28:猛る異形の王(1)
高くそびえる岩石の壁が、あたりを取り囲んでいる。顔を上げれば、それは伸びるほどに婉曲し、逃げる隙間を許さないドームのような天井を形作っていた。
足元に広がっているのは、赤茶けた固い土の床。岩と土、それ以外の一切が、この空間には存在しない。
「横槍が入っては台無しだからな。異界に引かせてもらったぞ」
ただ、俺と目の前の異形――白槌を除いて。
「異界って、相手を弱らせるために閉じ込めるものなんだろ? 周りは妙に明るいし、暗くも熱くも寒くもない。過ごしやすいくらいなんだけど」
「殺り合う前から弱らせてどうする。俺の異界は外界からの干渉を完全に遮断する。戦いを楽しむだけにある、ただそれだけの空間よ」
歴戦の猛者、といったふうな。無数の傷跡と深い皺のある、異形の顔がニヤリと歪む。笑っているのに荒々しく、静かなのに攻撃的。人にはできないその表情、なるほどこれは『異形』だと、そう納得せざるをえない。
「構えろ。昨晩の続きだ」
「急すぎるだろ。こっちの都合も考えろよ」
「文句はあの六歌仙に言え。こちとらすっかり騙されて、満ち足りんにもほどがあってなァ。どうにも昂ぶりが抑えられんのだ」
怒気、とでも言うのだろうか。声を荒げるわけでもないのに、圧が強まっていくのがわかる。その目に見据えられるだけで、目の前の異形を何倍も大きく感じてしまう。
「あれに再戦を挑んだところで、のらりくらりと躱されるのが関の山。その点お前は、俺に全力でぶつかってくるしかないだろォ?」
「……どういうことだよ」
「腑抜けた姿を見せるようなら、娘ふたりも一緒に殺す」
「……ッ!!?」
「安心しろ、ここに引き込んではおらんし、自由を奪いもしていない。だがまあ、言ったとおりに俺は飢えているんでな。手応えなく狩りが終われば、次の獲物を探して殺すさ」
それは挑発。でも、俺には聞き逃すことのできない言葉。
「人質ってことか?」
「誠を口にしただけだなァ」
「……そうかよ」
その一言で覚悟が決まった。震えそうな足に、震えている指に、力を込めて動きを止める。
『緊張感を持って。きちんと集中しなさい』
結局のところ、思い出すのはこの言葉。大きく息を吸いながら、学生証に手を添える。この戦いの勝利条件、それは白槌を倒すことじゃない。万に一つもあり得ないことは、考えるだけムダだろう。
刀を――模造雷霆を引き抜く。だいじょうぶ、指はもう震えていない。
「ほォ? 贋作とはいえいい刀だ、昨日の剣より似合っているぞ?」
俺が全力を出したところで、死ぬまでの時間が延びるだけ。
でも、それでいい。
時間を稼ぎさえすれば、外のふたりが学院に――先生に連絡を取ってくれる。そのあと俺が助かるかまでは、はっきり言ってわからないけど。
……もしも俺が殺されても、ふたりは助かるはずだから。
「それに、いい顔になってきたな。戦うことにはもう慣れたのか?」
「んなわけねえだろ。1週間前までケンカもしたことなかったんだぞ、俺は」
「なら、よほど娘らが大事と見える。いいぞ! 見事俺を満足させ、護りきってみせるんだなァ!」
そうして殴りかかってくる異形――角を持つ鬼、異形の王、十三忌のひとり――白槌から目をそらさず、まっすぐにとらえて。
「――『異能顕現』」
『護る』ためのその言葉を、俺は小さく、強く唱える。
* * *
冬華と秋穂、ふたりに危険が迫った場合、俺の異能は効果を変える。鳥の異形――墨烏との戦いの中、色々試しているうちに、わかったことがいくつかあって。
ひとつめ。この効果は、俺が思った異能や経験を『俺に対して』付与していく。
ふたつめ。どんな異能でも、というわけではない。【傷を治す】【ものを透かして見る】【ワープする】なんかは便利そうだけど、そもそも付与すらできなかった。
みっつめ。『俺以外に作用する』異能を付与したとたん、すべての異能が吹っ飛んでしまう。【切断】【炎上】【凍結】なんかがそうで、つまりは使いものにならない。
よっつめ。付与に上限はないけれど、経験付与だけは別。3つ付けると頭が割れる。
さいごに。防御の意味での『護り』の異能は、常に発動しっぱなし。
以上、簡単にまとめると。
今までの防御効果に加えて、バフの種類を増やしていく。俺の魂は俺の異能を、そう解釈しているらしい……!
