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後編

 なにがあっても、基本的に菩薩。菩薩を目指そう。

 声は荒げず、手も上げず、権力も振りかざさず平等に、そして淑女の笑みで乗り切る。

 そう思ってフィルフィーアは日々を過ごした。

 思って過ごしているのに、頭を抱えたい毎日になっている。

 やはりいくら聖女と呼ばれ男爵家に属しているとしても、愛星の行動は目に余るとフィルフィーアに賛同する生徒たちもいたが、なぜか彼らはフィルフィーアの取り巻きという扱いになり、クラウディスを取られる嫉妬によりフィルフィーアが仕切って嫌がらせをしている、ということにまでなっている。


 そんな強制力ってある??

 なんとか回避できないかと関わらないようにしながら距離を保っているはずなのに、事件が勝手に起こってどんどん対立する構図ができあがっていく。

 授業はクラスが別だから関わらないが、それでも廊下や食堂、図書室、大広間などなど、共用スペースでは鉢合わせてしまうことがあった。かかわらないようにすると無視していると言われ、挨拶したとしても嫌味を言われただの睨まれただの、なぜかすべてにおいて悪い方向に拾われてしまう。

 正直に言って、フィルフィーアはお手上げだった。

 なんとか平穏な学園ライフになるよう全力を尽くしているつもりが、待ってましたとばかりに悪い結末に転がっていく。

 授業も貴族相手であるから、家で叩き込まれたことをなぞるくらい。これでは学園に通う意義があるのか疑問である。そう思いながらすでに二年が経ち、関係は悪くなる一方のままあと半年もすれば卒業の空気に包まれるのだろう。

 お稽古事である授業、王太子と聖女を祭り上げる学園祭、難癖をつけられる魔法実地試験などなど、まったく身にならないイベントを経てしまった。


 こんなことなら身分関係なく生徒を受け入れたらいいのに。魔力を持つのは貴族だけではないのだし。応用編を教えるならまだしも、すべてにおいて基礎ともなれば貴族同士の馴れ合いの場でしかない。そんなことに意味があるのだろうか。……ある人もいるのか。

 わかりやすいヴィゼルの授業を聞きながら、フィルフィーアは今日もため息をついた。月に一度となってしまった彼の授業も、もう聞くことができなくなる。

 今月いっぱいで講師を辞すのだと無表情に伝えられたのは、先ほどのことだ。短い間でしか彼の生徒でいられなかったことが心から惜しまれる。ああ、そうか。こんな学園でもヴィゼルの生徒になれたことは、フィルフィーアにとって唯一の利点だった。けれども、それももう、終わってしまう。


「まだそんな本を使っているのか」


 率先して授業で挙手をするようなことはないが、ひっそりとフィルフィーアは課題をこなして試験もパスする。手を抜くまではしない。課されたことを忠実にやり遂げる。ただ、それだけでも出来がよい結果となってしまうが。

 何度も読み込んだ本を抱えたフィルフィーアが試験結果を見上げたとき、クラウディスがわざわざ声をかけにきた。

 試験結果を見に来ている生徒はたくさんいて、自然とフィルフィーアたちの様子を窺っている。ゴシップ好きなお貴族様たちは、王家の婚約者がどうなるのか隠しきれていない水面下で楽しんでいるのだ。

 愛星の姿は見えない。きっとこのあと駆け寄ってくるのだろう。

 平常心、と心で唱えたフィルフィーアは菩薩の笑みを浮かべた。


「ええ。とても勉強になりますから」

「もう傷みがひどいじゃないか。買い換えたほうがいい。最近は前神官長が監修したものが主流だ」


 さくっと否定されても、フィルフィーアは笑みを保ったまま。


「そちらの本ももちろん拝読いたしました。ですが、わたしにはこちらがわかりやすいのです」

「どこの誰が書いたかもわからないものを読むとは物好きな」


 つまらなそうな顔で滑らかに毒を吐くので、フィルフィーアの笑みもいっそう濃くなる。


「他人の大事なものにまで気をお配りいただきまして、ありがとうございます」

「……ああ言えばこう言う。まったく、口の減らない。きみがこんなにも意地の悪い性格だとは思わなかった」

「ご期待に沿えず申し訳ございません」


 こちらも、こんなに話が通じない王太子殿下にびっくりである。

 もっと寛容にならないと人の上に立つのは難しいのではないだろうか。まあ、大きなお世話だろうけれど。思いながらフィルフィーアは響いてきた足音に気づいて、さらにため息を押し殺した。


