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僕も異世界に行きたい  作者: 十条王子
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衣替え

 いつまでも、夏のつもりでいた。秋が来るのは、まだだいぶ先だと思っていた。

 けど夏はとっくに終わっていて、実は秋も中ごろに入っていた。「今日、中秋の名月らしいよ」そんな言葉も聞いた。そんな言葉を言ったあなたと、月を見上げた。きれいですねと言いたくなった。言わなかったけれど。

 確かに空気も冷たくなってきていた。仕事着も、半袖のワイシャツでは少し寒くて、でも押入れから長袖を出すのは面倒で、それに長袖は動きにくいからあまり好きじゃなくて、だからずっと半袖で粘っていたけれど、ついに職場で、衣替えの通達が出た。半袖が許される期間は終了で、長袖を着て、ネクタイを着用せよとのことだった。そんな感じで、夏の終わりを迎えた。

 夏の終わり、声を張り尽くしたセミが路上に転がるのを見つけては、最後の一鳴きを恐れて距離を取る。油断して近くを通ると急に鳴き出して飛び出すし、ただでさえ虫が苦手な僕はそんな不意打ちにほんとに泣きそうになるから、夏の終わりの道中には注意を払う。しかも死の間際のその飛び方は不規則で予測がつかないし軌道も不気味だし、ていうかセミの方でも制御がきかないまま勢いだけで飛んでいるのではないだろうかという感じで、何となく、ねずみ花火に似ているなと、今思った。

 そんなセミ花火が、去年の夏の終わりには、僕のアパートの、まさに部屋の前なんかに落ちていたから、仕事から帰った僕はもうどうしていいか分からなくて、しばらく絶句してその光景を眺めた後、小石を拾ってきて、放って、ぶつかったけど何も反応がなかったから、これは確実に絶命していると判断して、でもびくびくしながら手早く部屋に入った。石なんかぶつけてごめんねと、今は、謝りたい。でもあの時は「うちの前で死んでんじゃないよ!」って気持ちだった。勘弁してくれって気持ちだった。ごめんね。セミの亡骸は、翌朝には消えていた。

 何年も土の中にいて、そのあと地上に出た時、セミたちはどんな気持ちになるのだろう。異世界に来た気持ちになるのだろうか。なんだこの明るい世界はと。それとも日常の延長なのだろうか。小学校から中学校に、進学するように。学校を卒業して、社会に出るように。セミさん、社会って厳しいよね。

 地上に出て、脱皮をして、セミは大人になっていく。ひと夏の間に、衣替えをして、大人になっていく。抜け殻は捨て去り、飛び立っていく。そして虫取り少年に追いかけられたり、おしっこをかけたり、子孫を残したりして、その命が尽きるまで、声を張り上げる。

 夏の終わりまで、声を張る。野球部みたいだなと思った。全力で生きている感じがする。

 季節が巡るたび、僕も衣替えをしているけれど、果たして成長できているのだろうか。成虫になれて、いるのだろうか。この夏から秋への衣替えを経て、僕は何になれているのだろうか。脱皮して、大きくなれているだろうか。まだ幼虫のまま、地中にいるだろうか。

 移り行く季節をすごし、衣替えを繰り返し、体は成長して、大人になった。だけど心はそうもいかない。成長するためには、今着ている衣を脱ぎ捨てて、新しい自分を目指さなくてはならない。怠惰や弱気の衣を脱ぎ捨てて、なりたい自分に、ならなくてはならない!

 なんて言いながら、僕は今、別の事を考えている。今宵が中秋の名月だと言った、あなたの衣を脱がせたいと、そんな事を思っている。むしろそんなことしか思っていない。そんな煩悩の衣をまとった自分は、石をぶつけられても、たぶん文句は言えない。

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