43:その名を――(3)
昨日通し番号を間違えたので朝も更新します。
倒れた冬華が空に手をやる。ふらふらと、自分でもなにをしているのかわかってないみたいに。
「け、けが……! 早く手当てしないと……!」
「私じゃなくて、目の前に、集中しなさい……でないと……」
「ふゆちゃんが先に決まってるでしょう!? まってね、すぐになんとかするからね! ふゆちゃんみたいにはいかないけど、手当てならわたしも……!」
伸ばされた手を秋穂が握る。ごふ、とくぐもった音がして、冬華の口から血がこぼれる。
真っ白な地面が、真っ赤な血で染まっていく。冗談みたいな広さを、冗談みたいな早さで。
これは、もう。
手当てなんかじゃ、どうにも。
「だめ……やっぱ、わたし、あしでまとい、で」
「うそ、うそうそうそ! やだよ! こんなのやだよ! 立ってよ! だいじょうぶだって、そう言ってよ!」
「アンタ、みたい、がんじょうじゃな……むちゃ、いわないで……」
秋穂が冬華を抱き起こす。ふたりの体が、あっという間に血で汚れていく。
どうにかしないとと思うのに、足はぜんぜん動いてくれない。身動きひとつできないまま、ふたりを見ていることしかできない。
白槌は動かない。面白いものでも見ているみたいに、腕組みをして立っている。
「やだぁ! やだやだやだやだ! 嫌ああああ! ふゆちゃん、ふゆちゃあああん!」
「いいから……わたし、もう……こうなるかもって、かくご、して」
「よくない! よくないよ! いや、いやだよぉ!」
「しずかに……みみ、かして……さいごくらい、はなし、きいて……」
「最後だなんていわないで! きちんとお話聞くから! これからずっといい子にするから! だから!」
秋穂が耳を、冬華の口元に近づける。なにかを話しているけれど、俺の耳にまでは届かない。
涙をいっぱいにためた秋穂が、何度も何度もうなずいている。それを見た冬華が、安心したみたいに小さく笑う。
「だから……ごめん、ね……あと、ろくや、に……」
「うん……うん……」
秋穂が顔を上げる。こっちに来てと、泣きはらした目が言っている。
ふたりに向かって歩く。地面を踏んでる感触がない。
それでもなんとか、俺は前に進めたみたいで。
「……ふゆちゃんを、おねがい」
「……わかった」
俺に冬華の身を預けて、秋穂がゆっくり立ち上がる。ごめんね、と。冬華の口がちいさく動く。
「時間は、わたしが、稼ぐから」
「時間? 秋穂、なにを…………ッ!?」
思わず絶句してしまう。
いつも笑ってる秋穂なのに。あんなに喜怒哀楽が表に出る女の子なのに。
もう泣いてもいない。怒ってもいない。俺のほうを向いているのに、俺のことを見てもいない。
――秋穂の見せる表情からは、完全に感情が抜け落ちていた。
「お前、それ……ッ!」
「ああああああああああアアアアアアアアァァァァ!!!!!!!!!!」
返事の代わりに返ってきたのは、びりびりと体を叩くほどの絶叫。薄紅色の異能の光が、燃えるような朱へと変化していく。
白槌の表情が変わった。あり得ないものを見たような、強い驚きの表情に。
でも、すぐにそれは笑みへと変わって。
「……成る程、こいつは掘り出し物だなァ! ひとつの命でこの化け様、だから人間は面白い! 来いよ娘ェ!」
白槌が構える。地面をえぐるほどに強く蹴り、雄叫びを上げながら、秋穂が一瞬でそこに迫る。
体を真っ赤に燃え上がらせながら、折れているはずの左腕を打ち込む秋穂。それは白槌のガードを弾き、胸板を、脇腹を、巨体のいたるところを何度も何度も殴りつけている。
よろけるように白槌が後ずさる。秋穂の突進は止まらない。叫びながら、傷つきながら、感情を武器に叩きつけている。
「やめろ秋穂……! そんなの、マトモな戦いかたじゃない……!」
こんなことを続けていたら、体が先に壊れてしまう。思わず秋穂のほうを向いて、手を伸ばそうとするけれど。
「いい……あれで、いいの……」
そんな俺を止めたのは、か細い冬華の声だった。
「あの子もそのつもり……だから……いい……」
「いいって、なにがだよ!? 待ってろ、すぐになんとかするから!」
「アンタが、どうやって……わかるでしょ……これはもう、むり……」
「なにか、なにかあるはずなんだ! 俺の異能はお前を護るものなんだ、だから!」
探す。読む。俺の使える能力を総動員する。
聴覚強化 視力強化 違う
腕力強化 脚力強化 違う違う
反射神経強化 嗅覚強化 跳躍 無い
硬重化 軟化 無い無い 精密動作 加速 消音 隠密隠形 無い無い無い無い無い!!!