「クラウディス様~! おまたせしました」

「ああ、アイラ。試験結果は見たか?」

「はい! クラウディス様が教えてくれたから、前より順番が上がったの! どうもありがとう!」


 王太子殿下に対してずいぶんな慣れ慣れしさに、フィルフィーアのほうがひやひやしてしまう。

 ああいう、表情豊かなのがかわいいんだろうなあとは思う。今まで彼にあのように接してきた人はいないから、新鮮であるのと近い距離がうれしいのと。けれども、彼は王太子、彼女は男爵令嬢。思うところがある。

 けれども、やはりクラウディスは満更でもない笑みを浮かべた。咎める気もなければ、諭したところで聞くこともないはず。もうすでにフィルフィーアが何度もやったが、今に至るのだから。こんな彼らで国王陛下たちはよいのだろうか。


「頑張ったのだな。……教科書がなくなったと聞いたときは驚いたが、アイラの実力は素晴らしい。その後に変わりはないか?」


 フィルフィーアへ対する声とは雲泥の差のある甘い声である。

 ちらっと、フィルフィーアを見てから、愛星がしゅんと眉を下げた。


「ええと、実は昨日、授業の内容をまとめていたノートもなくなってしまって。机にあったはずなんだけど」

「なんだと……」


 どうして、そこでこちらを見るのか。

 何度も経験した諦めを感じたフィルフィーアは、それでも険しい表情のクラウディスをまっすぐと見つめる。どうしたって、いつでも、こういうことになるのだ。


「フィルフィーア、きみはアイラの持ち物の行方を知っているか?」

「いいえ、存じません」

「嘘は許さない。答えろ、命令だ」


 今度はため息を隠すこともやめた。

 ああ、もう、本当にどうして、こんなにも面倒なのだろう。

 小説のなかでは問い詰められて断罪されるのは、あと一か月先のことだ。けれども、おそらくこの流れは、フィルフィーアの知る結末に向かっていっている。

 唐突だが、これが潮時だ。それならフィルフィーアも好きにしよう。面倒から解放されたい。疲れてしまったのだ。

 すっと顔を上げ、まっすぐとクラウディスを見据える。


「ご命令に従ってお答えします。わたしは存じ上げません」

「フィルフィーア。きみはこれまでアイラの私物を壊したり、隠したり、あまつさえ階段から彼女を突き落とそうとしたことだってあったな。私が知らないとでも思っているのか? すべて、報告を受けている。それでもまだしらじらしくも認めないつもりか」


 ほんのわずか、首をかしげる。

 もうここで退場だ。それなら、悪役らしくやってやろうじゃないか。小憎たらしく上目遣いで、甘い甘いやわらかな声を出す。


「ご報告とは、いったいどちら様から」


 フィルフィーアのまとう空気が変わったからか、クラウディスは一瞬言葉を詰まらせた。しかし、すぐに淀みなく言葉を紡ぐ。


「もちろんアイラからだ。やさしい彼女は言いたがらなかったが、私が無理やり聞き出した」

「アイラ様のお言葉がすべて正しい証拠はあるのですか」

「いい加減にしないか。きみが私の婚約者だからといって、きみに権力があるわけではない。口を慎め」


 厳しい口調を前にして、フィルフィーアは悲しげに瞼を伏せてから、その次にはにっこりと華やかな笑みを浮かべてみせた。


「お言葉ですが、殿下。証拠もないのに一方の話のみを信用するのは人を導く方として、いかがなものかと。……アイラ様の私物の行方を、わたしは存じ上げませんが。お示しする方法でしたらございます」

