24:異界構築(5)
断末魔もなにもなく、溶けるように消えていく墨烏の体。あとには光る小さな石――仙骨がころんと残されているだけだ。
あまりに軽い手応えに、少し拍子抜けするけれど。
「……仙骨が落ちてるってことは、倒したってことなんだよな」
そう、小さなため息をついたとたん。
(解除:聴覚強化)(解除:視力強化)(解放:剣術経験)(解除:腕力強化)(解除:反射神経強化)(解除:脚力強化)(解除:跳躍)
――返却完了
頭の中に文字が流れて、満ちていた力が消えていく。
「……うげ」
それと同時に襲ってくるのは、鉛みたいな疲労感。間違いない、この異能には反動があるな……?
「ろっくん!!!!!! すっっっごかったね!!!!」
「叫ばないで……頭に響くから……」
それでも、昨日みたいに気を失うほどじゃない。全身の筋肉がビキビキ言って、徹夜でゲームをしたあとみたいに頭が回らないだけだ。
「おつかれ……って、冗談みたいに疲れた顔ね」
「めっちゃ疲れた……今すぐ帰って寝たいベッドで……」
駆け寄ってくるふたりにも、まともな返事を返せない。なんなら立つのもつらいくらいだ。
「ケガなんかはしてない? 疲れてるだけ?」
「異能を使ったからだろうけど、体が死ぬほどダルいんだよ。冬華こそ平気か? けっこう血が出てただろ?」
「大丈夫、しっかり治してもらえたから。そっか……じゃあ……でも……ええと……」
正面に立った冬華が、変な顔をして考え始める。お前のほうこそ大丈夫かと、口を開きかけたそのとき。
「……はい」
大きく腕を広げた冬華が、そんなことを言ってくる。
「……はい?」
「だから! ほら!」
その顔は沸騰したみたいに真っ赤で、視線はうろうろ定まっていない。それでもポーズはずっと同じ、腕を広げた姿勢のままだ。
……つまりはこう、抱きしめて! とかそんな感じの、ハグ待ちの構えなんだけど。
「……なんで?」
「ふゆちゃんの『癒やし』の異能はねー、ケガよりも疲れに効くんだよねー? だからほらほら、強く大きく抱きしめてゴー!」
「えっはっ……っておま、押すな!」
いつの間にか後ろにいた秋穂に突き飛ばされて、つんのめるように前に出る。
そこにはもちろん、受け入れ体勢の冬華がいて。
「……さっさと来いって言ってんのに。迷われるほうが恥ずかしいのよ」
ふんわりとした柔らかさに、避ける間もなく包まれる。ぎゅうっと背中に回された手は、なんだかとても心地がよくて。安心できる優しい匂いが、俺の体を満たしていって。
「……『異能発現』」
気づけばすっかり、体を預けてしまっていた。
「正直まだよくわからないけど、がんばってくれたのはわかるから。助けてくれて、ありがとう」
ぽかぽかと暖かいのは、冬華の体温なんだろうか。ただただ優しいその想いに、抵抗なんてできやしない。
温泉に浸かっているときみたいに、いい意味で頭がぼけーっとゆだる。ぽんぽんと背中を叩かれるのも、気持ちいい以外の言葉がない。ああ……これが人をダメにする冬華……
「……ふゆちゃんふゆちゃん、しあわせなのはわかるけど、そろそろね?」
「そ、そういうのじゃなくて! これは治療行為だから! でももう大丈夫よね、おしまい! 離れなさい!」
「ええ……もう少し……もう少しだけ……」
「え……じゃ、じゃあ……あと1分だけね……?」
「……すみませんが、少しよろしいでしょうか」
「……ッ!!!」
冷や水みたいなその声に、一瞬で頭が覚醒する。慌てて冬華から離れれば、隣には硬い表情の春待さんが立っていた。
「異界が、解けていません」
「……え?」
「異界の主が倒れれば、同時に異界も消滅します。ですが、見てください」
言われて辺りを見回せば、景色は変なコンビニのまま。少し様子を見ていても、変化がありそうな気配もない。
それに気づいたその瞬間、じっとりとまとわりつく不快感。戦っている間は気にもならなかったそれが、絡むみたいに体全体を這い回っていく。
「それじゃあ……さっきの異形さんは1級の異形じゃなかったってこと?」
