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第六章 集い

 さて、情報をかき集めた鋼は、和達のコンビニに一番近い公園で待っていた。この公園は地下が駐輪場になっており、通勤通学で利用する人が多い。なお、杠京司がここで年間契約を結んでいるというのは、刑事が把握済みだった。

 公園自体を利用する人はほとんどおらず、すっからかんのがらんどう。枯葉が風に舞い、遊具が泣いている。道路を挟んで西側の、一級河川沿いの通りの方が、人で溢れかえっている。なにせ、あっちの方には廃墟のような世界遺産があるときた。国内外から観光客がわんさか訪れる。

 鋼は痛んだベンチに腰を下ろし――もう一つ、比較的綺麗なベンチがあるのだが、駐輪場の出入り口に近い――コンビニで買ってきたあんぱんと牛乳を取り出した。少し遅めの朝飯だ。

『えー、勤務シフトまでぇ?困るよぉ、ハガちゃぁん』

 和達から聞いていたおかげで、夜勤を終えた杠が、まもなく自転車を取りに来るのはお見通しだ。

 バリっという音を鳴らして袋を開き、ゴマの乗ったあんぱんを半分だけ空気にさらした。元来鋼はこしあん派なのだが、あいにく今日は粒あんしか売っていなかった。必要以上に主張してくる小豆を、奥歯ですりつぶしながら食った。

 ふと、見ていると、小さな女の子が公園にやってきた。親はいないのかと辺りを見回したが、特にそれらしい姿はない。まぁ、小さいと言っても小学校低学年に見えるし、ここは公園だ。別に不思議なことはない。

 女の子はしばらく、風に舞う枯葉を追いかけて遊んでいたが、飽きてしまったのだろう、鋼の選ばなかった綺麗なベンチによじ登った。

「ふうん」

 あれくらいの年頃が、一番人生を楽しめている。羨ましさで変なため息が出てしまう鋼だった。パック牛乳の口を器用に開き、あらかじめ飲んできたマスターのスコッチを中和した。

「あの」

 駐輪場の入り口を見ながら牛乳を飲んでいると、大人びた女性の声で話しかけられた。

「ここ、よろしいですか」

「むぐ……どうぞ」

「どうもありがとう」

 隣に座ったのは、それなりの身なりをした女のようだった。ふんわりと控えめな桃の香りがする。人工の臭いが苦手な鋼でも、不快にならない優しい匂いだった。とはいえ、鋼の視線は駐輪場の入り口にくぎ付けだ。誰が隣に座ろうと関係ない。

 女がカバンから何かを取り出し、その何かが実は大きくて重たそうな本で、高い紙特有の、重厚感あふれる音でページをめくろうとも、関係ない。はずだった。

「うわっ!」

 ふと女の顔を見た瞬間、鋼は牛乳を吹き出し、あんぱんを握りつぶした。かじっていた断面から、粒あんがにょきりと顔を出した。

 何を隠そう、女の正体は興梠泉里だった。あれから三週間と四日経つが、一カ月弱で忘れるような生易しい記憶ではない。

 それは泉里にとっても同じだった。しおりをはせることなんて露ほども考えず、分厚い本をバチンと閉じ、代わりにあっと口を開けた。

「うわっ!なんでいるんですか⁉ここに。警察で注意されたんじゃなかったんですか?二度と近づくなって」

 こんなことってあるか?鋼は天を仰いだ。枯葉が一枚、ふらふらと舞っていた。

「言われたよ。言われたが……今日は仕事で来てるんだ。別に、あんたの後をつけてきたわけじゃない。自意識過剰なんじゃないか?」

「そんなことありません……!」

 泉里はムッとして言い返した。それもそのはず、泉里にしてみれば、このあと雪歩と落ち合って、冬服を見に行く予定、ただそれだけなのだ。なぜ鋼がこんなところにいて、なぜ自分が悪く言われなくてはならないのか。

 鋼は早くも気を取り直し、飛び出たあんこをぺろりとなめた。お互い、会うつもりのないところで会ったのだ。これは不可抗力、だから、何の問題もない。すぐにバイバイすればそれで済む話だ。

「あっそ。じゃあ仕事の邪魔だ。あっち行った。あっちあっち」

 泉里のザクロ色の瞳が、鋼の中でトラウマのように渦巻いていた。怖いのか美しいのか、よくわからなくなって混乱する。

「なんですかそれ!」

「新道のおっさんと約束したんだ。あんたのそばには近づかないって。頼むからあっちにいってくれ」

「私、雪歩と待ち合わせしてるんです。ここで本読みたいんですけど」

 泉里が食い下がるせいで、鋼はその姿を否応なしに凝視しなければならなくなった。

 光の加減ではベージュにも見える、薄いピンクのダッフルコートを羽織り、その裾から白と黒のチェックのスカートが覗いている。スカートの丈がやたらと短く、寒くないのか疑問だったが、黒いタイツがすらりとした足を包み込んでいる。眼鏡はフレームの細いものを使っており、大学に行く時とは印象が全く違う。