「かんがえ……ある……ったでしょ……きいて……」
焦る気持ちをなだめるみたいに、冬華の声が入ってくる。ひとつの言葉を発するたびに、声が小さくなっていく。
ゆっくりと冬華の手が上がる。小さく震えるその手には、1枚の呪符が握られていて。
「それ……『転送』の呪符だよな……?」
「さいご、いちま……つかうから、それで……」
「……! そうか! それで先生のところに行けたら! 行けるんだよな!? そういうことだよな!?」
「それは、できな……だから、ろくや、そと……ここから、にげて……」
とん、と胸に手が当たる。冬華がゆっくり、ちいさく笑う。
「あきほときめてた……かてそうになかったら、ろくやだけはって……」
「お前、なに言って」
「だって……あなたがしぬの……いや……ぜったい……いや……」
ほとんど声が聞こえない。抱き寄せて、顔と顔を近づけて。
「しぬのはこわい……けど……いやなの……もっと……ろくや……いなく、なる、の……」
「嫌だ! 俺だってそんなの嫌だ! 俺だけ逃げるなんて、できるはずないだろ!」
「でき、る、こと……かんがえ、て……それが、いちばん、いい……」
「よくねえよ! いいはずないだろ! 絶対に助けてやるから! だから!」
「わたし……わたしたち、だって、まもりた……だって、ろくやは、ろくやはたいせつ、わたしの、わたしの」
「いいから……もういいから……」
「すきな、ひと……しんでほしくなんか、ない……」
そうして冬華は笑ったまま、ほんの少しだけ顔を上げて。
「――――ッ」
キスは甘くて柔らかい、そんな話を聞いたことがある。ファーストキスならなおさらだと、ロマンチックなものなんだと。
でも、くちびるに触れたのは。ほんの一瞬だったけど、たしかに触れた感触は。
冷たく固い、血の味だった。
「……ご……んね……」
もうほとんど聞こえない。どれだけ耳を澄ませても、どれだけ体を近づけても。
冬華のくちびるがかすかに動く。呪符を発動させようと、最後の力を振りしぼって。
「うっ……ウウウうううっ……!!!!」
どさ、と隣で音がする。吹き飛ばされてきた秋穂が、起き上がろうともがいている。異能の光はとっくに消えていて、体はもうボロボロで。
「ふゆちゃんの、最後のおねがい……! ぜったいに、叶えるから……!」
それでも立ち上がってくれる。俺たちを――俺を守ろうと、傷つきながら、必死に。
俺が今、やるべきこと。
ふたりの想いを尊重して、このままここから逃げ出すこと。全滅よりはるかにいい、今は耐えるんだって、無理にでもそう納得すること。
ふたりの想いを継いで、いつか必ず仇を取るって、もっともっと強くなるって。
そんなの。
そんなのは、絶対に。
「……違う」
冬華の手を握る。安心したみたいに、冬華の瞳が俺を見る。
ほっそりとした指に指をからめて、ゆっくりとそれを解いていって。
「そうじゃない、間違ってる。俺の異能ができること、俺の魂がやるべきことは、そんなことのはずがないんだ」
その手から呪符を取り上げて、ぐしゃりと強く握り潰した。
冬華の瞳が驚きにまたたく。大きく目を見開いて、呆然と秋穂が俺を見ている。
「助けるさ。だからふたりとも、無茶をするのはやめてくれよ」
「そんな……どうやって……? どれだけ叩いても、どれだけ怒っても、攻撃がぜんぜん効かなくて。先生も春待さんも、頼れる人はだれもいないんだよ……?」
「俺がいる。ふたりとも、絶対に死なせたりなんかしないよ」
「ほォ……? だが、大層なのは口だけか? その調子なら、残したひとりも守れんなァ?」
割って入るのは白槌の声。相も変わらずニヤニヤと、バカにしたような言いかただ。
さすがにもう分かってる。こいつのすべての行動は、俺を怒らせるために行われている。俺の能力を引き出して、その上で俺を倒そうと。全力の俺と戦うことが、なにより楽しいことなんだと。
そんな――そんなくだらないことで、よくも冬華を、秋穂を!
「護るよ。それが俺の存在理由で、それが俺の異能だ。ありがとな、白槌。俺にそれを気づかせてくれて」
「言葉はもういい、力で示せ。お前はなにを俺に見せ、どうやって俺を魅了する?」
「簡単だよ。俺の願いが叶うよう、世界を創り替えるんだ」
なでるように手を握って、冬華を地面に横たえる。落とした刀を拾い直して、それを逆手に持ち替える。
言葉の意味がわかったんだろう、嬉しそうに笑う白槌。いったいなにが起こるのかと、プレゼントを待つ子どもみたいに。
「冬華を頼むな。あとは全部、俺に任せてくれればいいから」
「で、でも……! それができるのはふゆちゃんとでしょう!? ひとりじゃ無理だって、ひとりでやっちゃダメだって、先生が!」
「ひとりじゃなかったんだよ。白槌と初めて戦ったあの日から、いや、もっと前からだったんだろうな」
冬華のそばにしゃがんだ秋穂が、わからない、と首を振る。大丈夫だと手を振って、そんなふたりに背を向ける。
『人間が異界を構築するにはね、触媒によって引き出された強い魂が必要なのさ。だけどね、その時点では魂はただのエネルギー。それを御し、広げ、異界という形にまとめ上げるには、心から信頼の置ける第三者の存在が必要不可欠なんだよ』
それは冬華と秋穂だけだと、俺はそう思い込んでいた。
違う。もうひとりいる。
死にかけた俺を助けてくれた。半年もいっしょにいてくれた。異能を選んでくれた。使いかたを教えてくれた。別れを惜しんでくれた。
――それを使いこなせなかった俺に、改めて手を差し伸べてくれた。
これが最後だ、次は死ぬとき。そんなことを言われたけれど。
「ほんの少しでいい、最初のひと押しだけでいいんだ。一緒にいろなんて言わない、戦ってくれとも言わない。だから――」
あいつは絶対、俺のことを見てくれているから。
「俺に力を貸してくれ! 『キリ』!!!」
忘れていたその二文字を。大切な友達の名前を、叫ぶ。
刀が、模造雷霆が震える。熱を持つみたいに、胸の奥が熱くなっていく。
真っ白にはじけた視界の中。空に放り出されたみたいに、ふわりとなにも感じなくなった世界の中で。
【――まったくもう。ボクを呼びつけるなんて、ヒトに許されることじゃないんだよ?】
いたずらの相談をするような、バレて怒られたあとみたいな。
愉快そうな笑い声が、確かに俺の耳に届いた。





