50:真理の森という場所
右を見ても本、左を見ても本。正面を見ればカウンターで、後ろを見れば子供向けの絵本コーナー。この景色には見覚えがある。子供のころ、ふたりとよく通っていた図書館だ。
見回しても人はいないし、どこかにいそうな気配もない。中身がまばらな本棚に囲まれながら、私はひとりでここにいる。
いつのまに手にしていたのか、そばには1冊の本。それを胸に抱きながら、図書館の中を歩いていく。少しそれを続けたところで、しびれをきらして声を出す。
「……いるんでしょ?」
「えーと、図書館ではお静かに、だよ」
カウンターから顔を出したのは、和服を着た小柄な人。金髪碧眼の見本みたいな、見た目だけはかわいらしい女の人だ。
その人はニコニコと笑いながら、私に近づいてくるけれど。
「悪いけど、ゆっくり話すつもりはないの。ここがいったいなんなのかは、来たときにぜんぶ思い出したから」
「なるほどね。じゃあキミの――冬華ちゃんの目的は」
「言わなくてもわかるでしょう? 連れ戻しに来たのよ、六哉を」
「そもそもまず、どうしてキミがここに来られたのかはわかってる? ここは生と死の狭間にある場所」
「生きてる人間は来られない、でしょ。次に来るのは死んだとき。異能を返し、私自身を本としてここに遺すとき――私たちがどうなってるか、それくらいはわかってる」
異能者は死ねばここに還る。借りていた本を返したあと、自分自身の経験と願いを、新たな本として遺す。
借りていた本をベースにして、新たな人生を上書きしたもの。新たな願いが加えられて、変化を遂げた異能の具現。そうして研ぎ澄まされていく、異形に対抗するために――大切な人たちを『護る』ために、次の誰かに託す装置。
それがここにあるもの、私の手にしているもの――異本という存在の正体だ。
「でもまあ……その仕組みを覆したいと思うほどには、諦めきれないのよね」
「愛ゆえにってやつだね」
「そっ……そういうのじゃ……ない……なくも……ない……けど……」
こんな時だというのに、ほっぺたが熱くなるのがわかる。そんな私の顔を見て、キリが指を指して笑う。
そう。私は六哉を諦められない。
私たちを助けてくれた。命を賭けて護ってくれた。
そんな彼のことを、大切な家族のことを。
私が――な人のことを、諦められないのは当然だ。
「あなたと六哉がなにかを約束したのはわかってる。でも、彼を返してほしい。私はどうなってもいい、六哉の代わりをしてもいい。だからお願い……お願いします……!」
胸元の本を抱きしめながら、深く頭を下げ続ける。取引材料なんてない、承諾されるとは思えない。
それでも私は、そうせずにはいられない……!
「うん、いいよ」
「……え?」
軽い返事に顔を上げる。キリはにっこり大きく笑って、その手を軽く上げている。
「ただしまあ、条件付きなんだけどね」
周りの景色が変わる。私の心象風景じゃない、真理の森の本当の姿に。
「大半が取り込まれたあととはいえ、ここにはまだまだ、たくさんの本がある。キミが今からやるべきことは、この中から異本と成り果てた六哉の魂を探すこと。六哉の魂がここになじみきってしまう前に取り戻せたなら、彼を彼のまま戻せるよ」
「……いいの?」
「まあ、キミたちの愛に免じてだね。そうそう、ここに長居をしすぎたのなら、キミ自身が戻れなくなる。そうなったらもう、彼を見つけてもおしまいだからね?」
「そう……わかった。それでいいのね」
「キミが大事に持っているそれ――キミの異本は預かっておくよ。もしも六哉を探せたのなら、その時はちゃんと返すからさ」
キリが笑って手を差し出す。そんな彼女に、私は笑って背を向ける。
「……? どうしたの? 軽くもない本なんだ、それがあったら邪魔じゃない?」
胸元の本を抱きしめる。今のキリのこの態度、それで私は確信する。
ここに来たときから手の中にあった、緑の表紙の厚い本。
まるで小ぶりの辞書みたいな、一時も手放したくならない、なじむ重みのそれこそが――
「これが六哉、でしょ? まったく、どれだけ私のことが好きなのよ、アイツは」
「……ははっ! ほんっと、愛し合ってるね、キミたちはさ!」
これ以上のやりとりはいらない。キリの言葉を背中に受けて、私は扉へ歩いていく。
他のモノとは明らかに違う、少し大ぶりなこの扉。ここをくぐれば戻ってこれる、私はそれを知っている。
「……って、ちょっと!?」
開けた先にはドア。それも、同じ見た目のものが4枚。
【あまりにもあまりだったから、ちょっと意地悪させてもらうよ。正解の扉を抜けられたのなら、ボクだって諦めるからさ】
声が聞こえる。意地の悪い笑い声が。
一瞬だけうろたえる。けど、本当に一瞬だけ。
私は迷うことなく、その中のひとつに手を掛けて。
「……悪いけど、向こうからずっと呼ばれてるのよね。認めたくないけど……私たちの『お姉ちゃん』が、帰ってこいってずっとずっと、ね」
扉を開く。差し込む光が満ちていく。
その瞬間、聞こえてきたのは弱い声。すぐに胸が高鳴るけれど、それを悟られないように、はあ、とわざとため息をつく。
「だったらねえ――」
強く抱いた本に――六哉の魂に語りかけながら、私は足を踏み出して――