 ひと時その姿に見とれた後、身震いをして鋼は答えた。見た目に騙されるな、このヒステリック被害妄想女に。

「わかった。だが、オレはここにいなくちゃ仕事にならない。本なんてどこで読んだって一緒だ。オレの知り合いは本の中で読んでるくらいだ」

 鋼はあんぱんの袋をくしゃくしゃに丸め、コンビニの袋に詰めこんでいる。その姿を見ながら、泉里は素朴な疑問を口にした。

「本の中……?」

「正確には、本に埋もれながら読んでる」

「えっ……、どういうことです?」

 やはり、泉里にはよくわからない。それもそのはず、鮫島の家を実際に見なければ、文字通り本に埋まっているなんて状況、そうお目にかかれない。

 鋼はもうちょっと説明してやろうかと思っていたが、すでに三分近く泉里の近くにいることになってしまった。警察から接近禁止の注意を受けている以上、これ以上余計な話をするわけにはいかない。仕事を振ってくれた新道に、会わせる顔が無くなる。

「なんでもない。オレが悪かった。あっち行かなくていいから、ちょっと静かにしてくれ。仕事が終わったらオレは離れる」

 鋼にしては珍しく、すぐに謝罪し、仕事に戻った。女の子はベンチを降り、再び枯葉を追いかけ始めている。駐輪場の入り口を見つめなおし、泉里に背を向けた。

 泉里は複雑な思いで願い探偵の背中を見つめていた。毎度毎度、しつこく突っかかって来るのが入川鋼という男だった。それなのに、急にしおらしくなるなんて……。時おり紙パックの牛乳を傾けるくらいしか、動こうとしない。

 よくわからない物足りなさが泉里を襲っていた。

 いや、まさか、そんなはずがない。あんなに失礼だった男だ。物足りないわけがない。例えるなそう――いつも隠し味に入れていたインスタントコーヒーが切れてしまって、苦みとコクが無いカレーが出来上がった――そんな感じだ。

「あの」

 結局、我慢しきれずに、泉里は声をかけた。

 鋼は胡乱そうに振り向き、泉里以外に声をかけてくる人間がいないことを確認した。間違っても、鋼の方から話しかけるなんてことがあってはならない。こっちはストーカー疑惑をかけられているのだから。

 しかし、どれだけ背後を見渡しても、そこにはザクロのような色をした瞳を持つ女、興梠泉里しかいなかった。凛とした佇まいに見入らないうちに目を背け、鋼は答えた。

「なんだ」

「他人の願いが――わかるんでしたっけ」

 鋼は途端にイライラした。いや、もちろん、こうやって質問されるのは初めてではない。ただ、ストーカーの告発をした泉里本人が話しかけてくるという事実が、どうにも納得いかなかった。

 オレが近付くのは禁止なのに、逆はOKなのか?気に入らねえ。

 飛び出そうともがいている悪態をなだめすかし、鋼は丁寧な回答に努めた。

「……そうだが?」

「なんでですか?」

 素直な質問の応酬に、また悪態が出そうになった。鋼はあわてて紙パックを傾け、牛乳で全てを飲み込んだ。

「なんでって……そういう風に生まれたからだ」

「そういう風って……願って手に入れたんじゃないんですか?その力」

 なんとなんと、オレも見くびられたもんだ……。鋼は、自分の自尊心が自己防衛システムを起動する音を聞いた。この女、オレのことを舐めてやがる。言ってやらねばなるまい、オレが、どれだけ優れた人間であるかということを。

 当然、杠のことなど頭から吹き飛んでいた。

「願う……?まさか。オレは誰よりも洞察力に優れ、誰よりも身体能力が高く、誰よりも抜け目のない男だ。願いなんて必要ない」

「またそれ……」

 質問したのが間違いだったかもしれない。泉里は深い後悔の念にさいなまれた。物足りなさはどこかへ消え失せた。むしろ、隠し味が隠れきれなくなり、強烈な個性を主張している。

「そうだ、それだ。オレは願いをかなえる必要なんてない。あまりに願いを言わねえもんだから、神の方からオレに会いに来たくらいだ」

「……ふうん」

「何度も会いに来て、その度に姿が違った。最初はなんか、霞がかかったって言うか、ぼやけてよく姿が見えなかった。で、聞いてくるんだ『鋼、入川鋼、お前はまだ、何の願いも言わないのか?』って。オレは言ってやったよ。『あぁそうとも、必要ない。なぜなら、オレは誰よりも――』」

