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昭和生まれのサラリーマンをなめたらいかんぜよ!

作者:りじょうみゆき
誰もが通る道だと思いますが
もし良かったら読んで下さい。

「ただいま~」

 と私は花束を抱えて家の玄関を開ける。

 返事はない。

 当たり前だ。この家に住んでいるのは私だけなのだから。

  今日は私の定年退職の日
 40年間務めてきた会社を60歳で定年退職の日を迎えた。
 同じ課の人達がお疲れ様でした。と花束を手渡してくれた。
 同僚も一足早く定年を迎えた者もいたし
 これからという後輩もいる。
 早かれ遅かれこの二、三年で我々の仲間は定年を迎えるのだ。


 定年したら妻と世界旅行に行く予定だった。
 その妻は三年前に心不全で急に逝ってしまった。
 別れの挨拶もできないうちに……

 ひとり娘は嫁に行き孫が2人いる。幸せに暮らしている。

 しかしすぐに来れる距離に住んでいる訳でもないので、いくら定年の日だからといってこの家にこれるはずもない。

 私は洗面所へ向かい手を洗ってうがいをした。

『明日からはもうこの背広を着る事もないのか』

 と鏡をみた。

 台所にあった焼酎のボトルの飲みかけを持ってきてグラスに氷を入れた。

 テレビの前のテーブルに座り焼酎をグイッと呑んだ。

 どうせ明日からは会社に行かないのであるから、この背広がシワシワになろうが構わない。
 そのまま着替えもせず2杯目をまたグイッと呑んだ。
 家の中はシーンと静まり返ってグラスをカタンと置く音だけが響いた。

 テレビをつけてみた。

 よく喋る芸人達がトーク番組をしていた。
 MCの男性が何か言うたびに会場からお決まりのように笑いが出る。
 何がそんなに面白いのか?
 私は「チッ!芸人集めてひとりをコケにして笑いをとるなんて卑怯な奴らだ。番組も予算が無いのか? セットもずさんだ。サクラとわかるような客席。見るに耐えん」

 と私は誰かに言うでもなくチャンネルを変えた。

 歌の番組をやっていた。

 歌っていたのは若い女の子ばかりのグループで特に歌が上手いわけでもなければ、これといって特徴があるような顔立ちの子はいない。どの子も同じ顔にしか見えない。ダンスと呼べるような振り付けもなく、
 ただ斬新で可愛いらしい洋服を身にまとってみな同じポーズをとるだけだ。
 次の歌手もアルファベットが並んでなんと読むのか意味不明だった。
 名前の由来を聞くと何かの文面の頭文字を並べたと云うのだから、読めるわけがなかった。
 最近は数人のグループで歌うのが流行りなのか?
 同じような振り付けに同じような顔立ち、さっきのグループと、どこが違うのか?
 会場にカメラが向いた。ファンと思われる団体が同じパフォーマンスをしている。

「あー、つまらん日本の音楽業界はいつからこんな団体行動になったんだ。個性ってもんが全く無いじゃないか。歌詞にも主張ってもんが全く無い」

 と私は声に出して言った。
 家の中からは、何も返事は返ってこず、ひたすらテレビが進行している音だけであった。

  娘が生まれた頃は童謡を歌ってあげた。小学校に入る頃にはアニメを一緒に観ながら主題歌を歌い。中学校の頃からは人気アイドル歌手の話を一緒にしていると、いつの間にか私も娘と同じアイドル歌手のファンのひとりとなり、娘と一緒にコンサートやレコードやDVDなどを買ったり、音楽雑誌を買ってきて娘と一緒にポスターを家中に貼った。そんな事を思い出しながら焼酎を呑んだ。

 翌朝になった。
 私はテレビをつけっぱなしで背広のまま焼酎を呑みながらソファーで寝てしまったようだ。

 締め切ったカーテンから、わずかばかりの日の光が差していた。

『あっ会社!』
『イヤイヤ昨日定年したのだからもう行かなくて良いのだ』

 そう思うと急に孤独感が襲ってきた。

 その孤独感を振り切るかのように私は背広を脱ぎ、シャワーを浴びヒゲを剃り髪を整えた。
 そして洗濯をして家の掃除をして買い物に行き食事の用意をした。そしてひとりで食べた。

 会社を定年する少し前に定年後の自分の生活についての研修を受けていた。

 仕事中心の世代は生活の一部の仕事を無くした場合、多くは無力感 、孤独感 、そして社会からの疎外感から鬱になる人が多いそうだ。
  私はそんな事には絶対なりたく無い。だから、あえて目標を持とうと思った。
 人の役に立つような何かボランティアなどもしようと思った。とにかく人とのつながりを持ちたかった。
 勤めていた頃は社内、社外問わず皆から何かと慕われていたと自分では思っていたが、所詮会社の肩書きがあればこそ、ちやほやされていたのである。やめた途端知らん顔になるという事も研修で習っていたので、会社以外で新しい人脈を持とうと思った。

