23:異界構築(4)
下に落ちたはずなのに、上から落ちたら戻ってこれる。異界の奇妙さを実感しつつ、俺は目の前の敵――先生が墨烏と呼んでいた異形へと刀を突きつけた。
「おまえは、だれだ?」
それにまったく構うことなく、人と鳥を混ぜたような異形が聞いてくる。その後ろにはバサバサと、ここに来るまでにさんざん襲われ、撃退してきた鳥の群れが控えていた。
「実神さんだけですか? 時島は?」
「俺のほうが速いだろうから、気にせず先に進めって。それより、ふたりをお願いできますか?」
墨烏には応えず、春待さんに返事をする。それはもちろん、ケガをしていた冬華と秋穂が気になっていたからだけど。
「お任せください。ケガをする前よりも健康にすることをお約束します」
「そもそも、元からたいしたケガじゃないから。心配されるほどじゃないの」
「こら、ふゆちゃんはおとなしくしてなさい! あ、わたしは本当にだいじょうぶだからね!」
強がっているわけじゃないその声に、心の底からほっとする。だったらあとは、目の前の敵に集中すればいいだけだ。
3人を背中に隠すようにして、改めて異形の前に立つ。そこにいるのは1級。言語を操る高い知能と、特殊な能力を持つ化け物。ベテランの異能者でさえ、ひとりで戦ってはいけないというそれ。
昨日までの俺なら、逃げ回ることさえできなかったんだろうけど。
「……うん、いけるな」
目の前にいるこいつのことは、そこまで怖いとは思えない。
「こたえないなら、しつもんを変える。どうやって、ここに来た?」
でも、それは向こうも同じらしい。怒ることもなく、焦ることもなく。純粋な疑問と興味といった、そんな言葉が投げかけられてくる。
「あの男にくっついただけとはいえ、かなりとおくへ飛ばしたはずだが」
「音と匂いを聴き分け嗅ぎ分け、かな。床の下からふたりの気配がしたときは、さすがに自分を疑ったけど」
「なるほど。そういういのうを、持っていたか」
そう、墨烏は納得してくれたけど。
「……ちょっと待って、なんて言ったのアンタ。百歩譲って音はわかるけど」
「においって、わたしたちの? それは……ちょっと……」
「ドン引きですね……」
「待って。そういう変態的なことじゃないから待って」
(解除:嗅覚強化)
みんなの指摘に押し出されるよう、感覚強化がスポンと抜ける。次の瞬間、鼻で感じていた気配が溶けるように消えていくのがわかった。
「冗談です。おふたりを『護り』に行くべく、探知のために感覚を強化したのですね」
「です。色々やってみたんですけど、結局それがいちばんで」
「それって、秋穂みたいな身体能力の強化のこと? できるようになったの?」
「だから、赤い鳥の異形さんも一瞬で倒せちゃったってこと?」
「あーいやなんというか……そうじゃなくて……」
改めて説明しようとすると、なんだかすごく恥ずかしい。どうしたものかと、もごもご口を動かしていたけど。
「実神さんの異能は、おふたりを護ることだけに特化しています。そのためになら、様々な能力へと姿を変えるのですよ」
「……そういうこと、みたい。だからいまは、お前らを探すための力を使えたってこと」
言われてしまったものはしかたない。覚悟を決めて、ふたりに説明するだけだ。
「耳と鼻で場所を探したあとは、走る速さを強化して、そこに急いで向かった感じ。途中で何度も襲われたけど、戦うための動きかたもわかるようになっててさ」
「……なによそれ。つまり、私たちのためになら、アンタはなんでもできるってこと?」
「俺にだってまだよくわからないんだよ! とにかくまあ、そういうこと!」
「ろっくんはふゆちゃんの王子さま! そういうことだね!」
「それは絶対に違う!」
「そうですね。実神さんはふたりの王子様、こちらが正しいと思います」
「それも違いますってば!」
「……きょうみぶかいな。なら、おんなをころせばおまえはつよくなるのか?」
傍観していた墨烏が、すう、と細い腕を上げる。それを合図に突進するのは、使役されている鳥の群れ。
色の付いた暴風のようなそれは、俺たちを食らいつくそうとする勢いで、こちらに向かってくるけれど。
(異能付与:視力強化)
異能で強化された視力は、動きをとてもゆっくりに視せて。
(経験付与:剣術)
どこを斬るのが最適なのかを、知るはずのない経験・知識が教えてくれる。
(異能付与:腕力強化)
(異能付与:反射神経強化)
あとはそれが導くとおり、鋭く強く刀を振れば。
「ろっくん……!」
「すっご……」
十数匹の異形くらい、一瞬あれば十分だ。
「これほどか……」
固そうなクチバシを大きく開き、驚きの声を漏らす墨烏。とはいえそれには、ちょっとしたカラクリも味方していて。
「その刀――『模造雷霆』の能力も、存分に使いこなせているようですね」
「『範囲拡張』さまさまですね。刀身よりも広く斬れるとか、理屈はさっぱりわかりませんけど」
模造雷霆。それが俺のために打たれた、この刀につけられた名前。
仙骨を元に創られた武器は、特殊なスキルを持つことがあるらしい。緑の刀身を持つこの刀には、異能とは違うふたつのスキルが付与されていた。
そのうちひとつが範囲拡張。刀身よりも長く攻撃が届くという、ゲームなんかじゃポピュラーなアレだ。
「さんざん襲ってくれたんだ、その鳥の速さにはもう慣れた。火を吐いてくるのも知ってるし、それも俺には通用しないよ」
「なら、こうするだけだな」
地面を蹴り、向かってくるのは墨烏自身。その速度は飛ぶより速く、あっという間に目の前に距離を詰められてしまう。
想像もしていなかった行動に、視えてはいたけど反応が遅れる。受ける態勢を整える前に、異形の抜き手は俺の胸元をまっすぐにとらえて――
「……ッ!?」
「昨日までは『これ』しかできなかったんだけど」
でも、それが俺の体を貫くことはない。言葉通りの『護り』の異能が、俺の命を護ってくれる。
今度は向こうの想定外。止まった隙を見逃さず、伸びきった腕を斬り上げる!
