8ー34 傲慢の目覚め
二人の剣聖が陰陽連頭領と邂逅した日から翌日。空は雲一つなく晴れ渡り、海は波一つ無く、一見平和な風景だった。だが、そんな中で平和とはかけ離れた集団がいた。
陰陽師達と騎士達は警戒態勢をとっていた。何故なら夜の間に二回も八岐大蛇の目覚めを知らせる鳴き声が響き渡ったからだ。
それぞれ三つの集団はすぐに大魔法や式神の召喚を行えるように準備していた。
本当なら一か所に集まり、八岐大蛇の姿が見え次第攻撃をしたかった。だが、八岐大蛇がいつ、どこに現れるのか正確に分からないため、大事な拠点を守れるように広く配置されていた。
いつでも動けるように気を張り詰めていた騎士達だったが、あまりの平和な風景に欠伸をするものや話をする者も居た。強いて言えば冬の訪れが近いせいで、風が冷たかった。
注意するべき分隊長達も何も言えないほどの平穏な状態に、本当に巨大な魔物が現れるのか不安になるほどだった。
そんな中、海上を水しぶきをあげながら飛行している人間がいた。通常ならばすぐに戦闘態勢となっている筈だが、騎士達は何もしない。むしろ敬礼をしていた。
「ヒルメティ様?そちらは何か問題がありましたか?」
水しぶきをあげながら高速で飛行していた人物は光翼騎士団副団長のヒルメティだった。
「こっちはこれと言った問題は無い。他の分隊のところに寄ったがすべて問題がなかったが……こっちも問題は特にないか?」
「はい!これといった異常は何もないです!むしろこの平穏すぎる光景が心配になる程です!」
「こっちもか……実はお前達の分隊が最後だったんだが、全部問題が無かったんだ。変だと思わないか?だってあと一回鳴き声が聞こえたら巨大な魔物が表すっていうのに何も異常がないんだ」
ヒルメティは自身が今まで体験したことを振り返る。ある程度力を持っている魔物が長い眠りから目覚める場合、高確率で何かしらの異常が起こる。それが強大な力を持つ巨大な魔物の場合、地割れや豪雨などあってもおかしくない。
だが、雲一つない青い空、波一つない海面。画家が居れば筆が止まらなかっただろう。
「まぁ穏やかで欠伸が出るのは分かるが油断しすぎるなよ。私は一度陰陽連本部に戻り集まった情報を整理してくる」
「了解いたしました!分隊員達にも警戒を怠らないように注意しておきます!」
分隊長は敬礼しながらヒルメティに言う。逞しい言葉を聞いたヒルメティは無駄な心配だったと判断する。
陰陽連本部へ戻る途中で怪しげな老婆の二人と少女を見つける。初めは避難が間に合わずに、戦いに巻き込まれないような場所を目指しているのかと思っていた。だが、顔をよく見てみると、身に覚えがあった。
昨日、陰陽連本部の建物でセーバルとシエラと共に部屋にいたところ、老婆の剣聖をつれたアルクが入ってきた。その時は夜だったということもあり、顔を覚えられなかった。
だが、体から放たれている威圧感と殺気だけは覚えていた。
魔力なしの戦いでは確実に勝てない。魔力を使ったとしても勝てるかどうか怪しい。それ程の威圧感と殺気が老いた体から放たれていたのだ。
「あなた達は……確か剣聖と呼ばれていた二人ですね?昨日の夜に一度会いましたが改めて自己紹介をさせてください。光ーー」
「副団長のヒルメティだろ?そんなのとっくに知っているさ!それで?多忙の身で何をしていたんだい?」
自己紹介をしようしたヒルメティだったが、口元を仮面で隠している老婆がそれを遮る。
「あんたら騎士達の情報は陰陽師の頭から聞いたから大丈夫だ。こっちの方こそ自己紹介がまだだったね。私はキンで目元を仮面で隠しているのは妹のギンだよ。隣にいるちっこいのは後継者候補のシュノウだよ」
口元を隠しているキンは残り二人のことを紹介する。
「こんなところで何をしていたんですか?既に陰陽師達と騎士達は配置についていますが」
