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第十八章 狙ったものは外さない

「ゔうぅぅ!」

 鋼は歯を食いしばり、両足をコンクリートにめり込ませるくらい踏ん張った。

 それでもペッグの力には抗えない。髪を引っ張られ、ペッグにとって一番殴りやすい位置まで、顔を持ち上げられた。

「くっ……!」

 別の意味で歯を食いしばったが、右頬に飛んできたパンチは予想以上に重たかった。目の前を星が飛び、上下左右がわからないほどふらついた。

 ようやく視界を取り戻したと思ったら、今度は左頬を殴られた。ぶっ倒れこそしなかったが、口の中に鉄の匂いが充満し、ぬるい液体が歯の隙間から零れ落ちてくる。

「んあっ……うぅ……はっ……はっ……ふう……」

 鋼は両手を上げると、ファイティングポーズをとった。願いをかなえているペッグとまともにやりあっても、絶対に勝つことはできない。願い探偵は、今までに蓄積してきた願いに関する情報を全てかき集め、閲覧し、打開策を探った。

 答えはすぐに出た。踏んできた場数が違う。

 しかし問題なのは、それを実行に移すには、人も時間もまるで足りないということだ。

「くそが!」

 果敢に飛びかかる鋼だったが、ペッグは驚異的に打たれ強く、鋼のパンチを頭突きで跳ね返し、鋼の蹴りをタックルで跳ね飛ばした。

 鋼は何度も倒れ、何度も膝をついた。その度に腫れ上がる箇所が増え、その度に血を失った。

 もはや、泉里どころか、生きることすら諦めてしまいそうだった。

「はあ……はあ……くそ……あぁ?」

 そんな、冷え切った鋼の心に、エンジンの振動が届いてきた。

 ブン、ブン、とアクセルを吹かせ、梅木九次が帰ってきたのだ。

「探偵えぇぇ!」

 ペッグに投げ飛ばされた時に頭を切り、左足は折れていた。

 それでも、九次の願いは効果を発揮した。もう一度かぶったヘルメット、そのバイザーの奥で、血が流れている。それでも、両足をつくことなく、バイクのバランスをとっている。

 コンクリートの上にタイヤの跡を残しながら、真っ赤なバイクは走りだした。ペッグの真正面に向かって、加速した。

 九次はブレーキを一つもかけなかったが、さらに恐るべきは、ペッグの力の強さだ。

 なんと、真正面から来たバイクを、両腕でがっちりと受け止めたのだ。

「くっそ……マジか!」

 ヘルメットで声をくぐもらせ、梅木九次は唸った。アクセルを捻り、どれだけガソリンエンジンを爆発させても、ペッグは揺らがない。ただただ、進むことのできないタイヤが、煙を上げ、ゴムを溶かしていく。

