46:その名を――(5)
石と砂が舞い上がる。白槌の体が、磁石みたいに強くそれを吸い付けていく。それは腹に、胸に、肩に。岩の鎧を着るみたいに、上半身のすべてが強化されていく。
「我が千岩! 貫けるものならば!」
見た目のままの物質じゃあないんだろう。『強化』された拳打をいくら当てようと、硬い防御は削れようとすらしなかった。
だったらどうする。頭がそう考える前に、魂はとっくに働いていて。
――検索完了――
――異本顕現――
――【具現】【穿孔】――
目の前を浮いている目録が開く。それに吸い寄せられるみたいに、2冊の本が現れる。
具現。ほんの数秒間だけ、思い描いたものを手にする異能。
穿孔。文字通り、固さを無視して孔を穿つ異能。
ふたつの異能を把握した時、俺の右手にはなじみのある刺突剣が顕れていた。
「……ふッ!!!」
踏み込みは鋭く、放つ刺突は一瞬六連。緑の炎――『強化』のオーラを宿らせた刀身は、白槌が纏う岩の鎧に、小さな孔を刻みつけていく。
「なんだなんだァ! 豆鉄砲かァ!?」
その攻撃をものともせずに、突進しようと踏み込む白槌。
――【浸食】――
刺突剣の重みが消える。その瞬間、両手に握るは身長よりも長い薙刀。
慣れ親しんだ得物を確かめるよう、すくい上げるようにそれを振る。
目的は時間稼ぎ、狙うのはその足回り。斬るだけではなく柄での打撃を、遠心力を活かした払いを使い、白槌をこの場に釘付けにする。
『強化』の異能はどんな武器にも乗るらしい。まるで彗星の尾みたいに、輝く軌跡が浮かび上がっていく。
「面倒な剣捌きだなァ! だがだがだがァ! 長物使いとの戦いには慣れていてなァ!」
興が乗ったと言わんばかりに、大きく地面を踏みつける白槌。強く地面が揺れたとたん、みし、と嫌な音がして、ギリギリで避けたはずの刀身が刃の根から折れ飛んだ。
「くっそ! 相変わらずだよな!」
冗談みたいな踏みつけだけど、こうなることは知っている。毒づきながら、刃のなくなった薙刀で、白槌の胸元を突き上げる。
「ははッ! やぶれかぶれではないよなァ!」
岩の鎧は砕けない。それどころか、砕け散るのはこっちの武器だ。粉々になった欠片の奥、『穿孔』した小さな孔を見据えながら。
――【裂開】――
拳に重みが宿る。俺の両手を包んでいるのは、拳打のための厚いグローブ。
体がふっと軽くなる。両の拳は顔の前、小刻みなステップを交えながら、今度は距離を詰めに動いて。
「らあああああああっ!!!!」
体がそう求めるまま、ジャブとストレートのコンビネーションを打ち込んでいく。避けるまでもないと考えたんだろう。白槌は避けず、受け止めようと胸を張り。
「……なにィ!?」
小さな孔が広がる。岩の鎧がひび割れ、砕ける。むき出しになったその胸板――まだ傷が塞がりきっていないそこへ。
「いっ……けえええええええっ!!!」
燃える拳を――『強化』の拳を撃ち放つ。
手応えがあった。白槌のうめく声が聞こえた。
――効果を確認する前に、俺の体は吹き飛ばされていた。
10メートル近い距離が空く。転がりながら受け身を取って、すぐに態勢を整える。
たいして体は痛まない。威力よりも範囲を重視――反射的に撃ってきた『白跳』の視えない一撃だったんだろう。
「ガッ……クハ、この程度ォ……!」
白槌が拳を振りかぶっている。もちろん視えはしないけど、きっとこっちが本命だ。
受ける? 避ける?
