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第十七章 スラム育ち

「うげっ!」

「ぐあっ!」

 ペッグに投げ飛ばされ、鋼と九次はそろって呻いた。固い倉庫の床に頭をぶつけるのはこれで二度目だが、二人とも、泉里を失ったショックで倍の痛みを感じていた。

「おいおいペッグ……本当に逃がすやつがあるか」

 コンテナの扉にロックをかけながら、サイモンがつぶやいた。

 ペッグは無言のまま首をかしげている。

「一番やっかいな女をようやく捕まえたのに、目撃者を残しちゃなんの意味もない!」

「やっかい……?」

 サイモンの言葉に、鋼はひっかかりを感じていた。それはまるで、泉里の存在を、以前から知っていたような口ぶりだった。

「なんだお前、たまたま泉里を狙ったんじゃねえのか」

「鋭いな。さ、す、が、は、探偵だ」

 サイモンはコンテナに寄り掛かり、煙草の角をトントンと叩いた。

 よろよろと立ち上がる鋼を尻目に、飛び出してきたピースを一本手に取り、口に持っていく。

「我々の商売は、君達の知る所だろう。世間でも、だいぶん騒がれてしまっている。それでも続けるのは……これが、死ぬほど儲かる稼業だからだ」

 ピースの先端に火を灯し、サイモンは至極の一口を吸った。

「ところがだ。最近、我々の仕事がぁ……空振りに終わることが多くなった。最初はこのペッグがしくじっているものだとばかり思っていたが……どうやら、聞いてみたところ、毎度毎度、職場にぃ……一人の女が現れるそうじゃないか。それも、同じ女が、だ」

 言葉の合間合間に吐き出された煙で、サイモンの青い目がくすんで見える。

 鋼は、こめかみをピクピクさせながらそれを見ていた。

「それが泉里だった」

「その通りだ。入川鋼君」

「当然のようにオレのことも知ってるか」

「我々も相当な時間を費やした。だが、最後は彼女にたどりついた。ついでに、彼女の周囲についても調べさせてもらった」

「泉里は死に近づいた人間がわかる。だから、放っておいても、てめえらの方に近づいて行っちまう。後は尾行でもなんでもやりたい放題ってことだ」

「またまたその通りだ。彼女は放っておいても我々の方に近づいてきてくれる。どういう訳か知らないが、我々がさらおうとした人間に近づき、我々は、さらうタイミングをことごとく外してしまった」

 鋼は、今まで見てきた泉里の声かけを思い出してみた。女子高生にハンカチを差し出した時、自殺しそうな女に声をかけた時……どの時だって、現場にはあの、黒いバンがいた。今日鋼をひき殺そうとした、あのバンが。

「そうか……力の弱い女が、一人になったところを狙う。それが手口か。それで今まで、捕まらずにやってこれた」

「君は本当にすごいな、入川鋼君。どうやら、わかるのは他人の願いだけじゃないらしい」

「なんだ?なんだよ!」

 置いてけぼりを食らった九次が、鋼とサイモンの顔を代わるがわる見た。九次にとっては、幼馴染をさらわれた、それだけなのだ。二人が何の話をしているのか、さっぱりわからなかった。

