45:その名を――(4)
クライマックスなので朝も更新します。
俺たちを広く取り囲むよう、現れたのは無数の本棚。
あるものは地面から、見上げるほどに高く高く。
あるものはその途中から、まるで分かれた木の枝みたいに。
あるものは逆さまに、突然宙から生えてきたみたいに。
上下左右。縦横斜め。天地の常識すら無視して。
積み重なるように。そびえ立つように。縦横無尽で乱雑に。
めちゃくちゃで、はちゃめちゃで、まとまりのない書架の森。色とりどりの書物が彩る、静かで狂った大図書館。
「デタラメだなあ……いや、創った俺が言うことじゃないけどさ」
わけのわからないこれこそが、俺の異界の形みたいだ。
「これがろっくんの異界……魂の、かたち……?」
俺の後ろには、冬華を抱いてしゃがみこむ秋穂がいて。
「なかなかに壮観だが、俺の異界を打ち消すほどではなかったようだなァ。それどころか、なんの影響も感じんぞ?」
正面、10数メートルの距離には、腕に岩砂を纏わせた白槌が立っている。こいつの異界が持つ効果も、消えずに残ったままみたいだ。
「そも、端から触媒が悲鳴を上げているからな。模造品たるその刀、もはや5分と保ちはすまい。さすれば異界も解けて終わり、期待外れも甚だしいな」
「誰のせいだと思ってるんだよ。せっかく直してもらったのにさ」
右手に持っていた模造雷霆――ひび割れがひどく、刃こぼれが目立つ刀を地面に突き立てる。手を離しても震えるそれは、確かに限界が近いんだろう。無理させてごめんな、と、謝りながら手を離して。
「……でもまあ、5分もあれば十分だろ。ちゃんと相手はしてやるから、しばらくそこで黙ってろ」
「ははッ! ずいぶんと気が大きくなったものだなァ!」
「聞こえなかったのか? ……ああ、耳と頭が悪いんだっけ。冬華がそう言ってたよな」
言いながら、左手に現れた本を開く。
見た目は小ぶりの辞書だけど、言葉を分類したものじゃない。
――検索開始――
これは目録。この異界に詰め込まれている――俺の魂が取り込んでいた、本の内容を示すもの。
「下手な挑発だなァ! 言葉ではなく力で示せと、何度言えば分かるのかねェ!」
白槌が突っ込んでくる。でも今、こいつに関わってるヒマはない。
――検索完了――
――異本顕現【拘束】【重圧】――
右手をかざす、それだけで。
「……ぬっ!?」
躍りかかろうと地面を蹴った白槌が、『拘束』されたように動きを止めて。
「ぐ、ぐゥッ!!!?」
まるで『重圧』をかけられたみたいに、勢いよく地面に落下した。
転がるそれに背を向ける。目を丸くした秋穂が、信じられないと口を開く。
「え、ええと……? なにを、したの……? その本は、なに……?」
「んー……力を貸してくれる大先輩、かな?」
手に持っているものとは別。俺の周りをふよふよと浮いているのは、本棚に収まっていた2冊の本だ。
おろおろと目をさまよわせる秋穂に笑いかけながら、冬華の様子を確かめる。意識はない。呼吸は微か。検索してる時間の余裕は……ほんの少しもなさそうだ。
持った本から手を離すと、それは落ちずに宙に浮く。3冊の本を引きつれたまま、ふたりの前に膝をついて。
「ちょっと驚くと思うけど、なんの心配もいらないから」
右手は冬華の手に、左手は秋穂の頭に。空いた両手でふたりに触れると、
「……え?」
まるでそこから出てきたみたいに、2冊の本が現れた。
冬華からは青い本。秋穂からは赤い本。タイトルを読むまでもない、『癒やし』と『強化』ふたつの異能だ。
「で、こう」
そのふたつを入れ替える……わけではなく。赤い本は俺の胸元に引き、青い本のほうは秋穂に渡す。それはひとりでに開かれながら、俺たちの体の中へと吸い込まれていった。
「こ、これ……! ふゆちゃんの……! なんで、どうして……!?」
「これならケガを治せるだろ? 秋穂もつらいだろうけど、先に冬華のほうを頼むな」
「で、でも……わたしはふゆちゃんじゃないんだよ!? こんなにひどいケガ、もしもうまくできなかったら、失敗しちゃったら、ふゆちゃんは……!」
「だいじょうぶ、できるさ」