――【縮地】――
「なァ……!?」
縮地。対象との距離を無視する異能。
目の前には白槌。それを確認したときは、俺は大きく振りかぶっている。
具現化されたのは銀色の太刀。『強化』の炎を乗せたそれを、踏み込みとともに振り下ろす。
大上段の構えからの唐竹割りが、三日月のような軌跡を描く。それは吸い込まれるみたいに、受けようと差し込まれた白槌の左腕へと届いて――
「……やっと落とせたな、それ」
どすん、とにぶい音がした。大きく重い、白槌の腕が落ちた音だ。表面を固めていたはずの岩は砂になり、落ちた腕ごと崩れていった。
片腕を失った白槌が飛び退く。まるで俺を護るみたいに、8冊の本が間に入る。そのうちの1冊――俺自身の異能たる目録を手に取ったとたん、太刀の重さが手の中から消えた。
「……その力、身のこなし、覚えがあるなァ」
白槌が声を絞り出す。岩の鎧は朽ち果てて、吐き出す息は遠目にも荒い。
「貫き通す術に長けた刺突の使い手。睨んだ物の強度を下げる薙刀使い。綻びを広げる拳闘士。距離を誤魔化す剣術家」
血走った瞳が俺を見る。困惑と興味がないまぜになった、今日いちばんの嬉しそうな表情で。
「その全て、俺と戦ったことのある……俺が殺した異能者よ。これはなんだ? 偶然か?」
「覚えてたのか。だからって、嬉しくもなんともないだろうけど」
「千岩への対処も見事。これは知っていなければ――知っているからこその、破るためだけの動きだった。死者の経験・能力を借り受ける、それが異界の正体か?」
「それも少し違……わないか。そうだよ、そもそも異能ってのはな、誰かが遺した能力なんだ」
浮いている本の1冊に目をやる。まるで意思があるみたいに、本が開いて中身を見せる。
それは人間が生きた記録。人として生まれ、異能者として覚醒し、その生涯をどう終えたのか。
どんな想いで戦っていて、どんな想いを遺したのか。
なにを望み、なにを叶え、なにを繋げようとしたのか。
「異形という理不尽に立ち向かうため、遺された想いが力となったもの――それが異能の本質だ。俺たちはそれを借りて、お前ら異形に立ち向かう。途中で倒れることになっても、次に知識と力を託す。ここにある本の1冊1冊、ぜんぶが人の生きた証、『護る』想いのかたまりなんだよ」
それを託され、次へと託す。それこそが俺たちの――異能者の真の存在意義だ。
「まあ、普通はひとり1冊で、知識や経験まで引き出せる人は少ないんだけどな。今の俺に制限はないし、全部使いこなせるよ。異能者に都合のいい世界、異形を倒す想いを具現化する場所。これが俺の異界――麒麟司紫祈書宮だ」
「成る程ねェ。先の2戦、お前が様々な力を引き出していた絡繰りはそれか。此処より漏れ出る異能や経験、それを扱っていたんだなァ」
「お前に殺された人たちはみんな、次に遺してくれたんだ。だから今、こうして俺は戦えてる。届かなかった力を繋いで、ここまでお前を追い詰めてる」
「はッ! 確かにな、ここまで手傷を負わされたのは久々よ! 気を引き締めねばならないなァ!」
白槌が笑みを見せる。焦りもなにも感じさせない、歓喜に極まるその顔を。
それを押さえつけるみたいに、異界を彩る本棚が震える。時間は残り少ないんだろう、具現化された本の輪郭、それが時々ブレていく。
「……刻限前に決着を付けるぞ。俺は今から術を撃つ。ヒトには見せたことのない――お前たちの経験にない、正真正銘の秘奥義だ」
「関係ねえよ。どんな技が来たところで、正面から打ちのめす。お前を倒してみんなで帰る、そう決めたって言っただろ」
「そうだよなァ! ならば構えろ! その誓い、俺に押しつけ叶えてみせろ!」
白槌が構える。まるで四股を踏むみたいな、見たことのない足さばきのあとで。
「我は呼ぶ! 異形の皇の似姿を! 我は乞う! 皇たる力の片鱗を!」
残った片腕を振り上げ、まっすぐに地面を殴り、叫ぶ。
強い風が巻き起こる。舞い散る岩砂は塊になり、白槌の背に形を結ぶ。
それは岩の像。頭に2本の角を頂く、無数の手を持つ巨大な鬼神。
白槌の何倍レベルじゃない。数十メートルの大きさを持つ質量が、俺の前へと顕れる――!