「そいつは絶対に喧嘩に負けないんだ!喧嘩が継続している限り、オレ達はそいつに勝てない!」

「わかったよ……だったら、お前は行け!」

 加勢しようとした鋼を、九次の言葉が跳ねのけた。

「こいつは俺が食い止める!お前は行け!」

「何言ってんだ!二人で策を練るんだ。なんとか、喧嘩以外の状況に追い込んで――」

「聞いてなかったのか!あと十分で出港するんだバカヤローッ!」

 傷跡から血が噴き出すのも構わず、九次は腹の底から声を出した。バイクのエンジン音がどんどん早くなり、甲高い音で泣き始めていた。

「策なんか練って間に合わなかったら……轢き殺してやるぞ!」

 ついにぷすぷすと煙を上げ始めたバイクを、鋼は唖然として見つめていた。

 このまま九次を置いて行ったら、絶対に死んでしまう。

 このまま泉里を追わなかったら、絶対に再会できない。

 人として、男として、どっちを選択すればいいのか、心底わからなくなってしまった。

 マヒしたように動かなくなった探偵を見て、九次はあきれたため息をついた。お互いに嫌いあっているはずなのに、何を心配しているのだ、このエセ探偵は。

 だから、教えてやった。

「お前が言ったんだぞ!」

 固まっていた鋼の指先が、ピクリと動いた。

「泉里を救えるのは、お前しかいないんだろ!」

 冷え切った心に、熱いガソリンが注がれた。

 鋼は頷き、九次も頷いた。

 二人の男は無言で別れの挨拶を交わし、それぞれの行くべき道を走った。




 サイモンはコンテナを持ったまま、スタスタと歩いていた。

 廃倉庫から船までの道には、誰も通らない場所を選んでいる。あとは、コンテナ船に見立てた運搬船に、商品を運び込むだけだ。

 鼻歌交じりに歩き、目的の船までたどり着いた。

 小型のコンテナ船ではあるが、その全長は百メートル弱、水面からの高さは四メートル弱もある。

 コンテナを積みこむためのクレーンはアームを遠くの方で垂らしているが、サイモンには関係ない。

 短く鼻を鳴らすと、船の横にかかっている縄梯子に手をかけた。一般人が誤って乗り込まないよう、タラップを使わないのがサイモンのやり方だった。それに、サイモンの願いをもってすれば――

「ふん」

――巨大なコンテナを手の上で弾ませ、扉についてある取っ手を掴み、引っ張り上げることもできる。

 そうやって、片手だけで縄梯子をゆっくり上り、最後は、コンテナを乱暴に振り回して甲板に叩きつけた。

「きゃあ!」

 コンテナの中から鮮度のいい悲鳴が聞こえてきて、サイモンはニヤリとした。

 この商品は、既に出荷方法が決まっている。外見がどれだけ傷ついても、内臓が無事なら問題ない。

「さて、と」

 ピースを咥え、火をつけた。この銘柄とも、しばらくはお別れだ。あとは、十分後にやって来るはずのペッグを回収するだけだ。

 それまでは誰も登ってこられないよう、縄梯子の回収を始めた。

 煙草を咥えたまま、両手でスルスルと巻き取っていく。願いのおかげで、とてもスムーズに持ち上げることができる。常人なら数分かかる作業を、サイモンはものの十数秒で終えることができるのだ。

