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第九章 告白

「えぇー!それで、何もせずに帰ってきちゃったんすか?」

 タルコナ専属マジシャン、杠京司は叫び声を上げた。

 驚きすぎて、シャッフル途中のトランプをばらばらと落とした。

 寝起きで機能不全に陥っている鼓膜を刺激され、入川鋼は顔をしかめた。頭が痛い。緩和するためにスコッチを。

「オレが悪いのかよ……」

「悪いに決まってるじゃないですかぁ!ねえ!マスター!」

「そうだねぇ」

 マスターは朝から立派なタキシード姿で、グラスを磨いていた。

「鋼君……」

「なんでだよ……」

 憐れむような視線を向けられ、鋼はげんなりとした。なんで二人して説教まがいなことを……スコッチに逃げるしかない。

「美里ちゃん、勇気出したのに……!」

「女性の本音を読み取ってあげるのが、紳士というものだよ」

「わーったわーった!オレが悪かった!オレが悪かったよ!これでいいか!」

 浴びせられる言葉に耐えきれなくなり、鋼は立ち上がった。

 そして、空になったグラスを叩きつけ、鼻から息を噴射する。

「あーっ!開き直りましたよこの人!」

「鋼君がこんな野蛮人だったなんて……」

「マスターはともかく、お前……よく言えたもんだなぁ……!」

 鋼はカウンター越しにいる杠の両頬を思いっきりつねった。

「ひべべべべ!よ、ようらんっふよぉ!」

「鋼君」

 マスターに声をかけられ、鋼の後輩いびりは幕を閉じた。

「今日も会うんでしょ?せめて、迎えに行ってあげたほうがいいんじゃない?」

「冗談じゃない。なんでオレが――」

 言い返そうとムキになる鋼だったが、マスターの刺すような視線を見て考えを改めた。




 昨晩も見たドアの前に立ち、呼び鈴を鳴らす。

 昨日と違うのは、朝日が眩しいのと、気温が低いのとで、目がチクチクと痛むところだ。吐く息が龍のように昇っていく。

「さむさむさむさむさむさむさむさむ…………」

 コートのポケットに両手を突っ込み、前後左右に体を揺らしまくった。鋼ほどの身体能力をもってすれば、体の振動だけで体温を維持することはたやすい。欠点は、疲れてしまうと途端に極寒の中に逆戻りということだ。

