52:エピローグ/時島彼方は暗躍し
「六哉を戻してよかったのかい? キリにとっては悲願だったんでしょ?」
来客の帰った真理の森に、おどけた言葉が明るく響く。ここを出ようとする冬華、その背中を見送ったのは主人たるキリだけではなく。
「……お前はさあ、本当にどこからでも湧いて出るよね」
「だってほら、観戦するならここが特等席じゃない。まさかまさか、あの白槌に勝っちゃうなんて、僕にも予想できなかったなあ」
「あっはは、白々しい。最初からそのつもりだったクセに」
声だけの笑いを受けながら、現れたのは時島彼方。苦虫を噛みつぶしたような顔をしているキリに対して、その表情は満面の笑顔だ。
「それはもう、数十年ぶりに十三忌の喉元まで届いた刃なんだ、押し込まなきゃ損でしょ……とまあ、無駄話はさておき。あっさり六哉を手放した理由を聞いておこうかな」
彼はきょろきょろとあたりを見回すと、歯抜けの目立つ本棚のひとつに手を掛けて。
「半年かけて取り込ませたのは真理の森の1割程度。今回の件で注ぎ込めたのは3割くらいになるのかな。それでも六哉は変わりかけたみたいだけど、次のキリになるにはまだ足りない。もっともっと苦しんで、力を求めてもらわなきゃいけない――こんなところだと想像してるんだけど。まさか、本気でふたりの愛情にほだされたわけじゃないよね? ああ、あわよくば恩を売れるみたいなところもあるのかな」
「……それよりも、お前の立ち回りだよ。あの十三忌の刀――雷霆をどうして最初から渡していなかった? あれがあれば、もっと強固な異界を――たくさんの異本を注ぎ込む余地を創れただろう?」
「ああ、それは僕のミスだし謝るよ。追い込めるところまで追い込んだほうが、より多くの力を求めるかなと思ったんだけどね」
「……お前はさ、自分の立場を理解しているのかな」
言いながら、キリが取り出したのは1冊の小さな薄い本。桜のような色をした、不自然なまでに真新しさが目立つそれこそは。
「『保存状態のいい』この本を手に入れるのがお前の悲願なんだろう? ボクが気まぐれを起こすだけで、これはただの塵芥と化すんだけど?」
「そこはキリを信頼してるからね。僕はキリの願いを叶える、それまでキリはその本を、誰にも渡さずきれいに保存してくれる。真理の森の管理人様は、異能者との約束を違えられないだろう?」
「……ッ!」
音が聞こえそうなほど、奥歯を噛みしめ顔をゆがめるキリ。それも数秒、話は終わりと言わんばかりに、一瞬にしてその姿が消えた。
あとに残された時島は、わざとらしいほどに肩をすくめながら。
「……それが必要なのは本当だよ。だから、僕も君との約束を違えない。次はまあ、もう少しうまくやってみせるさ」
笑う。ほんの少し――誰にも気づけないほどかすかに、その目を寂しげに細めて。
「それじゃあ、次の約束があるからもう行くよ。うるさいお爺ちゃんがお待ちでね」
大ぶりに手を挙げたあと、現世への扉に手を掛ける。
その足が、境界をまたぐその瞬間。
【お前が何と通じていようと勝手だけどね。真理の森は人類側、異形を滅するためだけに存在する場所。もしも度を過ぎるようなら、さすがに看過できなくなるよ】
「……あれ、珍しい。それは忠告ってことなのかな?」
【警告だよ。まあ、禁を破って慌てふためくお前を見るのは楽しいだろうけどね】
響いた声は今度こそ消え、真理の森に静寂が戻る。ふっと薄く笑ったあとで、時島が一歩を踏み出していく。
扉を抜けた先、燃えるような強い光が待つそこは、人間が暮らす現世ではなく。
「……あれ、もう来てたんだ。予定よりだいぶ早いけど、なにか問題でもあった?」
そこは異形が創る異界。朱い焔が支配する、人間の生存を許さない世界。
そこにいるのはふたり。時島彼方とその従者、春待。
「無理がたたっているのか、ここのところ不調を感じていましたので。その調整を済ませると、先に喚ばれていたのですよ。この肉体の状態を万全に保つ、それが彼の人との契約でしょう?」
「なるほど。気が利くよね、僕らの雇い主さまはさ」
「約束は違えないお方ですから。それがたとえ、軽薄な人間相手でも」
「言外に圧を感じるなあ。大丈夫、僕は絶対に裏切らないよ。君の体を――春町の肉体を失うわけにはいかないからね」
――加えて、異形の影がひとつ。
人の形を模したような、朱い炎のシルエット。頭部に目立つ2本の角の片方は、すっぱりと半ばから折れ飛んでいる。
それは異形を統べる皇。十三忌をも超越する、最古にして最強の存在。
「――なので、実神六哉のことはお任せを。貴方が望む器たるよう、導き育て上げましょう。その魂の新たな入れ物として、ね」
その威容を前にしながら、時島は恐れることなく。
(大丈夫、うまく立ち回ってみせるよ。僕らの目的を果たすために、ね)
頭を垂れ、跪きながら、不敵な笑みを浮かべていた。
もうちょっとだけ続くんじゃ。





