09:真理の森の陰に
「……で、いつまでそこに隠れてるのかな」
来客の帰った真理の森に、主の言葉が冷たく響く。
話しているのはキリ。しかしその声色は、六哉に向けていたような親愛の情を含んだものではない。
起伏はなく、感情もない。自分に向けられた言葉でなくても、耳に入ればヒヤリと背筋が寒くなるような。そんな、冷たく暗い声。
「冷たいなあ。僕はただ、ことの顛末を報告しに来ただけなのに」
その声になんらひるむことなく、本棚の影から現れたのはひとりの青年だった。ひょろりと長いそのシルエットは、六哉たちにも見え覚えがある――異形に担がれ、『殺され』ていたはずのそれに他ならない。
「報告しろなんて誰が頼んだ? 状況を見ればわかることじゃないか」
その姿を確認しても、キリに驚くそぶりはない。それが当然であるかのように、ふたりは話を続けていく。
「痛い思いをした以上、報酬を取りっぱぐれるのも嫌だしね。これはぜひとも、直接出向く必要があるなと」
「近所の図書館に来るような気軽さで来るんじゃないよ。ここがどういう場所かは知ってるだろうに」
「全ての異能が集う場所――ただし、表向きには。ここにある本が異能だけだなんて、よくも適当を言ったもんだね」
「勝手にそう勘違いするだけだよ。ボクが言ったわけじゃない」
「それで異能者に不利益があるわけじゃなし。別にいいんだけどね」
彼は口元を押さえて笑うと、そのまま1冊の本を手に取り脇に抱えてしまう。
「姿も見せてくれないし、これは勝手に持ってくよ。『実神六哉に格上の異形をぶつけ、そのうえで双子を守らせる』。依頼は見事に達成したことだし」
「誰が十三忌なんて化け物を連れてこいと頼んだ?」
「最適だったでしょ?」
「……まあ、いいか。腹に穴を開けられて、芋虫みたいに転がるキミを見るのは気分が良かったしね」
「おかげで明日からの生活が心配なんだよね。僕は生徒に認められるんだろうか」
「大丈夫じゃない? 最弱の六歌仙として、みんな歓迎してくれるよ」
「まあ僕なんて、『死なない』だけがとりえのクズだからね」
「どの口が言うんだか。とにかく、用が済んだら出て行って。なんならあの世への扉を通ってもらって構わないよ」
「その前に、例の場所の確認をさせてもらおうかな。見るだけなら構わないでしょ?」
「……見るものもなにもないけどね」
その言葉を聞いた青年は、勝手知ったる様子で真理の森を進んでいく。
等間隔に並んでいる、たくさんの本が収められた部屋。それらのドアをいくつもくぐり、たどり着いたその場所は。
「あはは、見事になにも残ってないね。半年近くも彼を留めて正解だったってことかな」
本どころか本棚も、壁紙や床板すらもない、まっしろな空間。見渡す限りなにも見えない、ただただ広いだけの場所。
「これがキリが『実神六哉に取り込ませた、真理の森のひと区画』か。まったく、なにが『異能は解釈により変化する』だよ。確かにそれは真実だけど、彼に限ってはそうじゃない。真理の森そのものを――無限の知識や能力を取り込むほどの、規格に外れた魂の強さ。それこそが彼の特異性だろうに」
「……ボクたちの目的のためには、そう信じてもらう必要があるだろう?」
「いやいや、嫌な役目を押しつけちゃって悪かったなと思ってさ。ここまで懐かれちゃうなんて、さすがに心が痛むでしょ?」
「うるさいな。そろそろ黙れよ」
殺気すらこるキリの声にも、やはり青年は動じない。軽い調子で頭を掻きつつ、見えない主に手を振って。
「だから、ここからは僕に任せてもらおうかな。キリ以上に信頼される、いい先生を演じてみせるよ」
薄い笑いを浮かべながら、空白の区画をあとにした。