 応答がない。もう一度呼び鈴を鳴らすが、やはり応答がない。

「おいおい……」

 四回目を押そうと手を伸ばした時、ようやく、カチリと開錠音が聞こえてきた。

「んー……」

 扉の向こうから唸り声は聞こえるが、一向に出てくる気配がない。それどころか、ゴォン!と、内側から扉を殴るような音が聞こえてくるありさまだ。

「……泉里?」

 今ので死んじゃいないだろうな。心配になって声をかける鋼だった。

「泉里?おぉい、起きてるか」

「んー……」

 かわいい唸り声だった。天使が悪酔いしたらこんな声になるのだろうか。もうちょっと聞いていたい気もする。

「……だあれ?」

 声がくぐもって聞こえくる。おそらく、ドアに頭を打ち付け、その体勢のまま力尽きているのだろう。

「鋼だ。は、が、ね!」

「……鋼さん?」

「そうだ。オレだ。願い探偵だ」

「探偵は嫌いです……」

「……大丈夫か?」

 見当違いの方向に進みそうになる会話を努めて無視して、親身になって聞いてやる鋼。しかし、返事が中々帰ってこない。

「泉里……?」

「うー……。頭、痛いです……」

 そんなことだろうと思った。鋼はこっそりため息をついた。

「鋼さんが悪いんです……鋼さんが……飲ませるから……」

 そんなことだろうと思っ――いや、ちょっと待て。

「オレが飲ませたわけじゃないだろうが……」

「鋼さんに決まってるじゃないですか……あんなに楽しくしといて……」

 泉里の胸は、朝から切ない。

「わーったわーった!悪かった!オレが悪かったって!」

 くどくど愚痴を言い始める前に、素早く謝っておいた。何事も初期対応が重要だ。

 鋼はこんこんとドアを叩き、優しく聞いてやった。

「今日はなんだっけ、あー、モトクロス行くんだろ?大丈夫か?」

「うー……大丈夫じゃないですぅ……」

 それっきり、泉里は黙り込んでしまった。

 正確に言うと、二日酔いがひどすぎて気持ち悪くなっただけなのだが、鋼からはその姿が見えない。

「泉里?……泉里?開けるぞ……?」

 念入りに確認してから、ドアノブに手をかけた。そーっと開いてみたが、やはり、ドアに寄り掛かっていた泉里が落ちてきた。

「うわっ!とぅ……とと……」

 完全に脱力した人間を支えるというのは、思った以上に難しい。女性である泉里の体重がかなり軽いと言っても、例外ではない。

「うぅうー……うぅ……」

 泉里の頭はボサボサで、髪の毛が爆発したと言っても過言ではなかった。

 そんな生霊とかした女子大生を抱えあげ、肩の下に腕を回した時――こちらを見つめる視線に、気が付いてしまった。

「……あっ」

「……あん?」

 そこにいたのは、泉里の親友である雪歩だった。飛び出しそうになった悲鳴を、とっさに両手で押さえている。

「あの、えっと、私……」

 何を勘違いしているのか、雪歩は顔を真っ赤にして震えている。

「いやあ……昨日、飲みすぎてね。はは……」

 力なく笑ってみた鋼だったが、雪歩の勘違いを加速させただけだった。

「あ、朝帰り……!」

「いや――」

「す、すみませんでしたぁ!」

 否定する間などなかった。雪歩は超高速で階段を駆け下り、超高速で走り去っていった。天敵の鷹から逃げるウサギのようだと鋼は思った。

「はあ……」

 色々修正すべき点があるが、ひとまずこの屍を蘇生させなくてはならない。鋼はしかたなくアパートに足を踏み入れた。




「泉里」

 ベッドを背もたれにして、泉里を立てかけてみたが、うーうーと唸るばかりだ。

「泉里ー」

 試しに、人差し指を頬にめりこませ、ぐりぐりといじってみた。その頬の柔らかさに驚き、ついつい顔を見つめつつ、鋼は次の手段に打って出た。

「早くしないと、雪歩ちゃん来たぞー。大学あるなら言っとけよな」

「ゆき……ほ……?」

 親友の名前に反応し、泉里はまぶたを動かした。重たそうだったが、なんとか開かれたようだ。

「……あれ?鋼さん?」

 夢と現実のはざまで、泉里は目をぱちくりとしばたかせた。徐々にではあるが、状況を飲み込みつつあった。

 ここは自分の部屋で、自分は寝間着のまま、髪はボサボサ、顔も洗っていない。そんなところに、鋼がいる。

 何よ、昨日は入ってこなかったくせに、一夜明けたら、そんなに平気な顔をして入ってくるの?え?入って――私の部屋に――

「おはよう。やっと起き――」

「って……!いやあぁー!」

 寝起きの女性宅に無断で侵入すれば、当然こうなる。通報されなかっただけまだましだ。

 入川鋼は、強烈なビンタ一発で許しを得た。




 小さなアパートの、小さなリビング。そこに置かれた小さなテーブルを囲み、小さなテレビを見ている二人。

「鋼さん、マーガリン」

「ん」

 鋼はマーガリンを持ち上げ、反対側に座っている泉里に渡した。ちなみに、右の頬が水風船のように膨れ上がっている。

「なぁんですかその不満そうな顔は!」

 泉里はムッとしてマーガリンをひったくった。ちなみに、ボサボサの髪はとりあえずの処置として一つにまとめ上げている。

「やかましいわ!ぶん殴られてニコニコしてるやつがいるかぁ!人がせっかく起こしてやったんだ!感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはない!」

「だからお詫びに、朝ごはんご馳走してあげてるじゃないですか!だいたい、乙女のほっぺたつんつん突っついて起こします?普通――鋼さんの変態!」

「なんでそうなるんだ!どれだけ声かけても起きなかったんだから仕方ないだろ!少しは信用しろ!」

「ム!リ!です!信じられません!女子大生の部屋に勝手に入って来るなんて!」

「お前がしんどそうにしてたからだ!介抱してやろうとしたのになぁこっちは……!」

 二人とも、咀嚼途中だったトーストや飲みかけだった牛乳をそこら中にぶちまけながら言い合った。机の上をさんざん汚し、ようやく泉里が折れた。

「むう……今日のところは信じてあげます……」

 泉里だって、迎えに来てくれたことを嬉しいとは思っている。あと、鋼がやましい気持ちで侵入してきたわけではない、ということも分かっている。分かっているが、そこをすんなり認めてしまうわけにはいかなかった。

「あーぁ……雪歩になんて言おう……」

 床に置いてあったスマホを拾い上げ、親友への言い訳をしようと試みる。ただ――


 ごめんね!鋼さんと一緒だったって知らなくて!私、帰るから!