「それはもういいです」

 泉里は適当にいなし、分厚い本を開いた。さっき読んでいたページはどこだったかしら、別のことを考えながら、重厚な音を立ててページをめくる。

「あっそ、とにかく断った。断ると、またあいつはやってきた。今度は鳩の姿だったな。なんでクチバシで喋れるのかわからねえが、それが神なんだろう。オレはまた断った」

 鋼の自尊心自己防衛システムは、絶賛フル稼働を続けている。というか、泉里が興味無さそうな態度を取るので、余計にヒートアップしている。

「何度断っても、何度も来た。その次はイエス・キリストの姿だったかな。ダヴィンチの最後の晩餐に出てくるイエス・キリストだった。たぶん、会う前日に見たからだ」

「フランスにいたんですか?」

「それはルーブルだ。モナリザの方だ。最後の晩餐があるのはサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、イタリアのミラノだ」

「はいはい、すいませんでした。どうせ私は無知ですよ」

 泉里は唇をとがらせ、ぷいっとそっぽを向いた。しかしなぜだか、愉快な気がする。得意げに言う鋼の顔が、無垢な少年のように見えてしまうのだ。とても楽しそうだ。

「仕事で、一時期ヨーロッパにいた。そのまた次は別の預言者の姿だったし、これまた別の時は仏陀の姿だった。仏さまってのは悟った()だろうが、神仏習合してるのは日本だけだぞ。まあ、日本人のオレの感覚に合わせてきたんだろうよ、あいつも」

 この世界においては、誰もが知っている神という存在。それをこんな風にけなす人がいるなんて。泉里はお腹の裏をくすぐられた気分になって、たまらずくすりと吹きだした。

「なんだか、すごく親しい人みたいに言うんですね、神様のこと」

「あぁ?親しくなんかねえよ。人より少し、会った回数が多いだけだ。どちらかというと……オレぁ、あいつのこと、嫌いで嫌いでしかたない」

「……どうして?なんだって願いをかなえてくれるんですよ?嫌いになる人なんて――」

「いるさ。ここに」

 突然、鋼は不機嫌そうに顔をしかめた。手に持っている紙パックを、中身が溢れるのも構わずに握りしめている。

「なんでそんなに、嫌うんですか?」

「オレにこんな力を与えたからだ……。力を与えて、生まれさせて、それ以外、何もしやがらねえ。なんでオレだけ他人と違う。なんでオレだけ、知らなくてもいいことを知ってしまう。なんでオレだけ……」

 鋼は、目の前で走り回っている小さな女の子を見つめていた。枯葉ではなく、どこからか出てきた黒猫を追いかけている。物心つき始める小学校低学年――嫌な過去がフラッシュバックする。


『あの子と遊んじゃダメよ』

『どーしてー?』

『変わってるから。関わっちゃダメ』


『ねえねえ、ヨシキ君は、どうしてそんなに足が速いの?あっ、神様にお願いしたんだ。すごいや、全然追いつけないもん』

『なんでそんなこと言うんだよ、お前』


『マジうぜー』


『なんでわかるわけ⁉キモいんですけど』


『お前のせいで!どうしてくれるんだよ!』


『入学が……』


『就職が……』


『彼女に振られた!お前ぇ!』


「――なんでオレだけ、一人……」

 気付けば鋼は、膝を、拳を、唇を……体のあらゆる部位をわなわなと震わせていた。ばちゃばちゃと落ちる牛乳で、足元の地面が薄茶色に変わっていた。

 神め。

 忌々しい、神め。

 今でこそ、この不思議な力で金を稼いているが、生まれてこの方、鋼には親友や恋人といった人間ができなかった。

 理由は明白だ。鋼にはわかってしまうのだ。


 わかるのは一つだけ。いつも、一つだけ。


 鋼にとっては、その一つだけで十分に呪いだった。いつも、忌まわしいと思っていた。

 泉里はそれ以上の追及をしなかった。鋼の顔に刻まれたシワは、泉里には理解の及ばない怒りと悲しみ、果ては苦しみまでも抱えていた。出会って三度目の自分が深く立ち入るべきではないと、瞬時に判断した。

「えー……えっと、それで、今日は仕事なんでしたっけ」

 気の利いた話までは思いつかなかったが、鋼が今にも叫び出しそうな顔になっていたので、とりあえず、気を逸らすために聞いてみた。

 走り回っていた女の子は不意に立ち止まり、胸元についている大きなポケットから、可愛いうさぎのポシェットを取り出した。黒猫に見せびらかすように、フリフリと降っている。黒猫は目を真ん丸にして、ポシェットの動きに合わせて顔を揺らしている。