「え?」

「どうぞ、こちらをご覧ください」


 パチンと指を鳴らす。

 ヴォンと音を立てて半透明の教室が虚空に映し出され、愛星がノートを机にしまっているところだった。

 彼女は鞄を持って席を立ち、楽しげに教室を出て行く。おそらく、この後クラウディスに会うのだろう。

 ポツリポツリといた生徒たちがいなくなると、夕暮れに染まっていく教室に人影が現れた。クラウディスの取り巻きをしている貴族の女子が二人。彼女たちは誰もいないことを確認するとまっすぐと愛星の席へと向かった。

 ノートと教科書を何冊か抜き出すと、鞄にしまってそっと廊下に戻っていく。

 場面が変わって、学び舎の外が映ると彼女たちは裏庭に向かっていった。ほかに人がいないことを確認するように首を巡らせてから、お互いに頷いて、茂みの向こうに愛星の持ち物を乱暴に投げ落とす。

 しん、と沈黙が廊下に落ちた。

 フィルフィーアはもう一度指を鳴らして魔法を解いた。


「……ということですので、裏庭の茂みをお確かめください。階段から落ちそうになったときや、壊されたもののご確認もご希望ですか?」

「な、な、」

「わたしがなにを言っても受け入れていただけませんので。勝手ながら学園のいたるところに記録用の魔法具を設置いたしました。殿下はこれから国を治める方ですから、偏見や思い込みで意見を聞き入れないのは直したほうがよろしいかと」


 このまま国王になったら国民が気の毒すぎる。

 すでにこの学園内でもクラウディスに見切りをつけている者もいる。あと数年したら、派閥の様子も変わってくるのではないだろうか。貴族は得てして、取り繕うのは得意だ。味方のふりをして、いつだって自分においしいものは何かを考えている。

 親切にも思えるこの忠告だって、もはや彼には届かないのだから。言いたいことのほんの一部でしかないのに、やはりクラウディスは声を荒げてフィルフィーアを嫌悪の目で睨んだ。


「ふ、ふざけるな。馬鹿にするにもほどがある! それが婚約者、そして王太子に対しての態度かっ」


 王太子がその態度でいいのか。

 言いたいが、言うのももう疲れてしまって黙っていると、彼は戸惑いの表情を浮かべた愛星の腰を抱いたままきつい口調で言い放つ。


「きみとは金輪際話したくもない。学園から出ていけ! 婚約も解消だ。侯爵家の恥として生きるがいい」

「かしこまりました。謹んでお受けいたします。――言質はいただきました。これまでの会話もすべて陛下へお届けしておきますね」


 パキン、と手のひらに現れた光の結晶。

 そこに今までの会話をすべて納めていた。きちんと糾弾されている様子も、婚約解消の言葉もばっちりである。

 にっこり笑って結晶に結界を張ってから、そのまま国王陛下へ向かって一気に飛ばした。

 それでは、ご機嫌よう。

 きれいにきれいにお辞儀をして、優雅に身をひるがえす。

 惜しむことなくここで幕引きとした。


 そこからはもちろん壮絶だった。

 これほど簡単に人生が変わるのも困ったものだ。教科書やらノートを隠しただけで終わる人生もある意味ですごい。そして実際はフィルフィーアがやったわけではないわけだし。

 こんなくだらなくて馬鹿げたことはあるのかと思うフィルフィーアを待っていたのは、両親からの罵声と体罰、部屋への監禁。せっかく漕ぎ着けた王家との縁を台無しにしたことで、侯爵家に泥を塗ったという理由だが、おそらく自分たちの豪遊生活が揺らいだことが許せないのだろう。

 バッサリ切られた髪を指で梳きながらフィルフィーアは苦笑する。

 家から追い出すために罪人とするのが都合がよいらしい。ここで殺しはしないが、別の生活でのうのうと生きさせる気もない。そしてそれはもちろん、この侯爵家にはフィルフィーアという娘などいないということにした上でである。本当に性格が悪い。

