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なにも見えない聞こえない、上下左右の感覚もない。
立っているのか座っているのか、浮いているのか落ちているのか。
ここに来てからすぐなのか、もう何年も経ったのか。
――そもそも、俺はなんなのか。
【いやいや、本当によく頑張ったね。ボクはとっても嬉しいよ】
その声が覚醒の引き金になる。わかった、俺は実神六哉だ。
人間で、異能者で――今はもう、なんなのかはわからないけど。
【少し時間がありそうだし、説明だけはしておこうと思ってさ。喋る口はもうないけど、思ったことは通じるからね】
そうなのか?
【そうなのだ。というわけで、会話するのに支障はないよね! ガンガン話を進めていくよ!】
……よくわからないけど、なんだかすごく楽しそうだなあ。
【そりゃ楽しくて嬉しいさ。ボクの目的、長年の悲願が現実になろうとしてるんだから】
目的?
【ボクの目的はね、ボクの仕事をキミに継がせることだったんだよ。そのために、キミの魂の強さを利用した。異本の1冊2冊どころか、真理の森そのものを際限なく吸収していく、底の見えない頑強さをね】
あー……やっぱり、俺の異能って、『護り』だけじゃなくって。
【そ。キミの異界――麒麟司紫祈書宮に収められていた本、アレは全てキミの異能で、真理の森から取り込んできたものだよ。『護り』の異能はそれにアクセスし、限定的に使うための管理装置として作用してたってわけ。キミの異界はその限定を解除して、自在に操るモノだったってことだね。まったく、チートにもほどがあるでしょ】
解釈がどうのこうのって言ってたの、あれって。
【嘘じゃあないよ。ふたりのことを護るために、『護り』の異能の解釈を広げた結果、その機能が生まれたんだから。キミたちの関係性と異能の相性、六哉の魂の異常性。その全てが噛み合ったんだね】
まあ、何度も助けられたし不満はないけど……でも、それがどうしてキリの目的と繋がっていくんだ? そもそも、目的って?
【簡単なことだよ。真理の森の管理人は、真理の森そのものなんだから。中の異本を全て移せば、その持ち主が次のボクになる。そうすれば、今のボクはやっと解放されるんだ】
………………
【生と死の狭間、時間の概念すらも曖昧なところに閉じ込められて、ひたすら異能者を迎えて送る。自分の姿どころか、自分がなんだったのかも思い出せなくなるくらいの長い長い間、ずっとずっとひとりで、そんなことを続けていく。それがどれだけ苦しいことか、キミに想像できるかい?】
……できる、なんて言えないよな。
【そこにキミが現れた。ずっとずうっと探していた、真理の森を継ぐことのできる適正を持つ存在が。初めてここに来たときのキミはまだ、部屋のいくつかを取り込める程度だったけど――必要に迫られさえすれば、ね】
ああ、だから俺に力を貸してくれたのか。ふたりを護るため、白槌を倒すため、力を求めさせようって。
【だからね、ボクはキミの親友でもなんでもないんだよ。目的のために利用した。最初から使い捨てるつもりでいた。それだけは、ちゃんと言っておこうと思ってね】
……なるほどな。
【がっかりしたでしょ?】
ちょっとだけ。でも。
【でも?】
ありがとな。
【……は?】
どんな考えがあったとしても、お前がいなきゃみんな死んでた。キリが力を貸してくれたから、冬華と秋穂を何度も護れた。ふたりだけじゃない、異能者はみんな、お前がいたから戦えて、大切な人たちを護ってこられたんだ。だから……ありがとな。
【……いやいやいやいや? 言っちゃうよ? ボクが黒幕だったんだよ?】
本物の黒幕は親切に種明かしなんかしないよ。だからまあ、ちょっと乱暴な後継者探しだったってことだろ。異形が存在する以上、真理の森は必要な場所なんだ。だからさ、俺でよければやってみるよ。
【………………】
キリのため息が聞こえる。なにも聞こえないんだけど、なんとなく雰囲気でわかる。
【……本当にバカだよ、キミは】
声はそれで最後。今度こそ、なにもない空間に取り残されてしまう。
相変わらず、今の俺がどうなっているのかはわからない。キリの言うとおりなら、いずれ俺は真理の森になるんだろう。
異形に襲われた人が足を踏み入れる場所。その人たちが死ぬときに戻る場所。
……だったらいつかは、冬華と秋穂に会えるのかな。死んでほしくはないんだけど、いつかはそうなるんだもんな。
ふたりの顔が頭に浮かぶ。体があるとは思えないのに、胸がぐっと熱くなる。
ずっと一緒にいてくれた、きょうだいみたいな女の子たち。
ほかの誰より大切な、命にかえても護りたいふたり。
願いの通りに俺は護った。願いの通りに命を捨てた。
笑った顔、泣いた顔、困った顔、怒った顔。ぜんぶはっきり思い出せる。
……思い出せるのに、もう会えない。話すことも、顔を見ることもできない。
自分が望んだことなのに。俺がそう決めたはずなのに。
「……ふたりに、会いたい、なあ」
初めて声が出た。自分でもびっくりするくらいの、弱々しくて泣きそうな声が。
声が出せたところで、それが届くはずもないのに。
「――ったら」
都合のいい幻聴かと思った。
「だったらねえ」
違う。
そうじゃない、はっきりと聞こえた。
胸が高鳴る。視界が開ける。温度の存在しない世界に、温かさが広がっていく。
このぬくもりは、優しさは。
「最初からそんなこと願ってるんじゃないわよ。まったく、本当にバカなんだから」
間違いない、冬華の――!