――既に、取り返しのつかない状態でメッセージの受信がなされている。泉里はため息をつき、スマホをベッドの上に投げた。ガンガン痛む頭では、うまい言い訳など出てくるはずもない。

〔連続失踪事件。年が明けて一カ月たちましたが……たった一カ月で、さらに七名の方の行方がわからなくなっています〕

〔これはもう、拉致とかそういったところも考えられてくるんじゃないですか?〕

 テレビで流れているのは、相変わらず流行りの連続失踪事件だ。鋼はトーストの耳をサクサク言わせながら、頭の悪いコメンテーターの顔を眺めていた。

 ふと泉里の方を見てみると、女子大生が、険しい顔つきになっているのがわかる。二日酔いのせいでそうなっているとは、少々考え難い。それほどに苦しそうな表情だった。

「気になるのか」

 トーストをはみながら、鋼は聞いた。

「んーん、ちょっとだけです」

 泉里は首を横に振り、マーガリンをまんべんなく塗ることだけに集中している風を装っている。

「ちょっとって顔じゃねえぞ、それは」

「はぁ、どうしてそういうことばっかり気付くんです?」

「オレが願い探偵だからだ」

「だから探偵は嫌いです」

 泉里は即答した。

「なんでそうなるんだ!……あれか、やっぱり、人が死ぬのがわかるのか」

「……まぁ、否定はしません」

「それで苦しんでちゃ世話ないだろ。なあ、どうしてそんなことがわかる?このオレに願いが読めないのに、お前は確かに異能の力を持っている。何か理由があるはずだ」

 泉里は、鋼のこういうところがあまり好きではなかった。

 人の願いをさんざん見てきたから、仕方ないのかもしれないけれど、それを自分にまで向けてくるのはごめんだ。私は私。せっかく中身を覗かれなくて済むのだから、そのまま放っておいて欲しい。

「また願いの話ですか。願い願い……それはあれですか、願い探偵として知っておきたいって言う自己満足ですか」

「ち、違うわ!願いの内容がわかれば、対処する方法を思いつくかもしれない、だろ?」

「ウソだ。絶対自己満足ですよ」

「ウソじゃねえって!」

「ヤです。どうせ願い探偵の謳い文句に使われるだけですもん。〝オレに読めない願いはない〟って――」

「そんなことしねえよ!」

「おーしーえーまーせん!乙女に秘密はつきものなんです!」

 人をぶん殴る乙女なんていねえ、と言いたかった鋼だが、その言葉はトーストで押し込んだ。




「私今日、授業休みます」

「んー」

 食器洗いは鋼の担当だった。リビングでおめかししている泉里の声が、部屋の壁で跳ね返り、やって来る。

「鋼さん、ホントにモトクロスなんかでいいんですか?」

 鏡とにらめっこしながら、泉里はコンタクトレンズを入れていた。せっかく鋼と出かけるのだから、眼鏡などかけていられない。

「んー」

 台所からは、相変わらず気のない返事が返ってくる。それがOKに他ならないことを理解し、泉里はリップを塗り始めた。




「ふーん……モトクロス、ねえ」

 泉里に連れ出された鋼は、左手に持ったパンフレットをしげしげと眺めがら歩いていた。

 モトクロスとは、人工的に作られたオフロードコースを、専用のバイクを使って周回し、順位を争う競技だ。コースは未舗装で、起伏に富んでおり、かなりの運転技術が必要とされる。その反面、見た目が派手なため、ファンも多い。

 ここは地方にあるコースなのだが、結構な数の人が見に来ている。二、三百は下らないだろう。子供連れにも何組か追い抜かれた。

「ふーん、なになに?周回数ではなく、規定時間で争います……へえ」

「そうです。簡単に言うと、決められた時間で何週できるか、ってことですね。天候とかコース状態が変化するから、らしいですよ」

 少し前を歩く泉里が、詳しく教えてくれた。

「やけに詳しいな」

 モトクロス好きだったとは知らなかった。とは言え、今まで泉里の決めた行き先には一度も反対したことのない鋼だ。少し首を傾げながらも、大人しくついて行った。




「あーっ!始まりますよ!」

 パンフレットで出場選手を見ていたのに、鋼は泉里に腕を引っ張られ、コース脇の観戦スポットに連れて行かれた。

「……おいおい」

 足がもつれ、こけそうになるが、泉里に腕を抱きしめられ、事なきを得た。二人で顔を見合わせ、少しだけ笑い、コースに視線を移す。

「ほー、けっこう凝ってんな」

 眩しい日差しをパンフレットで遮りながら、鋼は思いのほか大きいコースに目を這わせた。スタート地点からいきなり急な勾配があり、終始、上下どちらかの方向に傾いている。急カーブがあったかと思えば、途中でクロスしている部分もあり、かなりスリリングな印象だ。カーブ部分の土は大きくえぐれていて、走破することの難しさを伝えてくれる。

