8ー30 島の剣聖
マガツヒに存在している剣聖は類を見ない程の戦闘能力を持っている。魔法を使わずに雲を斬り、一薙ぎで魔物の群れを壊滅する事も出来る。
だが、その存在を知る者はマガツヒ人とその少数しかいない。何故なら、大陸に暮らしている者で剣聖と言えば、バルト王国光翼騎士団団長であるレイリー=ブラウンを最初に連想するからだ。
八岐大蛇の迎撃に剣聖も加われば成功率が上がるとセーバルは考えていた。だが、迎撃に加わるに困難を極めた。
何故なら富剣山に住まう剣聖は変人だからだ。それはどの時代の剣聖も例に漏れなく変人だった。だが、どの剣聖にも一つの共通点があった。それは剣は嘘を付かないという考えだった。
交渉に最初に行ったセーバルは陰陽師であって剣士ではない。だからこそセーバルは剣聖の交渉をアルクに頼んだ。
アルクも薄々気付いていたが気にしない事にしていた。だが、少しだけだが後悔していた。
アルクは大量の魔力を体内に保有しているが、一定時間使っていないと魔力が体外に溢れ出してしまう。それを防ぐために、常に少量の身体強化魔法を使って魔力を消費し続けていた。
だが、富剣山に登り始めてから身体強化魔法が使えず、魔力が溜まり続けていた。そのせいもあってか、体が重いうえに呼吸が普段通りに出来なくなっていた。
「クソ……。魔力量が多いのは良いが……この時に限っては迷惑だな……」
アルクは自身の体質がここに来て足を引っ張るとは思ってもなかった。事実、大陸に居たことで魔力量の多さによって不運な出来事は片手で数えれる程度だった。
大陸では考えもしなかった事をマガツヒに来てからは考え始める。これはアルクにとって不思議な感覚だった。
「お前さん……魔力量が化け物級に多いな。その状態でこの山を登るはキツかったろ?」
老婆の声が聞こえた気がするが、おそらく気のせいだろう。そもそも、こんな過酷な道のりで老婆が居たらそれこそ恐怖だ。
アルクは老婆の声を気に留めずに山道を歩き続ける。
「年寄りを無視するとは肝の太い奴だね?もしかして幻聴か何かと思っているのかい?もしそうだったら重症だね」
ここでようやく老婆の声が幻聴では無いことに気付いた。
アルクはずっと声が聞こえた方向を振り返ると、そこに老婆が杖を付いて立っていた。だが、ただの老婆てない事はすぐに気付いた。
老婆である事は間違いないが、問題は身につけている物だった。目元を仮面のような物で隠し、背中に老婆の背丈と同じ長さの太刀を背負っていた。
「その体で良くここまで来たね。ここからは私が背負っていくよ」
老婆はそう言うと、アルクを背負う為にしゃがむ。だが、アルクは少し警戒してるのと同時に、気が引けていた。
警戒する理由は疲れているとはいえ、アルクの背後を取られた事。気が引ける理由は青年が歳をとっている老婆に背負われる事だ。
だが、老婆がその気になればいつでもアルクを殺す事が出来たはずだ。上手く隠しているが、雰囲気だけで相当な場数を踏んでいる事が分かる。
「頂上に着けば魔法を使えるよ」
「お願いします!」
老婆の魅力的な言葉にアルクは即答した。
アルクは老婆の背中に体を預ける。これで休憩出来ると思い安堵していたが、体に鈍い衝撃が走る。
下を見ると、地面が遠くに見えた。
「頂上に着いたよ。これで少しは楽になれると思うよ」
老婆の言葉を信じ、身体強化魔法を発動する。魔力過多による気分の悪さと呼吸のしづらさが改善された。
「本当に頂上では魔法が使えるんだな……。それで?婆さんは何者なんだ?上手く隠せているが体からとんでもない雰囲気が溢れ出てるぞ」
アルクは体調が回復したことで、老婆が隠しきれていない異常な雰囲気を感じ取る。それに加えて、歩き方や歩幅、体の力の入れ具合が普通の人間とは違い、いつでも戦闘が出来るような動き方をしていた。
「もしかして……いや。あんたがマガツヒで剣聖って言われてるマガツヒ人だな?」
アルクの言葉に老婆は笑うと、背負っている太刀を引き抜く。刀身は黒色であり、見慣れない文字が刻まれていた。
「正解だよ。もちろんお前さんの事も目的も知っている。何故ならあんたお仲間の獣人の嬢ちゃんが教えてくれたからね」
「だったら八岐大蛇の撃退に協力して欲しいんだ。このままだとこの国は海の藻屑となるんだぞ」
「それは私も知っているよ。でも協力関係になるには信用って物が必要だろ?頂上近くまで来れた事は褒めるが、それとこれとは話が別だよ。それに大陸でお前がどんな風に呼ばれているかも知っているから余計信用が無い。そもそもこの国の人間じゃないのに何で助けようとするんだい?」
「何でって……偶然立ち寄った国が滅びかけているのに尻尾巻いて逃げたら一生の恥になっちまう。だったら最後の最後まで抵抗する。それでも無理で逃げても恥だけは消えるだろ?」
「口では何度でも言えるさ」
「それもそうだな。それで?どうすれば協力してくれるんだ?」
「簡単なことさ。それは……刀を合わせる事だ。私達剣聖は先代や先々代から刀は嘘を付かないって叩き込まれているんだ。だからさっさと刀を構えな」
老婆の言葉に従い、アルクは刀を構える。
「ちなみに言うと私は魔法が使えないから空気を読んでおくれ」
老婆は何か不思議な事を言った。それは魔法が使えない事だ。
(え?魔法が使えないのにあんなに動けたの?)
