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前編

 いや! 魔法なんていらない! そんなこわいもの、知らない!

 なんて、癇癪を起こしてしまった。

 三日前のことである。初対面の先生を前に泣いて叫んで駄々をこねた。齢10の侯爵家長女とは思えない行動だった。

 本当にもう、ありえないほど頭が悪いし幼稚な行動である。

 フィルフィーアはため息をこぼした。それはもう大きな大きなため息になった。

 まさかそのあとに高熱で臥せって、前世の記憶とやらを思い出してしまうなんて運が良かったのか悪かったのかもわからない。


 熱でうなされているとき、脳裏を駆け巡ったのは日本での生活。そしてそれは、今いるここがアニメ化もしたライトノベルの世界と類似しているという事実だった。

 どこにでもありそうだとは思うが。自分の名前や立場、人間関係や国家の情勢等、あてはまってしまうのだからそういうことなのだろう。噂の異世界に転生しちゃった系だ。

 そうなると、自分のこの先がどうなるのかだが。

 15歳で入学する学園でヒロインと会うことになるが、その邪魔をしまくって婚約者である王太子殿下とヒロインの恋を盛り上げる役が待っている。それはまあいい。ただ、最終的に婚約破棄を言い渡され、家には不名誉だと勘当され、娼館に売り飛ばされる流れになるから、これは困った。


 冷静に考えれば、未来のお后様は憧れてもいいかもしれないが、自分がなるのは避けたいところ。国単位の責任を負うのは身に余るし、まだ会っていないが、小説の王子はヒロインだからこそ支えられたのではないかと思うのである。言っちゃうと好みではないのである。

 つまり、婚約破棄はよい。

 あとはその後の生活をどうしたら快適にできるか。

 その手段のひとつが、魔法の習得だ。にもかかわらず、三日前に愚かにも自分で機会をつぶしてしまったからフィルフィーアはため息が止まらなかった。記憶が四日前に戻っていたら……しかしながら、あの癇癪が引き金になって戻った可能性もあるから何とも言えなくて、またため息。


 手元にある分厚い一冊の本をなでた。

 こちらを、と差し出してくれた男の人が思い出される。

 目を奪われるほどの、うつくしい青銀髪だった。膝をついてあの凛とした、空色の瞳を合わせてくれたのに。

 ヴィゼル先生は、まだ若くて駆け出しの魔導士だった。のちに学園の講師や宮廷魔導士にもなってしまうくらい素晴らしい知識と技術を持っているのだが、今は彼の名はそれほど知られていないのだろう。

 魔法に秀でた一門の出であること以外、目立った功績がない。もしかしたら今の彼にとってフィルフィーアの教師となることは、とてもとても重要だったのかもしれない。侯爵令嬢の師となれば出世もまちがいないだろう。それをただのわがままで踏みにじったことで、どうなったのか。後ろ指さされることになってしまったのだろうか。


 こんな、小娘相手に。精一杯の歩み寄りをしてくれていたのに。

 膝をついて、そっと、手を伸べてくれたのに。

 小説の中でも、フィルフィーアの師に彼がなったという過去はなかったはずだ。だから、正しい。起こりえないことが、起こらずにすんでよかったはずだ。

 けれども、ただただ、悲しかった。

 用意してくれた本は、丁寧に丁寧に書かれていた。魔法学の基礎から上級魔法に至るまで、わかりやすく説明も添えて右肩上がりのきれいな文字が綴られている。たかが10歳の子供相手に、誠意をもって向き合ってくれたのがうかがえる。

 ああ、どうして素直に教えを請わなかったのだろう。

 この、やさしい人が。

 これ以上嫌な思いをしないですむよう、フィルフィーアは祈るしかない。


 踏みにじって今の状態を作ったのは、自分である。

 だからフィルフィーアは、手元に残ったこの本を大事に大事に、教科書にして魔法を身につけることにした。勘当されて路頭に迷ったとき、きっとその力は自分を生かしてくれる。本当に娼館へ入ることになったとき、身を守る術は必要だ。

 だからフィルフィーアは感謝した。

 この本があれば、きっと大丈夫。大丈夫なのだ。


 後悔とは、やってしまったあとでするから後悔。もうしかたがない。

 フィルフィーアはその日から切り替えることにして、両親から課される上流階級作法を身につけつつ、独学で魔法の勉強をした。

 小説だと性格が悪いフィルフィーアは、たぶん思い出さなければわがままで高笑いの似合うそのとおりに育っただろう。両親は、言ってしまうと大変性格が悪かった。彼らと暮らしていけばそれが普通になってしまったはずだ。