 だがまずは、家の片付けと妻の遺品の整理や、娘の残していったものを整理する事にした。

  家族の写真などが出てくると一つ一つ見てしまって思い出に浸ってしまう。
 妻の着ていた服や着物を見ながら、その頃の出来事を繰り返し思い出す。
 押入れには山のようにホームビデオで映したVHSテープが出てきてた。見出しには

 娘が生まれた日
 一歳の誕生日
 初めて自転車に乗れた日
 小学校入学
 運動会
 小学校卒業
 中学校 、高校 、お花見 、海水浴 、キャンプ 、ご近所とのバーベキュー 、お祭り、などなどもう忘れていた事がいっきによみがえってくる。

 だが、もうそのテープを再生するVHSのデッキがない。
 テープだけあっても見る事が出来ないのだ。
 高価だったのでボーナスで買ったビデオカメラで娘の成長、お祝い事、家族のイベントなどをいそいそと頑張ってビデオを撮りためてきた。仕事をしている時はゆっくり観る余裕も無かったので、定年になったらゆっくり観ようと思っていたが、
 ハッハッ
 再生する機械もない上に、今更ひとりで家族の思い出を見る気にもならない。

 最近ではDVD化する事も出来るようだから娘にでもやるか? とネットで調べてみると一枚5000円もかかるらしい。
 全部で何十万円になるのかと思うとゾッとした。計算する前に、『処分』のふた文字が浮かぶが、 家族の思い出は写真も、ビデオも、洋服も、人形も、何も捨てる事が出来なかった。

 自分のいくじのなさに嫌気がさした。

  周りを見ると片付けのつもりが余計に散らかってしまった。出した物はそのまま、また元の押入れにしまい込んだ。

『まったく俺って何やってんだ』


 いつの間にか夕方になっていた。

 二階の窓の風鈴が、ちりんとなった。

 そうそう
 妻が生きていた頃は夏に風鈴を出して秋に納めてくれていた。妻が亡くなったあの暑い夏からずっと二階の風鈴は窓辺で吊りさがったままだった。

 私は二階に上がって風鈴を外した。

 娘がまだ小学校の時の夏の祭りにせがまれて買ったものだった。
 金魚の絵が可愛いと娘がねだったので買った。

「お前よくも壊れずに何十年も耐えてきたな」

 と風鈴に話しかけた途端、私は思わず座り込んだ。

 定年退職の日も泣かなかった。
 会社の同僚と別れる時も泣かなかった。
 花束をもらって家に帰ってひとりでテレビを見ながら酒を呑んでも泣かなかった。
 60歳になれば定年になる事は入社した時から決まっていた事だから、わかってた事さ。わかってた事だ。

 なのにこの風鈴を手にして、なぜだか目頭が熱くなった。

 風鈴に
「長い事お疲れ様でした」

 と声をかけてやった。

 風鈴の金魚が滲んで見えた。


 そっと、箱に入れタンスにしまった。

  私は地方に住んでいる父や母を呼び寄せて暮らそうと思い、家を三世帯住宅用に建てた。
 しかし、母親は家が完成してすぐに病気になってそのまま病院で亡くなり、
 父親は私達に迷惑をかけたくないと最後までひとりで自分の家に住んでいた。
  もちろん私は父が1人になってからは休みの度に帰って、あれこれと用事をして面倒をみた。
  その父も少し体の異変を感じ、入院して病院で亡くなった。同居は1日も叶わなかった。
  父と母の部屋になるはずの部屋は誰も使わず仏壇が置かれている。

 1人娘の為に部屋は特等席を用意した。
 部屋が余ったので私の書斎も作った。
 いわゆる趣味の部屋だ。
 私は鉄道マニアだったので貴重な自作の電車の模型が置いてあった。それを触らせたくなかったし、読書が好きで気に入った本をズラリと並べていた。
 また音楽も好きだったのでオーディオに凝った。
 より良い音で好きなアーティストの曲を聞きたかったのだ。
 もちろんホームビデオの編集なども私の書斎でするのだ。
 近年ではパソコンも買い、色々とネットのことやパソコン操作の事も勉強した。
 社長が座るような椅子を買い、書斎で音楽を聴きながら、たまに読書にふける。そうした自分の空間が欲しかったのだ。

 妻が

「いつまでそこにいるの? もうご飯よ~」

 と呼びに来る。
 妻と娘と3人で夕食を食べながらたわいもない話をする。

 ある日、娘が彼氏を連れてきた。そして結婚すると言い出した。反対する理由は無かったが、無性に腹が立った。反対したい気持ちを抑えて、しぶしぶ娘の結婚を許した。

 娘が結婚する前に急に妻が亡くなった。本当に急で何がなんだかわからなかった。
  その後、娘は予定通り結婚式を挙げた。
 妻も娘の花嫁姿をどんなに見たかっただろうか?
 娘もどんなに母親にウエディングドレスの姿を見せてあげたかっただろうか?

 誰かを恨むわけではないが、
 娘の結婚式で幸せなはずなのに何故か、心は寒かった。


 ある日、会社に提出する戸籍謄本を取りに行った。


 私は、戸籍上ひとりである事を改めて知った。

 その時のショックは今でも覚えている。

 私にはもう家族は居ないのか?