「そもそも、墨烏という異形は数年前に討滅されているはずなのです。姿や特徴、名に反応したところからも、同一個体であることは間違いないとは思うのですが……」
「あのときは、にげるしかなかったからな」
声が。
「わたしもまだよわかったが、あいてもそんなにつよくなかった。にげるわたしを、見つけられなかった」
羽ばたく音と一緒に、そんな声が聞こえる。
嫌な予感に顔を上げると、そこには1匹の赤い鳥。
「わたしの体は、ひとつではない。ひとりでも生きていれば、それはわたし」
それから、まずは腕が生えた。
胴体が伸び、2本の足が形を作った。
大きく広げられた背の翼、隼のような丸い頭。最後にそれらを、黒い羽毛が包んでいく。
そうして目の前に降り立ったのは、倒したはずの異形――墨烏の姿だった。
「ゆだんはいけない。次はもっと、大きくつよいわたしでいく」
言葉の通り、さっきまでとはサイズそのものが変化している。子供と大人、人間と熊。例えるのなら、そのくらいの違いがあった。
ギャアギャアと声が聞こえる。赤い鳥の群れが、墨烏の頭上を飛びまわる。
「……マジかよ」
そんな群れの1匹1匹が、同じように変化を遂げて。
「ほんとうだ」「ゆだんはしないと言っただろう」おまえたちもむれている、ひきょうだとは言わせない」「むれのなかに、巣のなかに飛びこんできた、おまえたちがおろかなのだ」
あっという間に俺たちは、人型の異形たちに取り囲まれていた。
「なるほど。個にして全、それが貴方の本性ですか」
「どんなにつよい生きものも、むれの力にはかてないからな」「わたしたちが、わたし」「ひとりがまけたとしても、また増えればもんだいない」「増えることも、むずかしくはない」
そのうちの1匹が、羽根を数枚むしって投げる。それは地面に落ちる前に、赤い鳥へと姿を変えて飛び立っていった。
「あはは……これは大ピンチ、だねえ……」
「あんたねえ……緊張感ってものがないの……?」
冗談めかして言うけれど、言葉のはしが震えている。俺だって似たようなもの、膝が笑うのは疲れのせいじゃないんだろう。
こうしている間にも、墨烏たちはゆっくりと距離を詰めてくる。近づかれたらおしまいだと、理屈も抜きにはっきりとわかる。
だから俺は、指輪にしまった刀を取り出
「そのぶきが、じゃま」
「……え? ん、ぐうっ!?」
気が付けば、目の前に墨烏の姿があって。
息ができない。足が宙に浮いている。
「おそいな。ほんきになればこんなものか」「こんなのに負けたわたしがいるのか」「折れないのは、かたくなるいのうか」
正面から首をつかまれ、宙吊りにされているのだと、そこでようやく理解する。
「はな、せ、よ……!」
振りほどこうとするけれど、太い腕はビクともしない。水の中にいるみたいに、呼吸が苦しくなっていく。
「すぐ死なないなら、じかんをかけるだけ」「そのあいだに、おんなをやる」「小さいわたしがだいぶへった。いのうしゃの魂で、ほきゅうする」
「っざ……けんな……」
墨烏たちがふたりに近づく。逃げることはできなくてもと、にらみ返している冬華が見える。
ふたりを護る、護らなきゃ。そう思うのに、体に力が入らない。動こうとしてもがくほど、視界が狭くなっていく。
諦めるな。
異能を使え。
使えないなら考えろ。
なにをしてでもふたりを護れ……!
「――うんうん。大ピンチでもその気迫、頼もしい限りだね!」
体がふっと軽くなる。そのまま地面に向かって落ちて、体が床にブチ当たる。鈍い痛みと引き換えに、呼吸がふっと楽になって。
「……っ!? ぐ、げほっ!」
「いいよいいよ、座ってて。ごめんね、遅くなっちゃって」
見上げた先に立っているのは、俺を吊っていた墨烏じゃあなかった。
「え……ええと……俺を、殺そうとしてたヤツは……?」
「ん、これこれ」
ちょいちょいと地面を――光る石を指して笑うのは、俺たちをここに連れてきた張本人。人類屈指の実力者、『六歌仙』の中のひとり。
「おまえは、だれだ?」
1匹の墨烏からの問いかけに、その人は。
「この子たちの先生で、死なないだけがとりえのクズだよ」
ひらひらと手を振りながら、楽しそうにそう返した。





