40:『護る』ということ(4)
よく見れば、倒れているのは同い年くらいの女の子。お祭りの帰りだったんだろう、着ているものは鮮やかな色をした、見るからに上等そうな浴衣だった。
「取り決めの日はまだ先だろォ? サプライズ、ってやつかねェ」
その子を足元に置きながら、白槌の顔が大きく歪む。いい獲物を見つけたと、心の底から嬉しいとでも言わんばかりに。
凄みを感じる。転がり落ちてくる巨岩を前にしているような、荒れ狂う暴風を正面から受け止めているよな。
人にはどうすることもできない、絶対的な自然の法則。
人に定められている、逃れようのない死の運命。
目の前のこれはその具現だと、そんなことさえ思ってしまう。
「……その子から離れろよ」
でも、気圧されるわけにはいかない。視線をまっすぐ受け止めて、絶対に目はそらさない。
「……ほォ?」
「ほぉ、じゃねえよ。戦うのは俺たちで、約束の日は4日後だ。その子を狙うのは違うだろ」
「刻限まではお前らを見逃す、交わした約束はそれだけよ。気が向いた時は今まで通り、他の人間を殺して回るさ」
他の人間を殺して回る。
その言葉に、特別な感情はこもっていない。それが当然だと、そうあるべきなのだと、白槌はそう言っている。
だからこそ、俺は。
「……お前ら異形は、どうして人を殺すんだ?」
そう、口に出さずにはいられなかった。
「人間が憎いからか? 人の魂を糧にして、自分の命を繋ぎ止めるためか?」
「そうしなければ保てない、下級の雑魚ならそういうこともあるだろうねェ」
聞きたい答えは返ってこない、そんなことはわかってる。
これはただの確認だ。
目の前にいるのは、話せばわかる相手なんかじゃないと。
戦いのあとには通じ合える、そんな存在ではないと。
「だったら、お前は」
「人だから殺す。目についたから殺すこと、今さらそれを聞かれるとはなァ」
――決して相容れることのない、人殺しの化け物なんだと。そう再認識するための。
「なァに、加減はきちんと覚えているさ。日ごとに両手で足りるくらいか? たいした数じゃァなかろうよ」
言いながら手を伸ばし、女の子の首筋をつかむ白槌。乱暴に扱われているというのに、彼女はぴくりとも動かない。
遅かったのか、と。嫌な考えが頭をよぎるその前に。
「大丈夫、生きてる。たいしたケガもしてないし、気を失ってるだけよ」
「でも、助けなきゃ……!」
ふたりの言葉が、やるべきことを示してくれた。
白槌は女の子を掲げ上げると、煽るような表情を俺たちに向けて。
「まァ、お前らとは知らん仲じゃあない。その顔に免じて、この場はひとりで収めてやるかね。刻限までは手を出さん、そういう取り決めだからなァ」
俺たちは見逃す。この子は殺す。
その言葉が挑発じゃなければ、いったいなんだと言うんだろう。
戦ったところで勝ち目は薄い。だから、引き下がったほうがいい。あとでいくら恨まれようと、ふたりを護るためなんだ。
数分前の俺なら、そう納得していたんだろうけど。
「悪いけど、そうもいかないんだよな」
ふたりを『護る』ことの意味。
それは逃げることじゃないと、俺はもう知っているから。
「だったらどうする?」
「その子を助ける。決まりきったことを聞くなよ」
「はっはァ! 異形の王を前にして、獲物を掠め取れるとなァ!」
「お前こそ、俺たち異能者を――人間をナメすぎだ。たいした数じゃない? ひとりで収める? ふざけるのも大概にしろよ」
「事実だろうよ。数十億の中の一、ましてや異能者でもないモノが、欠けたところで不都合はあるまい?」
俺を怒らせようとはしてるんだろう。でも、こいつは本気でそう言っている。人がひとり死んだところで、別に構うことはないと。たいした問題でもないだろうと。
――ふざけるなよ?