 この世の中で私はたったひとりなのか?

 まだまだその頃は現役でバリバリ働いていたので、 妻が亡くなったからといって、娘が結婚したからといって、会社の仕事は変わらない。


  朝、仕事に出かけて仕事帰りにスーパーにより買い物をして、食事の用意をして風呂に入りお酒を少し飲んで寝る。その繰り返し。
 たまに同僚や友達との飲み会に参加する程度だ。

  だが今は、定年退職をして、いよいよ、ひとりになった。
  私はあれこれと再就職先を探すも、返ってくるのは「もう働かなくても良いでしょ、十分働いたのでゆっくりされてはいかがですか?長い間ご苦労様でした」

 とどの会社の面接官も同じような答えをする。
  そんな事を言うなら募集しなければいいのだ。と面接を受けるたびに悔しさがこみ上げてくる。
  募集する会社としてはもっと若い人が欲しいらしいが、性別や年齢制限をしては企業イメージが悪くなるという事で、年齢不問、経験不問、男女不問。
 と、うたい文句を並べて募集する。
  ついには、ハローワークの職員からさえも、

「もう、定年後は働かなくても良いでしょ~」

 と言われた。
  なんのためのハローワークだ。
 私は世間と繋がりたいのだから働きたいのだ。
  ボランティア募集を受けにいっても、男性には力仕事を任せたいと希望があり「きつい仕事も有りますので、お体を壊されてはなりませんから」と定年退職者には無理でしょう的な言葉が返って来る。

  私は定年後は頑張って人生を生き抜いていきたいと思っていたのに世間がそれを認めようとしない。

  私の生活は自然に崩れていった。
  家の片付けもできず庭の手入れもできず草や木も荒れ放題になってジャングルのようになっていた。
  外に出る元気もなく酒屋に酒を配達してもらって合わせてつまみを少し持ってきてもらう。
  いわゆる引きこもり状態になった。

 毎日カーテンや雨戸を閉めて
 朝か夜かわからない生活になった。


 ある日目覚めたらどうやら朝のようだった。
  カーテンから陽の光が差していた。

  カーテンを開けてみた。
 見たことのない鳥が木にとまっているのが見えた。
 私は窓を少し開けた。
 その鳥は私の元に飛んできて肩にとまった。
 私は信じられなかった。野鳥が人の家に入って人間の肩にとまるなんてありえないと思った。

  そのまま私は木の枝ように身動きせず立ったままその鳥が飛び立たないようにじっとしていた。

『この鳥は私を慰めようとしているのか? 』

 この鳥は、この鳥は
 もしかして……

 私は思い出した。

 妻が亡くなる時の一言

「悲しまないで、私はあなたの元にまた戻ってくるから……」

 そう言い残して逝った言葉を思い出した。

『もしかして、お前か? お前なのか? 』

 鳥は何も答えなかった。

 鳥はパタパタと飛び立った。

 庭を見た。
 花が一輪咲いていた。

『お前か? お前なのか? 』

 花に問いかけたが花は答えなかった。

 空を見た、綺麗な蝶々がヒラヒラと飛んできた。

『お前か? お前なのか? 』

 蝶々は何も答えなかった。

 足元に猫がやってきてじゃれた。

『お前か? お前なのか? 』

 猫は何も答えなかった。

  妻は私に戻って来ると約束した。
 いったいどんなに姿になって、いつ戻って来るのか?


 門の外を見た
 犬が一匹私を見ていた。

『お前か? お前なのか? 』

 犬は何も答えなかった。

 そうか!
 わかった。
 お前は私の近くにいるんだね!
 私のそばにいるんだね!

 私はひとりではないと、そう思った。



 私は少し元気が出てきた。

 そして、あるサークルに入会した。
 同世代の人たちが大勢いたので話もしやすかったし、そのサークルに入っていると色々なイベントがあり私はそのイベントに全て参加した。
 ちょうどそのサークルに入って半年ぐらいした頃だった。

 私は自分の無力感や世間からの疎外感などをサークルの人たちとテーブルを囲んで話しをしていた。
 そこへ、ひとりの女性が私の前に座って熱心に話を聞いてくれていた。
 それから彼女とサークルで何度か話す事が出来た。
 彼女とはなんだか気が合った。

 ある日私は彼女をドライブに誘った。
 話をしていくうちに同郷である事がわかり、話が弾んだ。
 すっかり2人は打ち溶けていった。
 私は帰りの車を運転しながら心の中で呟いた。

『この人だったんだね……』

 『 おかえり……』



 私は今、仕事をしている!

 年齢なんか関係ない、私は元気だし、やる気も有る!バリバリ働いている!

『昭和生まれのサラリーマンをなめたらいかんぜよ!』

 やがて、私の戸籍は2人になった。




 終わり
昭和生まれのサラリーマンをなめたらいかんぜよ!

続きは

『私の妻は仕切り魔である』
をご覧あれ〜。

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