「私達も準備をしようとしてね。妹のギンは勘が良いから奴がどこに現れるのか分かるらしいんだ」
キンの言葉にヒルメティは興味を示す。
何故ならヒルメティは勘というのもをそれほど信用していなかった。そもそも勘で魔物の出現位置が分かれば冒険者や騎士達は苦労すらしない。
「ギンの勘を信じていないようだね?まぁそのうち分かるさ!私達はこの先にある海を見下ろせる崖の上にいる。何があったら顔を出すといいよ」
キンはそう言うと、ギンとシュノウを連れて崖へ向かった。
――――――――――
騎士達が八岐大蛇の出現に備えている頃、アルク達は地面に魔法陣を描き続けていた。夜を越してから、アルクはひたすらに魔法陣を描き続けて、気付いた頃には数百を超える魔法陣が完成していた。
「ご主人……一体どれだけの魔法陣を描くんですか?いくらなんでも多すぎじゃないですか?ご主人もこんな何百を超える魔法を使えないでしょ?」
「何言ってるんだ?これは一つの魔法を発動させるための魔法陣だぞ?」
アルクの言葉にリラは驚愕する。通常の場合、魔法陣一つに対して一つの魔法が放たれる。つまり魔法陣が多ければ多い程、大量の魔法を放つことができる。例外として、同系統の魔法、つまり炎と炎の魔法陣、雷と雷の魔法陣など、同じ種類の魔方陣を複数組み合わせることで、強力な魔法を放つことができる。
だが、今のアルクが描いている大量の魔法陣はただ魔法を使うのではなく、大量の魔法陣を媒介にして一つの魔法を放つ。リラが今まで教わった中で、これを見るのは初めてだった。
「ちなみに聞きますけど……これが放たれた場合どうなりますか?国一つ消えるなんて無いですよね?」
「そうだな……あと数十個魔法陣があれば国とは言わないがちょっとした都市を一瞬で壊せるな。でも流石にこの規模の魔法陣は初めてだから一回しか使えないな」
アルクの言葉を聞いてリラは安心する。もしこの魔法陣を使った魔法が何度でも撃てたとしたら、リラは恐怖を感じていたところだ。
「リラも手が空いてたらどんどん魔法陣を描いてくれ。敵は未知数の魔物だから念には念を入れたいんだ」
アルクの頼みにリラは承諾し、さらに魔法陣を描き続けた。しばらくすると、アルクは痛めた腰を伸ばし、飛行魔法で空中から描いた魔法陣を見下ろす。
地面に描かれた魔法陣は壮絶の単語が似合うほどだった。幾重にも重ねられた魔法陣が一つの巨大な花となっている。だが、花のような魔法陣の中央には何も描かれていない。これは魔法に疎いリラでさえも気付いた。
「ご主人!真ん中はどんな魔法陣を描くんですか?」
「真ん中には何も描かないよ。あそこはカグツチを使うために何も描いていないんだ」
「カグツチを使う?……っあ!」
アルクが何を考えているのか、リラは少しわかった気がする。分かったことを言おうと口を開こうとしたが、アルクは頭を撫でることでリラの考えを肯定した。
「でもこれって本当に成功するんですか?クラシス様から教わったことが無いから分かりませんが……難しそうに見えますが」
「まぁ実際難しいな。そもそも魔法陣の多重制御でさえ難しいんだ。カグツチが無かったなら確実に使えなかった。けどカグツチを手に入れてからなんか……成功しそうな気がするんだ」
曖昧な表現にリラは反論を唱えようとしたが、自信に満ちたアルクを前にして口が開けなかった。
「それにしても不気味だな。あと一回鳴き声が聞こえたら化け物が目覚めるってのに平穏そのものなんだよな」
「やっぱりご主人もそう思ってたんですね。私もちょっと怖いんですよ」
「まぁ……良くある嵐の前の静けさってやつだろ。てかそのまま目覚めないで欲しいんだよな……良し!魔法陣はこのぐらいでいいだろ!」
「もう少し描かなくていいんですか?」