目の前にいるのは確実に老婆だ。通常なら歳に負け、のんびりとしている筈だ。それなのに魔法を使わないであれ程の身体能力を持つ者は見た事がなかった。
「つまり俺も魔法を使うなって事か……それで協力してくれるなら良いだろう」
アルクはそう言うと刀を構え、老婆を睨む。
「ギン=ヤシャ、参る!」
老婆は自身をギンと名乗り、アルクとの距離を詰める。油断していた訳では無かった。だが、魔法が使えない老婆だと思って甘えてしまった。
瞬きの間に老婆は一瞬でアルクとの距離を詰め、太刀を一薙ぎする。アルクはかがむことで太刀を避ける事は出来たが、背後で何かが破裂した音が聞こえた。だが、今までの戦闘経験で何が起きたのかある程度予想は出来た。
アルクは背後を振り返ることなく、刀をギンに向かって振り下ろす。老婆は地面に足が付いていない体制だったため、当たると思っていた。だが、ギンは空中で体を捻り、アルクの刀を避ける。
[百目剣・鳥型・燕返し]
ギンが地面に足を付いた瞬間、刀を振り下ろす。だが、アルクは太刀を簡単に避け、踏み込む。だが、それは悪手だ。
アルクはギンが太刀使いである事から動きが鈍いと考えていた。だが、相手は老婆になっても剣聖と呼ばれる超人。つまり、ギンにとって太刀の重さは何の問題も無い。
アルクが足を踏み込んだのを確認したギンは、刀を瞬時に返して切り上げる。
右脇腹から左肩までに切り傷が走るが、幸いにも傷は浅い。アルクは僅かな隙を見逃さず、ギンを蹴り飛ばす。
「年寄りを蹴り飛ばすとは礼儀がなってないね」
ギンは華麗な動きで受け身をとり、アルクを見つめる。
「少しでも前に進んでたら重傷を負ってたのは俺だったんだぞ」
「そうかい?だったら……今度は気をつける事だね」
ギンはそう言うと、今度は距離を詰めずに、地面の岩をくり抜き、アルクに投げ飛ばす。だが、アルクは投げ飛ばされた岩を冷静に全て切り、今度はアルクから距離を詰める。
アルクは太刀の弱みについてスサルから聞かされていた。太刀は刀身が長い分、至近距離での戦闘には向いていない。
だが、相手は剣聖。今までの常識も無駄になる可能性は高い。
アルクは念のためにナイフを投げ、先行させる。予想通り、ギンは僅かな間合いで太刀を振り回し、ナイフを切り刻んでいった。だが、それだけでも分かったのは大きな一歩だ。
アルクはそのまま距離を詰めてギンの間合いの内側へと侵入する。残り一歩まで進めば、アルクの間合いとなったが、濃厚な死の気配がアルクを肌を突き刺した。
濃厚な死の気配を感じ取った瞬間、自分自身の勘と技術を信じて、刀を振り回す。金属がぶつかり合う音が数十回響き渡ったあと、アルクはギンに刀を振り下ろす。だが、アルクの刀は全て空振りし、外れてしまう。
「こんなもんかい?」
「ちょっとは手加減しろ!」
ギンの煽りに怒りながらも返したアルクは襲い掛かるギンの太刀を受け止めながら反撃していく。だが、主導権を常に握っているギンの猛攻を耐えられるわけもなく、一瞬の隙を突かれ、刀を奪われる。
「握りが甘いねぇ?そんなんじゃあ直ぐに死んじまうよ?悔しかったら取り返してみな」
ギンは奪ったアルクの刀を足元にさす。素手で剣聖に挑むのは死にに来いと言っているようなものだ。
だが、ここで諦めるアルクではない。自身に振り下ろされる太刀を見極めながら、反撃する瞬間を待つ。
いくら相手が剣聖と言えど老婆。体力ではアルクの方に分がある。そして、遂にその瞬間が訪れた。
アルクを仕留めきれないことに苛立ちを感じたギンは息切れをしながら、制度の悪い太刀を振り下ろす。戦い始めた頃と比べ遅い。
これなら太刀を振り落とせると確信し、太刀を持っているギンの手を折ろうとする。アルクの手がギンの手に触れた瞬間、いつの間にか天を仰いでいた。
放心している場合じゃない。このままだと太刀が振り下ろされる。つまりーー殺される。
アルクは本気の命を危機を感じ、周囲に大量の魔力を放出する。それは周囲を巻き込み、爆発にも似た勢いで吹き飛ばす。
体勢を直ぐに立て直し、地面に刺さった刀を回収する。
「全く……ここまで派手にやるとはね。まぁ本気にさせた私も悪いか」
ギンの声が聞こえた瞬間、首に強い痛みを感じ、意識を刈り取られた。