 けれども幸いにも踏みとどまった。わがままには、いつだってなれる。なれるが、先を見つめる方が大事なのだとわかってしまった。


 淑女の嗜みも、礼儀作法も、ダンスも話術も、ありったけ、できることはやった。

 魔法はいらないと啖呵を切った手前堂々と学ぶのも気が引けて、あの本を片手に、書かれたことを忠実に学んだ。まずは、魔法とはなにかから。そして自分に結構な魔力があることを知り、結界の張り方を覚え、実現させるのを第一目標にした。こっそり学ぶとなると、庭で盛大に呪文を唱えるわけにはいかないのである。

 自分の部屋で、被害が出ないように。

 結界が結べるようになるまで、およそ半年。そこからは、フィルフィーアの成長は早かった。自分の持つ力をどうしたら望んだ形に表せるか、体が覚えたらうんと楽になったわけだ。

 そこからはあの本の中身も一層フィルフィーアのためになった。


 ――どんなに学び修練しても、自身の力が足りないこともある。己の未熟を認めることもまた成長への一歩。

 ――人を頼ること、方法を変えること、視点を変えること、気分転換をすること、こんを詰めすぎないこと、体と心を大切にすることを、忘れずに。


 そんな冒頭が、たまらなく優しくて。

 何度なぐさめられたことか。

 ああ、あの先生から教わっていたら、もっと上手くなっただろう。世界も広まっただろう。

 フィルフィーアは初めのページを眺めてから、そっと、本を閉じた。




* * *




「お久しぶりです、ヴィゼル先生」


 大事な本を丁寧に包んで、向かった先はとある執務室だった。

 今年、フィルフィーアは15となる。晴れて入学となった学園で、目的の人はやはり臨時で教鞭をとっていた。

 恥ずかしくないよう、きれいにお辞儀する。

 憎たらしいほどまっすぐな銀髪が、さらりさらりと肩からこぼれた。


「……フィルフィーアお嬢様、わざわざこのようなところへ」


 ぎしりと椅子を鳴らして、ヴィゼルがフィルフィーアの前までやってくる。

 変わっていないきれいな青銀髪と、空色の瞳。そして、少しだけ大人の深みを帯びた面立ち。

 ああ、とため息がこぼれた。


「あのようにお別れしたのに、お会いくださる寛大なお心に感謝いたします。――こちらを、お返しに参りました」


 あの出来事を忘れているとは思わないが、事前に伺いを立てたところ承諾の返事が来て、フィルフィーアは内心で驚きと緊張でいっぱいだった。

 だらしないと思われないよう、今までのレッスンを総動員して淑女を目指す。頭の角度、指先の向き、声の大きさ……王太子との顔合わせだって、ここまで気をつかわなかったと思う。

 細心の注意を払いながら、フィルフィーアは包みを相手へ差し出した。


「本当なら、すぐにお返しすべきでした」

「これを読まれたのですか」


 フィルフィーアは一度言葉を探した。

 読んだ。読んだけれど、この本は返すつもりで別に自分で全てを書き写し、メモを書き足し、折り目もついてくたくたにしている一冊がある。

 それはあえて言うことではなく、かといって読んでいないと言うのも嘘だとすぐバレる。


「……汚さないよう気をつけてあります」


 授業で全力を出すつもりもないが、すべてが目の前にいる人の知識からできたものだ。彼がフィルフィーアの魔法を見たら、おそらくどうやって身につけたのか一発でわかる。

 だから控えめにそれだけ言って微笑んだ。

 ヴィゼルはじっとフィルフィーアを見つめ、静かに、そっと、唇を動かす。


「なぜ、魔法に向き合うおつもりに」


 フィルフィーアは笑みを浮かべたまま、すべては語らず、けれども嘘はつかないよう気をつけるために言葉を探した。

 言葉は、むずかしいのだ。たった一言が命取りになることもある。


「このさき、必要ですから。自分で身を守らなくては」

「ご自身で、ですか」

「ずっと今のままではいられません」

「……なにをお考えです」


 訝しげな低い声に、やんわりと首を振る。


「いいえ。ただ、わたしはわたしのために。貴族といえど、身の保証は絶対ではないのでしょう?」


 いつか、去る日のために。

 教わったことをひとつでも多く身につけたかった。ただ、それだけ。

 見すかすような空色の目でフィルフィーアを見据えたヴィゼルは、一度だけ目を伏せるとやんわり首を振った。


「そちらの本は、そのままお持ちください」

「ですが」

「一度差し上げたものです」


 迷いもなく、はっきりした声。


「よ、よろしいのですか」

「ええ」


 思わず、フィルフィーアは顔を綻ばせてしまった。

 まさかそんな、くださるなんて!


