47:その名を――(6)
角を失った異形――白槌の瞳は、もう俺たちを見ていない。
「ギャッ!? アアッ!!!! グフ、ガフ、アァアアァァア!!!!!」
獣のように叫び、髪を振り乱しながら、苦しみもがき続けているだけだ。
纏っていた岩は完全に剥がれ、傷だらけの肌は乾ききった土のようにひび割れ始めている。きっともう、元に戻ることはないんだろう。
……それはこの、手の中の刀も同じなんだろうけど。
「ありがとな」
その言葉を待っていたみたいに、緑の刀身が砕けて落ちる。すぐに柄もひび割れはじけて、模造雷霆は崩れて消えた。
「ろっくん!!!」
しゃがんだまま、冬華を抱いた秋穂が叫ぶ。大丈夫だと手を振って、ふたりに向かって歩いていく。
……冬華と秋穂がいてくれなかったら、最後の最後でどうなってたか。ほんともう、ふたりに頭が上がらないなあ。
「勝ったよ。でも、ほんとギリギリだった。ふたりとも、ありがとな」
「よかった……でも、でも……」
「最後のあれ、冬華がやってくれたんだろ? 傷、ちゃんと治ったんだな」
「うん……うん……」
秋穂が冬華をぎゅっと抱く。かなり力が入っているのに、冬華は嫌がろうともしない。
手足はだらりと下がっていて、顔色は人形みたいに真っ白で。
「……治ったん、だろ……?」
「傷は、ちゃんと、ふさげたはずなの。ろっくんに刀を投げなさいって、私が動きを止めるからって、そんな声も聞こえたの。だけど、だけど……」
秋穂が泣いている。こらえようともせず、大粒の涙を流している。
「ふゆちゃん……ふゆちゃん……!」
――冬華は息を、していない。
「……心配ないよ。ここから出られたら、すぐに学院の助けを呼べる。先生だって春待さんだっているんだ、絶対に大丈夫だ」
「そう……だよね……? あれが最後の言葉だなんて、そんなこと、ないよね……?」
「当たり前だろ。だから、そんな顔するなよ」
「うん……うん……!」
なんとか元気づけようと、ふたりのそばにしゃがみ込もうとして。
「ア、ガアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
「……ッ!?」
叫び声が異界に響く。振り向けば、白槌が立っている。
「マダ、マダァ……! ココマデトハ、ハハ、タノシィ……ナァ……!」
「なっ……っ!? お前、まだ……!?」
肌は朽ちた人形のよう。今こうしている間にも、体はボロボロ崩れているのに。それでも白槌は、人の形を保っていて。
乱れた髪を振り乱す、その顔は飢えた獣のように。目を血走らせ、涎を垂らし、残った腕を振り回しながら、ゆっくりとそれは近づいてくる。
「秋穂! 冬華を連れて離れてろ!」
「で、でも……!」
「どう見ても致命傷だ! 俺が『護れ』ばそれで終わる! だから!」
「タタカエ……モットダ……!!!」
「ぐっ……!?」
「ハッ! ハァ!!!」
飛びかかってきた白槌、その拳が腹に刺さる。理性もなにも感じない、乱暴なだけのその攻撃。技術も型もないそれは、ただの獣の暴力だ。
対する俺の動きは鈍い。視界はどんどん狭まっていて、体も自由に動かない。異界構築の反動か、手足が千切れるみたいに痛い。
だけど。
絶対に。
「ここだけは通さねえ……! 『異能発現』……!」
「モットダ……! タタカエ……! アアア……ゴガアアアアアアアアッ!!!」
打撃のラッシュが襲いかかる。全身を盾にするみたいに、すべてを体で受け止める。割れた拳が、崩れた足が、執拗に俺を打ちつける。壊れる体に頓着もせず、白槌は速度を上げていく。
「ぐっ……が、くっそ……!」
「ドウシタァ……!!! ウッテコイ、ロクヤァ……!!!」
「ろっくん!!!」
「来るな!!!!」
殴られ蹴られ、爪に裂かれ。痛みを感じない場所はない。
異能はほとんど働かない。攻撃に出る手段もない。
それでも俺は動かない。1歩もここから下がってやらない。
ふたりは必ず護ってみせる。生きてここを出てみせる……!
「ガガガアッ!!! フッ!!! アアアアガアアッ!!!」
「ぐあっ、ぐぅ……っ!」
「ナニモデキナィ、カァ……!」
白槌が――白槌だったものが笑う。くぼんだ眼窩を、痩けた頬を、裂けた大口を歪ませて。
「オマエモムスメモ、ミンナ、シヌ! ソレヲクライ、オレハサラニツヨクナル……!」
「そんなわけあるかよ……! お前こそ、いい加減ここで倒れてろ……!」
拳を突き出す。異形の顔を殴りつける。
異形がぐらりと体を揺らす。でも、致命打にはほど遠い。
「ムダナアガキダッタ、ナァ……! オマエモ、イママデコロシタイノウシャモォ……!」
あと一撃。
一撃でいい、なにか……!
『――なにを言ってるのかな。無駄なことなんてひとつもないさ!』
声が。
『六哉たちのことだけじゃないよ。今までに戦ってきた異能者はみんな、きちんと役目を果たしたんだ。だからここまでお前は弱った。こうして僕が間に合った。本当にギリギリだったけど、準備だって整った』
声が聞こえる。こんなピンチの中なのに、底抜けに明るい笑い声が。絶対に大丈夫なんだと、楽しそうな余裕の声が。
『まあ、僕はそこには行けないんだけどね! だから――』
瞬間、世界を光が満たした。壊れかけた岩の異界に、雷鳴みたいな音がとどろく。土煙のなか、長くて細いなにかが見える。
『――決着は君に任せるよ。僕がここからできるのは、ほんのちょっとの手助けだ』
俺と異形の間に突き立つそれは、緑がきらめく鋼の刀身。さっき砕けてしまったはずの、俺の刀がそこにある。
柄に手を伸ばす。刀を地面から引き抜く。
長さや重さはまったく同じ、見た目も一見まったく同じ。
――そう、一見。
手に取った瞬間にわかった。これは違う。俺の刀、模造雷霆じゃない。
『十三忌が三位の魂が形創る、最上位が刀の一振り――本物の『雷霆』。探し当てるのは本当に苦労したけどね!』
柄を握る。まるで魂に繋がるみたいに、なにもかもがこの手になじむ。
刀を――雷霆を正面に構える。見る影もなくなってしまった異形の王と、正面から向かい合う。
「アアアァアアアアァ――――――」
音が消える。向かってくる異形の姿が、冗談みたいにゆっくりに見える。
振りかぶられた腕の先、拳の形を失った塊が、俺へと届くその前に。
「――じゃあな、白槌」
その名が示すとおりの――雷霆のような斬撃が、異形の体を斬り裂いた。