 だが、サイモンには一つの誤算があった。それは――


――願いのせいで、重さを感じなくなっていたことだ。


 サンタもビックリのプレゼントだ。

 サイモンは、口に咥えていたピースをポトリと落とした。

「……ハァイ」

 血だらけの顔で笑うと、鋼はサイモンの顔面を思いっきり殴った。

 執念深い願い探偵は、梯子の一番下にぶら下がっていたのだ。

「ぐっ!おぉ……!」

 サイモンは甲板の上を転げまわり、あふれ出る鼻血を両手で押さえた。鼻の骨が折れる音がした。驚きと屈辱で、胸の奥に熱いものがこみあげてきた。

「えぇい……ふん!」

 サイモンが立ち上がるまでの間に、鋼は甲板によじ登った。そして、泉里の入っているコンテナにかぶりつくと、閉じられていた扉を開け放った。




 九次のバイクは、憎きペッグを倉庫の壁際まで追い込んでいた。

 しかし、エンジンの回転数は限界を突破し、今にも爆発しそうな熱量になっていた。

「んぐぐぐぐぐ!」

 それでもなお、九次はアクセルを全開にしていた。

 折れた左足では、まともにやりあうことすらできない。鋼がサイモンに追いつき、泉里を救い出すまでの時間を稼ぐには、バイクの力でペッグを抑え込むしかないのだ。

 どれだけ窮地に追い込まれても、ペッグは無言のままだった。額から汗を流したりとか、目を泳がせたりだとか、そういう動揺すらなかった。

 まず、右手でバイクのライトを掴み、次に左手でハンドルを掴んだ。

「え」

 驚く九次の前で、ペッグはバイクを持ち上げ始めた。自分の腹に前輪を当て、動力の伝っている後輪を浮かせたのだ。

「ウソだろおい……!」

 こうなると、バイクはただの重たい石と同じになる。どれだけタイヤを回転させても、むなしく宙を切るだけだ。

 ペッグは、壁際に追い詰められたことを最大限利用した。体を思いっきり右に捻り、バイクと、バイクに乗っている九次を壁に叩きつけたのだ。

「うっわっ!」

 間一髪、九次は無事な方の右足でバイクを蹴り、逃げ出した。かなりの高さからコンクリートに落ちたが、ヘルメットおかげで脳震盪は免れた。

 壁に当たったバイクはというと、前輪を支える支柱がねじ切れ、ボディは破断。見るも無残な残骸となって、廃倉庫の床に投げ捨てられた。

「ちょ――まだローン残ってんのに」

 舌打ちをする九次だったが、今現在、借金よりも自分の命が危ない。なんとか逃げたいところだが、折れた左足では、まともに立つことすらできない。

 ほふく前進のかっこうで逃走を試みるが、九次は訓練を受けた自衛隊員ではない。ペッグの歩くスピードにはかなわず、あっという間に追いつかれ、ライダースーツを掴まれる。

「くそっ、離せ!」

 幸か不幸か、ペッグは言うことを聞いてくれた。

 問題なのは、その方法だ。

 九次はミサイルのような速度で十メートルも飛び、廃倉庫の真ん中に着弾した。あまりの衝撃で、ヘルメットにひびが入った。

「あぅぅ……てて……」

 地面を這いずり回って逃げる九次だったが、ペッグは追跡の手を緩めない。巨体を最大限に生かし、大きな壁のようになって迫ってくる。たった一人で、アリの這い出る隙もない状況を作り出しているのだ。