「出来ればもう少し多く魔法陣を描きたいんだが……これ以上描くと魔力が足りなくなって戦えなくなる」
「なるほど。それじゃあこの海が見える位置でずっと待っていたら良いんですか?」
「そうだな。そもそもこの魔法陣はマガツヒ本土全てに届くように設計しているから動かなくていいんだ」
「そうなんですか!?いくらなんでも凄すぎませんか!」
「凄いと言っても準備がとてつもなく長いからなかなか使えないんだよ。でも長い戦争の歴史の中だとこの規模の魔法を使うことが結構多いらしいぞ」
アルクは得意分野である歴史を話そうとしたが、リラは勉強が苦手だと言うことに気付き、話をすぐにやめた。
「このままぐーたらしながら待つのもいいが……すぐに動けるようにある程度体を動かすか?それともぐーたらするか?」
「そうですね……動きましょう!冬の始まりか分かりませんが風が寒くて風邪を引きそうです!」
「よっしゃ!それじゃあやるか!」
アルクは元気よく木刀を取り出し、リラと向き合う。
あとはお互い怪我が出ないように撃ち合う。
体の動きは遅いが、緩く体を動かすには丁度いい。その証拠に二人とも軽く汗をかいていた。
しばらく撃ち合い休憩を提案しようとした。その時、鼓膜が破けるほどの巨大な咆哮が地面から響き渡った。
咆哮を合図にアルクは木刀を投げ捨て、刀を引き抜き、空高く飛翔する。
異変は何もない。だが、地面から闇が溢れ出ていた。その中でも一際濃い闇が溢れ出ていたところがあった。
そこは運悪く沖合にあり、闇の発生時点を補足するのは難しかった。だが、大体の場所が分かれば広範囲の威力を持つ魔法を放つだけだ。
「ご主人!それは囮です!本体はさらに奥です!」
リラの言葉に従い、更に注意深く闇を辿り始める。そこには濃い闇に紛れ、薄く、巨大な闇が一塊になっている何かを見つける。
本来なら姿が見え次第、魔法を放ちたかった。だが、それより先に思考がアルクの頭を埋め尽くした。
(なんで水面に見えるんだ?本当なら海底より下に見えるはずだ。なんで地面より水面に見えるんだ?)
八岐大蛇は地面の深くに眠っていたはずだ。ならば地面が揺れる音と共に姿を見せるはず。だが、アルクの目からは八岐大蛇は地面から出て、海底に居座っているように見えた。
そう考えている内に、水中から八本の光線が放たれ、マガツヒを襲う。
だが、光の盾が現れ、八本の光線を全て塞いでいく。全ての光線を塞ぎきった瞬間、マガツヒの各所から魔法が水面に向かって放たれる。
恐らく騎士達の魔法だろう。大量の魔法が水面に向かって放たれるが、当たっているのか分からない。
そうしている内に一本、また一本と龍のような蛇のような頭が水面から魔法が命中はしながら現れる。
あれこそが太古の昔に傲慢を極めた結果、始祖神龍によって滅ぼされた魔物だ。八つの頭部に漆黒の鱗、この世に存在する全ての生物を食い殺すような獰猛な口を持っている。
初めて八岐大蛇を見るアルクでさえも震え上がっている。だが、ここで怯んでは負けてしまう。アルクはそう考え、魔法陣を使った魔法では無く、通常の魔法を使う。
完全に八岐大蛇の胴体が出る前に出来るだけ体力を削りたい。
だが、それは無駄な努力だった。闇によって更に硬くなった八岐大蛇の鱗の前にあらゆる魔法は攻撃に至らなかった。
そして、完全に八岐大蛇の全貌が見れるようになった。
胴体は蛇のようになっており、八つの首が全て繋がっている。だが、歩行の補助か、捕食のためなのか、足が二つ付いている。
あまりの迫力に放たれていた騎士の魔法はいつの間にか消えていた。
八岐大蛇は全ての首が目覚めているのか確認したあと、再度咆哮する。
そして、目の前に大量の食糧が存在しているマガツヒを睨む。アルクを含む戦闘に参加している者達は壮絶な戦いが始まると瞬時に理解し、覚悟を決めた。




