第二一章 永遠に
「んー!ほっ!」
「むむっ!おぉーっ!」
数日後のタルコナ。杠は新作マジックの練習にいそしみ、アルバイトの九次が、それに付き合っていた。
「どうっすかねぇ、インパクトの方は」
「んー、ちょっと弱いかなー、やっぱ鳩の方が……」
「おや、仕事してるねえ」
店の奥から出てきたマスターは、今日もタキシードをビシッと着こなしていた。オレンジの間接光により、ワックスで固めた髪が優しく照らされていた。
「いやー、ちょっと自信作なんで、見てくださいよぉ!きゅーじさん厳しくって!」
幾分か漫画の減った鮫島邸に、鋼は乗り込んでいた。
「おはよう鮫島君」
玄関から鮫島の元まですんなりと進めたことに喜びつつ、鋼はあいさつした。
回転椅子をきしませながら、鮫島は振り返った。
「何その本」
「白雪姫の原本」
「それは何かの当てつけかい?エーレンベルクの方?グリム兄弟の方?ていうか、そんなもの日本にあっていいの?」
鋼は苦笑いをしながら、持ってきた紙袋をガサゴソまさぐった。
中に入っていた箱を取り出し、鮫島の目の前に突きつけてやる。
「なんだそれは」
顔にめり込んだ眼鏡の奥から、疑り深い鮫島の目がキョロんでいた。
鋼は胸を張り、自信満々に言った。
「この間は世話になった。Kindleオアシスだ。遠慮せず、収めてくれ」
杠のマジックリハーサルはひと段落し、九次と二人、カウンター席に腰掛けていた。
「この前みんな頑張ったから、特別に――何か一つ、好きなカクテルをご馳走しよう」
マスターはパチンとウインクし、二人から注文を取った。
さすがの手際の良さで、杠には緑色の、九次には青色のカクテルを作ってやった。
郊外にある墓苑に、鋼は来ていた。
鋼に親族はいないが、ここに来なければならない理由があった。
新道家之墓
目の前にある墓には、そう刻まれていた。
桶に汲んできた水を柄杓ですくい、鋼はそっとかけてやった。
冬は終わりを迎えようとしている。桜に先立ち、梅がつぼみを膨らませている。きっとこれから、喉が渇くことも増えるだろう。
「なあおっさん」
鋼は一人、物憂げにつぶやく。
「あんたのおかげでオレは、自分に素直になれた――ふっ……なるのが少し、遅かったかもしれないが……それでも、前に進める気がするよ」
「ちょっと」
そんな願い探偵の後ろから、一言物申す影があった。
「なんで、私死んじゃったみたいな言いぶりなんですか」
「あれ?そう聞こえた?」
鋼はニヤリと笑い、振り返った。その先には――
フグのようにぷっくりと頬を膨らませた、興梠泉里の姿があった。
「ひどいんですよ!鋼さん、私が死んだこと、すぐネタにするんですから!」
泉里はぷりぷり怒りながら、墓の中の新道に行った。手には、買ってきた花が握られている。
鋼は花を半分ほど受け取り、泉里と手分けして活けた。墓の掃除をして、ピカピカのつやつやにしてやった。
「……ふう。こんなもんか」
鋼が額の汗を拭ったのを、泉里は嬉しそうに見ていた。
「……あの時の警察官だったんですね」
「あぁ……誰よりも正義感にあふれる警官だった。立派だったよ、おっさんは」
鋼はいつになく真面目な顔をしている。
「おっさんがいなかったら、オレはお前を助けに行けなかった。物理的にも、精神的にも。それに……オレに、願いをかなえるとはどういうことなのか、教えてもくれた」
「そうなんですね……」
「あれー?」
カクテルを半分ほど飲んだところで、杠が疑問の声を上げた。
今日はマスターも一緒に飲んでいる。カウンターの向こうで、透き通るようなカクテルを嗜みながら、杠の声に耳を傾けている。
「そういえば、鋼さんって、『ついに願いをかなえた』って、言ってましたよね」
「あー。確かに、言ってたな、あの後」
九次も頷き、カクテルをちびちびと飲んだ。