「……その子の服、見えるか」
怒鳴り声を押し殺して、なんとか静かに声を出す。白槌は答えず、ニヤニヤと俺を笑っているだけだ。
「浴衣だよ、お祭りなんかの時に着るやつ……ああ、お祭りってわかるか?」
「おォ、俺は馬鹿にされているのか?」
「そこの商店街でやっててさ、俺たちもそこに行ってきた。いっぱい食べて、いっぱい遊んで、久々に楽しかったよ」
白槌の表情が変わる。なにを言ってるんだコイツはという、疑問とあきれが混ざったものに。
「その子だって、きっとそうだったはずなんだ。家族か友達か、それとも恋人かな。浴衣を見せたいような相手と一緒に、楽しい時間を過ごしてさ。お前ら異形は知らないけど、人間にはそういう相手がいるんだよ」
「……なにが言いたい?」
「人がひとり死ぬってことは、その人たちも悲しむってことなんだよ。どうしてって、なんでこの人がって。悔しくて、苦しくて、どれだけ願っても、生き返ることはなくて。気持ちを整理したつもりでも、なにかの拍子に思い出すんだ」
俺にもいた。たったひとりの家族と、家族みたいに接してくれていた人たちが。異形に命を奪われた、大切だった人たちが。
怒りを押さえつけながら、白槌に向かって歩く。意図に気づかれないように、ゆっくりと距離を詰めていく。
「それがわからないお前を、人殺しを続けるお前を、見逃すわけにはいかないんだよ」
「お前に俺を止められるのか? まさかとは思うが、話し合おうとは言うまいな?」
「話せるなんて思ってねえよ。だから――」
白槌の前に立つ。こいつの攻撃に反応できる、ギリギリの距離を見極めながら。
「――ここでお前を、倒してみせるさ」
あふれそうな気持ちを抑えて、強くそう決意した。
「はッ! だったらどうする! 実の伴わない大口ならば、この人間すら守れまいよ!」
白槌が割れるように笑う。その勢いで、女の子の首筋に太い指がめり込んでいく。
俺の攻撃の間合いまで――白槌に斬り込めるまではあと1歩。その1歩を踏みこむよりも、女の子の首を折るほうが速い。余裕の笑みが、白槌の思考を物語っている。
紫の指輪に右手を添える。そのまま俺は、ゆったりと一歩を踏み出して。
「……なに、ィ?」
白槌の腕から女の子が離れる。地面に落ちるその前に、なんとか両手で受け止める。
怪我。首筋が少し赤くなってるだけ。
呼吸。強くはないけど、胸元もちゃんと動いてる。よかった、間に合ったみたいだ。
目の前には白槌。ぽかんと両目を大きく開いて、不思議そうに自分の腕を――半ばまでがぱっくりと割れ、血を吹き出しているその腕を見ている。
「『異能顕現』……秋穂っ!!!!」
(異能付与:腕力強化)
心の中で謝りながら、女の子の軽い体を、後ろの秋穂にブン投げる!
察してくれていたんだろう。前に出てくれていた彼女は、ドンピシャのタイミングで女の子を受け止めてくれていた。
「それで……冬華!」
「わかってる! 『解呪』『転送』!」
秋穂の隣には冬華。薄いお札を手にした彼女が叫ぶと、パン! と乾いた音が響いて。
「わ、本当に消えちゃった! さっすがすっごく数の少ない、ガチャ産レアの呪符だねえ!」
「ああもう緊張感のない……! ガチャって言わないでよ!」
襲われていた女の子の姿は、きれいに消えてしまっていた。
「学院に送った! だからもう、あの子のことは心配しないで!」
「ありがとな! だったら、あとは……!」
警戒しながら後ろに下がる。白槌の腕を見れば、巻き戻すみたいに腕の傷が治っていく最中だ。
「六哉!」
「ろっくん!」
ふたりと合流しても、白槌はまだ動かない。すっかり治った腕を見て、ニヤ、と俺に笑いを向けて。
「何をした?」
「修行した。最初に出会った時みたいに、腕を落とすとはいかなかったけどな」
「力任せとはまったく違う、鋭く速い攻撃だったぞ。なにより、その正体がわからん」
「バレたら終わりだからな。1ヶ月しかなかったんだ、ほかの技なんて覚えてねえよ」
「どこまで信用したものかねェ……で、だ」
その顔から笑みが消える。それと同時に、叩きつけるような殺意が届く。
「俺の獲物を奪った。俺の楽しみを奪った。それはつまり……4日後という約束は反故、そういうことでいいんだよなァ」
両手を軽く広げたあとで、拳を強く握りしめる。たったそれだけのことなのに、ビリリ、と空気が震えた気さえする。
遊びではない本気の威圧。今度こそ、こいつは襲いかかってくる。
「悪いのは耳? それとも頭? アンタはここで倒すって、さっきそう言ったけど?」
「言ったのはふゆちゃんじゃなくて、ろっくんだけどね!」
「ほんっとに緊張感ないわねアンタは!」
「でも、わたしも同じ気持ちです! あなたのことは、必ずここで止めてみせます! だから……『異能発現』!」
だけど俺たちはもう逃げない。自分を、俺たちを勇気づけるみたいに。秋穂が強く言葉を叫ぶ。
「良く言ったぞ娘ェ! それなら言葉を違えることなく、死ぬまで俺を楽しませろよォ――異界構築!」
白槌が吠える。岩と土の形へと、世界が色を変えていく。
「死なせるつもりなんてねえよ! だから……白槌!」
それに圧倒されないよう、大きく声を張り上げて!
「ここでお前を倒す! 勝ってふたりを、大切なものを『護って』みせる!」
俺の異能を――魂が求めているものを、叫んだ。