 さて、スタート地点には三十台のバイクが並んでおり、今か今かとその時を待っている。小さなバイクだ。モトクロッサーと言うそうだ。

「おぉっ」

 スタートの合図と共に、三十台のモトクロッサーが一斉に発進した。スタート地点にはたくさんの客がいるため、どよめきと歓声が大きく上がる。

 泉里は柵の際まで近づいて、食い入るように見つめている。

 序盤、レースは拮抗していた。一位のバイクが安定した走行を見せ、二位以下が入れ代わり立ち代わり襲い掛かるものの、決定打に欠ける。

 一位はカーブで滑っても冷静に足をつき、大きなジャンプを要する場面でも、綺麗な着地を見せた。その大跳躍の素晴らしいこと、モトクロス初心者の鋼でも、思わず感嘆の声を上げてしまうほどだった。

 なんだ、案外楽しいもんだ。鋼はパンフレットを握りしめ、レースのとりこになっていた。一位の後輪に二位の前輪が当たりそうになったり、後ろの集団の中から、カーブで転倒してしまい、脱落する者が現れたり……見ていて飽きることが無い。

 転機が訪れたのは、モトクロッサーの大集団が、鋼たちの前を通り過ぎた時だ。

 ものすごいスピードで突き放しにかかる一位、そこから遅れてくる、二位以下の集団。その、集団の中の一台に向け、泉里が叫んだのだ。

「行けーっ!九次(きゅうじ)―!」

 いきいきとした声援を聞いた途端、鋼は、胸に鉛を押し込まれたような息苦しさに襲われた。あるいは、誰かに頭をぶん殴られたのかと思った。

 隣にいる泉里は、遠ざかっていく集団に向かって拳を振り上げている。

 鋼はパンフレットを乱暴に開き、ページが破れるのも構わずめくりまくった。

「キュウジ……?」

 やっとのことでたどり着いた選手紹介ページに、そいつはいた。

 梅木(うめき)九次(きゅうじ)――年は二一歳、さっきはヘルメットに隠れてわからなかったが、ここには顔写真が載っている。大きな四角い顔に、金色に染めた髪がうるさい。切れ長の目も気に入らないし、頬についているそばかすの数だけ、嫌な気分が加速していく。

「あー……ファンなの?」

 何故下の名前で呼ぶのか、知りたいような、知りたくないような、理解不能な感情に苛まれ、鋼は聞いた。

「え、なんですか?」

「いや、だから――」

「へ?――頑張ってー!九次―!」

 再びバイクの集団が目の前を通り、泉里の答えは中途半端に終わった。再び拳を振り上げ、一心不乱に応援している。

「やった!」

 一瞬の隙をつき、梅木九次はトップに躍り出た。前を行く選手がコーナーでふらついた瞬間を逃さなかったのだ。一気に差をつめ、抜き去った。真っ赤なヘルメットに真っ赤なバイクウェア、バイクの色まで真っ赤。赤の軌跡を残しながら、圧倒的な技術とスピードで他を突き放していく。

「九次―!」

 飛び跳ねて喜ぶ泉里は、それはもう可愛かった。ザクロのような色をした瞳は、キラキラと宝石のような輝きを宿しているし、ちょっとはしたないくらい大きく開かれた口は、彼女の健気さと元気のよさをこれでもかと主張していた。

 鋼は、胸のざわつきが押さえられなかった。

 その後も、コースの条件は同じなのに、九次だけは抜群の安定感を見せていた。転倒はおろか、ふらつくことさえ一切なく、大きなジャンプを見せた時も、一番きれいな姿勢で、一番長い距離を飛んだ。もちろん着地も一番きれいで、バイク操作に関して、他の選手から頭一つ飛びぬけていた。