 鋼は女の子から目を逸らし、泉里の方へ視線を向けた

「あ、あぁ、そうだ。仕事で来てる。新道のおっさんのおかげで、最近は警察から依頼が来る」

 鋼なりに一生懸命取り繕い、足元の茶色い液体を足で踏みつぶした。靴が汚れたが、地面は湿り気を持った土色に戻った。

 それは、それ以上踏み込むなという意思表示であると同時に、深く気にしなくていいという心遣いでもあった。

 泉里は微笑み、分厚くて邪魔な本をカバンの中にしまった。

「そうなんですか、じゃあ、今はまともなお仕事してるんですね」

「今は?いいや、いつだってオレは真面目に仕事してきたさ」

「えぇ~、それは違いますよ。絶対」

「絶対をつけやがったな⁉かぁ~!オレの真面目っぷりを知りもしないで!」

 不思議なことに、二人の距離は少しずつ縮まってきたように思える。一度壊れかけた場の空気を、お互いが修復しようとしているからだろうか。

「じゃあ、今日は何をしてるんです?私のことをつけてないっていうなら、どれほど真面目な仕事してるか、教えてくださいます?」

「はあ、仕方ない。本当は他言禁止なんだが……おい、誰にも言うなよ」

「いいですよ」

 気付けば、鋼も泉里も愉快そうに頭を付き合わせていた。

「今日、オレが追っているのは、この男だ。名前は杠京司、ここから歩いて十分のコンビニで働いてる男だ」

 だからこそ、鋼が差し出した写真と全く同じ顔をした男が、地下駐輪場に消えていったことに、二人とも気付かなかった。杠はなんなく自転車を取りに行けた。

「ふうん……この人のストーカーになったってことですか?」

「違うわ!いいか?ここ最近、ここら一帯でスリが多発してる。こいつはその容疑者だ」

 杠はボロボロのママチャリを押しながら、スロープを登り、地上に出てきた。ふと見上げた公園で、カップルと思しき二人の男女が、楽しそうに会話をしているのが目に入った。朝っぱらから、ちょっとムカついた。

「何か証拠があるんですか」

「いや、全くないわけじゃないが、決定打に欠ける。そこで、オレの出番と言うわけだ」

「〝願い〟ですか」

 杠の位置からは、二人の会話が聞こえない。まさか、自分の話をしているなどとは思わない。そんなことよりも、杠が興味を引かれてやまないのは、小さな女の子が黒猫の前でひらつかせているポシェットだ。もしかしたらあれの中に、百円でも二百円でも入っているかもしれない。そうであれば、今日の朝飯代を稼げる。

「その通り、こいつの願いは〝超人的な器用さ〟だ。手先の器用さでは、他の追随を許さない」

「それは……証拠を残さずにスリをするため、ってことですか?」

 男と女は相変わらず楽しそうに会話を続けている。杠が公園に入っても、気付きそうにない。非常にムカつくが、これはチャンスだ。また、誰にも気づかれずに仕事ができる。

「ひどい人」

 泉里は吐き捨てるように言い、顔を曇らせた。

 ここまで色々調べてきた鋼は、すかさず反論の弁を開始しようとした。

「……いや、こいつには、きちんとした――」

 その時だった。

 ドサリという音が響き、鋼と泉里は口をつぐんだ。

 目前に飛び込んできたのは、さあっと逃げていく黒猫だった。さっきまで、あの女の子と一緒にいた猫だ。問題なのは、その後ろ――

「ごめんね、大丈夫?ホントにゴメン――」

 どこかで見た顔だった。地面に倒れた自転車と、小さな女の子。その傍らにしゃがみこんでいる男。わざとぶつかったのではないのだろう。きっと、女の子が猫を追いかけようとして、交錯したに違いない。

 男は肩までかかりそうな茶髪で、右耳にピアスをしていた。大きな二重まぶたが特徴的で、女の子の頭を優しく撫でている。人当たりのよさそうな好青年だ。

「う、うん……ごめんなさい」

 女の子は上体を起こし、ぺこりと頭を下げた。男はにこりと笑うと、自転車を持ち上げ、川沿いの道へ行く。公園と歩道のはざまで、おんぼろ自転車のベルがチリリンと鳴った。

「ちょうどあんな感じの人ってことですよね。そんなわけないか、ちゃんと謝ってるし、あの人はいい人――」

 泉里は鋼の持つ写真を覗き込んだ。

 鋼もつられて写真を見る。

 そこには肩までかかりそうな茶髪で、右耳にピアス。そして――

「そうだな、いい人だ。小さい女の子とぶつかって、ちゃんと謝っ――」

――特徴的な、大きな二重まぶた。人当たりのよさそうな好青年だった。

「「はっ⁉」

 鋼と泉里は、ベンチを砕く勢いで立ち上がった。

 何たる失態。被害妄想女との会話に夢中になって、仕事をおろそかにするとは!

 なんてことなの、目の前で小さな女の子が襲われたのに、探偵なんかと話しこんで気づかなかったなんて!

