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第十六章 出荷準備

 港にたどりつき、8140のミニバンはようやく止まった。

 半壊状態でここまでたどり着いたのが、泉里には信じられなかった。

 再び自分から〝死の匂い〟が漂っていることに気付いていたが、それどころではなかった。車から弾き飛ばされた鋼のことが心配だったし、鋼とは別のところからきた〝死の匂い〟も心配だった。果たして、あの突っ込んできた車の運転手は無事なのだろうか?

「出ろ」

 大柄な外国人に足枷を外され、押し出され、泉里は足をもつれさせながら車を降りた。口を開いたのは、何故か運転手の方だった。

 すぐに辺りを見渡してみたが、どうやらここは、既に使われなくなった倉庫の前のようだ。

 倉庫の壁はあちこちはげかけ、潮風による錆もひどい。人通りは全く無く、今この場にいるのは、運転手だった男と、泉里の隣に乗っていた大柄な男、後は泉里だけだ。

 泉里は無言で大男を睨みつけてみたが、相手は意に介していない。無言のまま、倉庫の入り口を顎で指した。

「早くしろ」

 喋ったのは、やっぱり運転手の方だ。車から降りてきて、泉里に向けて拳銃を突きつけた。

 泉里は諦め、大人しく従った。

 一歩、二歩、相変わらず両手を縛られ、猿ぐつわまでかまされたまま、少しずつ進んで行った。

 運転手の男は倉庫の入り口に駆け寄り、その古いシャッターを、ゴンゴンと大きな音で叩いた。すると、シャッターがギイ、ときしみながら開き、真っ暗な闇をさらけだした。

「入れ」

 車も入れるくらいの大きな口が、がっぽりと開いている。その闇に向かって、泉里は、一歩、二歩と、少しずつ進んで行った。

 倉庫の中は、もぬけの殻だった。

 唯一、大きなコンテナが中央に鎮座しており、窓から入って来る太陽の光で、ところどころが照らされていた。

 泉里が首をかしげていると、倉庫の入り口から、たくさんの男が入ってきた。数は四、五人といったところだ。めいめい殺気立っており、廃倉庫の中にピリピリした空気が漂い始める。

男たちが泉里を取り囲むのを確認すると、大男は泉里に寄っていき、猿ぐつわを外した。

「……私をどうするつもり?」

 手枷はそのままだったが、ようやく喋ることができた。泉里は大男の目を見て聞いた。

 大男は相変わらず無言だったが、その目は、優しそうな緑色をしていた。

 だから、ついつい、強気になって叫んでしまった。

「なんとか言いなさいよ!鋼さんを、あんなこと――」

 すかさず、大男の張り手が飛んで来た。

 泉里は頬をぶたれ、あまりの痛みに目をつぶった。茶枠の眼鏡はどこかへ飛んでいった。

「余計な口を叩くな」

 大男の代わりに、運転手の男が注意を飛ばしてきた。泉里は周囲を取り囲んでいる男たちを順番に睨みつけ、出来得る限り反抗の態度を示してみせた。

「さあ、入れ」

 運転手の男は、泉里に拳銃を向けたまま、コンテナを目線で指した。

 コンテナには、人が入れるくらいの扉がついており、その扉が、ぷらんと開かれている。中を覗いてみるが、真っ暗で何も見えない。

「入れ!早く!」

 確実にわかることは、この中に入れば、もう後はないということだけだ。コンテナに近づくたびに、〝死の匂い〟がきつく、強力になっていく。鼻が曲がりそうになるほど、強くつよく匂う。

「早くしろ!」

 背中に銃口を当てられ、泉里は目を閉じた。

 どうせ殺されるのなら、ここに入る意味なんてあるのだろうか?

