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僕も異世界に行きたい  作者: 十条王子
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紅葉

 洗濯物が一日で乾かなくなった。そんなところで、季節が秋に変わったことを実感した。

 思えばとっくに雲は秋の形で、仕事の帰り道に聞く虫の音は、蝉から鈴虫や蟋蟀のそれに変わっていた。そういったところで、季節の変化を実感できていたら、それはとても趣のあることで、風流な人間で、自分がそんな人間だったらよかったなぁと思うのだけれど、僕が秋の訪れを感じたのは洗濯物が乾きにくくなったというあまりにも現実的なところだったから、それをすこしばかり残念に思った。

 仕事から帰り、出勤前に干した洗濯物を取り込むと、冷たく、まだ湿り気が残っていた。リビングとキッチンを繋ぐドアを開けて、のれんのように、そこにできた空間に洗濯物を干す。そうすると、当然、部屋の移動がしにくくなる。ときどき引っかけて落として憤慨する。分かっているのに、いつも同じことをしている。

 水回りだけはきれいにしている。水回りが汚いと、金運に見放されたり、女難に遭うと聞いたから。だからいつもトイレや洗面台、お風呂はピカピカである。ただキッチンに関しては、使っていないからきれいなのだとも言える。一通りの料理道具だけは揃えてみたものの、下手をすれば一度も使われていない器具の眠るキッチンには、だから虫も湧かない。これはこれでいいかと思っている。どうして、ふるいなんて買ったのだろう。

 いや、分かっている。某生活雑貨店にいたあの時の僕は、きっと自分はお菓子を作るだろうなどと、身の程知らずにも考えていたのだ。お菓子を作るどの過程でふるいが使われるのかもわからないくせに、白いパウダーをふるっている自分を想像しただけで、パウダーをふるう自分に憧れただけで、この無駄な買い物をしてしまった。そんな僕に購入された不遇なふるいの立場に気づきながらも、しかし今さら、お菓子作りを始めるつもりもない。気が向いたら、そのうちするだろう。だけど気は、たぶんずっと、向かないだろう。ごめんね、ふるい。なんていうと、古井くんに謝っているような気になった。でも僕に古井なんて知り合いはいなかった。

 冷蔵庫を開けると飲み物がなかったので、買い物に出かけることにした。秋の涼しい空気に触発されて、自転車ではなく、歩いてスーパーに向かう。道すがら聞こえる虫の音、眩しく輝く月、スーパーの焼き芋コーナーに、ショールを羽織った女性客。秋の到来を告げる風景を抜けて、通年変わらず棚に並ぶ季節感のない商品をカゴに入れて、レジに向かった。カゴに入っているのは、ペットボトルのお茶にチョコレート菓子。

 前に並ぶ中年女性の押すカートには、商品がこれ以上ないほどに詰め込まれたカゴが乗っていた。その女性は、こちらのカゴを見て、先を譲ることを申し出てくれた。一度は断ったものの、「私は時間がかかるから」と再度勧められ、結局お礼を言って、お言葉に甘えた。

 バイトと思われるレジの女性店員は、そんな客のやりとりには興味がないようで、表情を変えることもなくレジをこなしていった。その無表情になんとなく、「秋の表情」と名付けた。「268円です」。小銭を探していると、その間にバイトは商品を袋に詰めてくれた。「ありがとう」とバイトに向かって小さく言い、「ありがとうございました」と後ろの女性に向かって言う。バイトはわずかに会釈をし、女性は笑顔で「いいえ」と返してくれた。いつかバイト店員にキザな台詞でも言って、秋の表情を紅葉させてやりたいと思った。何言ってるんだろうと思った。

 アパートに戻り、お茶を冷蔵庫にしまい、お菓子の入ったビニール袋をテーブルの上に置いた。布団の上に投げておいた携帯を見ると、やはりと言うか、特に何の連絡も入っていなかった。

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