 起き上がろうとしている女の子に飛びつき、鋼は肩をゆすった。

「おい!何か取られたもんはねえか!今の男に――」

 起き上がろうとしている女の子に飛びつき、泉里は聞いた。

「大丈夫?どこか怪我してな――ちょっと!あなたねえ!」

 ついでに鋼を注意した。

 本当に、探偵という生き物は、どうしてこうも無遠慮で失礼なのだろうか。女の子が怯えている。

「聞き方ってものがあるでしょう?」

「そんなことを気にしてる余裕はねえ!なあ、おい、何か――」

 泉里の忠告を半分と聞かず、女の子の肩をゆすり続ける鋼だったが、あることに気が付いた。

「おい」

 ない。

「おい、あれはどうした」

 ないのだ。

「ウサギの――」

 胸元のポケットに入れていた、ウサギのポシェットが。

「……さっきの!」

 泉里が叫ぶより早く、鋼は駆け出した。韋駄天のように速く走った。

 公園の出入り口を出て、左右を見渡す。男の姿はない。いや、男は川沿いの道に渡っている。世界遺産の方向に向かって、自転車を押して歩いている。

「待ておらぁ!」

 車に轢かれることなど全く考慮せず、鋼は歩道を飛び出した。クラクションを鳴らされた瞬間、身を翻した。が、轢かれた。

「ちょっと!大丈夫⁉」

 泉里は息を飲んだが、女の子からは見えないよう、自分の体で壁を作った。

「危ないじゃないか!急に飛びだすな!」

 衝突音と、運転手の大声。前を行く杠はそれに気付き、あわてて自転車にまたがった。なんどか足を踏み外すも、勢いをつけて漕ぎ始める。

「あぁ~ちくしょう!」

 あばらが逝った気がする。鋼はボンネットの上で悪態をつき、ついでにボンネットを叩いて凹ませ、飛び上がった。たった三歩で車道をまたぎ、川沿いの道へ入った。

 その後姿を見つめながら、泉里は小さな女の子を立たせた。女の子は、ポシェットが無くなったことにショックを受けているようだった。

「大丈夫?怪我は――」

「ウサギちゃん――」

 女の子は声を詰まらせた。泉里はその両手をぎゅっと握りしめた。幸か不幸か、外見上、怪我は見受けられない。問題なのは、心の傷の方だ。

「――ひっ……ウサギちゃん――」

「うん。ウサギさんね……」

「――ママに貰ったの……お小遣い……大事に……使いなさいって……うえぇぇぇん!」

 女の子はわっと泣き出した。泉里は女の子を引き寄せ、せっかくのおしゃれ着が涙と鼻水で汚れようとも、気にせずに抱きしめた。

 だがそれは、慰めの言葉をかけてやれないということの裏返しでもあった。抱きしめ、頭を撫でてやるだけで、なんと言っていいのかわからない。

鋼は男を捕まえるために追いかけたに過ぎない。警察の依頼だから、車に轢かれてでもなんでも追い続ける。ただ、この女の子が失ったものが、きちんと返ってくる保証はない。泉里は、自分の無力さを感じていた。

「泉里……大丈夫?」

 後ろから声をかけてきたのは、親友の雪歩だった。待ち合わせていた時間になったのだ。

「雪歩……」

「大丈夫?その子――さっきの……鋼さん?願い探偵の――」

 雪歩は探偵のことをしっかり覚えていた。今でもかっこいいと思っているし、名刺も大事にとっている。

 泉里は重たい本が入ったカバンを、親友に押し付けた。追いかけるのに、これは邪魔だ。

「ちょうどよかった!ゴメン雪歩、これ持ってて!」

「え?え?」

 雪歩は目を白黒させ、泉里のカバンを受け止めた。あわや落としそうになるが、地面スレスレで捕まえる。

「どういうこと?ねえ、鋼さんと会ってたの――」

 目を上げた時、すでに泉里と女の子の姿は消えていた。




「こらぁ!待て!」

 観光客でごったがえす川沿いの道を、鋼はひた走っていた。なんだってみんな、こんな朝早くから観光に来るんだ。昼間の混雑を嫌ったのか?結局朝も混雑してるじゃねえか!