 サイモンはすました顔でタバコをたしなみ、鋼はサイモンを殺したくてかなわない表情をしていた。

「ますます、生かしてはおけないな」

「そんな身勝手な理由で、泉里をさらったのか!」

「ペェッグ――」

「絶対に許さねえぞ!」

「――殺せ」

 細く切れた青い目は、狂気の光を宿していた。ピースが燃え上がり、先端から灰が落ちた。

「殺せ!一人残らず!」

 主の命令が下り、ペッグは悠然と二人に向き直った。ズシンズシンと、音を立てて歩き出す。

「泉里を返せぇ!」

「あっ、おい!」

 鋼が飛び出し、遅れて、九次も駆け出した。

 鋼には、ペッグほどの大男ですら眼中にない。コンテナに寄り掛かり、のんきに煙草を取り出しているサイモンも違う。

 目指すべきは、その後ろ。

「「うおおおぉぉぉ!」」

 ペッグの両脇を走り抜けようとしたが、太くてたくましい二の腕を差し出され、あっけなく止められた。

「ぐえっ!」

 反対側の腕に止められた九次は反動で後ろに吹き飛んだが、鋼は根性でペッグの腕に巻き付いた。そのままズリズリと足を動かし、突破を試みる。

「くそっ!泉里!離せ!離せぇ!」

 鋼はペッグの二の腕をボコボコに殴ったが、まったく効果が無い。ペッグの腕は吸盤でもついているかのように吸い付き、鋼を離さない。

 どれだけ抵抗しても事態は好転せず、最後はペッグに抱きかかえられるように持ち上げられ、ハンマー投げのように投げ飛ばされた。

「いっつ~!」

 願い探偵が地面に激突すると同時に、梅木九次は立ち上がった。手には、バイクのヘルメットが握られている。

「おら!」

 九次は右手に持ったヘルメットを思いっきり振りぬき、ペッグの顔をぶった。ボコォン!というちょっとヤバめの音も響いたし、ペッグの顔は右に九十度傾いた。

 だから、かなりの手ごたえを感じて、追撃をしなかった。

 それが間違いだと気付いたのは、ほんの五秒後だった。

「……え」

 ペッグの顔が、さびたブリキの兵隊のように、ギギギ、と返って来た。ヘルメットの当たった左頬は真っ赤に腫れ上がっているのに、緑色の瞳は、怒りも苦しみも宿していなかった。

「ぅわ!」

 ペッグに両肩を掴まれ、九次は放り投げられた。

 両手をバタつかせたせいでヘルメットを手放してしまうわ、先に倒れていた鋼の上に着地するわで、散々だった。

「いってぇなお前!よく見て落ちろ!」

「悪かったな!先に倒れてるって知らなかったんだよ!」

 お互いを罵りあいながら、二人は立ち上がった。

 何度も何度もコンクリートに頭をぶつけ、心底参っていた。ゼエゼエと息をつきながら、相手の隙をつくことができないか、様子をうかがう。

 ペッグはどっしりと構えたまま、その場を動く気配がない。

「あの男、タフすぎじゃないか?ヘルメット(ヘッチン)で殴ったんだぞ?」

 九次の指摘で、鋼の頭の中に嫌な予感が駆け巡った。すぐさまペッグの全身をくまなく観察し、その願いを探る。

 がっちりした二の腕、胸筋……足先に至るまで、筋肉の塊だ。サイモンよりも長めの金髪は逆立ってツンツンしており、太い顎がフランケンシュタインのようだ。それでいて、緑色の目がどことなく優しさを感じさせる……あぁ、なんてこった。

「まずいぞ……」

「は……?」

「この男……こいつの願い……〝絶対に喧嘩に負けない〟だ!」

「ほう!」

 ピースの煙とともに吐き出されたサイモンの歓声が、鋼の答えが正しいことを証明していた。

「すごいな。願い探偵の力は本物か!」

「まじか……そんなのありかよ」

 頭を抱える二人に、絶対に喧嘩に負けない男が近付いてくる。

 大ぶりで繰り出される拳を、九次は横っ飛びで、鋼はしゃがんでかわした。二人は交互に立ち位置を入れ替えながら、ペッグの大きな体を殴り、蹴り、また殴った。

 ペッグはひるむことなく腕を振り回し続け、かわされてもまだ続け、殴られても、蹴られても続けた。

 鋼と九次は体力をどんどん奪われていき、動きが鈍くなっていく。

 まずやられたのは九次で、背中をむんずと掴まれ、投げられた。倉庫の壁に叩きつけられ、気を失ってしまう。

 その隙をついてペッグのデカい顎を殴りつけた鋼だったが――ペッグは何食わぬ顔で鋼を見降ろし、その懐に膝蹴りをお見舞いした。

「うっ!ぐぅぅえ!」

 鋼は倒れ、両手両膝を地面についた。肺を潰されかけ、一瞬、呼吸ができなかった。

「はあっ、はあっ……うあああぁぁぁ!」

 一生懸命酸素を取り入れようとしていたのに、ペッグに髪の毛を掴まれ、無理やり顔を上げさせられた。

「あぁ……うぅああ……」

 人間という生き物は、髪の毛を掴まれると身動きが取れなくなる。誰よりも洞察力に優れ、誰よりも身体能力が高く、誰よりも抜け目ない鋼でも、身体の仕組みを覆すことはできない。