「きゃー!九次ー!」

 泉里が黄色い声援を上げた通り、梅木九次は、最後の一周をぶっちぎりの先頭で駆け抜けた。文句のつけようがない走りだった。




「九次!」

 表彰式を含めた全ての行事が終わった後、泉里は、選手の待機場所に戻ろうとする九次に駆け寄った。

 左右の手に、真っ赤なヘルメットとトロフィーを持った梅木九次は、聞き馴染みのある声に振り返った。

「ん?おーっ!泉里ぉ」

 そばかすが入った頬を緩ませ、優勝を飾った男ははにかんだ。

 泉里は体が触れるギリギリのところまで小走りで近づき、後ろで見ていた鋼を慌てさせた。

「さっすが九次!見事な走りですなあ」

 まるで口髭のついたおっさんを表現するかのように、泉里は唇の上に指を当て、ふがふがといった。

「さっすが泉里!相変わらず上からですなあ」

 対する九次も、右手を口元に持っていき、ふぉっふぉっふぉっ、と笑った。ヘルメットを持ったままだったため、顔が半分くらい隠れていたが。

 鋼はどんどんイライラが募っていくのを感じていた。泉里はどう見ても梅木九次と旧知の仲だったし、なんなら、鋼と接する時よりも生き生きと、可愛く見える。それがまた腹立たしい。

 不機嫌なオーラが地を這っていることに気付き、九次はヘルメットを小脇に抱えなおした。

「ん?えっと――」

「えっ?あぁ、うん。こちら、入川鋼さん。えーっと……」

 泉里は適切な表現をあれこれ探してみた。鋼の仕事は他人に理解されずらいし、説明もしにくい。自分自身がそうだったのだから、間違いない。どうやって紹介したものか、事前に考えておけばよかった。

「探偵をしてるの」

 他にいい言葉が思い浮かばず、わかりやすく探偵の一言で済ませておいた。

「探偵?……泉里、いいのか?探偵なんて――」

願い(・・)探偵だ。よろしく」

 九次が何かを言いかけていたが、鋼はたまらず口を開いた。こんなスカした男相手に、一歩たりとも引き下がるものか。対抗意識を燃やしながら握手を求めた。

「あ?あぁ……よろしく」

 なぜ焼き尽くされそうな視線を向けられているのか、九次はわかっていなかった。ヘルメットを抱えている左手にトロフィーを持ち替え、握手のために右手を空けた。

「とても、仲がよろしいようで」

 とげのある言い方に、泉里は気付いた。それでも、二人が握手をしたまま話しているので、間に入れなかった。

「ええ、泉里とは古い付き合いで」

「あぁそうですか。うらやましい(・・・・・・)

 泉里は気が気ではない。なぜか鋼が、握った手を大げさに上下させ始めたのだ。言葉にも必要以上に力がこもっているし――九次はまだ気付いていないようだが――明らかに普通ではない。

「本日はどうして?こんな地方まで」

「泉里がどうしてもあなたの走りを見たかったようで、いやなに、とっても(・・・・)素晴らしい(・・・・・)レース(・・・)でした(・・・)こんな(・・・)()興奮(・・)した(・・)())生まれた(・・・・)()以来(・・)です(・・)

 ここに至り、ついに九次も異常に気付いた。上下されていた手にぐっと力をこめ、その動きを止めた。半笑いの表情で、失礼な探偵を見つめた。

「あー……僕、何かしましたか?」

 身の危険さえ感じ、九次は手を離し、後ずさった。

「いいえ何も。いいレースを見せていただき、感謝しているくらいです」

「ど、どうしたの?」

 泉里はたまらず割って入った。小さな体を目いっぱい伸ばして、九次の体を隠すように立ちはだかった。

 鋼は泉里の頭上から顔を覗かせ、九次のそばかすを凝視する。

「どうって?」

「な、なんで怒って――」

 泉里は必死に鋼の胸を押したが、鋼は九次を睨みつけたまま、動こうとしない。それどころか、泉里が九次をかばっていることに、余計に怒りを感じた。

「怒って?何を怒る必要がある?梅木選手は今日のレースで一位を取った。祝福すべきだ。怒ることなんてない」

「ええそうね。喜ばしいことだわ。でも鋼さんの言葉は嫌味にしか聞こえない。初対面の人に、なんでそんなことができるんですか?」

「初対面の人に?はっ!誰だって最初は初対面だ!気にする必要なんかない!それが、いかさまをしている奴なら特にな!」

 泉里と九次は、同時に息を飲んだ。

 泉里は鋼の力を知っているし、理解もしている。そして、入川鋼が声を張り上げた時、よくないことが起きるというのも、嫌というほど理解している。

 九次は、いかさまというところに思い当たる節があった。願い探偵という職業が何を意味するのかわからなかったが、もし、〝願い〟に関わる仕事だというのなら、自分にとって非常によろしくない状況だった。自分の、選手生命に関わることだった。

