32:真理の森の陰に(2)
あの世とこの世の狭間にそびえる、『本』を貯蔵する異空間。気安い出入りを否定するそこ――真理の森の1室に、黒づくめの男がひとり。
「んー……まあ、火の点けかたは上々かな。脳筋とはいえ十三忌、うまい具合に縛ってくれたね」
椅子に座り、机に肘を突きながら目を閉じる男――時島彼方は薄く笑うと、ひょろりと長い体を背もたれへと投げ出した。
「勝算はあるんだろうね?」
「あれ、珍しいね。姿を見せてもらえるとは」
その向かいに座っているのは、和服姿の女性――真理の森の管理人・キリ。長い金髪を鬱陶しそうに掻きあげながら、険しい顔で時島をにらみつけている。
「こないだもらったこの異能――『共有』だっけ。試してみたけど便利だね! 春待の見たもの感じたもの、全部こっちに流れてきてさ。おかげさまで、色々なタイミングもバッチリだったよ」
「質問に答えろよ」
「六哉のこと? 勝てるかどうかは正直無理でしょ。相手は異形の王のひとり、一月でどうにかなる相手なら、異形はとっくに全滅してるよ」
「そんなことはわかってる。聞きたいのは、彼らをどこまで追い込むのかってことだよ」
「六哉の命は保証するよ。双子はそうだね、片方で済むのが理想かな」
その視線にも動じることなく、片目を開けて答える時島。困ったようなその表情は、どこかおどけているようにも見てとれた。
「ふたりいてくれて助かったよね。六哉の異能の性質上、片方が死んでしまったなら、より強い力でもう片方を護ろうとするはずさ。そうなれば、さらなる異能や経験を――真理の森をよりたくさん、彼は求めることになるでしょ。ここのすべてを受け渡すのが、キリの目的なんだから」
「両方を失ってしまった場合は? 異能どころか、生きる気力まで失うんじゃ?」
「そうなればまあ、別の誰かをあてがうさ。少し時間はかかるだろうけど、誤差の範囲で収まるように努力するよ」
「……ほんっとうに。悪い先生だよね、お前は」
「次に彼らがここに来たなら、明るい顔で慰めるんでしょ? 立派な共犯者にそんなことを言われたくはないなあ」
気分を害したようでもなく、くつくつと笑って言い返す。にらみつけるキリの視線が、ほとんど殺気に近くなっていようとも。
「『僕は強い異能者が欲しい』『キリは六哉の器が欲しい』。最終的な目的はともかく、道のりの大半は同じなんだからさ。キリとは長いつきあいなんだし、そこは信じてほしいんだけどね」
「長いつきあいだからこそ、だよ。信頼できる人間かどうか、自分の胸に聞いてみたら?」
「あはは、手厳しいね。万が一にもヘマをしないよう、今もこうして勉強してるっていうのにさ」
机の上、時島の周りに広く置かれているのは、真理の森の貯蔵物――人に異能を与える本。厚さも大きさもまばらなそれらが、視界を埋めつくすほどに積み上がっている。
「いちおう確認しておくけど、数はこれで全部だよね?」
「出し惜しみする必要がどこにある?」
「確かに。それにしてもまあ、さすがは十三忌と言うべきなのかな」
そのうちの1冊を手に取り、表紙をめくったそのページから、時島は中身を読み込んでいく。
常人には読めない文字にて、そこに書かれている内容。
それは人間が生きた記録。人として生まれ、異能者として覚醒し、その生涯をどう終えたのか。
「こんなにもたくさんの異能者が、白槌ひとりに殺されてるなんてね」
――白槌とどう戦い、どんな最期を向かえたのか。1冊につきひとりのそれが、余すところなく記されていた。
* * *
「――きて。起きてください」
「………………」
いやいや、寝てたわけじゃあないんだけど。知ってるでしょきみ。
彼女の声にそう返そうにも、うまく喉が動かない。まずはきちんと深呼吸、そうして息をしたとたん、胸にずきりと痛みが走った。
「…………! ………………!!」
なんとか顔を動かしてみれば、僕の胸には見慣れたナイフが突き刺さったまま。なるべく出血しないよう、それでいて楽に死ねるよう。刺したのは僕自身だし、別に驚くことじゃない。
それでも普段の彼女なら、タイミングよく傷を治してくれてるんだけど……
「白槌との交戦により、消耗しきってしまいました。それが可能である間に、自力での処置をお願いします」
疲れ切った彼女の声に、昨夜のやりとりを思い出す。それならば、と気合いを入れて。
「――『異能発現』。うーん、よしよし、復活完了!」
『不死』の異能を利用して、死の原因を消失させる。少し負担がかかるんだけど、今回のこれは必要経費だ。
するりと落ちたナイフを横目に、隣の彼女の様子をうかがう。ぐったりと僕にもたれているけど、意識はしっかりしてそうだ。
「疲れる役目を押しつけちゃってごめんね。ご苦労さま」
「……いえ、これが私の仕事ですので」
「それよりなにより、無事でいてくれて嬉しいよ」
よしよしと頭をなでてあげると、むぅ、と小さく唇がとがる。嫌がってるわけじゃなく、もっとして、の合図みたいだ。
ふたりの時しか見せないそれに、全力で僕も応えてあげる。小さな体はころんと倒れて、いつの間にやら膝まくら状態だ。
そうしてごろんと寝転びながら、彼女はしっかり僕を見上げて。
「貴方のほうこそ、真理の森ではいかがでしたか?」
「見放されたりしないよう、キリには適当言っといたよ。ふたりの命と引き換えに、六哉の異能をブーストする。説得力はありそうでしょ?」
「本当のところは?」
「そんなひどいことすると思う?」
返事の代わりにきつめのジト目。いろんな非難がこもったそれを、気づかないフリで受け流す。
しばらくそうしていたけれど、はぁ、と春待はため息で。
「……彼らに苦行を強いるのですね」
「申し訳ないとは思うけど、3人ともまだ必要なんだよ。僕の目的のためには、ね。」
「私たちの目的、ですよ。そこは間違えないように」
小さく僕の袖をつかんで、目を合わせながらそう言った。





