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第十二章 願い

「やめて……離して!やめ――」

 耳をつんざくような悲鳴が聞こえ、マスターはグラスを取り落とした。そして、グラスが床に当たるより早く、タルコナを飛び出した。

 重たい木のドアを吹き飛ばすようにタックルして開け、古いビルの踊り場まで走った。店に窓はないが、ここならある。声の正体を突き止めるため、窓に頭突きする勢いで顔を突き出した。

「泉里ちゃ……!」

 とっさに口をつぐんだのは、黒いミニバンの中に、女性の足が消えていくのを捉えたからだ。

 二人の男が、まさに今、泉里を車に押し込んでいた。

「なんてことだ……」

 二人いた男のうち、やたらとガタイのいい方が、一緒に車の中に入っていった。もう一人のひょろ長い方は、一仕事終えた瞬間、ただの通行人を装って歩き始めた。いや……ズボンのポケットからスマホを取り出し、外国語で何かをブツブツとつぶやいている。

 今はやりの人さらいだ。マスターはすぐに感じ取った。そして、あのひょろ長い男は、誰かに報告しているに違いない。新たな商品を手に入れたと。

 車の方は、角の交差点を曲がり、どこかへ走り去ってしまった。

 鋼の大切な女性を、目の前で奪われるなど、なんたる失態。マスターは責任にかられ、すぐさま男を追いかけようとした。こんなことがあっては、鋼に顔向けできない。

 と、ひょろ長い男の進行方向から、別の男が歩いてくるのが見て取れた。タイミングがいいのか悪いのか、やってきたのはマジシャンとして雇っている杠京司だ。泉里が来店する前、おつかいを頼んでいたのだ。

 マスターはすぐさまスマホを取り出し、杠の番号をタップした。

「出てくれ杠君……はやくはやく……」

 たった三回のコールが、無限の時のように感じられた。やっと聞こえてきた杠の声に、マスターは安堵のため息を漏らした。

「はい、杠でっすっ」

「あぁあぁ……よかった、杠君」

「へ?どうしたんすか?マスター」

 杠はのんきな声で答えた。左手には、酒やら食材やらがパンパンに詰め込まれた茶色い紙袋を抱えている。そのため、体を斜めに傾けながら、右手でスマホを持っていた。

「落ち着いて聞いて欲しい。泉里ちゃんがさらわれた」

「へっ――」

「落ち着いて!」

 踊り場の窓から見ていると、杠が明らかにバランスを崩したため、マスターは大慌てで注意した。今、ひょろ長い男にばれたら、全てが水の泡だ。

「あっ、はい……えっ?いや……えぇ⁉」

「だから落ち着いてって!きっと、今はやりの人さらいだよ!」

「は、はい……でも、それだったら、鋼さんに――」

「時間がない!よく聞いて!今、そっちに無かって男が歩いてるの、わかる?」

「え――あっ、はい。一人、ひょろ長い外人が」

 杠は百メートルほど先にいる、ひょろ長い外国人に目を向けた。通りに他の通行人はいないし、男は不自然にキョロキョロしながら、スマホで誰かと喋っている。間違いなくこいつだ。

「その男から、スマホ、バレずに盗れるかい?」

 マスターからの依頼に、杠は眉を吊り上げた。

「えっと……?こいつが?」

「そうなんだ。頼むよ」

 マスターの声は切羽詰まっていた。スリが犯罪行為であることは、マスターも知っている。杠に至っては、身に染みるほど。

 だが、もし本当に、泉里が誘拐されたのならば。


 今こそ。


「お任せを」

 杠の動きに一切の無駄は無かった。

 ひょろ長い男は、相変わらずこっちへ歩いてくる。

 誰かとの通話を終了し、スマホをズボンのポケットに戻した。右のポケットだ。

 あと数メートル。十歩も歩けばすれ違う。男の左側をすり抜けられるよう、進路をとった。

 あと三歩!杠はわざとつまづき、男の胸に飛び込んだ。

「わっぷ!」

「アウチ!」

 ほとんど頭突きのような恰好で男にぶつかり、持っていた荷物をあっさり取り落とした――そしてその瞬間――茶色の紙袋からつやつやのリンゴが、オレンジが、ジントニックの瓶が――男のズボンの右ポケットに――バラバラ、ガチン、と音を立て――杠の手が差し込まれた――そこら中に散乱した。