「は、鋼さん――」

「オレは願い探偵だ。人のかなえた願いがわかる――」

 逃がすものか。

 暴走した正義感を止めるつもりなど、入川鋼にはみじんも無かった。泉里とどういう関係なのか知らないが、あんなに楽しそうにされて、黙っていることなどできなかった。

 九次はさらに後ずさった。このままここにいたら、間違いなくよくないことが起きる。本能が警鐘を鳴らしていた。

「やめて、お願い――」

 泉里は鋼の胸にかぶりつき、なんとか自分に注意を向けようとした。しかし、鋼は聞く耳を持たない。

 男女が揉みあっているのを見て、気にならない人間などいない。ましてや今は、表彰式を終えたばかりだ。周りにいた他のモトクロス選手が、審査員が、実行委員会のお偉方が、果ては試合を観戦に来ていたファンまでもが、帰路につく足を止め、二人のやり取りに見入っていた。

「梅木九次、あんたの写真を見た時から、薄々怪しいとは思っていた――」

「お願い、鋼さん――」

「今確信した。お前は神に願った!その内容は――」

「やめて!」


「完璧なバイクテクニック」


 決定的な願いだった。それは、九次の不正を暴くには十分すぎた。

 泉里の金切り声を置き去りにして、鋼は指を突きつけた。

 周りで見ていたギャラリーが、一斉に押し黙った。

 鋼にわかるのは一つだけ。いつも、一つだけ。その一つを言うことに、何の問題がある?

「だからお前は、レースで優勝できた。違うか?」

 九次はごくりと唾を飲みこんだ。今すぐ逃げ出したいのに、体が動かない。

 周りにいた審査員が、九次に寄ってきた。当然のことだった。

「梅木君、今の話、ちょっと詳しく聞かせてくれないかね」

「……はい」

 あっという間に九次は連れて行かれた。残された選手たちが、口々につぶやき始めた。

「マジかよあいつ」

「いや、本当かどうかわからないだろ。2位とか3位だってあるじゃん」

「完璧にこなせるなら、何位だって狙って取れる」

「たしかに、そりゃそうだ」

 嫉妬に蝕まれていた心が、得も言われぬ満足感で満たされていくのを、鋼は感じていた。喜びの駆け抜け方があまりにも早かったため、対処しきれなかった頬がぴくぴくと引きつった。

「……どうして」

 顎の下から、今にも消え入りそうな泉里の声が聞こえた。

 満足感に打ち震えたまま、鋼は答えた。

「どうして?オレは願い探偵だ。見ただけで願いがわかる」

「そんなこと言ってない……どうして、九次の――」

「はっ!因果応報だ!バチが当たったんだ!ズルをして勝とうって、腐りきった根性の、汚い野郎が――」

 ここで初めて、泉里の顔を見た。それまでは、連れて行かれる九次の背中を見ていた。

 泉里は、鋼の言葉から存在そのものまで、全てが信じられない、という顔をしていた。大きな落胆と怒りと、絶望までが混じった顔をしていた。

 そして、わなわなと顔を震わせ、踵を返して走り去った。

「あ……?おい、おい!泉里!」




「おい、おい泉里!待てって!」

 会場の出入り口まで追いかけて、鋼はようやく泉里に追いついた。その華奢な肩に手をかけ、引き留める。

「なんであの男の肩を持つんだ!オレは正しいことをした!あいつの不正を暴いて、公平な場に引きずり出した!何が気に入らない!」

 泉里はゆっくりと振り向いた。泣くのを我慢していたから、そうなった。ザクロのような色をした瞳は、溢れんばかりの涙をたたえていた。

「なんで……なんで全部言っちゃうんですか⁉言わなきゃ、気が済まないんですか⁉」

「あいつがズルをしてたからだ!あんな不公平な優勝があってたまるか!他の選手の努力はどうなる!」

「誰もいないところでこっそり言うことだってできた!あんな、見せしめみたいな……何を怒ってるんですか⁉子供みたいに、勝ち誇った顔をして……」

 唇を震わせている泉里を見て、鋼はついに思い知った。今まで感じていたのが嫉妬という感情であり、それを感じるということは、自分が、泉里のことをどう思っているのか、ということに。