「鋼さん!」

 後ろの方から聞こえた泉里の声に、鋼は顔だけで振り返った。泉里の胸元には、鼻水にまみれた少女がいる。

 その表情を見て、鋼はさらに加速した。

「野郎……絶対許さねえぞ!待て!待つんだ!――悪い、すまん、どいてくれ!」

 中国人の親子とフランス人のカップルを押しのけ、インド人の大家族を避けるため、ベンチを蹴って跳んだ。川沿いの柵を蹴って道に戻り。再び直進する。

 相手は自転車だが、鋼は誰よりも洞察力に優れ、誰よりも身体能力が高く、誰よりも抜け目のない男。これくらいの距離、速度、すぐに縮めてやることができる。

「う!お!お!りゃ!あ!あ!あ!」

 人間離れした追跡劇を、泉里は必死に追いかけていた。女の子を抱きかかえているため、なかなか追いつけない。

「ひいぃ!」

 杠は目をひん剥いて驚いた。後ろから追ってきた謎の男が、ぐんぐん近付いてくるからだ。こっちは自転車なのに、どれだけ速く走っているというのだろうか。

「くそっ!」

 そびえたつ巨大な世界遺産の前には、写真撮影をしている観光客が大勢いる。自転車はかえって邪魔になる。そう判断した杠は、自転車をかなぐり捨てて走った。

「あぁ⁉やっぱり持ってやがったな!」

 男の体が大きく揺れた時、上着の内ポケットから白いポシェットが顔を覗かせた。鋼は機関車のごとく鼻息を荒くし、周囲の枯葉を全部吹き飛ばした。

「どけどけどけどけぇ!」

「ひっ……!」

 杠は息を飲んだ。今までうまくいっていたのに、もうお終いだ!声に出しても仕方ない。心の中で叫びながら走った。

 しかし、願い探偵の追跡から逃れられる者など、この世に存在しない。

「こんにゃろぉぉ!」

「うわぁっ!」

 鋼はついに追いつき、杠に組み付いた。

 世界遺産に見下ろされる絶好のポジションで、二人の男はもんどりうって転がった。

「観念しやがれ!お前の負けだ!」

「な、なんなんだよ!警察か⁉」

「警察じゃねえ!願い探偵だ!」

 杠は懸命に逃れようとしているが、鋼に腰をがっちりと掴まれている。ただの若者では、この探偵を振り払うことなどできない。

「なんだなんだ?」

「おいおい、大丈夫か?」

 周りにいた観光客が、世界遺産そっちのけで見物を始めている。二人の男を囲うように、人の壁が出来上がった。

「鋼さん!……あっ」

 女の子をしっかり抱きとめたまま、泉里は人の壁をかき分けて進んだ。そして、鋼が犯人を捕まえていることを確認した。その手は、今まさに、ウサギのポシェットに伸びつつある。

「あぁ、よかった……よかったね、ウサギさん――」

 泉里が女の子に微笑もうとしたその時、杠が動いた。

「はぁ⁉く、くそ!こうなったら!」

 捕まるくらいなら捨ててしまえと、自暴自棄になったのかもしれない。もしくは、証拠隠滅でも図ったのか。いずれにしても、泉里は信じられなかった。こんなにひどいことをする人間が、この世に存在するなんて、信じられなかった。


 杠は投げた。ウサギのポシェットを、川へ投げた。


「あっ!てめえ!」

 鋼はすさまじい反射神経を見せた。杠の拘束をあっさりと解き、地面に這いつくばった状態から、二メートルは飛び上がった。

「あーっ!ウサギさん!」

 大事なポシェットが目の前を舞い、女の子は手を伸ばした。

 川の水深はそこそこある。大人なら足がつくが、子供では無理だ。泉里は女の子が落ちないよう、ぎゅっと抱きしめた。

「くっ……そおぉぉぉ!」

 ポシェットは柵を超え、川に向かって飛んでいく。それを追う鋼も、柵の上を飛び越えた。

「鋼さんっ‼」

 結末は、火を見るよりも明らかだった。見ていられなくて、泉里はザクロ色の瞳をぎゅーっと閉じた。

 杠は信じられない思いでそれを見ていた。


 鋼は、ポシェットもろとも川に落ちた。


「鋼さん!」

 女の子をおろし、泉里は走った。世界遺産の前だけは、川岸に降りられるように、階段がついている。そこを駆け下り、鋼を助けようと思ったのだ。

「あっ……」

 階段に足をかけた、まさにその時。しぶきを上げて鋼が現れた。へばりついたコートをものともせず、階段を上ってくる。

「鋼さん……」

 鋼はポシェットを持って上がらなかった。

 それが何を意味するのか、泉里はすぐに気が付いた。

「ウサギさん……」

 ポツリとつぶやく少女を見つけると、鋼は怒りの表情をスッと沈めた。膝をかがめ、目線を合わせ、頭を下げた。

「ごめんよ嬢ちゃん……ウサギさん……見つからなかった……」

「う……」

「いくら入ってたんだ?お兄さん、少ししか持ってないけど――」

「ウサギさん……ウサギさぁん……!えぇえぇえぇぇん!」

 女の子にはもう、鋼の声など聞こえていなかった。涙を流し、天を仰いだ。大きな声で、人目をはばからず泣いた。泉里は女の子の傍らに膝をつき、どうしようもなく頭を撫でてやった。

「うぇえぇぇぇん!いやあぁぁぁぁぁ!ウサギさぁぁぁぁぁん!」

 女の子の泣き声を聞いて、鋼はさらに怒った。鬼の形相とは、まさにこのことだ。鋼の顔は、今まで見たことのない怒りに満ちていた。鼻先からぽたぽたとしずくを落とし、ヘドロの臭いをまき散らし、歩いて行った。その殺気に当てられ、見物人はいっせいにに後ずさった。中心に残された杠だけが、啞然とした表情で見ていた。

