第7話 <命以外も助かりたいんですが>
私の首筋にナイフを当てた男は、騎士の制服を着ている。
ナイフは周りから見えないようにられているし、これでは誰も怪しまないだろう。
ただ迷子か何かの令嬢を案内しているようにしか見えない。
魔法を使って逃げるにしても、詠唱に気付かれたらお終いだ。無詠唱なんて高度な技を、ローズは身につけていない。
それにもし詠唱できたとしても、ローズが今できるのは精々、光の球を生み出すこと、走る速度を速くすること、風を吹かせること、そして手紙を飛ばすことくらいだ。
尤も、手紙を書いている暇なんてないが。
「どこへ、」
「黙れ。切るぞ」
そう言われては、口をつぐむことしかできない。
貴族の街を出て、平民の街へ入り、そのまま人気の無さそうな場所へ連れて行かれる。
入り組んだ路地を抜け、とても古そうな、錆びた鉄の扉が目に入る。
ギギー……と軋んだ音を立てて開かれたその扉の向こうは、割りと広い空間だった。
しかし、とても暗い。扉が閉まったら真っ暗になって、何も見えなくなるだろう。
――ここに入ったら、何をされるのかわかったもんじゃない。
正確にはわからないでもないのだが、どの予想が当たっていてもろくな事にはならない。
「入れ」
「っ……」
「殺されたいのか?入れば、命だけは助けてやる」
命以外も助かりたいんですが!?
「ったく、いいから入れ!」
ドンッと背中を押され、冷たい床に倒れ込む。床に体を強かにぶつけたが、思っていたような痛みはなかったのが不幸中の幸いか。
「大人しくしてりゃあ悪いようにはしないぜ、オヒメサマ。」
もう充分悪いです。
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アシュガが戻った頃、テーブルは既にもぬけの殻だった。
「っローズ!?」
一時的に席を立ったか、それとも何者かに連れ去られたか。
瞬時に前者の可能性は低いだろうと判断する。となると後者、何者かに連れ去られたか。アシュガは舌打ちをした。
「ほんのちょっと目を離した隙に……!」
いや、油断した自分が悪いのだ。
一時も愛しい婚約者から目を離すべきではなかったのに。
それでも、できれば予想が外れているように祈りながらアシュガは店主に話かけた。
「ここを金髪の令嬢が通らなかったか」
「っ殿下!? あっ、通りましたよ、騎士と共に」
「騎士?」
「はい。いつも警備をしている騎士の制服を着た男ですが……」
「わかった、感謝する」
やはり、連れ去られていたか!
しかも騎士だって?……いや、騎士に扮した怪しい者か?
どちらにせよ、魔法を使えば追うのは容易いだろう。
今すぐ行かなければ――と思ったその時、甘ったるい声が聞こえてきた。
「あっ、アシュガさま!」
声のした方向に反射的に目を向けると、キラキラと光るオパール・アイがこちらを見つめている。
「誰……あぁ、イージュ男爵令嬢か」
「私の名前はアナベルといいます、どうぞアナベルと呼んで下さいっ」
にっこりと笑って言われ、何故か目が離せなくなるような気がした。
彼女と話さなければならない気がする。話したい。話さなければ……
「っ、すまないが緊急事態なんだ、そこを退いてくれないか」
すんでの所でおかしな感情を断ち切る。
こんな所で油を売っているわけにはいかない、今にもローズに危害が及んでいるかもしれないのだから。
「え、なんで、アシュガさま、私と……」
「退いてくれ」
「……どう、して……?」
目の前の少女、アナベルは酷く驚いているようだが、そんなことはどうでもいい。今頭を占めるのは……占めていいのは、愛しい愛しいローズのことだけだ。
そう思うのに、自分は一体どうしてしまったのか。アナベルの事が気になって仕方ない。
「退いてくれ」
これ以上ここに居ると自分が本当におかしくなってしまいそうで、返事を聞く前に店を出た。
リコラスを連れて来なかった自分を悔やむ。
紙に『はやく家に帰れ』と走り書きをし、魔法を使う。
「風よ、我が意に応えよ。風伝魔法」
魔法がかかった紙切れは、風に運ばれて、猛スピードでどこかへ飛んでいってしまった。
『はやく家に帰れ』というのは、緊急事態だからこっちへこい、という簡単な暗号。
自分の居場所は紙切れに残した魔力から探し当ててくれるだろう。
