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44/58

43:その名を――(3)

昨日通し番号を間違えたので朝も更新します。

 倒れた冬華が空に手をやる。ふらふらと、自分でもなにをしているのかわかってないみたいに。



「け、けが……! 早く手当てしないと……!」


「私じゃなくて、目の前に、集中しなさい……でないと……」


「ふゆちゃんが先に決まってるでしょう!? まってね、すぐになんとかするからね! ふゆちゃんみたいにはいかないけど、手当てならわたしも……!」



 伸ばされた手を秋穂が握る。ごふ、とくぐもった音がして、冬華の口から血がこぼれる。


 真っ白な地面が、真っ赤な血で染まっていく。冗談みたいな広さを、冗談みたいな早さで。


 これは、もう。


 手当てなんかじゃ、どうにも。



「だめ……やっぱ、わたし、あしでまとい、で」


「うそ、うそうそうそ! やだよ! こんなのやだよ! 立ってよ! だいじょうぶだって、そう言ってよ!」


「アンタ、みたい、がんじょうじゃな……むちゃ、いわないで……」



 秋穂が冬華を抱き起こす。ふたりの体が、あっという間に血で汚れていく。


 どうにかしないとと思うのに、足はぜんぜん動いてくれない。身動きひとつできないまま、ふたりを見ていることしかできない。


 白槌は動かない。面白いものでも見ているみたいに、腕組みをして立っている。



「やだぁ! やだやだやだやだ! 嫌ああああ! ふゆちゃん、ふゆちゃあああん!」


「いいから……わたし、もう……こうなるかもって、かくご、して」


「よくない! よくないよ! いや、いやだよぉ!」


「しずかに……みみ、かして……さいごくらい、はなし、きいて……」


「最後だなんていわないで! きちんとお話聞くから! これからずっといい子にするから! だから!」



 秋穂が耳を、冬華の口元に近づける。なにかを話しているけれど、俺の耳にまでは届かない。


 涙をいっぱいにためた秋穂が、何度も何度もうなずいている。それを見た冬華が、安心したみたいに小さく笑う。



「だから……ごめん、ね……あと、ろくや、に……」


「うん……うん……」



 秋穂が顔を上げる。こっちに来てと、泣きはらした目が言っている。


 ふたりに向かって歩く。地面を踏んでる感触がない。


 それでもなんとか、俺は前に進めたみたいで。



「……ふゆちゃんを、おねがい」


「……わかった」



 俺に冬華の身を預けて、秋穂がゆっくり立ち上がる。ごめんね、と。冬華の口がちいさく動く。



「時間は、わたしが、稼ぐから」


「時間? 秋穂、なにを…………ッ!?」



 思わず絶句してしまう。


 いつも笑ってる秋穂なのに。あんなに喜怒哀楽が表に出る女の子なのに。


 もう泣いてもいない。怒ってもいない。俺のほうを向いているのに、俺のことを見てもいない。


 ――秋穂の見せる表情からは、完全に感情が抜け落ちていた。



「お前、それ……ッ!」


「ああああああああああアアアアアアアアァァァァ!!!!!!!!!!」



 返事の代わりに返ってきたのは、びりびりと体を叩くほどの絶叫。薄紅色の異能の光が、燃えるような朱へと変化していく。


 白槌の表情が変わった。あり得ないものを見たような、強い驚きの表情に。


 でも、すぐにそれは笑みへと変わって。



「……成る程、こいつは掘り出し物だなァ! ひとつの命でこの化け様、だから人間は面白い! 来いよ娘ェ!」



 白槌が構える。地面をえぐるほどに強く蹴り、雄叫びを上げながら、秋穂が一瞬でそこに迫る。


 体を真っ赤に燃え上がらせながら、折れているはずの左腕を打ち込む秋穂。それは白槌のガードを弾き、胸板を、脇腹を、巨体のいたるところを何度も何度も殴りつけている。


 よろけるように白槌が後ずさる。秋穂の突進は止まらない。叫びながら、傷つきながら、感情を武器に叩きつけている。



「やめろ秋穂……! そんなの、マトモな戦いかたじゃない……!」



 こんなことを続けていたら、体が先に壊れてしまう。思わず秋穂のほうを向いて、手を伸ばそうとするけれど。



「いい……あれで、いいの……」



 そんな俺を止めたのは、か細い冬華の声だった。



「あの子もそのつもり……だから……いい……」


「いいって、なにがだよ!? 待ってろ、すぐになんとかするから!」


「アンタが、どうやって……わかるでしょ……これはもう、むり……」


「なにか、なにかあるはずなんだ! 俺の異能はお前を護るものなんだ、だから!」



 探す。読む。俺の使える能力を総動員する。


 聴覚強化 視力強化 違う 

 腕力強化 脚力強化 違う違う 

 反射神経強化 嗅覚強化 跳躍 無い 

 硬重化 軟化 無い無い 精密動作 加速 消音 隠密隠形 無い無い無い無い無い!!!