 だったらせめて、こいつらに手間ひまがかかるよう、抵抗してやりたい。

 だって、だってもう――私にはそれしか――ない。

「何やってるんだ!お前!」

 男のイライラが頂点に達し、拳銃がカタカタ鳴っていた。今にも引き金が引かれるのではないかと思うと、泉里の全身の毛が逆立った。

「いい加減にしないと――」


 いい加減にしないとどうなるのか、泉里にはわからなかった。

 男の声も、気配も、そして〝死の匂い〟も、いっぺんに消えたからだ。


「うおりゃああぁぁぁぁ!」

 そこにいたのは鋼だった。運転手の男を殴り飛ばし、別の男に飛びかからんとしていた。

「鋼さん!」

 振り返った泉里の視界に、今度はバイクが飛び込んできた。真っ赤なバイクだった。

 幼馴染の梅木九次が、大男にバイクで突っ込んでいた。

 大男は無言で吹き飛ばされ、倉庫の壁に激突していた。

「九次!」

 九次はハンドルを素早く切り、別の男に突撃した。

 一人にぶつかった瞬間、急ブレーキをかけ、後輪を浮かせ、そのまま前輪を軸にして回転した。隣に立っていた哀れな男は、頭部に後輪を叩きつけられ、何をする(いとま)もなく沈んだ。

「おらぁ!おらああ!」

 華麗なバイクさばきの反対側で、願い探偵は鬼気迫る動きを見せていた。三人の男に次々とパンチを浴びせ、三方向から容赦なく攻撃が飛んできても、全て防ぎ、かわして見せた。

 背面にいた男の頬に強烈な肘打ちを浴びせ、正面にいた男はドロップキックで黙らせた。

 余った三人目が、着地の隙を狙って迫ってきたが――

「ふん!」

――九次が、脱いだヘルメットを問答無用で叩きつけた。

 大男を始め、七人もいた男たちが、一人残らず倒れ伏した。

 その様子を、泉里はどこか、夢見心地で見ていた。

「「泉里!」」

 立ち上がった鋼と、ヘルメットを持った九次が、同時にその名を呼んだ。

 二人とも、泉里の下に脱兎のごとく駆け寄ってきた。

 本来ならば、ここで感動の再会となり、三人でハグの一つでもするのが常識というものだろう。

 しかし、泉里はそれどころではなかった。涙が頬を伝い、鼻水がダバダバとあふれ出してきた。

 来てくれた。いや、それよりも――

「いぎでだ……!」

 本当によかった。手枷をされた両手で、お構いなしに顔を覆った。

 それを見て慌てふためいたのは鋼だ。

 てっきり、怒られるものだと思っていた。ケンカ別れをして、人さらいにあって、救出するまで、こんなに時間をかけてしまったのだから。

 だから、自分の生存を喜んでくれるなんて奇想天外な状況、想像していなかった。

「はっ……ふふ……あーあ、泣かせた」

 九次は少し面白がっていた。

 〝泉里を救わなければならない〟という緊張の連続から解き放たれ、心に余裕ができたのだ。鋼の顔をジロジロとみて、茶化すように笑った。

「冗談じゃないぜ……ったく……」

 鋼は言い返したい気持ちをグッとこらえ、泉里にそっと語り掛けた。

「泉里……泉里……?あー、その、悪かった――」

「俺は向こうむいとく」

 九次はヘルメットを抱え、くるりと回れ右した。

 それに感謝の念を抱きつつ、鋼は続けた。

 泉里は、指と涙の隙間から、愛しい探偵の顔を盗み見ていた。

「オホン……えー、その。失礼なことを言ってすまなかった。その、あれだ。あの男のことを知らなくて――」

 鋼は後ろにいる九次を親指でさしかけたが、すぐ思い直してやめた。

「――いや、知らなかったってのは言い訳だな。そうだ。その――」

「『その』が多いぞ」

 後ろ向きのまま、九次は指摘した。

「やかましいわ!」

 鋼は憤慨し、今度こそ指さした。

「その――違う。あれは、だから……」

「だから……?」

 顔を隠したまま、泉里はポツリと聞いた。天使のような声を久しぶりに聞いて、鋼の心臓が飛びあがった。バクバクという音に支配されそうになる思考と必死に戦い、自分が言うべき謝罪の言葉を探した。

「正直に言おう!やきもちだった!嫉妬だったんだ!情けない話だと、自分でも思う。でも、お前があいつに夢中になってると思って、嫉妬してた!そのせいで、ひどいことを――あぁ、本当に心無いことを言って……すいませんでした!」