ぽんぽんと、秋穂の頭をなでてあげる。涙にうるんだ大きな瞳が、心配そうに俺を見上げる。
「お前は俺たちの『お姉ちゃん』なんだから。ほかに任せられる人なんていないよ」
「え……?」
「いつも俺たちのこと、気にしてくれてありがとな。口には出さないだろうけど、冬華だってそう思ってるよ。双子なんだし、言わなくても伝わってるとは思うけどさ」
笑いかけたまま言葉を待つ。ほんの一瞬、固まっていた秋穂だけど。
「……うん、まかせて! もう少しだけがまんしてね、ふゆちゃん――『異能発現』!」
ぎゅっと目をつむり、涙を振り払うと。
「ろっくんも、無茶しちゃだめだよ! わたしの異能、ちゃんと返してね!」
そんな言葉を俺に投げながら、入れ替えた異能――『癒やし』の行使に入った。
柔らかな光が冬華を包む。それを確認したあとで、立ち上がりながら振り返る。
【見透かされてるね?】
「お姉ちゃんだからな。というか、まだサポートしてくれるのか?」
【そう思ってたんだけど、どうやら必要なさそうだね。思った以上になじんだみたいで、ボクは本当に嬉しいよ】
「まったく、むちゃくちゃしてくれたよな。なにが『俺に渡した異能は護り』だよ」
【『それだけ』なんて言ってないでしょ? それに、望んだのはキミ自身……っと、来るよ、注意して】
キリの声に目をやれば、地面に押しつけられていた白槌が立ち上がってくるのが見えた。『拘束』はもう解いたんだろう、目に見えるほど四肢に力を込めながら、『重圧』の異能に抗っている。
【ボクの干渉はここまで。決着はキミだけで、ね】
「了解。じゃあ、『またあとで』な」
【うん、『またあとで』ね】
キリの声が消える。それと同時に、白槌がしっかりと立ち上がる。
「自由を奪うが異界の効果……ではないよなァ。空間を満たす書物、娘とのやりとり、そこから考えられることは、だ」
大きく口を歪ませ、白槌が笑う。
そこに挑発の意図はない。ようやくだと、求める相手に出会えたんだと。そんな喜びに満ちた笑顔だ。
「此処な書物は異能そのもの。それを自在に選んで行使できる、か?」
「正確には違うんだけどな。まあ、その考えで問題ないよ」
「異能の効果も極めて高く、付け焼き刃とは思えんな。ここまで出鱈目に化けるとは、育てた甲斐があったねェ」
「育てられた覚えはねえよ。それより、戦わないのか? 異界の解ける時間切れまで、そうしてベラベラ喋って終わりか?」
「ひとつ忠告してやろう。追い詰められ、死の際で力に目覚める人間と、俺は何度も戦ってきた。だがまあ……手にしたことのない力を前に、尋常ではいられなくなるんだろうよ」
白槌が構える。絶対の自信があるんだろう、何度も何度も俺に見せた、拳を打ち込もうとする構えだ。
纏う岩砂の密度が増していく。まるでもう、腕そのものが岩になっていくみたいに。
「力に振り回され、勝利を幻視するようでは先が知れるぞォ!」
叫びとともに圧力が増す。たったの一蹴り、ほんの一瞬の歩法だけで白槌が目の前に迫る。
叩きつけられるのは岩石の拳。それを俺は、まっすぐに見据えて。
「『異能発現』」
その言葉を引き金に、俺の拳を光が包む。持ち主が見せたそれとは違って、包む輝きの色は緑。
それを横目に攻撃をかわす。ざっくりと頬が切れたけど、そんなものではひるまない。
――秋穂の悔しさ、悲しみ、怒り。全部俺が持っていくから。
今度はこっちが拳を握る。『強化』の異能が導くまま、狙うは広く、がら空きの胴体!
「ぐガッ……!?」
脇腹に拳を突き立てる。それを受けた白槌の巨体が、回転しながら吹き飛んでいく。
「立てよ。これで最後だ、ちゃんと決着をつけようぜ」
「……くくっ! はっはァ!! そうだ、それでいい!!!」
転がり続けた白槌が、跳ねるみたいに起き上がる。言われなくてもそのつもりだと、その表情が言っている。
……そう、これで最後だ。だから、なんの出し惜しみもしない。
それを表すみたいに、それに応えるみたいに。
拳を包む緑の光が、全身へと燃え広がっていく。
「……行くぞ、白槌!」
「来い! 実神六哉ァ!」
互いに地面を蹴る。
拳と拳が、ぶつかる。





