25:異界構築(6)
個人的におやすみなので朝も更新します。
何十体もの強力な異形に、完全に取り囲まれてしまっている。
そんな状況だというのに、この人の余裕は崩れない。片手をポケットに突っ込んだまま、軽くあたりを見回して。
「3人とも、よく頑張ったね。あとはゆっくり見学してるといいよ」
問題ないとでも言うように、俺たちの頭をポンポン叩いていくくらいだ。
「い、いやでも、この数ですよ? 俺だってまだ戦え……」
「昨日みたいにオーバーヒートしたらどうするの。限界を知るのは大事だけど、それはまた別の機会にね」
ダメ、と優しく先生は笑って、そのままくるりと背を向ける。身長はかなり高いけど、体が大きいわけじゃない。どちらかというと細身がちで、力があるようには思えない。
そんな先生の背中なのに、どうしてだろう。それをこうして見ているだけで。
「は、はあぁ~」
「た、助かったぁ……」
自分はもう助かったんだと、そんな確信を持ててしまう。それはふたりも同じみたいだ。
「数だけは多いですが、どうします? 必要ならば手を貸しますが」
「んー、生徒の前だし、段階を踏んで格好つけようと思うんだよね。だから、まず」
「てきの前で、おしゃべりか?」
1匹の墨烏が、先生のななめ後ろから、目で追えないくらいの速さで突っ込んできた。
危ない、と声を上げる前に。
「敵? 公園の鳩がなに言ってるの?」
「なっ……」
先生は振り向きもせず、振り回された大きな拳を片手で軽く受け止めてしまう。ビクともしないその姿に、墨烏の目が見開かれて。
「鳩は鳩らしく、エサをくれるおじいさんのところにでも飛んでいきなよ」
「ガッ!!?」
軽い動作で裏拳1発。3メートルはありそうな、異形の巨体が吹き飛んでいく。
「ふむ」「ちからがつよいな」「もんだいない」「それなら、わたしたちでいくだけ」
今度は4匹。前後左右から取り囲むように、拳を振り上げ襲いかかってくる。
「ゆだんはしない」「ちいさいわたしも、向かわせる」
それに少し遅れるように、飛んでくるのは赤い鳥の群れ。鋭いクチバシを突き立てようと、槍のように降ってくるそれ。
地面を除いた全方位。ありとあらゆる方向からの、避けようのない攻撃は。
「おっとっと、これはさすがに危ないね――『異能発現』」
そのすべてが、先生から数センチのところでピタリと動きを止めていた。
「なに……?」「なぜ、うごかない……?」
「そんなの『当たったら死んじゃう』でしょ。もう少し加減してもらえないかな」
余裕の笑みを浮かべながら、左手をポケットから出す先生。その手に付けられた紫の指輪に、右手が軽く触れた瞬間。
「……は?」
動きの止まった墨烏のすべて――触ると爆発するものも含めて――が、溶けるように崩れて消えて。
コトンコトンと、輝く石が床へと落ちた。
「え……え?」
「な、なに……いまのは……」
冬華と秋穂の目もまんまる、驚きに見開かれている。わかった? とふたりの顔が向くけど、ブンブンと首を振るしかない。
今度は動きを見逃すまいと、次の動きに注目する。俺たちの視線を感じたのか、先生は小さく肩越しに振り向いて。
「いまやってるのは殺し合いでしょ? だったらさ、『殺られる前に殺ら』なきゃね」
そんな言葉が聞こえたときには、もう先生の姿はない。これはもう、本当にわけがわからない……!