 最後は体を直角に曲げて謝った。自分の足と泉里の足しか見えなかったが、その視界で十五秒は耐えてみせた。

 どれだけ待っても返事がないので、体は直角にしたまま、顔だけを上げてみた。

 泉里はもう、顔を隠していなかった。両手を胸の前までおろし、責めるような目で鋼を見ていた。

 ザクロのような色をした、悪魔の目。懐かしさと恐ろしさが、鋼の心を焦がした。

「あっ!そうだな、手、手……」

 鋼は、泉里の両手が未だ縛られていることに、遅れて気が付いた。

 急いでその辺に転がっている男どもの懐をまさぐり、ナイフが無いか探した。

「あった!切るぞ、ほら……」

 幸いにも、ナイフの捜索は一人目であっさりと終了した。

 鋼は鞘に入っていたそれを抜き放ち、泉里の手首に巻き付いている、固いプラスチック製の手枷をプチっと切った。

 自由になった途端、興梠泉里は鋼に飛びついた。

「うわっ!……とぅ……」

 鋼はバンザイの格好で両手をあげ、完全に停止した。

どうしていいかわからなくなったのもあるが、右手にまだナイフを持っていたので、危なくて抱き返せないのもあった。

 泉里は、ぎゅうっと力をこめ、願い探偵が苦しむほど抱きしめた。お互いの顔と顔が触れ合い、泉里の涙が、鋼の頬を伝って落ちていった。

「そんなこと……どうでもいいんですよぅ!」

「……へ?」

 男という生き物は、いつの時代も女心を理解することができないと言われている。

 入川鋼ほどの洞察力をもってしてもそれはかなわず、泉里が何故泣いているのか、願い探偵は一生懸命推理しなくてはならなかった。

「どうしてあんなに危ないことするんですか!鋼さん、頭はいいはずなのに!バカですか?バカなんですか⁉本当に心配したんですから……!私、本当に、鋼さん、死んだかと……!」

 泉里が泣きじゃくる理由をようやく知り、鋼はホッと胸をなでおろした。ナイフを遠くに放り投げ、おずおずと小さな肩を抱いた。

 鋼の体温を感じ、泉里はより一層大きな声で泣いた。

 九次はこっそり振り返り、仲睦まじい二人を見てニヤリとした。

「あぁ……悪かった。たしかに、無茶をした……でも、なにがなんでも助けたかったんだ。お前にちゃんと謝りたかった。それに――それに、聞いてくれ泉里、おっさんが――」

 鋼の言葉は、九次の怒号にかき消された。

「おい!逃げろ探て――」

 その声すら途中で止まり、主を失ったヘルメットが、二人の足下に転がってきた。

「はっ……おい!」

 鋼は泉里との抱擁を中断し、後ろを振り向いた。

 しかし、それでは遅かった。

「ぐっ!」

 巨大な手に首根っこを掴まれ、鋼は呼吸すらできなくなった。太く、力強い二の腕によって、鋼の体が、持ち上げられていく。

「て、めえ……」

 二の腕の持ち主は、九次が吹き飛ばしたはずの大男だった。

 額から一筋の血こそ流れているものの、その辺に倒れている六人の男とは物が違った。両手で鋼と九次を締め上げ、平然としていた。無言なのが、死ぬほど不気味だった。

「く……泉里……」

 鋼とは反対側で、九次がうめき声を上げている。逃げろと言いたいのに、声が出てこない。

 大男は、緑色の目で二人の男を交互に見ると、フランケンシュタインのような顎をゆっくりと動かした。

 九次には何を言っているのかさっぱりだったが、英語の話せる鋼にはわかった。

「邪魔をするな。これは仕事だ」

 喋ることが苦手なのか、大男の話し方はぎこちなかった。

 しかし、その直後に鋼たちは投げ飛ばされ、そんなことを気にする余裕は無くなってしまった。

「鋼さん!九次!」

 泉里は金切り声を上げた。自分を助けに来てくれた二人が、いっぺんに飛ばされたのだ。それも、倉庫の入り口まで三、四メートルも飛んだ。

「いっつ……くそっ!」

「野郎……!」

 二人は頭を抱えながら立ち上がり、一斉に走り出した。巨大な男を吹き飛ばすため、同時にタックルをしかけたのだ。

「ふん!」

 結果は無情だった。あまりにも無情だった。

 大男は、たった一人で鋼と九次を止めてしまった。下半身をほとんど動かさず、二人の首をがっちりと掴み、止めた。

 元来、白人や黒人に比べて非力な日本人だが、ここまで差がでるものなのか。鋼と九次が顔を真っ赤にし、こめかみの血管を限界まで膨らませても、大男という壁は揺らがなかった。