 婚約解消に深く傷心した侯爵令嬢は屋敷に引きこもり、そのうちに病を患って息を引き取る。その未来を企てながら、明日、ひっそりとフィルフィーアを邸から連れ出して娼館に売りつけるという算段とのことだ。罪を犯した女を娼館だってそこまで大事にしない。もらえるお金よりもフィルフィーアの不幸を望むということだ。


 何年も前から準備をしていたフィルフィーアは、もちろん言いなりになるつもりはないから隠してあった荷物を抱え、動きやすい庶民の服に着替え、夜が更け、周りが寝静まった頃合いを見計らって窓を開けた。

 魔法があれば、すぐに遠くまでいける。姿をくらませるのもできるが、おそらく両親も、クラウディスたちも、学校の関係者たちも、フィルフィーアがそこまでできるとは思っていない。

 このためにずっと本気は出し切らず、静かに静かに菩薩に徹していたのだ。

 さあ、行こう。

 躊躇うことなく窓枠に足をかけ、ポンッと外へ飛び出した。体が浮いた瞬間に頭の中で魔法を唱える。

 唱えた、はず、なんだけど。


「どちらへお出かけですか」

「へ?」


 街の外に広がる森が目の前に広がる。

 そんな予定に反して、フィルフィーアはポンッと分厚い絨毯の上に立っていた。

 夜の帳が下りた薄暗い部屋には、ランプの明かりと、きらきらと光る青銀の輝き。

 フィルフィーアは目を丸くして目の前の相手を見上げた。


「こんな夜半に家を出るのは感心しません」


 低く静かな声が、やわらかく窘める。もう会うことがないと思っていた、やさしい人。


「先生……?」


 吐息と一緒にこぼれ出た声に、ヴィゼルがそっとため息をついてから立ち尽くしているフィルフィーアの手を取った。さっと目を走らせてから眉を顰める。


「あなたほどの分別も知識も持ち合わせた女性が、いったいどちらへ。しかも、その髪に頬――誰ですか、そのような仕打ちをした痴れ者は」

「ええと、髪ですか」

「……殿下ですか?」


 突然の状況についていけていないフィルフィーアは、思いのほか固いヴィゼルの声にはっとした。目の前にいるのは、ヴィゼルだ。しっかりしなければ。

 おそらく、ヴィゼルはなんらかの方法でフィルフィーアをこの場所に転移させた。まるでフィルフィーアが人知れず家を出ると予想していたかのように。

 自然と背を正したフィルフィーアは頭を振ってから口を開いた。


「いえ、これは父に。クラウディス王太子殿下と婚約解消となりまして、侯爵家の恥を償うよう言われております」

「婚約解消は犯罪ではありません。髪を切る必要も、暴力をふるう必要も皆無でしょう。その体で、どちらへ?」


 とてもとても、不思議な心地がした。

 今まで、こんな風に、理性的な会話をしたことがあっただろうか。

 誰も、フィルフィーアの話を聞かないこの世界で、どうしてこの人はいつも、フィルフィーアをすくってくれるのだろう。叱っている口調に涙がこみ上げそうになる。


「……明日、娼館に売られるそうです。大人しく従う気はないので、出てきました。魔法もありますから、冒険者にでもなれたらと」

「フィルフィーア様」


 咎める声に、ゆっくりと首を振る。

 このまま家から姿を消したとしても、あの両親は探すことはせずにいたぶれなかったことを苦々しく思いながら、予定通りあと数か月したら娘の死を世間に知らせるのだろう。フィルフィーアだって、戻る気なんて微塵もない。