「あぁ悪かったよ!たった今わかった!オレはお前のことが好きだ!好きになっちまった!」

 こんな気持ちを認めるなんて、鋼にとっては死ぬほど恥ずかしいことだった。それでも、目の前の愛する女に理解してもらおうと、贖罪のつもりで言い切った。

 これで、泉里はオレの思いを理解してくれる。機嫌も直って、このままデートを続行できる。そう思ったのに――

「だから、あいつとイチャついてるお前を見て腹が立ったんだ!悪かった!」

――泉里は、首を横に振るだけだった。

「……どうして?……どうして、昨日――」

「……は?なにが?」

「そんな言葉!今聞きたくなかった!」

 泉里は大きく鼻をすすった。

「――九次は、十二人兄弟の九男なんです」

 その音をもって、入川鋼は黙りこくった。

「お父さんとお母さんは仕事についてなくて、お兄さんたちも、半分くらいは働いてなくて。それでも、九次には、まだ小さな弟と妹が三人もいるんです。どうしても必要なんです!あの子達を育てるためのお金が!他の兄弟は誰一人助けてくれない!九次だけなんですよ!三人を養っていけるのは!」

「で……?なんだ?だったら何やっても許されるってのか?そんなわけないだろ!」

「わかってます!わかってますよ……!」

「いーや、わかってないね!」

「わかんないですよ!」

 泉里は金切り声を上げ、自分の体をぶった。鋼は驚き、言葉が続かなかった。

 激しい息遣いが辺りを包み込み、厳しい冬の風が、二人の間を切り裂くようにないだ。

「最初に会った時もそう、ストーカーしてきた時もそう!願い願い願い願い……鋼さんは、願いに取りつかれてます!病気ですよ!」

 売り言葉に買い言葉だったかもしれない。だが、鋼にとって、自らのアイデンティティを頭ごなしに否定されるほど、頭にくることは無かった。

「は……?知るか!オレが望んだじゃない!生まれた時からそうだったんだ!じゃあなんだ、オレに目をつぶれって言いたいのか⁉え?それこそふざけるな!お前だって、よく(・・)わからない(・・・・・)願い(・・))かなえて(・・・・)、死に近づいた人間がわかるようになったはずだ!わかるだろ!不幸な者同士!」

 言い終えた瞬間、しまった、と思った。それを証明するように、泉里は一筋の涙を流した。

「私が……不幸……?」

「いや、すまない……。言い過ぎた」

「いいえ。それが鋼さんの本当の気持ちってことです。だって、誰よりもたくさんの願いを見てきた、願い探偵なんですから」

「違うんだ泉里――」


「私、一度死んでるんです」


 どうやって関係修復を図ればいいのか、そればかりを考えていた鋼は、突拍子のない告白に度肝を抜かれた。

「――え?」

 死んでいる……?泉里が……?一度……?

「私がかなえた願いは!〝お母さんに会いたい〟だった!私を生むために、私のお母さんは死んだんです!私は、どうしても会いたかった!会いたくて仕方なかった!お父さんはすごく優しかったけど、仕事で忙しくて、授業参観にも、運動会にも、一度も来てくれなかった!他のみんなは、お父さんにもお母さんにも見に来てもらって、楽しそうにしてるのに!私だけ!」

「……()さ――」

「だから頼んだの!〝お母さんを生き返らせて〟って!私、おかしいですか⁉」

「いや……」

 鋼は否定することができなかった。

 お母さんに会いたい。

 その無垢な願いがどれほど強く、どれほど切なく、どれほど悲しいものか。想像しただけで胸が痛かった。

 言葉を失った鋼に畳みかけるように、泉里の告白は続く。

「ダメなんです!ダメなんですよ……!神様、ひどくないですか?他人(ひと)の願いはかなえられないって……!お母さんの人生は、お母さんの命は、お母さんにしか決められないことだって……!私がどんなに願っても、他人(ひと)の人生を変えることはできないって言うんです!」

 それは、鋼にとっても初めて聞いたことだった。願いにそんなルールが存在するなんて、知りもしなかった。

「だから私、せめて、お母さんに一目会いたいってお願いしました。神様が『それはできない』って言っても、何度も何度も、何十回も何百回もお願いしました」

 鋼の脳裏に、神に向かって泣きじゃくる泉里の姿が思い浮かぶ。何度断られても、何度も頼み込んでいる姿が。

「何万回かわからなくなったころに、やっと神様が折れてくれました。お母さんに会わせてあげるって。鋼さんにとってはバカらしいかもしれないけど!私にとってはそれが全てだったんです!生まれて一度も、お母さんの顔を見たことがない。お母さんの腕に抱かれたこともない。お母さんのおっぱいを飲んだことも!お母さんの声で、子守唄を聞いたこともない!お母さんに会って、どんな人なのか、お話したい!それが私の全てだったんです!」