しかし、リコラスを待ってはいられない。
「風よ、我が意に応えよ。風聴魔法」
アシュガは、文字通り〝風を聴く〟。
ローズの居場所を突き止め、次の呪文を唱えた。
「風よ、我が意に応えよ。風俊魔法」
ほぼ底なしの魔力を持つアシュガは、連続した魔法の使用にも動じることなく、正に風のような勢いで平民街を走り抜けていった。
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「はぁ、ここか……。アシュガ、どこにいる……?」
アシュガがリコラスに手紙を飛ばして約2分、荒い息をしたリコラスはもうアシュガがいた所へ辿り着いていた。
貴族街の外れに待機していたのだ。
「はぁ、はぁっ……。速度強化魔法、解除。」
この強化魔法は、属性魔法と異なり、魔力を有する者なら大なり小なり使える魔法、無属性魔法と呼ばれる魔法の一種だ。
属性魔法での身体強化との大きな違いは、体力を物凄く消耗する所である。その欠点があるため、長く使うことはできない。
「って、もう移動してんのか!?」
苦労が絶えない従者の叫びは、既に走り去っている主人に聞こえるはずもなかった。
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アシュガが全力疾走している時、ローズもまた全力疾走していた。
「ちょっ、追いかけてこないでよ!!」
淑やかな言葉遣いなどそっちのけで放たれたこのセリフ。
しかし、『追いかけてくるな』という言葉に従う相手は、まず滅多にいないだろう。
それは騎士の制服を着たこの男も然り。
「動くな、大人しくしろ!」
このセリフに従う相手もまた、滅多にいないだろう。
それは、ローズも然り。
この真っ暗なだだっ広い部屋では、どちらも命懸けの鬼ごっこが行われていた。
捕まれば、ローズは売られるか、拷問を受けるか、殺されるか。ざっと思い浮かぶのはこの辺りだ。
捕まらなければ、誘拐犯は目的を達成できないまま騎士団に拘束される。
制限時間は、誘拐犯が捕まるまで。
「あーっ、もう、しつこい!」
「当たり前だろ!こっちだって命懸かってんだ!」
「うるさいわね!こっちだって命懸かってんのよ!」
「諦めろよ!しつこい女は嫌われるぞ!」
「はぁ!?黙りなさい!犯罪者は捕まるわよ!」
「その前に仕事を終わらせるまでだ!」
誘拐されている者と誘拐している者同士の会話とは思えない程暢気な会話(?)をしている二人だが、その直後固まることになる。
轟音を立てて扉が開いた……いや、吹っ飛ばされたからだ。
眩しさにローズは目を細める。
「ローズ」
どこか安心したような声色。
ただし、凄まじい魔力が垂れ流されている。
その魔力ときたら、私に向けられているんじゃないとわかっていても鳥肌が立ってしまう程の圧を放っている。
「っくそ……意外と早ぇんだな、流石、王子様。婚約者の一人も守れねぇ男のくせに。」
アシュガ様が、助けに来てくれたのだ。
安心したのも束の間、これまで気丈に振る舞っていたローズは床に崩れ落ちた。
腰が抜けて足が動かない。
「アシュガ……様、ごめんなさ……」
謝ろうとしたその時、首筋にまたナイフが突きつけられる。
「動くな、この娘の命が惜しければ」
言い終わる前に、アシュガ様から尋常じゃない魔力が放出された。
この男を吹っ飛ばそうとしているのを感じる。
「ぐあっ」
ローズを器用に避けて、犯人だけが入り口の方向へ吹っ飛ばされた。
「ローズっ!」
アシュガ様が猛スピードでこちらに走ってきて、ふわっと私に抱きつく。
あのスピードで走ってきてふわっと抱きつけるの、すごいと思います。
「うぐ」
淑女として出してはいけない声を出してしまった気がする。
「ローズ、ローズ、本当に……突然いなくなって、私は、心配で心配で……」
私の肩に顔を埋めるアシュガ様。
「アシュガ様、私は大丈夫、ですわ。アシュガ様が来てくれたから……」
にへら、と腑抜けた笑いを浮かべたその時、ドタバタと足音が聞こえてきた。
「おいふざけんなアシュガ!手紙だけ送ってその場にいないってどういうことだよ!!」
苦労人、リコラスの叫びは、ようやくアシュガに届いたのだった。
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