「もうただのフィルフィーアです」

「私にとってはお嬢様です。――初めからそのおつもりですか」


 ぎゅっと、手を包む力が強くなる。

 射るように注がれる空色は、そらされずに容赦なくフィルフィーアをとらえた。


「だから、身を守りたいとおっしゃったのか。あんなに嫌がった魔法を覚え、理不尽な処罰も受け入れて。初めからあなたは、それが正しい答えであるとばかりに」


 常に冷静で淡々としていたヴィゼルの声ににじんでいるものに、フィルフィーアは言葉を失う。どうして、この人が、フィルフィーアのことを考えているのだろう。ただの生徒で、学園では悪評高かった、鼻持ちならない自分なのに。

 返す言葉が思いつく前に、ヴィゼルはさらに先を続ける。


「あの本は、あなたの参考にならなかったようですね。残念でたまりません」


 ため息が、ひとつ。

 驚きに見開かれたフィルフィーアを見つめたまま、ヴィゼルは一歩その距離を縮めた。


「私は願いを込めました。健やかであれと、ひとりで抱え込まずに頼って良いのだと。それは、届きませんでしたか」


 几帳面な手蹟が浮かんで息をのむ。

 何度も何度も読んで、噛み締めたヴィゼルの言葉。いつだってフィルフィーアの傍らにあった、あの大切な本を開かなくても書いてあることはもうフィルフィーアの頭の中にある。

 かあっと頬が赤くなった。

 はずかしい。言われるまで自分はもうすべてを身につけたと思っていた。知らぬ間に驕ってしまっていたのか。大切なことをおろそかにして。


「……いいえ、わたしが大丈夫だと決めていただけです。誰の手も必要ないと、どうせ自分しか頼れないのだと」


 見守ってくれていた目があったことにも気づかずに、ここまで駆け抜けてしまった。まさか、こんな、気に留めてくれているとは、思ってもいなかったのだ。

 それが未熟な証拠に思えて、フィルフィーアは足元に目をそらした。

 しかし、ヴィゼルがふうと息をはいて空気を揺らす。硬かった表情をほんの少しやわらげて、今度はヴィゼルが首を振る。


「いえ、私ももっと早くにお助けすべきでした」


 思ってもみなかった言葉を聞いて、フィルフィーアは苦笑を浮かべた。

 ああ、なんて、やさしいのでしょう。


「それは先生でも難しいです。彼は王太子ですし、彼女は聖女です。いくら宮廷魔導師とはいえ穏便にはいきません」

「……どうしてこんなに物分かりがよいのですか。ですが、おひとりで無茶をするのはおやめください」

「先生」

「言ったでしょう、頼ってくださいと。改めてあなたの力になることはできませんか」


 手を取られたまま、ヴィゼルが膝をついた。向けられる空色。鮮やかな青銀髪。

 まるでそれは、初めて会ったときみたいに。


「幸いにも、隣国にいる恩師に誘われてそちらで魔法学を指導することとなりました。あちらは身分関係なく門戸を開いているそうです。私の思い違いでなければ、あなたはそういう体制に興味をお持ちだったのでは?」


 まだ、間に合うのだろうか。

 もう何年も前に逃してしまった、学園生活も終えてしまったフィルフィーアが、またこの手を取っても。本ではなく、この落ち着いた静かな声に、空色の瞳に、導いてもらっても、いいのだろうか。

 フィルフィーアの迷いなんてお見通しとばかりに、ヴィゼルは言葉を足していく。


「私はこれから隣国へ渡ります。行く当てがないのでしたら、せめてひと月でかまいません。ご一緒くださいませんか」

「先生」


 空色は、揺るがない。

 吐息をこぼしたフィルフィーアをとらえたまま。


「どうされますか、フィルフィーア様」


 指先が震えた。

 向けられる視線に、声に、頭の中でぱらりと本が捲れる音がする。

 答えがあるはずのそこには、白紙の世界が続いていた。


「よろしくお願いいたします」


 フィルフィーアは顎を引いて姿勢を正し、きれいにきれいに頭を下げる。

 もう肩からこぼれる髪はないけれど、少しでもうつくしく映るよう細心の注意を払って腰を折ると、驚くほどやさしく、その手を引かれた。



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