「……い、いや……でも、どうやって――」

「神様が連れて行ってくれました。〝死者の国〟に、私を」

「し、死者の国?」

「死んだ人たちが行くところです――神様の姿と一緒で、人によって、呼び方も(天国にも)見た目も(地獄にも)変わる――そして、〝死者の国〟に入るには、文字通り、死ぬしか方法が無い」

「いやいや、待て待て……そんなことありえない」

「鋼さんならわかるはずです。私の願い、読めないでしょう?それが何よりの証拠です。私の願いをかなえるには、〝死者の国〟に入る必要があった」

「だが待て、お前は生きてる」

 意味が分からない。こんなに混乱するのは、鋼の人生始まって以来のことだった。じゃあ、目の前にいる泉里は、いったい何だというのだ?

「興梠泉里は、私の名前であって、私の名前じゃありません」

 泉里の目は、こんこんと涙を生み出していたが、ゆるぎなかった。それが、嘘偽りない話であるということを、鋼の心に嫌というほど刻みつけた。

「私の魂は、まだその時を迎えていなかったから……この世に戻されたんです。でも、自分の都合で死んだ人間を、蘇らせることはできない。生きている人間を〝死者の国〟に連れて行くこと自体、神様にとっても特例中の特例。だから私は、全く違う人間として、もう一度生を受けました」

「願いを、かなえた状態で――」

「そうです。願いの力で生まれなおした私には、生まれつき、願う資格がありません。でも、すでに願いはかなってる……私は願っていないのに、私の願いで生まれてる!恐ろしいくらい宙ぶらりんの状態なんです。だから、鋼さんにも読めない」

「……は?ばっ……そんなこと――」

 あまりにも常識はずれの話に、鋼は思わず否定しそうになった。しかし、他ならぬ鋼の本能が、理解し始めていた。


 あの時の情景が、絶望が、再び鋼を襲う。

『願いが、読めない……!』

 泉里の目を見ても、髪を見ても、唇を見ても爪を見ても胸元を見ても、しまいには呼吸の間隔まで感じ取っても、一つもわからなかった。

 そして、今も。

 わかるのはたった一つ、灰色の何かが、彼女の中でうごめいている。ただそれだけだ。


「できますよ。神様はどんなお願いだって聞いてくれるんですから。私の願いをかなえるためには、そうするしか方法が無かったってだけの話です」

 鋼の理解を超えた存在が、目の前にいる。

「もうわかったでしょう?私が人を助けているのは、願ってそうなったからじゃない。死者の国に触れて、私はわかるようになったんです。鋼さんが人の願いを読み取れるように、私には〝死の匂い〟がわかる。死に近づいた人には、あの時、あの場所で嗅いだのと、同じ匂いがするんです」

 九次のことなど、もう鋼の頭には無かった。

「死の理由なんてわからない。死ぬ方法だってわかならない。それでも、放っておいたら、その人は確実に死ぬんです。理屈じゃなくて、わかるんです。どれだけ怖くて、どれだけ悲しいことか、鋼さんにわかりますか?わかるわけない!」

 こんな話があっていいのか?願いをかなえたかっただけなのに、一度死に、全く別の人間として生まれ変わらされるなんて。その上、死の匂いを感じ取れるようになってしまうおまけつきだ。あまりにも悲しく、あまりにも悲しい。

「人が死ぬことがわかるのに!私にはどうすることもできないんですよ⁉苦しくて苦しくて、毎日胸が張り裂けそう……!鋼さんの言う通り、私は不幸です。不幸ですよ!それでも、手の届く人くらい、助けたいじゃないですか!ちょっと声かけるだけで、〝死の匂い〟が遠ざかるなら、助けたいじゃないですか‼」

「……泉里」

「これが鋼さんが知りたがってた、私の!よくわからない!不幸な!願いの!正!体!です!あぁ……思い出したくなんてなかった……!さぞ満足でしょうね!」

 鋼は今になって思い知った。くだらない嫉妬なんかに囚われて、とんでもない過ちを犯してしまった。願いに取りつかれている?病気?その通りじゃないか。

「違うんだ、泉里。知らなかった、そんな――」

 鋼は力なく手をさまよわせた。

 泉里がその手を取ることは、二度となかった。

「さようなら!入川鋼さん!これからも、人の願いを暴き続ければいいんだわ!そうすることで、苦しむ人がいるなんて、一つも考えずに!」

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