「あ、あはは……」

 ついに倉庫の壁際に追い詰められ、九次はおどけて笑ってみせた。

 それも、ペッグがズボンの後ろに右手を持っていったところで終いになった。

 次に現れた時、ペッグの右手には、鈍い光を放つ、真っ黒な拳銃が握られていた。

 バイザーの奥にある九次の目が、キッと鋭くなった。全てを悟り、覚悟を決めた表情だった。

 ところが、だ。ペッグは銃を使わなかった。

 ちらりとそれを確認しただけで、元の尻ポケットに戻してしまった。無言のくせに、肩まですくめていた。

「は……なんだよそれ……」

 満身創痍の状態とはいえ、さすがの九次も頭に来た。

「こんな男一人、必要ないってか?」

 真っ赤なヘルメットを脱ぎ捨て、ペッグの分厚い胸板めがけて投げつけた。

 ペッグは微動だにせずそれを受け止め、ヘルメットはゲイン、と情けない音で跳ね返った。

 カツン、カツン、と転がっていくヘルメット。

 ズシン、ズシン、と近付いてくるペッグ。

 九次は胸ぐらを掴まれ、ものすごい力で引き上げられる。

 この世の見納めが、こんなフランケンシュタインみたいな男の、緑色の目だなんて。もっと彼女とかつくって、遊んでおけばよかった――。

 そうやって、少しばかりの後悔に身をゆだねていた時、信じられないことが起きた。

 ペッグが手を離したのだ。

「いでっ!」

 九次は地面に顔をぶつけた。怪我をした左足で着地してしまい、踏ん張れなかった。

 しかし、そんな小さな痛みなど、どうでもよかった。

 絶体絶命のピンチを覆す、来客が訪れたのだ。

 バイクよりも大きなエンジン音。いや、それは、排ガス規制前のエンジンだからこその、莫大な音量だった。

 年季の入ったスープラが、ペッグに向かって猛突進してきた。

 無言の巨人は、鉄の塊に向かって仁王立ちになった。まさかと思った九次だったが、ペッグには願いの力が働いている。

 その強さたるや、驚愕の一言に尽きる。3リッターターボエンジンで突っ込んでくる三代目スープラに轢かれても、ペッグはほんの数メートル後退するだけにとどまった。

 思った通りの成果が得られなかったのだろう、スープラは驚いたように急ブレーキを踏み、九次の目の前で止まった。

 すぐさま助手席のドアが開かれ、若い男が飛び出してきた。

「大丈夫っすか!」

 降りてきたのは杠京司だった。倒れた九次に駆け寄り、抱き起こそうと試みた。

「待て、待ってくれ……あいつは……」

 九次は杠の手を押しのけ、ペッグを見ろと指さした。今やってきたこの来客たちには、あの男の願いがわかっていない。

「ど、どうしたんすか、早く……」

「いや、いいから俺の話を――」

 二人がバタバタやりあっているのを見て、運転席からマスターが下りてきた。

「梅木九次君だね。遅くなってすまない。鋼君はどこへ行った?」

 ビシッと着こなされたタキシードを見て、九次はすかさず言った。この人なら、俺の言うことをわかってくれるはずだ。

「あの男は絶対に喧嘩に負けない!だから俺が残ったんだ!」

「なんだ――なんだって⁉」

 九次の言葉の意味を瞬時に理解し、マスターはペッグに向き直った。

 幸か不幸か、ペッグがちょうど、拳銃を抜き放ったところだった。

「はっ……!杠君!」

 叫ぶが速いか、マスターは運転席のドアをパッと開いた。その直後、耳をつんざく射撃音が鳴り響き、鋼鉄のドアに鉛の玉が直撃する。

「う、うわわわわ!」

 反対側では、杠が助手席のドアを開け放ち、大慌てで九次を引きずっていた。

 九次を狙って放たれた銃弾が、誰もいなくなったコンクリートで跳弾し、倉庫の壁に穴をあける。

「や、ヤバいっすよぉ!ふんぬ!」

 九次を助手席まで押し上げながら、杠が叫んだ。その耳元で窓ガラスが砕け、作業は一時中断を余儀なくされた。

 マスターは考えていた。必死に考えていた。大男はスープラで轢かれたのにピンピンしている。

 考えろ、考えるんだ――絶対に喧嘩に負けない男を止めるには、どうすればいい?

 わずかばかり有利な点があるとすれば、それはマスターが、誰よりも人の願いを見てきた〝願い探偵〟入川鋼と、長い間親交を持ってきたということだ。

 マスターは一つの仮定にたどりついた。

「杠君!」

 ドアの影に隠れたまま、マスターは叫んだ。次々と銃を撃たれているので、叫ばなければ声が届かなった。

「なんすか!」

 杠も叫んだ。ほとんど怒鳴っていた。

「レスキューハンマー取って!」

「はい⁉」

「コンソールに入ってる!」

 レスキューハンマーとは、緊急時に車の窓ガラスを割ることができる、先端が尖ったハンマーのことだ。

 助手席に半分体を預けていた九次の方が、杠よりもコンソールに近い。九次はすぐにコンソールボックスを開き、中をまさぐった。

 マスターはきちんと整理整頓をする男だったから、コンソールには余計な物が何も入っていなかった。折り畳み式の小さな地図、ミニ懐中電灯、予備の電池が数個、そして青いレスキューハンマー。

「これを!」

 今しかない!九次はハンマーのグリップを握り、マスターの方へ伸ばした。ペッグは弾を拳銃に弾を込めなおしている。一発ずつ弾を装填しなければならないリボルバータイプのため、太い指が幸いし、もたついているのだ。

「ありがとう!」

 マスターはハンマーをパッとつかみ、窓ガラス越しにペッグを見た。

 弾の装填はまだ続いている。かなり大きな隙と言っていいが、一発ずつ装填できるが故、装填中でも咄嗟に撃つことができる。不用意に接近はできない。

 だからこそのハンマーなのだが、果たして、自分の仮定が正しいかどうか……しかし、迷っていても進展はしない。先に行ったという鋼も気になる。どうにかこの男を倒さなければ、こちらの命も危ない。