 大男の背中を見ていた泉里は、なんとか加勢できないかと考えを巡らせていた。自分ごときの力で、この劣勢を覆すことができるかわからないが、何か一つ――何か一つ――

「あっ!」

 泉里は小さな声で叫んだ。遠くの方に、鋼が投げ捨てたナイフを見つけたのだ。

 あんなものを使いたくはないが、背に腹は代えられない。ナイフを拾うため、覚悟を決めて一歩を踏み出した。


 そんな小さな勇気を止める、拍手の音がやってきた。


 たった一人の人間による、薄っぺらい拍手だった。


 拍手をしている男の顔が、タバコの火で照らされて見える。

 短い金髪を喜ばせ、細く切れた青い目を喜ばせ、死人のような白い肌を喜ばせ、人さらいのサイモンがやってきた。

「よくやったぁ……ペエェッグ……」

 サイモンは煙を吐き出し、煙草(ピース)を投げ捨てた。

「これでようやく……仕事が軌道に乗る」

 その異様な雰囲気に圧倒され、泉里の体は痺れたように動かなくなっていた。

 ペッグに喉を絞められたままの鋼は、新鮮な空気を求めてあがいていた。あがきながら、サイモンの顔を睨みつけていた。

「さて、どうするお嬢ちゃん?」

 ピースを足で踏みつぶしながら、サイモンはやってくる。気さくなふりをしてあげられた左手が、部下であるペッグに向けられる。

「大人しくそのコンテナに入るか、それとも、倉庫から出て行くか……好きな方を選ぶといい。一方を選ぶと、あの男たちは窒息死し――」

 サイモンは言葉を切り、右手でコンテナを示した。

「――もう一方を選ぶと、みなが助かる。ここにいる、みんながだ」

 その言葉が意味することを、泉里は鋭く感じ取っていた。

 既に、ペッグの腕でもがく二人から、〝死の匂い〟が漂い始めていたのだ。


 だから、選択の余地はなかった。


「ぐ……泉里!」

「やめるんだ……!」

 鋼と九次は、そろって泡立った声を絞り出した。

 声量はとても大きいとは言えなかったが、泉里の耳にはきちんと届いていた。

 それでも、泉里は止まらなかった。踵を返し、サイモンを睨みつけ、ぷらぷらと漂っているコンテナの扉に、迷いなく近づいて行った。

 泉里が脇をすり抜けた時、サイモンはうやうやしくお辞儀をした。鋼は、その行為がたまらなく悔しかった。

 コンテナの入り口に足を踏み入れると、泉里はクルリと振り向いた。黒髪が綺麗な曲線を描いて回り、ザクロ色が瞬いた。その声の美しさに、サイモンさえ聞き入った。

「ありがとう。でも大丈夫。二人とも逃げて」

「バカ言うな!泉里……ゲホッ……!そこから出るんだ!」

「泉里……!やめ、ろ……!」

 二人の男は必死にもがいた。ペッグの手をひっかき、つねり、締め上げ、ありとあらゆる攻撃で離脱を試みた。

 しかし、ペッグの手から万力のような力が抜けることは無く、男たちの酸欠は、徐々に危険域に達してきた。

「さて、別れの挨拶はここまでかな」

 サイモンはまた一人で拍手し、コンテナの扉に手をかけた。

 鋼はわずかな酸素をフル動員して、両足をバタつかせたが、事態は一ミリも改善しなかった。

「鋼さん!」

 扉の影に消えていく泉里は、天使の声を震わせて言った。

「生きてください。大好きです――」

 それが、最後の言葉だった。

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