「ありがとうございます」


 ぎゅっと胸の前で本を抱いて、フィルフィーアは飛び跳ねたい気持ちをぐっと抑えた。だめだめ、今は淑女、わたしは淑女!

 同じ内容を書き写してあるとはいっても、ヴィゼルの文字で綴られたあの本は、まるでヴィゼルが教えを説いてくれているようで。フィルフィーアは今まで以上に大事にしようと心に決めた。

 わずかに驚いたように目を見開いたヴィゼルに、慌てて居住まいを整え、お礼を繰り返してからお辞儀も忘れずに部屋を辞す。

 先生がお元気そうでよかった。ホッとしながらフィルフィーアは顎を引いて姿勢を正し、廊下をまっすぐと歩いた。


 この学園は貴族の子供たちが通う場所であり、在学期間は3年間になっている。

 卒業を待たずに婚姻が決まったり家督を継いだりすることもあるので、中退することも珍しくない。

 魔法の基礎や実技ももちろんだが、国の歴史やら近隣国の歴史やらの座学もあれば、ダンスもやる。加えて男子は剣術もある。

 貴族は大体家で教師を雇ったり親に躾けられたりするので、改めて学校で習うことってあるのか? というのがフィルフィーアの正直な感想だ。それでもこの学園に入学した、卒業した、というのは貴族間で一種のステータス扱いになっているため、基本的には行かないという選択肢はないのである。


「フィルフィーア」


 入学して5日ほど経った頃である。

 フィルフィーアが食堂に行くと、婚約者であるクラウディスの声がかけられた。振り返ると、ふわっとした蜂蜜色の髪をきちんと整えている彼と、その横には懐かしい色彩を持つ女子生徒がいた。

 フィルフィーアは内心でため息をこぼす。


「ごきげんよう、殿下」

「きみも今から昼食か」

「ええ」


 なんの躊躇いもなくフィルフィーアの正面の椅子をひいたクラウディスに続いて、その女子生徒も彼の横にさらりと腰掛ける。途端に食堂内がざわめいたが、フィルフィーアはそれを完全に無視した。

 表情を崩さず、クラウディスに視線を向けて姿勢を正す。


「フィル、きみも知っていると思うが。こちらは男爵令嬢のアイラだ」


 異世界から来た、聖女と呼ばれる少女。

 ひと月ほど前に社交界の話題を持ちきりにしていた人物だ。突然姿を現したこの少女は、偶然居合わせた男爵の家に引き取られている。

 黒髪を揺らしてにっこり笑った彼女を、フィルフィーアはまじまじと眺めてしまった。肩口で切りそろえられた髪型はよく似合っているが、この世界では珍しく人目をひく。基本的には女性の髪は長いものがよいとされ、罪を犯した者が償いとして髪を切り落とされるから、そうではないとわかっていても奇異に映るのだ。

 フィルフィーアの髪も、腰まである。以前の記憶があるから短いほうが楽だし、人によっては似合う長さも違うのになと思うから、彼女の髪型がうらやましく、そして懐かしかった。

 二度瞬いたフィルフィーアへ、相手は明るい声を響かせる。


「フィルフィーア様、はじめまして。愛星っていいます」

「彼女はまだここに来たばかりで心細いはずだ。きみが仲良くしてやってくれ」


 クラウディスと愛星はクラスが同じである。

 フィルフィーアが知っている範囲と、なんらかわりない。やはり物語をなぞる未来なのだろうか。ぼんやりと思いながら、フィルフィーアは慣れた笑みを浮かべてうなずく。


「かしこまりました。アイラ様、フィルフィーアと申します。よろしくお願いいたします」

「やだ、フィルフィーア様。仲良くってことで、どうぞ呼び捨てにしてください! 様とか慣れなくって」


 可愛らしい声に、驚きつつもフィルフィーアはゆるく首を振って口を開く。

 さすがにそれはまずい。そしてその発言もまずい。大丈夫だろうか、仮にも男爵令嬢である。この先、この学園でやっていけるのだろうか。日本ではないここでは、身分がかなり重要視される。早めに釘を刺したほうがいいだろう。


「いいえ、アイラ様。それはなりません。あなたもわたしも身分というものがございます。親しくなったとしても、人前では立場を蔑ろにしてはなりません」


 静かに、諭した。

 はずなんだけれども。


「ひ、ひどいです。あたしはただ、仲良くなりたかったのに……」


 震える声と、落とされた肩、潤んだ茶色い瞳。


「フィル」


 おかしい。

 しょんと肩を落とす愛星と、咎めるような視線でこちらを見るクラウディスが目の前にいる。

 非難の目と、周りのざわめきが容赦なく突き刺さってきて、フィルフィーアは笑みのまま固まった。


 これ、絶対、ダメなやつー!!


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