「ヘイ!ユー!」

「あわわわわ!ごめんなさい!ごめ、ごめんな――」

 杠はマジックでよくやるように、スマホを持った左手から気を逸らすため、右手をアワアワと振り回して見せた。

 男はまんまと引っかかり、杠に向けて、わけのわからない言葉を次々にぶつけてきた。杠には英語がわからないが、かなり怒っているのはなんとなく理解できた。

「おー、そーりーそーりー。ごめんね」

 自分の尻ポケットにスマホをしまうと、杠はペコペコとお辞儀をした。外国人が好きそうな、合掌してからのお辞儀もしてみた。効果のほどは定かでないが、どうにかこうにか、外国人をなだめすかし、事なきを得た。

「ルックアウト!」

「あはは……ははー……」

 怒れる外国人に手を振り、ぎこちない笑顔で見送った。

 そして、外国人の姿が遠くへ消えたとたん、杠京司は素早くしゃがみこんだ。リンゴとオレンジとジントニックの瓶、その他もろもろの品物をパパっと拾い、紙袋がめっためたになるのもお構いなしに突っ込んだ。

 飛び跳ねるように立ち上がり、猛ダッシュでタルコナを目指す。途中で紙袋が破れ、中身が宙を舞ったが――オレンジとリンゴをお手玉の要領で手中に収め――落ちてしまったジントニックやら何やらは諦め、ダッシュを続けた。




「マスター!」

 ゼエゼエ言いながら飛びこんできた杠が、オレンジとリンゴしか持っていないことを、マスターは一つも咎めなかった。

「杠君!」

 オレンジの間接光の中、つやつやに磨かれているタルコナのカウンターに、外国製のスマホが置かれた。

「よくやった。すぐに――」

「おいゆず、これ落としたぞ」

 願い探偵は遅れてやって来る。

 マスターがスマホに触れようとした瞬間が、まさにそれだった。

「なぁにをそんなに慌ててるんだ。買い出しくらい落ち着いて――」

「鋼君!」

「鋼さん!」

 二人は悲鳴に近い叫び声をあげ、入ってきた鋼と新道に耳を塞がせた。せっかく拾ってきたジントニックの瓶が、タルコナの床に大きなシミをつくった。

 鋼はまた説教をくらうもんだと思って、慌てふためいた。

「いや、ちょっと待ってくれ。あぁ、悪いマスター、弁償を――じゃない――わかってる。悪かった、悪かったのはオレだ。ちゃんと泉里に謝ろうと思ってる。だが、その前に風呂を――」

「風呂に入ってる場合じゃないっすよ!今すぐ!今すぐ追いかけないと!」

 反省の言葉と風呂の要求を遮られ、鋼は眉間にシワを寄せた。それを見たマスターが、余計な問答をしなくて済むよう、手短に告げた。

「泉里ちゃんがさらわれた。人さらいだ」

 鋼の後ろにいた新道が、さっと仕事の表情に変わった。普段と全く違う雰囲気に、マスターは驚き、杠は恐れおののいた。この男が警察官であるということを、二人は今さらながら思い知った。

 しかし、それよりも豹変したのは入川鋼だった。この男が狼狽するところなど、マスターは今の今まで見たことが無かった。

「な……な……は……?」

 鋼はジントニックの瓶だったガラス片を踏みしだき、靴底に傷を作り上げ、カウンターに片手をついた。目の前が真っ暗になっていた。

 あれだけたくさん報道されていた人さらいが、まさかこんなに近くで起こるとは。予感を感じたことなんて微塵もなかったし、なんなら、完全に他人事だと思っていた。人間、誰だってそうだ。

 鋼がカウンターを見つめて固まったので、マスターはその顔の前に滑り込んだ。願い探偵の肩に手をかけ、慌てないよう、ゆっくり語り掛ける。

「落ち着いて聞いて欲しい。さっきまで、泉里ちゃんはうちで飲んでたんだ。帰ろうとして一人になったところを狙われた。申し訳ない。僕のミスだ。ちゃんと大通りまで送っていれば――」

「いや、マスターのせいじゃないっすよ――」

 杠がフォローを出したところで、新道が無理やり割って入った。

「犯人は何人?徒歩?車?」

 今必要なのは、経緯の説明でもなければ、謝罪でも後悔でもなかった。犯人に繋がる情報を、一つでも多く、一秒でも早く手に入れなければならないのだ。警察官は普段から持ち歩いているメモ帳をサッと開き、臨戦態勢を取った。