 意を決して、マスターはドアの影から顔を覗かせた。そして、弾込め中のペッグめがけて、ハンマーを思いっきり投げつけた。

 ペッグはマスターはの投擲に気付き、無言でレスキューハンマーを見つめた。


 それがダメだったのだ。


 ハンマーはペッグの額にぶち当たり、強烈な衝突音を残した。

 九次と杠が、フロントガラスの端っこから恐るおそる顔を覗かせ、結果を見守っていた。マスターも、運転席ドアの傍らに立ったまま、ペッグの様子を観察していた。

 が、結果は火を見るよりも明らかだった。ハンマーは特に効果を発揮しなかった。一番尖った、当たると死の危険がある箇所が当たったのに、だ。

「あー……」

 すごすごと退散するマスターを狙って、再び銃撃が開始された。九次と杠は我先にと頭を下げた。

「ちょ!ダメじゃないすか!」

「だからダメだって!あいつは絶対に喧嘩に負けないんだ!」

 二人はマスターに罵声を浴びせ、降り注ぐガラス片から頭を守った。フロントガラスが粉々に打ち砕かれた。

「わかってるよ!わかってるって!」

 マスターはムッとして言い返し、次の一手に出た。

 今度は自らコンソールに手を伸ばし、ミニ懐中電灯をひっつかむという選択をとったのだ。そして、ドアの影に隠れたまま、当てずっぽうにそれを投げた。


 それがよかったのだ。


 懐中電灯は摩訶不思議な軌道を描き、重力ターンをする宇宙船のように、加速しながらペッグを襲った。

 ペッグは予想外の出来事に目を見開き、その左の一つに懐中電灯が直撃した。

「うぐおおおおぉぉぉ!」

 三人は初めてペッグの声を聞いた。苦悶の叫びだった。

 仮説は正しかった。マスターはガッツポーズした。

「効いた!」

 ペッグは左手で顔を押さえ、うずくまっている。

 九次は驚き、足が痛むのも忘れて飛び出した。チャンスだと思った。

「真っ向から対峙するから喧嘩になるんだ。全然関係ないところから来た飛来物なら、喧嘩なんてできない!杠君!」

「はい!」

 マスターの声に押されるように、杠も走り出した。九次に追いつき、二人そろってペッグに組み付いた。

「うーっ!あぁーっ!」

 目の痛みで我を忘れ、ペッグは暴れまわっていた。拳銃の引き金は握りっぱなしになってしまい、次の一発を撃てずにいる。

「この……!」

「うぅ……!」

 九次は左腕に、杠は右腕に。圧倒的なパワーを持つペッグに振り落とされないよう、しがみつき、絡みつき、噛みついていた。

 二人が離れないことを悟ると、ペッグは両手を代わるがわる地面に叩きつけ始めた。

「あっ――ふん――ぬゔ――んふ――えぐっ!」

「ひぃ――ゔぇ――ふう――ぇゔ――ごふっ!」

 二人とも、何度も背中と頭を強打し、意識が飛んでしまいそうだった。

 そんな中、超人的な器用さを発揮したのは杠京司だ。呼吸ができないほどの衝撃、髪が逆立ち、鼻血を噴き出してなお、ペッグの右手から拳銃を盗み取った。

 ペッグは驚き、両腕をぶつけ合わせた。九次と杠はお互いの体でぶたれ、地面に転げ落ちた。

「ぐぐっ……くっ……」

 根性だけで反転し、地面を這って進む杠を見て、ペッグは右足を踏み出した。

「ぐあぁぁっぁ!」

 二メートルはあろうかという巨体の、全体重をかけられ、杠の背骨がミシミシと嫌な音を立てていた。

「やめろおぉぉ!」

 さらなる追撃を許すまいと、九次がカエルのように飛び跳ね、もう片方の足にしがみついた。

 ペッグは左足の重りに戸惑い、杠から拳銃を奪いそこなった。

「マ……スター!」

 杠はコンクリートの上に拳銃を滑らせた。

 拳銃は願い通りの器用さで滑っていき、運転席ドアの下をすり抜け、マスターの足下で止まった。

 目にも止まらぬ速さで、マスターは銃を握った。

「コルトパイソンか……また当たらない銃を持ってるね――」

 射撃がぶれないよう、ドアに背中を預けゆっくりと深呼吸をした。ペッグたちがいるのとは逆方向に、銃口を向ける。

「マスター!マスター!早く……あああ!」

 杠の骨という骨が、身の毛もよだつ音できしみ、マスターの耳の裏をチクチクと刺した。

「おい!早くしろおぉぉぉ!」

 左足に巻き付いたまま、九次が懇願した。ペッグにボコボコに殴られ、顔の形がどんどん変わりつつあった。

「頼む……早く……はや――」

 もうダメかと思われたその時、二発の銃声が鳴った。

 息つく間もなく金属のはじける音が聞こえ、鉛の軌道が歪む音になった。三度か四度の跳弾を経て、マスターの放った二発の弾丸は、ペッグの両足に当たった。

「うわっ!」

 目の前にあった太ももからドバっと血が噴き出し、九次は咄嗟にペッグから離れた。

「へっ――」

 勢いを殺された銃弾が背中にポトリと落ち、杠は首を傾げた。


 数秒後、両足からだくだくと血を流し、ペッグが倒れた。

 その巨体で地面を震わしてなお、やっぱり最後は無言だった。


「「わ、わーお……」」

 二人は、色んな意味で生きた心地がしなかった。

 まさに神業だった。マスターは――九次と杠の頭が数センチ先にあったにも関わらず――太ももにある一番強靭な骨を、寸分たがわず射抜いたのだ。

 ドアの影から出てきたマスターが、銃口から上がる煙をフッと吹いた。その仕草は、ダンディズムに溢れていた。

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