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第十四章 絶対に信号に引っかからない

 8140のミニバンは赤信号を直進し、左から来た車に側面衝突された。

「ぐわっ……がっ!」

 大きすぎる衝撃によって鋼は吹き飛ばされ、固いアスファルトに叩きつけられた。もんどりうって転がって、交差点の真ん中でようやく止まった。

「ぐ……う……」

 頭を強打したせいで、まともに立ち上がることができない。最後に聞いたクラクションの音が、わんわんと鳴り響いている。

 泉里を乗せた8140は、助手席部分を大きく凹ませ、交差点内で停車していた。サイドバックが破裂したのか、白い、粉っぽい煙が上がっている。

「あぁ……」

 ルルルルル……とエンジンの唸る音がして、8140のミニバンはよろよろと進み始めた。

 人さらいが逃げていくのを、鋼はどうしようもなく見つめていた。

 頭から血を流し、片膝をつき、入川鋼は、ただ見つめているしかなかった。

「はあ……はあ……はあ……」

 十字路交差点の中心から、ぐるりと周囲を見渡した。

 車四台と人一人が絡む大事故により、騒然としていた。

 四方向ある車道からは一台も車が侵入してこず、皆、遠巻きにこちらを見ている。めいめいに車を降り、警察に通報したり、写真や動画を撮ったりしている。

 声と悲鳴に溢れかえり、情報が錯綜している。

「はあ……んぐ……おっさん……」

 鋼は、今来た道に振り返った。

 そこには、黒いバンと、黒いミニバン、二つの亡骸が落ちていた。

「くっ……!」

 骨が何か所か逝ってしまったかもしれない。それでも、膝に手をつき、立ち上がった。

「はあ……おっさん……」

 2865のミニバンは、巨人に丸められたゴミの様になっていた。もともとぶっ潰れていた助手席に加え、今は運転席までぺしゃんこだ。

 メキメキになったドアに手をかけ、車体に足をかけ、鋼は、渾身の力で引っ張った。

「んぐぐぐぐ!ぐうううううう!あぁ!」

 バキョン、と音を立て、ドアはなんとか外れた。

 鋼は痛む体にむち打ち、中で丸まっている警官を引っ張り出した。

「おっさん!おい、おっさん!」

「ぐっ……鋼君……」

 新道は生きていた。

 だが、それが最後の灯火であるということが、願い探偵にはわかってしまった。

 コガネムシのような目は光ったり光らなかったりを繰り返し、呼吸はひゅうひゅうと、空気が漏れているような音だ。衝突の影響で車の中ももみくちゃになり、その影響で飛び出した何かのパーツが、新道の腹を貫いていた。

 鋼は、ぐったりと力ない新道の頭を、自分の膝に乗せた。

「しっかりしろ!おっさん!今救急車を――」

「いいよ、もう無理さ。警察官だからね、色んなご遺体を見てきたよ。お腹に穴空いちゃったら、もう助からないよ……」

 新道は腹部の傷を押さえ、あいかわらず、ひゅうひゅうと空気を漏らした。

「じゃあせめて家族に……奥さんは、子供は?連絡先を教えろ!」

 新道はゆっくりと首を振った。

「おじさんさあ、娘がいたんだ」

 まるで、遠い遠い故郷を懐かしむかのような言い方だった。

 鋼は、新道の薬指にはめられている指輪を凝視した。

「……は?」

「でも、もういないんだ。僕には、奥さんも、娘も」

「どういうことだ……?」

「僕の願いの話……あれ、半分本当で、半分嘘なんだ。僕は確かに、絶対に信号に引っかからないようにお願いした。神様に、一生のお願いです!って頼んだ。それは――それはね――信号待ちが嫌だったからじゃない――」

 うげっ、とこみあげてくるものを感じ、新道は血を吐き出した。


「――僕の奥さんを、病院に送り届けるためだったんだ」


 世話になった警官が、のどに詰まった血液をゴホゴホと吐き出しているのを、鋼は放心状態で見ていた。

 新道が何を言っているのか、一瞬、理解できなかった。

「妻は元々、病弱でね……何度も入退院を繰り返すような人だった。それでも、僕にとってはこの世で一番綺麗で、魅力的な奥さんだった。妊娠したってわかった時には、二人で抱き合って喜んだよ」

