26:異界構築(7)
真っ白で真っ暗な世界に立って、時島先生が楽しげに笑う。理解しきれてないんだろう、墨烏たちは騒ぐのをやめ、キョロキョロとあたりを見回すだけだ。
「――とまあ、こんな感じかな。いやあ、殺風景で申し訳ない」
「いやあの、そういう問題じゃなくて……」
「人間も、異界を、創れるんですか?」
「めんどくさい条件があるんだけど、そのあたりはまた今度ね。それよりも、体調はどうだい? 悪い影響はぜんぶ飛ばしたはずなんだけど」
「気持ち悪いどころか、すっごくすっごく元気です! 疲れてたのも吹き飛んで、なんでもできそうな気がします!」
聞かれた秋穂が、比喩抜きで飛びはねながら答える。やめなさい、と止める冬華も、体に不調はなさそうだ。
そしてそれは俺も同じ。今すぐ走り出したいくらい、なんだか充実感がヤバい。マイナスが消えてゼロじゃなく、圧倒的なプラスが足されたような、そんなふうな気さえする。
「あまりはしゃぎすぎないようにね。とはいえ今は、なにをやっても死なないからいいんだけど」
「私と時島の異能を全員に作用させる。それが時島の望んだ異界――『凰鍵鴛鴦墓』の効果です」
「……ええと、それってつまり、今の俺たちは死ななくて、ケガも簡単に治せるってこと?」
「多少の語弊はありますが、平たく言えばそうなりますね。今の皆様は、生命力が満ちあふれている状態だと考えて差し支えはありません。とはいえ痛みは消えませんから、そこは勘違いされませんよう」
「無敵ってことですね! ちょっとわたし、飛んでる異形さんをみんなやっつけに行ってきます!! 今なら10メートルくらいジャンプできそうなので!!!」
「こいつハイになってんな! ああくっそ、力が強い!」
飛び出していきそうな秋穂を止めようにも、簡単に振り払われてしまう。というかなにこれ、不死の異能って元気になれるの? 毎日これって反則じゃない? ちゃんと合法なやつなの?
「まあまあ落ち着いて。向こうも不死になってるんだから、行くのはあまりおすすめしないよ」
「……え?」
「全員って言ったでしょ。敵も味方も関係なく、ここにいれば対象だから」
「……は?」
「ほら、みんな元気そうじゃない?」
言われてそこで初めて気づく、狂ったような鳥の群れ。真っ白な空を飛び回るそれは、互いの体が強くぶつかることにもまったく頓着しておらず。
「はははははは! なんだ、なんだこれは!」「ちからが! ちからがみなぎっている!」「どんな人間を、いのうしゃを食べたときより、つよいちからがながれこむ!」「いままでよりも、おおきなわたしに! つよいわたしに!」
小さな鳥が墜落しながら、そのまま次々姿を変える。それはもう、大きな人型なんてものじゃあなくて。
「……なんか、巨人みたいになってるんですけど」
「あはははは! これは僕も予想してなかったよ! どういう理屈なんだろうね!」
なんかもうこう、ビルみたいな。巨人の群れというか、巨人の森というか。なにもない真っ白な空に浮かぶ、超巨大な鳥人間。なんだこれ、悪夢かな?
「このすがたなら、だれにもまけない!」「じゅうさんにんの、いぎょうのおうよりも!」「わたしたちは、つよい!!!」「これが、かみのちから!」
爆音で叫び、熱に浮かされたように動き出す巨大な墨烏の群れ。
「だから、おまえたちも」「かんたんに、ころせる!」
それは確かに俺たちを見ながら、巨大な手足を振り回して――
「せ、先生っ!?」
「だーいじょうぶ。ね、春待?」
「……皆様、どこでもいいので私の体に触れてください」
「え?」
「お早く。『死に』ますよ?」
「……ッ!!!」
言葉の裏に凄みを感じて、慌てて肩に手を乗せる。ふたりもそれを感じたみたいで、パパッと素早く集まってきた。
冬華は背中を、秋穂は腕を。最後に時島先生が、ぽん、と軽く頭を触って。
「それでは――『異能発現』」
春待さんが嫌そうに、ちいさく頭を振りながら。
「反転」
短く、そう言ったとたん。
「……へっ?」
その文字通り、骨を抜かれてしまったように。
見た目になんの変化もないまま、墨烏たちが倒れ始めた。
「って、こっち! こっちに倒れてきますけど!?」
「僕らは『死なない』からだーいじょうぶ! というかたぶん、当たる前に消えちゃうよ!」
巨大な影が迫ってきて、思わずぐっと目をつぶる。
……でも、それが俺たちを押しつぶすことはない。聞こえてくるのも、こつん、と小さな音だけだ。
「なんだ」「なにが、おこって」「わたしはしなない」「つよい、はず」
墨烏たちのそんな声も、言い切る前に消えていく。力を得たはずの巨人たちが、なすすべもなく倒れて失せる。
たったの数分。それですべての敵は消えて。
まるで夜空の星みたいに、真っ黒な地面を仙骨の光が彩っていた。
「はい、おしまい。鳥の声も聞こえないし、端末に異形の反応もない。今度こそ全滅だね!」
「いやいやいやいや! なんなんですかいったい!」
「秘密……って言いたいけど、さすがに種明かしをしておこうか」
「私の異能は『反転』です。その力を行使して、相手に付与した『不死』を『死』へと裏返したんですよ」
「ゲームでもやるでしょ、ゾンビ相手に回復技を当てるヤツ。あんな感じだよ」
「この例えは完全に間違っていますので聞かないように」
ぺし、と頭の上の手をはね、春待さんが前に出る。つまりはもう、触ってなくてもいいんだろう。
おそるおそると手を離すけど、体になんの変化もない。それをしっかり確認したあと、ふたりもゆっくり離れていく。
「春待さんの異能……私のものみたいな、回復の能力ではなかったんですか?」
「でも、わたしたちの傷を治してくれましたよね? 昨日だけじゃなくて、さっきも」
「そこは解釈の問題ですね。私は『傷を負わされた』事実を裏返すことにより傷を治していますから。結果は同じだとしても、冬華さんのものとはまったく異なるものになります」
「へええ……なるほどぉ……」
わかってないときの声を出して、ふんふんと秋穂がうなずき続ける。感じるところがあるものなのか、冬華の顔は真剣だ。
「ま、そのあたりはおいおいね。というわけで、異界を解くよ」
いつの間に渡されていたんだろう。春待さんが抱えていた黒い本を、先生は軽く掲げている。開かれた本のその部分、まっさらな白紙のページへと、空と地面が吸い込まれるように集まっていく。
そんな一瞬が過ぎたあと、ぱたん、と本が閉じられて。
「課題終了。1級異形の討滅、無事に完遂だね。お疲れさま!」
気づいた時には、俺たちは元いた場所のあるべき姿――真っ暗で商品もなにもない、潰れたコンビニの中にいた。