「いいぞ! 昨晩よりは格段に動きが良くなっているなァ!」
(異能付与:聴覚強化)
(異能付与:視力強化)
(異能付与:腕力強化)
(異能付与:反射神経強化)
(異能付与:脚力強化)
(経験付与:剣術)
(経験付与:格闘術)
重ねに重ねた異能付与。その力をなんとか使って、白槌の攻撃をさばいていく。
こいつの攻撃は単純で、ただただ速くて重いだけ。とはいえそれは、殴りと蹴りでできた台風のようなもの。反撃なんて夢のまた夢、避けるだけでせいいっぱいだ。
「そっちこそ、昨日はぜんぜん本気じゃなかっただろ……っ!」
「なんのことやら……なっ!」
ニヤ、と笑いながら突き出されたのは、わざとらしいまでに大ぶりな拳。このタイミングなら差し込めると、剣術の経験が教えてくれるけど。
(異能付与:跳躍)
嫌な予感に回避を選択、地面を蹴って後ろに下がる。白槌の拳は空振って、ぶん、と大きな弧を描く。
着地までに見えたのは、そんなハズレの動きなのに。
一瞬前まで俺がいた、地面がえぐれて吹き飛んだ。
「なっ……!?」
「そらそらァ! 離れて無事と思うたかァ!」
動作はない。ただ、風の音が聞こえただけ。
「ぐぅっ……!?」
そのはずなのに、強い衝撃が駆け抜けていく。殴られた、と気が付いたのは、背中が地面に落ちてからだ。
「これで終わりは呆気ない、耐えてみせろよ、実神六哉ァ!」
白槌の声は遠い。目の前には岩の天井、それ以外のものは見えない。
それなのに、なにかが落ちてくる気配だけは濃厚で。それに当たればただでは済まないと、頭の中で大きなアラートが鳴っていて。
(異能付与:腕力強化)(異能付与:腕力強化)(異能付与:腕力強化)(異能付与:腕力強化)(異能付与:腕力強化)
単なる勘で強化を増やし、そのまま拳を空に突き出す。
「ぐっ……ああああっ!!!!」
腕が伸びきる直前で、拳に当たる固い感触。押し返すことはできなくて、なんとかそれを殴って逸らす。
そのまま横に転がりつづけて、今いた場所から距離を取る。体と耳で感じるのは、地震みたいな揺れと音。俺の移動を追うように、地面が次々とえぐれていく。
「やはりこれはつまらんな。そら、立ち上がれよ」
揺れが止まったそのあとで、そんな言葉が大きく響く。誘導されてしまっていたのか、気づけば白槌は目の前だ。
立ち上がろうとしている間も、こいつが動く気配はない。余裕で腕を組んだまま、俺を見下ろしているだけだ。
「……お前がなにをしたのかなんて、聞いても教えてくれないよな?」
「手掛かりはくれてやってもいいぞ? そら、遠慮は無しに斬り込んでこい」
組まれた腕がほどかれて、広く大きく伸ばされる。服越しにでもはっきりわかる、冗談みたいな厚さの胸が、攻撃しろとさらされている。
「なにもせん、とは言うまいが。それでも騙すつもりはないなァ」
「そう、かよ……!」
誘われているだけとはいえ、初めてつかんだ攻撃のチャンス。息を整え、踏み込みは強く。握り確かに力を込めた、緑の刀身の一閃は――
「……くっ、そ……!」
白槌の体に触れることなく、跳ね上がるように弾かれた。