「かんがえ……ある……ったでしょ……きいて……」



 焦る気持ちをなだめるみたいに、冬華の声が入ってくる。ひとつの言葉を発するたびに、声が小さくなっていく。


 ゆっくりと冬華の手が上がる。小さく震えるその手には、1枚の呪符が握られていて。



「それ……『転送』の呪符だよな……?」


「さいご、いちま……つかうから、それで……」


「……! そうか! それで先生のところに行けたら! 行けるんだよな!? そういうことだよな!?」


「それは、できな……だから、ろくや、そと……ここから、にげて……」



 とん、と胸に手が当たる。冬華がゆっくり、ちいさく笑う。



「あきほときめてた……かてそうになかったら、ろくやだけはって……」


「お前、なに言って」


「だって……あなたがしぬの……いや……ぜったい……いや……」



 ほとんど声が聞こえない。抱き寄せて、顔と顔を近づけて。



「しぬのはこわい……けど……いやなの……もっと……ろくや……いなく、なる、の……」


「嫌だ! 俺だってそんなの嫌だ! 俺だけ逃げるなんて、できるはずないだろ!」


「でき、る、こと……かんがえ、て……それが、いちばん、いい……」


「よくねえよ! いいはずないだろ! 絶対に助けてやるから! だから!」


「わたし……わたしたち、だって、まもりた……だって、ろくやは、ろくやはたいせつ、わたしの、わたしの」


「いいから……もういいから……」


「すきな、ひと……しんでほしくなんか、ない……」



 そうして冬華は笑ったまま、ほんの少しだけ顔を上げて。



「――――ッ」



 キスは甘くて柔らかい、そんな話を聞いたことがある。ファーストキスならなおさらだと、ロマンチックなものなんだと。


 でも、くちびるに触れたのは。ほんの一瞬だったけど、たしかに触れた感触は。


 冷たく固い、血の味だった。



「……ご……んね……」



 もうほとんど聞こえない。どれだけ耳を澄ませても、どれだけ体を近づけても。


 冬華のくちびるがかすかに動く。呪符を発動させようと、最後の力を振りしぼって。



「うっ……ウウウうううっ……!!!!」



 どさ、と隣で音がする。吹き飛ばされてきた秋穂が、起き上がろうともがいている。異能の光はとっくに消えていて、体はもうボロボロで。



「ふゆちゃんの、最後のおねがい……! ぜったいに、叶えるから……!」



 それでも立ち上がってくれる。俺たちを――俺を守ろうと、傷つきながら、必死に。


 俺が今、やるべきこと。


 ふたりの想いを尊重して、このままここから逃げ出すこと。全滅よりはるかにいい、今は耐えるんだって、無理にでもそう納得すること。


 ふたりの想いを継いで、いつか必ず仇を取るって、もっともっと強くなるって。


 そんなの。


 そんなのは、絶対に。



「……違う」



 冬華の手を握る。安心したみたいに、冬華の瞳が俺を見る。


 ほっそりとした指に指をからめて、ゆっくりとそれを解いていって。



「そうじゃない、間違ってる。俺の異能ができること、俺の魂がやるべきことは、そんなことのはずがないんだ」



 その手から呪符を取り上げて、ぐしゃりと強く握り潰した。


 冬華の瞳が驚きにまたたく。大きく目を見開いて、呆然と秋穂が俺を見ている。