 鋼は震えた。

 新道の願いをバカにしたことが、とんでもない過ちだったことに気付いた。

「娘を身ごもってた妻が、突然苦しみだした時は……ほとんどパニックだった。その日はひどい嵐で、本当にひどい嵐で。……119にも電話したけど、救急車は全部出払ってますって言われて、はあ……だから僕は、自分の車に妻を乗せて、下道を百キロくらいで走ったんだよ。スピード違反なんて知ったこっちゃなかったよ」

「信号……」

「そう、後部座席にいた妻が、突然声も、呼吸もしなくなって……あぁ……、無我夢中でお願いしたんだ。妻を助けてくれ!って、死なせないでくれ!って。そしたらさあ……神様ひどいんだ」

「奥さんには、奥さんの人生がある……」

「そう、そうなんだよ。だから、僕には彼女の願いをかなえてやることはできないんだって。だから代わりに願ってやった。この先、何があっても、絶対信号にかからないようにしてくれ!って」

 泉里の願いと同じだった。

 人の人生を決める願いを、神はかなえてくれない。

 かなえられるのは、あくまでも自分に関する願いだけなのだ。

「同じころ、妻も神様にお願いをしてた。死ぬ直前に教えてくれたんだけどね……がっはぁ……〝何があっても、子供を産みたい〟って……!妻は死んだけど、赤ちゃんはとっても元気だった。僕たち二人が、僕たち二人の願いを使って生んだ子だ。絶対に、立派に育ててみせるって、妻に誓ったよ。それなのに……娘はいなくなった」

 新道の顔が、さっと暗くなった。血まみれになっているのに、鋼には痛いほどわかった。

「仕事が忙しくて、なかなか相手をしてあげられなかったから……たぶん、嫌になって出て行っちゃったんだと思う。ある日、突然いなくなっちゃってさ。行方不明届け出したけど……結局、見つかってない。情けない……警察官なのに……生きていれば……ちょうど、泉里ちゃんくらいの年のはずなのに……」

 その瞬間、鋼の頭の中に、ある考えが生まれた。すとんと落ちてきたように、自然な考えだった。

 自分を生むために死んだ母親、その母親に逢いたくて、一度死んでまで願いをかなえた泉里。そして――『あいつは生まれ変わったせいで、前の父親がわからなくなってしまったらしい』――九次の話。

「僕が後悔してたのは、願い方を間違ったからじゃない。自分が願ってまで守ったあの子を、彼女が命を懸けて守ったあの子を、仕事にかまけて、失ってしまったことなんだ……!ずぅっと、後悔し続けてきた。鋼君……!君はまだ、願ったことが無いんだろう?出し惜しみなんてするなぁ……!絶対に……泉里ちゃんを助け出すんだ!」

 鋼は泣いた。涙を流して泣いた。

 新道が最後の力を振り絞って、自分を励ましてくれたのがわかっていたから。

「あぁ……あぁ……おっさん……!おっさん……あのなぁ……!」

 そんな、恐ろしいほどの善人に、残酷すぎる事実を伝えなくてはならなかったから。

「オレは……おっさんの娘、知ってんだ……はぁ……!」

 新道は少し、驚いたようだった。眉を吊り上げ、鋼の目を覗き込んでいた。

 しかし、その表情に怒りは無かった。深い安堵と、喜びに満ちていた。

「そうなの……?さすが……探偵だねぇ……」

「すまねえ……!なんで今まで気付かなかった……!あぁ……!」

 鋼はしゃくりあげ、新道の頭を抱きかかえた。

 会えていたのに。

 あの時、あの交番で、二人は出会っていたのに!

 オレが、新道の願いをバカにせず、きちんと理由を聞いていたら?

 オレが、余計な嫉妬にかられず、泉里と喧嘩をしなかったら?

 オレが、オレが、オレが、オレが……。

 後悔という後悔が、鋼の体を蝕んだ。

 願い探偵が心の底から悔いているのを感じ、新道は優しい笑顔になった。

「いいんだよ鋼君。いいんだ……よかったぁ……生きてたんだぁ……あの子は、元気かい?」

「あぁ……腹が立つくらいに元気だ……!」

 鋼は何度も頷いた。その度に涙が落ち、新道の顔を洗った。

 新道はそれが嬉しくて、また笑った。

「ふふふ……そっかぁ……一目、会いたかったなぁ……」

「安心してくれ、おっさん……!おっさんの娘は……オレが……オレが必ず幸せにする!約束する……!」

「ははは……そうだね。鋼君なら、安心かな……」

 最後の力を使い、新道は右手を差し出した。

 力強く、握りこまれていた。


「男の……約束――」


 鋼は、涙に震えながらグータッチをした。

 新道の右手は、鋼の右手を押し返さなかった。

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