 マスターは覚えていることを素早く、確実に話した。

「二人しか見えなかった。男だった。一人は泉里ちゃんをさらった車に乗り込んだ」

「車種はわかる?どっちに逃げたの?」

「黒のミニバンだよ。ナンバーはたしか、8140だったと思う。方向は――そこの交差点を左に曲がったところまでしか」

「わかった。すぐに手配しないと」

「あっ!こ、これっ!」

 新道が背を向けようとしたとき、杠が声を上げた。指さしたのは、カウンターの上に置かれたスマホだった。

「マスターに言われて、もう一人の男から……あー……」

 自分が盗んだ、という事実を思い出し、杠は言いよどんでしまった。新道は警察官だ。正義のために働く――今は――味方だが、同時に、盗みを許さぬ公僕でもある。増してや自分は、前科前歴持ちのスリ魔。この行為が正当化されるとは、到底思えなかった。

「スらせたんだ。行き先がわかるかもしれないと思って、僕が指示した。杠君は悪くない。むしろよくやってくれたよ。警察の方で解析できないかい?」

 そんな杠の心情をすぐに読み取り、マスターは責任を負って出た。雇い主として、マジシャンの将来を守る義務もあった。

 そして新道は、物わかりのいい男だった。

 スマホを盗った事実について、いいか悪いかこそ言及しなかったが、少なくとも、この緊急事態に四の五の言う男ではなかった。

「うーん、どうだろう。解析を担当する係に出してみないと……。あぁ大丈夫。理由は適当にでっちあげとくよ。犯人が落としたとかなんとか……」

「すまない。じゃあこれを」

 マスターから受け取ったスマホを、新道は固く握りしめた。コガネムシのような瞳をギラリと光らせ、未だ放心状態の鋼を見た。その肩を優しく叩き、タルコナの重たい扉をばっと開いた。

「うん。わかった。鋼君、すぐに手配するから、気をしっかり――」

「ま、まっ……待ってくれ!待ってくれ、待ってくれ……」

 新道が出て行こうとしたまさにその時、鋼ははじかれたように飛び上がった。誰よりも優秀な男はようやく事態を飲み込み、それと同時に分析を開始した。

「おっさん。警察にそれを届けたとして、動き出すまでにどれだけ時間がかかる?」

「110番はすぐにする。現場にいる警察官は一斉に動き出す」

「犯人の行き先もわからないのに?」

「車のナンバー登録と、泉里ちゃんの写真でもあれば、手配を――」

「泉里の写真はない。少なくとも、オレは――」

 鋼はマスターと杠の顔を盗み見たが、二人とも首を左右に振るだけだった。

「つまり、警察は顔も行き先も分からない女の子を、必死こいて探すだけだ。ナンバーだって、Nシステムが設置された道を通らなきゃ意味がない。違うか?」

「それは……そうだけど……」

「その解析だって、どれだけ時間がかかる?」

「見たところロックはかかってないみたいだけど……でも、外国の言葉だね。何語か判断して、通訳を呼ぶしかない。メジャーな言語なら警察官の中に通訳がいるけど、マイナーな国だったら……」

「通訳人の確保に時間がかかる。そんなことをしてる間に、泉里はどんどん遠くに行っちまう!」

 鋼の知識量と頭の回転の素早さに、他の三人は舌を巻いていた。その言葉の正しさと、その時が刻一刻と迫っていることを、ひしひしと感じていた。

「頼むおっさん。警察に持っていく前に、オレに見せてくれ」

「……でも――」

「英語くらいならオレでも読める。頼む!」

 鋼は必死だった。新道が、一警察官としてスマホを持っていこうとするのはわかる。持っていかなければならないのもわかる。だが、組織が大きくなればなるほど、人数が増えれば増えるほど、動きが遅くなるということを鋼は知っていた。