「はあ……はあ……あぁ……」

 サイモンが近付いてくる。膝を曲げ、顔を近づけてくる。

 見たくもない顔を見せられ、かぎたくもないピースの匂いを充満させてくる。

 鋼は顔をしかめ、息を止め、サイモンの嫌がらせに耐えた。

「願いはわかる……にわかに信じがたい力だが、それが、君の願いだということか?入川鋼君」

「はっ!……バッ……カが!オレはまだ願いをかなえちゃいない……!はあ……なんだぁ?お前は。〝どんなものでも持ち運べる〟?こいつに比べたらマシだが、くだらないことに変わりはねえな!オレは、もっと美しい願いを知ってる!」

「美しい……?」

「あぁ……死んだ親に会いたい、我が子を思う親の願い……家族を養うための、どうしようもない願い!それに比べてなんだお前たちは……自分のことばっかり……クソ野郎とクソ野郎だ!」

「はっはっはっ……バカな願いだと思うか?……安直な……子供の考えそうな願いだと……?」

 すっぱいレモンでも食べたかのように、サイモンは口をすぼめて言った。肩をすくめ、首も振っていた。

「とんでもない!我々にとっては、それこそが生きる術だった!」

「ぐっ!」

 サイモンに目配せされたペッグに引き倒され、鋼は鼻っ柱をコンクリートに打ち付けた。

 ペッグは続けざまに鋼を殴りつけ、大きな体の体重を全部預けられた願い探偵は、立ち上がる気力を失った。

「俺とペッグは……汚い、薄暗いスラムで生まれ育った……!そこでは、一日一日を生き延びることが、まさに戦いだった」

 サイモンは短くなったピースの、最後の一口を吸いながら、すっと立ち上がった。

「幼かった俺たちは、力を合わせて生き残ることにした。ペッグはとりあえずの力を願い、俺は……金を稼ぐために、願いを温存した」

 鋼の見ている前で、サイモンはコンテナに手をかけた。その表面を撫でるように、べたべたと、汚い手つきで触っていた。

「そして、十七になった年、俺はついに願いをかなえた。〝どんなものでも持ち運べる〟……近海まで船を寄せれば、何百キロの金だろうが、銃だろうが(やく)だろうが、俺は持ち込めた……」

 サイモンはピースをコンテナに押し付け、火を消した。そして、鋼の目の前に放り投げた。

「ピイィース……この意味がわかるか?入川鋼君」

 ペッグに髪を掴まれたままでは、顔を動かすことができない。鋼は目だけを足下に向け、くすぶっている吸い殻を見つめた。

「平和だよ、まごうことなき!平和だ!」

 サイモンは声高に叫んだ。

「日本は平和ボケしすぎている!最高だ!我々からしてみれば、天国のような国だ!見てみろ、行方不明がどれだけニュースで騒がれても、みんな他人事だと思ってる。警察は厳しい要件を満たさなければ、銃を撃つことはおろか、構えることすらできない。しかも、ひとたび銃を使えば、その使用判断が正しかったのか、裁判にかける輩が出てくる始末だ!ならば、市民はどうやって身を守る?護身用にスタンガンを持つことが許されず、その携帯が犯罪に問われるような法律がまかり通っている、この国で⁉防犯ブザーだけで、どうやって悪人を撃退するって言うんだ!ええ⁉」

 独演会を終えると、サイモンはコンテナを持ち上げた。フォークリフトでなければピクリとも動かないであろう、巨大で重たいコンテナを。

「随分と稼がせてもらったぁ……これまでも、そして――これからもだ」

 狂気の笑みを浮かべ、サイモンは身を翻した。

 料理を運ぶウエイターのように、片手でコンテナを持ち、スタスタと歩いて行く。

「ペッグ――」

 サイモンは廃倉庫の出入り口で立ち止まり、コンテナを持っていない左手で時間を確認した。

「――十分後に出港する。そいつを始末してこい。間に合うことを祈っているぞ、友よ」

 一見すると無慈悲にも思われる言葉だったが、ペッグは無言のまま頷いた。これこそが、サイモン達が捕まってこなかった秘訣であり、生き残るための掟だった。〝商品〟が日本の領域から出てしまえば、警察は、サイモンに繋がる証拠を掴めなくなってしまう。

「くっ……!待て!泉里を返せ!待てぇぇぇぇ!」

 ペッグの手の中で、鋼は絶叫した。

 しかし、廃倉庫から出て行くサイモンを止めることは、最後まで叶わなかった。

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