「てめぇ……」

 今にも杠を焼き尽くしてしまいそうなほど、鋼の瞳は怒りに燃えていた。両手で杠の胸ぐらを掴み、自分の顔近くまで引きずり上げた。

 人間とは思えぬ鋼の視線を、杠は受け止めきれなかった。目を逸らしたが、逸らしてなお、鋼の怒りに体を焼かれた。

「お、俺を警察に突き出すつもりなんだろ……?証拠はもう無い。俺が盗ったって、どうやって証明するんだ?あんただって、見てない――」

 鋼は杠をぶん殴った。

 泉里は両手で口を覆い、飛び出そうとする声を押さえた。

「そこまで腐ったのか!えぇ⁉」

 殴られた上に揺さぶられ、杠の鼻から血が噴き出した。

「なんだよ、あんたに何がわかるってんだよ、ふが……冤罪だ……これは冤ざ――」

 鋼はもう一度杠を殴り、無理やり黙らせた。わからずやの若造に、言ってやった。

「わかるさ……オレは願い探偵だ。そんじょそこらのクズと一緒にするな!お前が昔、マジシャンを目指してたことだって知ってる!街に出て!失敗してぇ!家族と連絡を絶ったのだって知ってる……!」

「……えっ?」

 絞り出すような鋼の声に、泉里は顔を上げた。

 鋼は絞め殺す一歩手前まで杠を締め上げ、唾をまき散らして怒鳴った。

「親父さんに全部聞いてきた……!見る人を笑顔にするマジシャンに、心の底から憧れてたって……!そのための願いだったんだろ……!人を笑顔にするために!願ったんだろ!え⁉」

 杠はブルブルと震えていた。願いを知られたことに驚き、素性を知られたことにも驚いたからだ。だが、震えていた一番の理由は、そんなことではなかった。

「その結果がこれか⁉目をかっぽじってよく見ろ!お前が盗ったのは金だけじゃねえ!」

 鬼気迫る鋼の顔が、恐ろしいからでもない。

()だけ(・・)じゃ(・・))えんだ(・・・)……!」

 怒りに震え、かすれる声。その声の先に、目を腫らした女の子がいる。

 杠は、その顔をまっすぐに見ることができなかった。

 己の夢、浅はかさ。笑顔にするはずだった人々を、自分はいったい、何人悲しませたのだろうか。あまりに愚かで、恥ずかしくて、震えが止まらなかった。

「まだまともな頭が残ってんなら!警察が来るまでそこで待ってろ!」

 杠を乱暴に突き放し、鋼は立ち上がった。

 涙と鼻血をたらしながら、杠はうなだれていた。打ち捨てられた自転車のように、カラカラと、寂しい音で泣いた。

「鋼さん」

 目の前を通り過ぎる探偵に、泉里は声をかけた。

 鋼は何も答えず、黙々と階段を下りていく。その途中でコートを脱ぎ、一番下の段にべしゃっと叩きつけた。

「あの」

 泉里は、自分も階段を下りようとした。しかし、川底に足を突っ込んだ鋼は、鋭い眼差しで振り向いた。

「そこにいろ」

「でも――」

「いいから見てろ!その子を一人にするな」

 厳しい口調だったが、鋼の言葉には愛が溢れていた。

 なにがなんでも見つけてやる。泉里には、そう言っているように聞こえた。

「あと、親の連絡先を聞いて、呼んでやれ」

 鋼はポシェットが落ちた辺りまでばちゃばちゃと進み、ヘドロでぬかるんだ川底に手を突っ込んだ。

 泉里は、感謝と尊敬の念をもって頷いた。




「んん……!くっそぅ……!」

 川の水が冷たい。服を重たく濡らし、肌を突き刺すようだ。一番深いところで、鋼の腰ほどの高さまである。冷水に体力を奪われる前に、なんとしても見つけなければ。

「ウサギさん……」

 泉里は、大きく鼻をすすった女の子を後ろから包み込んだ。今度は、何を言ってやればいいか、分かっていた。

「大丈夫。お兄さんが必ず見つけてくれる」

 五分後、鋼の体が少しずつ震えだした。警察はまだ来ない。

 十分後、鋼は時おり、大きなくしゃみをするようになった。ポシェットはまだ見つからない。見物していた観光客たちは、徐々に離れていった。

 十五分後、ようやく警察が来た。覆面パトカーから降りた私服の刑事たちが、鼻血をたらす杠を見て、女の子を抱きかかえた泉里を見て、川底をさらっている鋼を見た。何も言わず、三人の刑事が川に入った。