 愛する女を取り戻せるのは、自分しかいなかった。

 愛する女を取り戻すのは、自分の責任だった。


「頼む……!オレがひどいことを言った。オレが泉里を一人にした。オレのせいだ……オレが取り戻しに行く。行かなきゃいけないんだ!」


 自分に向けられた目を、新道は見た。自分に向かって伸ばされる右手に、並々ならぬ決意を感じた。

 酒におぼれ、腐りきっていた男は、一瞬で姿を消した。

 願い探偵入川鋼。誰よりも洞察力に優れ、誰よりも身体能力が高く、誰よりも抜け目のない男がそこにいた。

「……わかった。でも早く!」

 新道は再びタルコナ内へ足を踏み入れ、カウンターの上にスマホを滑らせた。

 鋼は頷くとともにスマホをキャッチし、素早く画面を叩いた。

 マスターも後ろから覗き込み、表示されている言語に見入った。

「メールが何通か来てるね。メッセージも」

「あぁ……だが……英語じゃない。くそっ!」

「杠君、相手の男は何人だった?わかる?」

「えと……どうっすかね……あ、でも、最後は『るっかうと!』って怒ってたっすよ」

「『るっかうと』……?『ルックアウト』か?」

 持ち前の洞察力で、鋼は問うた。

 杠は少しびっくりした後、衝突時の状況を急いで思い出した。

「るっ――え――あー、そうかもしんないっす」

 マスターは違和感を感じていた。道行く者同士がぶつかって、『ルックアウト(気をつけろ)』と言うのであれば、特段不思議なことはない。だが、もしそうなら――

「英語圏の人間かい?だったら、なんで英語じゃ――」

「例えば、ヒスパニック系のアメリカ人なら、スペイン語が使える。インドみたいに、国家を統一するために、英語を公用語にしている国もある」

 素早く結論を導き出したのは、またしても鋼だった。

 だがそれは、ここではメッセージの解読ができないということを証明したに他ならなかった。

「つまり、英語を話す外国人じゃなくて、英語()話せる外国人ってことかい?」

「こりゃあ見たところスペイン語だ。くそったれ!誰でも彼でも、何か国語も喋れると思うなよ!こんなんじゃ読めやしねえ……」

「鋼君、やっぱり持っていこう。スペイン語なら、職員の中に翻訳できる人がいる」

 頭を抱える鋼を見て、新道はもう一度提案した。最善の策はそれしか考えられなかった。

 鋼はもちろん、新道の意図するところを理解していた。

 しかし、理解することと納得することは違う。泉里への手がかりが全く掴めないことで、どうしようもなく焦っていた。

 募る焦燥感によって冷静な思考は吹き飛び、行き場のない怒りが、タルコナの中にこだまする。

「その人間が来るまでにどれだけの時間がかかる⁉これに残された文章を読んで、日本語に直して、しかも、どれが、今この瞬間に必要なメッセージなのか、選別までしなくちゃならない!途方もない時間がかかる!こんなことを一瞬でできるやつなんていやしない。神か!仏か!それこそ、神に――」


 そこで、気が付いた。


「神に、願った――」


 それができる人間を、鋼は知っていた。


 突然黙りこくった願い探偵を見て、新道と杠は首をかしげていた。

 誰も答えに言及しない中、もう一人の知り合いであるマスターが叫んだ。


「鮫島君だ!」




「鮫島!鮫島ぁ!」

 鮫島邸のドアを、鋼は殴り続けていた。右手がどれだけ痛もうとも、お構いなしだった。

「頼む!開けてくれ!鮫島!」

 声をからして叫んだが、中からは何の返事もない。

 たまらず、マスターも声をかけた。

「鮫島君、頼む、出てきてくれ、緊急事態なんだ」

 鮫島と面識のない新道と杠は、後ろの方で今か今かと待っている。

 やはり何の反応も無いと思われたが、ドアの向こうから、くぐもった声が聞こえてきた。

「そうやって、知り合いまで利用して(うち)に入ろうとするな。帰ってくれ」

「違うんだ鮫島君。鋼君は本当に困っていて――」

「あぁ、そりゃそうだ。困ってるだろうよ。住む場所がないんだからな」

「違うんだ鮫島――」

「違わない」

 マスターの言葉も、鋼の言葉も、鮫島に容赦なく叩き落とされた。無機質な扉が、憤怒の言葉を履き続けていた。鋼には、怒りにかられるぬりかべのように見えた。

「何度も目をつぶってきたが、もう限界だ。女に捨てられたのかなんだか知らないが、何度も何度もうちに来て、その度にコレクションをダメにされる。もううんざりだ」

 秘蔵の品々をいくつもダメにしてしまったのは事実だ。鋼は返す言葉が見つからなかった。扉に両手の拳をめり込ませ、頭をぶつけ、静かに目を閉じた。

「――泉里がさらわれた」

 扉の奥で、ギシ、と床が鳴った気がした。言葉は帰ってこなかったが、鋼は続けた。そうするしかなかった。

「こんなことを言っても、どうしようもないのはわかってる。自分勝手だってのもわかってる。お前が大切にしていた物を、オレは何にも考えずに壊した。どれだけ謝っても、どれだけ金を積んでも、あのコレクションは元に戻らない。オレが間違ってた。クズ野郎だった……!ぶん殴られても、文句が言えない。本当に申し訳ないと思ってる」