「……向こうです」
見かねたのか、春待さんが教えてくれる。慌ててそっちに振り向くと、確かにそこには先生がいたけど。
「あ……れ……?」
俺たちを囲んでいたはずの墨烏たちは、きれいさっぱりとその姿を消していた。どこかに逃げたわけじゃないのは、地面に落ちる仙骨を見ればあきらかだ。
「うーん、これでもまだ解けないか。1匹1匹は弱いけど、数が多いのは面倒だね」
わざとらしく耳に手を当てながら、先生がこっちに戻ってくる。いったい何匹いるんだろう、鳥の叫びは消えることなく俺たちの耳に刺さり続けている。
「ええと……なにか、したんですよね?」
「んー? 秘密だよ。そのほうがかっこいいでしょ」
「すっごく速く動きながら、なにかの武器を振っていました……よね……? 緑色にきらきら光る、ろっくんの刀みたいな……」
「え……アンタ、なにか見えてたの……!?」
「しーっ! 秘密ってかっこつけたんだから、そこはほら、しーっ!」
「……ですから、油断はほどほどに。来ますよ」
はしゃぐ先生をたしなめるような、静かな春待さんの声。それに導かれるように、1匹の鳥が飛んでくる。
「……おまえはつよい。たたかいはやめる」
でも、それが目の前に来ることはない。遠くに倒れた棚の上に、とまって口を開くだけだ。
「諦めるってこと? ずいぶん物わかりがいいんだね」
「このままここにとじこめれば、なん日もせずに死ぬからな。うえとかわきに、ヒトはたえられないだろう?」
「なっ……!?」
想像もしていなかった言葉に、思わず声を漏らしてしまう。それを面白がるように、羽音は次々と増えていく。
「おまえと小さいおんなはともかく、のこりはすぐに死ぬだろう」「このせかいは、ヒトにとってはいるだけでどく」「わたしのせかいに、たえられないだろう」
集まってきた鳥たちも、近づいてくることはない。遠く高くに陣取って、淡々とそう話すだけだ。
「……ふたりとも、大丈夫か?」
「う、うん……」
「へいき、だよ……?」
そうは言うけど、ふたりの顔色は蒼白に近い。俺だってもうかなりキてる。意識して力を入れていないと、立っているのも辛いくらいだ。
「……なるほどね。まあ、このあたりが潮時なのかな」
ぽつり、と。先生が小さくそう漏らす。
諦めたのか、と。鳥たちの声がこだまするけど。
「それじゃあ最後に、とっておきを見せようか」
それを否定するみたいに、先生はニヤリと薄く笑って。
「おいで、春待」
春待さんを正面に見て、お辞儀をしながら片手を差し出す。あまりにも唐突に始まった、芝居がかったその仕草は、まるでダンスの誘いみたいだ。
「……本当にあなたは、緊張感のかけらも持ち合わせてはいないのですね」
「仕方ないでしょ、ふたりで決めた儀式なんだから」
「それは……そうなんですが……」
はぁ、と大きなため息ひとつ。春待さんは嫌そうに、先生に向かって手を伸ばす。
ふたりの手と手が触れあって、軽く指が絡まる瞬間。
繋いだ手と手を中心に、真っ白な光が放たれた。
「僕たちは今、異界に閉じ込められて出られない。異界の主を倒そうにも、それも現実的じゃない。だったらどうするべきなのか、答えはとっても簡単でね」
大きく強く広がっていく、波紋のような白い光。波が砂浜をさらうみたいに、それは異物を押し流していく。異形の作った異界は解けて、その存在を失っていく。
「もっと大きく強固な異界で、書き換えちゃえばいいんだよ」
ここはもう、建物の中ですらなくなっている。明るく真っ白な空に、暗く真っ黒な地面。ただただそのふたつだけが、遠く無限に広がっているだけだ。
「なん……だと……」
墨烏たちの驚きが聞こえる。拠り所を失った異形の群れが、ギャアギャアと騒ぎ立てはじめる。
「我が主人、時島彼方が敵手に告げる。『不死』が遍く支配する、普遍妥当の題号を」
そこに凜と響くのは、春待さんの透き通る声。どこから取り出されたんだろう、黒い表紙の大きな本を、胸元に強く抱きしめている。
隣に立つ先生は、表紙に書かれた唯一の文章――金の装飾が施された、見覚えがないのに読める文字――に軽く手のひらをかざしながら。
「異界構築――その名を『凰鍵鴛鴦墓』」
その、短い言葉をもって。
この異界の支配権を、完全に奪い取ってしまった。