「グゥ……ウウウッ!!?」
翼を広げ、大きく飛び退く墨烏。斬られた腕を押さえながら、羽ばたき空へと距離を取る。
反応されたか硬いのか、深い傷にはならなかったらしい。ならばと俺は、足元に落ちていたハンマーをつかんで。
「悪い秋穂、借り……って重ったいな!!!!」
「あたるものか……!」
渾身の力でブン投げたそれは、ギリギリでひらりとかわされてしまう。翼を広げた墨烏は、上へ奥へと距離を取りながら。
「これなら、どうだ……!」
ごお! と音が鳴るほどの、大きく強い翼のはばたき。風に乗って飛ばされるのは、黒く大きな無数の羽根と、包み隠されるように滑ってくる赤い鳥。それはいままでのヤツとは違い、両腕に抱えるほどの大きさを持っていた。
速さは同じかそれ以上。つまり、避けるのは間に合わない。
このサイズでも問題なしと、俺の経験はそう判断。息をするような自然さで、刀を振ろうとするけれど。
――チリリ
そんな音が聞こえたのは、聴覚強化のおかげだろう。今までにない小さな異音に、理性が全力でストップをかける。
「…………ッ!!!」
ギリギリのところで腕を止め、体をひねり突撃を避ける。軽く体をかすめた鳥は、勢いのままに地面に激突。
瞬間、鳥の体がさらに大きく膨らんで。
(異能付与:脚力強化)
(異能付与:跳躍)
まずい、と心が思う前に、異能は最適な力をくれる。振り向きながら地面を蹴ったと思ったときには、俺の体はみんなの前に。
「ちょ、ちょっと!」
「ひゃあっ!?」
「な……っ!」
刀を捨て、空いた両手で無理矢理3人を抱えて、遠く後ろへと飛び退くと。
それとほとんど同タイミングで、鳥の体が大爆発した。
「きゃああああああっ!!!!?」
閃光が異界を満たし、轟音が体を叩く。耳元で大きく叫んだのは、冬華と秋穂のどっちだろう。そんなことを思いながら、重い衝撃を背中に受ける。
「……もうちょっと近かったらケガしてたかも。あ、ごめんな下ろすから」
「あ、あわ」
「あわわわわわ」
「助かりました。ありがとうございます」
口を震わせるふたりと、変わらずクールな春待さん。よかった、みんなもケガはなさそうだ。
「よくよけたな。でも、ぶきを手ばなしてしまったぞ?」
遠くに浮かぶ墨烏が、勝ち誇ったように手を伸ばす。その周りに浮かぶのは、装填された弾丸にも似た鳥の群れ。大きさがまばらなのを見るに、爆発するものも含まれているんだろう。
「……逃げ場もありませんね。どうしますか?」
気づけば、あたりは倒れた棚が積み重なり、袋小路のようになっていた。俺だけならともかく、みんなで逃げるのは難しいだろう。
「おわり、だな」
詰んだと思ったんだろう、勝ち誇った声が聞こえる。墨烏はそのまま、指揮棒を振るように手を動かし、鳥の群れへと指示を――
「……ガッ!!!!?」
――出そうとしたまさにそのとき、まるで電流が走ったかのようにその体を痙攣させ、ぐらりと大きくバランスを崩した。
「しゃがんで隠れてて! 決めてくる!」
指示が狂ったのか、四方八方へと散らばっていく鳥の群れ。それを千載一遇のチャンスと、強く大きく地面を蹴る。向かうはもちろん、隙を晒した墨烏!
「なにを、したァ……!」
途中で拾い直した刀――模造雷霆の持つ第2のスキル。それはその名が示すとおり、斬った相手に雷を這わせるというもの。発動するのは相手を斬った少しあと……ゆえに、これは奇襲としても成立する……!
さらに踏み込みもう一歩、墜落してくる墨烏は、ジャストタイミングで目の前に。
「ガ、グ、ガアアアッ!!!」
体内を暴れ回る電撃に、苦悶の声を上げる墨烏。
「ナメ、る、ナアアア!!!!」
暴れるように腕を振るけど、そんなものは当たらない。最後の一歩、加速をそのまま力に変えて。
「終わり、だな……!」
雷光のように振り抜かれた刀身は、異形の体を真一文字に斬り抜けた。





