跡……というか、アザみたいなものかな。ちょっと大きく、残っちゃって。胸の中心と、お腹のところ、わかる?」
言われたところに目をやると、確かにその2ヶ所だけ、真っ白な肌が引きつれたように黒ずんでしまっていた。
「痕が残ると気になるって、さっきそう言ってたから。制服を着てたり、ワンピースの水着なら隠れるんだけど……やっぱり……こういうふうになってたら、いや、かなって」
両手を使って隠すように、冬華が体をくねらせる。それでも隠しきれないくらいに、痣は大きく広がっている。
しばらくそのまま、沈黙が続いて。
「……って、なに言ってるんだって感じよね!? 六哉にはなんの関係もないのに、そんなこと言われても困るわよね!」
あはは、と乾いた笑いを作って、冬華がいっぽ後ろに下がる。
そんな彼女の腕を。
動きの鈍い手を伸ばして、出せるいちばんの力でつかんで。
「アホか。気にするなんて、そんなはずないだろ?」
「……え?」
「というか、その言いかただと普段は隠しちゃうんだよな? 俺だけが本当の冬華を知ってるとか、なんかちょっと嬉しいかも」
「……はぁ?」
あ、今のは失言だった。変態みたいだった。
でも、半分くらいは本当の気持ちだし。
「気になるっていうのは、時々うずくとか敏感になっててかゆいとか、そんなふうな意味でだよ。冬華がどんなふうになっても、嫌がるとかありえないだろ」
「で、でも、私は秋穂みたいに大きくないし、自慢できるようなところもないし」
「自慢……手が早いところとか?」
「へえ……?」
「そういうとこだぞ。というか手を振り上げるな、見える」
「は……はあっ!!? このスケベ! 変態!」
「やめろマジで見える! 見たくないわけじゃないけど、見たら絶対殴るだろお前!」
「ばっ……!? はっ! いいわ、好きなだけ見なさいよ! 絶対殴ったりなんかしないんだから! そういう暴力的なところからは卒業してやるんだから!」
「わかってるなら直せ、じゃない! そうなんだけど今はそうじゃない!」
ばっ! と両腕を開く気配に、慌てて前を向き直す。バカアホスケベとかけられる声を、右から左へ受け流していると。
「……じいぃー。騒がしいと思って来てみたら、とってもえっちなことになってるねえ……」
「あっ、秋穂助けて! こいつどうにかして!」
「やっぱりわたしはお邪魔だったかなー。寮のお部屋に戻ろうかなー」
「やめろ。ヤバいとか思ってたことは謝るからやめてくださいお願いだから」
「へええ……ろっくんはわたしのこと、そういうふうに思ってたんだねえ……」
「あ……」
じとー、とジト目(見えないけど)が舐めたあと、ぱたん、とドアが閉められて。
「あっこら! 助けて! 助けてお姉ちゃん!」
「都合のいいときだけお姉ちゃん扱いしてもだめだよー。ふゆちゃんと、ずっとずっと仲良くねー!」
「ほらほら、早くこっちを見なさいよ! 秋穂よりもかわいいって、おしとやかだって証明してやるんだからー!」
「ふたりとも別におしとやかでもなんでもないだろうが……!」
そんな、3人が日常へと戻れた、最初の日のおはなし。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
3人の物語の続きが知りたい! 同じ世界の話が読みたい! うさんくせえ奴だな何が目的だったのか気になるわこいつ!
……などなどございましたら、改めてブックマーク、感想、評価、レビューなど、なんでもお寄せいただけると幸いです。