「助けるさ。だからふたりとも、無茶をするのはやめてくれよ」


「そんな……どうやって……? どれだけ叩いても、どれだけ怒っても、攻撃がぜんぜん効かなくて。先生も春待さんも、頼れる人はだれもいないんだよ……?」


「俺がいる。ふたりとも、絶対に死なせたりなんかしないよ」


「ほォ……? だが、大層なのは口だけか? その調子なら、()()()ひとりも守れんなァ?」



 割って入るのは白槌の声。相も変わらずニヤニヤと、バカにしたような言いかただ。


 さすがにもう分かってる。こいつのすべての行動は、俺を怒らせるために行われている。俺の能力を引き出して、その上で俺を倒そうと。全力の俺と戦うことが、なにより楽しいことなんだと。


 そんな――そんなくだらないことで、よくも冬華を、秋穂を!



「護るよ。それが俺の存在理由で、それが俺の異能だ。ありがとな、白槌。俺にそれを気づかせてくれて」


「言葉はもういい、力で示せ。お前はなにを俺に見せ、どうやって俺を魅了する?」


「簡単だよ。俺の願いが叶うよう、世界を創り替えるんだ」



 なでるように手を握って、冬華を地面に横たえる。落とした刀を拾い直して、それを逆手に持ち替える。


 言葉の意味がわかったんだろう、嬉しそうに笑う白槌。いったいなにが起こるのかと、プレゼントを待つ子どもみたいに。



「冬華を頼むな。あとは全部、俺に任せてくれればいいから」


「で、でも……! それができるのはふゆちゃんとでしょう!? ひとりじゃ無理だって、ひとりでやっちゃダメだって、先生が!」


「ひとりじゃなかったんだよ。白槌と初めて戦ったあの日から、いや、もっと前からだったんだろうな」



 冬華のそばにしゃがんだ秋穂が、わからない、と首を振る。大丈夫だと手を振って、そんなふたりに背を向ける。



『人間が異界を構築するにはね、触媒によって引き出された強い魂が必要なのさ。だけどね、その時点では魂はただのエネルギー。それを御し、広げ、異界という形にまとめ上げるには、心から信頼の置ける第三者の存在が必要不可欠なんだよ』



 それは冬華と秋穂()()だと、俺はそう思い込んでいた。


 違う。もうひとりいる。


 死にかけた俺を助けてくれた。半年もいっしょにいてくれた。異能(ちから)を選んでくれた。使いかたを教えてくれた。別れを惜しんでくれた。


 ――それを使いこなせなかった俺に、改めて手を差し伸べてくれた。


 これが最後だ、次は死ぬとき。そんなことを言われたけれど。



「ほんの少しでいい、最初のひと押しだけでいいんだ。一緒にいろなんて言わない、戦ってくれとも言わない。だから――」



 あいつは絶対、俺のことを見てくれているから。



「俺に力を貸してくれ! 『キリ』!!!」



 忘れていたその(ふた)()()を。大切な友達の名前を、叫ぶ。


 刀が、模造雷霆が震える。熱を持つみたいに、胸の奥が熱くなっていく。


 真っ白にはじけた視界の中。空に放り出されたみたいに、ふわりとなにも感じなくなった世界の中で。



【――まったくもう。ボクを呼びつけるなんて、ヒトに許されることじゃないんだよ?】



 いたずらの相談をするような、バレて怒られたあとみたいな。


 愉快そうな笑い声が、確かに俺の耳に届いた。

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