「『赤皇顕現・千手神前』! さァさァさァ! どう出るか! 実神六哉ァ!」
白槌以上の疾さをもって、俺へと襲いかかるそれ。その攻撃は俺だけじゃなく、うしろのふたりも巻き込んでいくだろう。
気づいてないはずはない。でも、秋穂は振り返ろうともしない。
『わたしがふゆちゃんを護るから――』
『――六哉は秋穂を護るのよ?』
そんな声が聞こえたのは、たぶん気のせいじゃないんだろう。
大きく息を吸う。白槌を、後ろの巨神をまっすぐに見据えて。
「――『異能顕現』」
叫ぶ。俺の言葉に応えるみたいに、異界は力を集めてくれる。
――異本顕現――
――【具現】――
顕れたのは和弓。太い弦の張られた、弓力の強い超剛弓。
番える矢は炎。俺の体を駆け巡る、『強化』の光が集まったもの。
狙うは岩の鬼神。山のように大きく、雪崩のように強いそれをとらえて。
本が集まる。その1冊1冊に、燃える炎が宿っていく。
――【穿孔】【浸食】【裂開】【弾道保護】【必中】【分化】【重撃】【貫通】【炸裂】――
引き絞り、矢を放つ。創り出された1本の矢は、分かたれ無数の光に変わる。
「ははァ! それがお前の! お前たちの全力――――――」
それは流星群となり、白槌ごと巨大な鬼を飲み込み、砕いた。
強い音と振動が届く。まるで山が崩れたみたいな、聞いたことのない轟音が。
「……ッ! 冬華! 秋穂!」
絶え間なく降る落石に、ふたりの無事を確かめようと――
「終わったつもりかァ!!!」
音に紛れて現れたのは、残る片腕を振り上げた白槌。それは俺の頭を割ろうと、刹那の早さで振り下ろされる。
「終わらせるんだよ! 今! ここで!」
とっさの重心移動でかわす。拳が額をかすめ割り、右目が血に濡れ視界が狭まる。
大技で消耗しているんだろう、白槌の動きは明らかに鈍い。決めるならここだと、目録に手を伸ばそうとして――
「――ッ!?」
それが輪郭を失い、消える。異界を作り上げていた本棚が、溶けるみたいに薄まっていく。
それに引っ張られるみたいに、体から力が抜けていく。どっと疲労に襲われて、くらりと姿勢が揺らいでしまう。
「どうやら刻限のようだなァ! そら、仕舞いだァ!」
白槌の腕が岩を纏う。これが最後の一撃だと、勝ち誇った叫びが聞こえる。諦めてなんかやるものかと、足に力を入れて踏ん張る。
策も打つ手もなにもない。でも、倒れるわけにはいかない。視線で殴りつけるみたいに、笑う異形に視線を向けて――
「ん……ぬゥッ!!?」
白槌の体が跳ねる。まるで縛られでもしたみたいに、動きが一瞬ピタリと止まる。
この反応はさっき見た。
冬華が使った、拘束の呪符……!
「ろっくん! これ!!!!」
叫びと一緒に聞こえてきたのは、硬い金属が跳ねる音。
秋穂が投げてくれたんだろう。足元を転がってきた刀を、ギリギリで耐えてくれていた俺の相棒――模造雷霆の柄を握って。
「ああああああああああああああっ!!!!」
叫ぶ。
振り抜く。
白槌が反応する。
――もう遅い!
緑の刀身が疾る。狙うは弱点、異形の王が戴冠する、岩石のようなその大角。
それは角を両断しようと、刃を角に食い込ませて――
「そう簡単に! やらせるかよォ……!」
岩が集まり壁を成す。巻き込まれた刀身が、みるみるうちにひび割れ始める。斬撃の勢いは殺されて、最後の1歩が届かない。
白槌が俺に見せたのは、勝ち誇ったような顔。異界と武器を失う俺に、負けるはずなどないんだと。
でもな、白槌。
「――勝ちなさい! 六哉!」
「――負けないで! ろっくん!」
ふたりの声が聞こえる限り。うしろにふたりを『護る』限り。
「……なに、ィ……!」
「俺は! 負けられないんだよ……!」
壊れた刀身に炎が走る。秋穂のくれた『強化』の炎が。冬華のくれた熱い想いが。
これは誰にも砕けない。絶対に砕けるはずのない、どんな武具より強い力。
「ガッ……!?」
岩の壁が切断される。燃える炎が、刃が奔って。
「ギ、ガアアアアアアアアッ!!!!!?」
それは確かに白槌の角を、折り取るように叩き斬った。