 ニ十分後、杠が立ち上がった。泉里も刑事も警戒したが、その行く先はなんと川だった。袖で鼻血を拭い、黙って水につかった。

「あぁん?」

 鋼に睨みつけられても、杠は動じなかった。張り詰めた顔で、淡々と言った。

「俺が間違ってた。せめて、探させて欲しい」

 両手に泥を握りしめたまま、鋼は杠をジロジロと見ていた。しかし、それも時間の無駄だと悟り、すぐにポシェットの捜索に戻った。

「フン、勝手にしろ」




 そして、鋼が杠を捕まえてから、三十分が経とうとしたその時――

「あった……!」

 安堵のため息を漏らし、鋼はヘドロの中にへたり込んだ。

 高く掲げられたその手には、ドロドロになったウサギのポシェットが握られていた。

「ありがとさん、見つけたよ」

 鋼は一緒に入っていた刑事に礼を言い、ヘドロと格闘しながら川からあがった。川べりで腰をかがめ、汚いながらも流れている川水で、泥だらけのポシェットを洗った。

「ふう……」

 真っ白だったポシェットは、ちょっぴり茶色になってしまった。ウサギの顔も、心なしか沈んでいるように見える。

 若い刑事が一人、近くに寄ってきた。鋼は顔をしかめた。

「証拠品だって言うんだろ。ちょっと待ってやれよ」

「しかし――」

「なら今回の報酬は無しでいい。オレは返すぞ」

 それ以上議論の余地を残さず、鋼は階段を上った。

 寒さで体力を奪われ、服は水を吸って重い。凍てつく冬の風で、今にも悲鳴が出てしまいそうだ。それでも、一歩ずつ、力を振り絞って上った。一番上で待っている少女の下まで、一度も止まることなく上った。

 女の子は鼻水を光らせながら鋼を見ていた。見上げていた。その背中を、泉里がそっと押した。

 疲労困憊していた鋼だったが、にっこりと笑顔を作り、しゃがんだ。営業スマイルではない、本物の笑顔だった。

「ほら……ウサギさん。君のとこに帰りたいって」

 ウサギのポシェットを揺らし、さも喋っているかのように見せた。

 女の子は、ほけっとした顔でそれを見ていた。

 鋼は甲高い声色を作り、自分の顔の前で、ポシェットを動かした。

「僕、汚れちゃったよう!綺麗にして欲しいよう!お願い、綺麗に洗ってぇ~」

 大の大人がこんなに上ずった声を上げることなど、そうそうお目にかかれるものではない。

 泉里はプッと吹き出し、証拠品を気にしていた刑事たちも、たまらずニヤリとした。

 女の子は目を輝かせ、ひったくるようにポシェットを取った。

「うん!私が綺麗にしたげる!」

 鋼は嬉しそうに笑い、女の子の頭をわしわしと撫でた。

「おじさん!ありがとう!」

「おいおい、違うぞ?お兄さんだ」

「お兄さん!」

「その通り、大事にするんだぞ」

「うん!」

 女の子はキャッキャッと笑いながら走って行った。泉里が呼んだであろう、母親と思しき女性の足下に抱き着いた。

 女性は深々とお辞儀をした。

「入川さん」

 鋼のもとにやってきたのは刑事だ。鋼に依頼を出した、中央署の刑事だ。

「助かりましたよ、さすがです」

「いえ……実際に盗ったところまでは、見れてません」

「大丈夫ですよ。今まで前科前歴がなかったので、被害品を見つけても指紋がわからず……これで、他の事件の指紋と照合できます。おい」

 刑事は満足気に笑うと、部下に指示を出した。階段を上がってきた杠は両脇を抱えられ、わずかに残った見物人が焚くフラッシュにさらされながら、とぼとぼと覆面パトカーに向かった。

「すいません、一言だけ」

 鋼とすれ違う直前、杠は刑事に懇願した。

 空気を読んだ刑事はその場で立ち止まり、杠に謝罪の機会を与えた。

「すまなかった。あんたのおかげで、色々思い出したよ」

「あぁそうかよ」

「また一から出直そうと思う。ちゃんと働いて、被害者に弁償する。時間はかかるかもしれないけど、必ず」

 杠の顔は、晴れ晴れしくもあり、寂しそうでもあった。人の好さそうな青年は、本来の姿を取り戻したのかもしれない。

 だから、その横顔がパトカーの中に消える時、鋼は言った。

「おい」

 車に足をかけたところで、杠は止まった。顔は見せなかった。

「本気でそう思ってんのか」

「あぁ」

 消え入りそうな声で、しかし、しっかりと。杠は答えた。

「今度は忘れんなよ」

「……。あぁ」

 刑事に頭を押され、杠の姿は消えた。

 つむじ風と共に遠ざかっていく覆面パトカーを、鋼は見送った。

 その姿が嫌に決まっていて、泉里は目が離せなかった。


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