 鋼は、自分のした愚行を詫びた。口にすることで、ズキズキと胸が痛んだが、決してやめることはなかった。心からの謝罪だった。

「でも……お前の力が必要だ。必要なんだ。泉里は、オレにとってかけがえのない存在だ。あいつを取り戻したい。頼む……頼む鮫島、オレに力を貸してくれ……!」

 無言の扉に、鋼は懇願した。

 今の自分がどれだけ身勝手で、横暴で、滑稽なことか……恥ずかしさで身が焼かれそうだったが、それでも頭を下げたのは、全て泉里のためだった。

 マスターも、新道も、杠も、かたずを飲んで見守っていた。鋼は誠意を尽くした。あとは、鮫島の答えを待つばかりだった。

「やっと帰って来たな探偵」

 重たい口と、重たい扉が開かれた。

 鮫島は、鋼の思いに答えた。

「早く見せろ」




 漫画でごった返した鮫島邸に、四人の男が入り込んだ。ただでさえ理不尽な重量に耐えてきた床板が、キイキイと悲鳴を上げている。

「これだ。これが、泉里をさらった――」

「仲間が持ってたスマホっす。間違いないっす」

 スマホを取り出す鋼に、杠が頷いた。

 鮫島はひったくるようにスマホを受け取ると、パパっと画面を点灯させた。

「……読めるか?」

「当然だ。これはスペイン語だ。それで?何を見ればいい?」

「人さらいたちが、拉致した人間をどこに集めてるか、書いてないか?」

「何通か来てるが、一番新しいやつには〝いつもの場所〟としか書かれてない。もっと下までいかないと――」

 めり込んだ眼鏡の奥で、鮫島の目が超高速で動かされている。そのスピードたるや、人間技とは思えない。

 しかし、日本中を騒がせてきた人さらいたちの違法なやり取りは、鮫島の願いをもってしても処理しきれないほど膨大だった。どれだけスクロールを繰り返しても、メッセージの履歴がやむ気配はない。

「――どのメッセージも遠回しな表現ばっかりだ。全部読むには時間がかかる。おい、方角くらいわからないのか」

「ほとんど何も、南の方に曲がったのが最後だ」

 鋼の言葉を聞いて、鮫島の額に大量の脂汗が噴き出した。

 力になるつもりではあったが、ここまで途方もない量だとは、正直予想外だ。鋼の大切な人の命が、自分の解読にかかっていると思うと、急にプレッシャーとストレスを感じた。

「鋼君、僕たちだけでも先に出よう。ここでじっとしてたら時間がもったいない」

 鮫島の作業を今か今かと待ち構えている鋼を見て、新道が言った。

「車を探しに行くんだ。僕なら、信号に捕まらない」

 新道の顔を見上げ、鋼は思考を巡らせた。

 ここで解読を待っていても、泉里には近づけない。それより、少しでも、犯人が進んだと思われる方向に進む方が、吉と出るはずだ。

「あぁ行こう。おっさん頼む!」

 素早い決断と共に、鋼は走り出した。

 その背中めがけて、杠が自分のスマホを投げる。

「鋼さん、俺のっす!連絡に使ってください!」

「さんきゅーゆず!」

 鋼はスマホの軌道をほとんど見ずにキャッチした。

「鋼君!」

 ドアを出て行く鋼に、マスターは言った。

「もし逆の方角だったらいけない。僕と杠君はここに待機して、行き先がわかったら出るよ」

 鮫島邸を後にしながら、鋼は後ろ手に手を振った。

 すぐ近くには、新道の車が停められている。泉里がさらわれたのと、全く同じ車種、(しゃ)(しょく)。唯一違うのは、ナンバーが2865であることだけだ。

 その助手席に飛び乗り、シートベルトを乱暴に締めた。反対側では、いつの間にかエンジンをかけた新道が、同じようにシートベルトを締めていた。

「駐車違反とスピード違反、目、つぶってね!」

「あぁ、全速力で頼む!」

 新道はギアをドライブに入れた。既に全開まで踏まれていたアクセルペダルによって、エンジンはフルスロットルだ。

 弾丸のように発車し、それでも最初の信号を難なく通過し、黒のミニバンは突き進んだ。

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