「結局あいつは、何の願いをかなえたんだろうな……だって、これは泉里から聞いた話なんだけど、『死んだ人間を生き返らせて欲しい』って願いは――」
「――ダメなんですよね。ええ、知っています」
マスターが人差し指を立て、九次の言葉を引き継いだ。
「え?え?でも、泉里ちゃん、確かにあの時、ヤバい状態だったって――」
「――それも知っています」
マスターは人差し指を強調し、杠の言葉も引き継いだ。
二人はマスターの一挙手一投足に注目し、出てくるセリフに耳をそばだてた。なんだか、大事な話をする気配を感じたのだ。
「私は、全て神様の仕組んだことだと思っています」
「え――神――」
「どういうことすか?」
「これはあくまで、私の仮説ですがね……おそらく、泉里さんの願いをかなえた時、神様にも予期していなかったことが起きた。泉里さんが、死に近づいた人間を感知してしまう能力を、偶然にしろ、なんにしろ、授かってしまった。このままでは、せっかく生まれなおしたのに、危ない状況にどんどん頭を突っ込んで行ってしまう。それは、神様にも不本意なことだったはずです」
「なるほど」
「でもそれは、泉里の話だ」
「そう、泉里さんの話です。それなのに、当の泉里さんには、もうどうすることもできない。なぜなら、願いを使い果たしているから。だから神様は、彼女にめぐり逢い、彼女の境遇を理解し、彼女が危険に陥った時には、必ず救い出してくれる――そんな人間を、生み出したのだと思いますよ」
マスターは得意げに言った。
それが正しいか、はたまた偶然の産物か、私は答えないでおこう。
しかし、杠と九次はその答えに満足し、顔を見合わせて笑った。
「なるほど!」
「深いな……」
「それはそうと、ねえ鋼さん」
泉里は少しもじもじしながら聞いた。後ろ手に持った柄杓を、必要以上に撫でつけていた。
「結局あの時――なんて願いをかなえたんですか?」
聞かれた瞬間、鋼は固まった。
数秒の沈黙を挟んだ後、そそくさと帰りの準備を始める怪しさだった。
「さあ!帰ろうか!」
「え。ちょ、ちょっと、鋼さん?」
「うんうん……って――マスター、鋼さんが何の願いをかなえたか、言ってないじゃないですか」
「あぁそうだ。それが一番気になるとこだよな。探偵に聞いても教えてくれないし」
カクテルを飲み干した二人は、口々に言った。
目下、鋼を取り巻く人々の、一番の疑問だったからだ。
マスター大きく咳ばらいをして、二人の噂話に終止符を打った。これまた仮定の話だったが、マスターには確信があった。
「二人とも、決まってるじゃないですか」
「「へ?」」
「眠れる美女を起こすのは、王子様のキスだと相場が決まっています」
「きゃー!ロマンチックっすね!」
「いや、それだけで生き返るってのは無理だろ。そんな願い方はない」
「えーっ?じゃ、じゃあ……鋼さんは、どうやって?」
マスターはふふふ、と笑い、最後にこう付け加えた。
「九次君の言う通り。鋼君は、泉里さんを生き返らせて欲しいとは願っていません。それは泉里さんの人生であり、鋼君の関与するところではないからです。だから鋼君は、神様にお願いしたのです――」
そう、こればっかりは認めよう。
マスターの言う通り、あの時鋼は、そう願った。
悔しかったので、その行為に具体性を持たせてやった。
だから鋼は、きちんとしたさ。
「ちょっ!鋼さん!逃げないで教えてくださいよ!」
「やなこった!自分で考えろ!」
泉里は鋼を追いかけ、鋼は泉里から逃げていた。いつかと立場を逆転させながらも、二人は心底楽しそうだった。
さあ、もう私は必要ない。マスター、締めくくってくれ。
――自分に、泉里さんを愛させて欲しい、と」
「鋼さんのケチ!けちんぼ!」
「なんとでも言え!はっはっはっ!」
「永遠に」