悪役令嬢 カトリーヌの場合
初投稿です。よろしくお願いします。
「カトリーヌ。本日をもって貴様との婚約を破棄する」
「……仰せのままに」
晩餐会が始まるや否や、衆人の面前で発された王太子の言葉に、カトリーヌ侯爵令嬢は静かに従う。彼女のガラスのように冷たく儚げな横顔に動揺は無い。いくら貴族の娘とはいえ、16歳とは思えぬ落ち着きぶりだ。
王太子の横に立つメアリ男爵令嬢は天使のように愛らしい面差しに勝利の笑みを浮かべつつも、カトリーヌの殊勝な態度に些か困惑しているように見えた。
破棄の理由『メアリに対する数々の目に余る無礼』というものに、大半の者は全く思い至らなかったが、肝心のメアリ嬢を個人的に知る者は少なく、まるで実情がわからない。
更に王太子の側近全員がこの破棄に同意しているという事実が、カトリーヌへの加勢を周囲に躊躇わせていた。
カトリーヌの兄アレックスは何か言いたげに王太子を一瞥したが、ただ静かに唇を嚙み、両手を掌に爪が食い込むほどに握り締めていた。
父メイデレ侯爵に背を押され速やかに退場するカトリーヌを見送る貴族たちの目は、何とも表現しがたい複雑な暗い光を帯びていた。
実は、ある程度上級の貴族たちは、この日が来ることをあらかじめ知っていたのだ。
無論、半信半疑ではあったが。
カトリーヌは幼少の頃から、「異界の神から受託した」という奇妙な予言にとりつかれ、不思議なことを口走る娘であった。ほとんどが他愛のない笑い話で済むようなものだったが、王太子と婚約したその日だけは違っていた。
帰りの馬車に揺られながら、カトリーヌは隣に座る兄の耳元へ「私は7年後、自身に非があろうとなかろうと、この婚約を破棄されるのです」と囁いた。
不吉な予言にとりつかれた彼女は、急速に年頃の娘らしい天真爛漫さを失い、俗世を捨てて信仰の道を切望するようになった。身分にそぐわぬ質素な暮らしと読書を好み、王太子の寵愛を全く望まぬ『可愛げのない女』に成長していった彼女は、なるべくしてこの現状に陥ったとも言えよう。
誇り高きメイデレ侯爵は王の必死の引き留めにも関わらず、自ら大臣職を返上した。
一族の恥と化したカトリーヌは長年の望み通りに侯爵家の籍を外され、辺境の貧しい修道院に閉じ込められた。
そして人々の記憶からも静かに退場していった。
この私、アーデンは、こうなることを知っていた一人だ。
幼いカトリーヌ嬢は、ただひたすらに……禁欲的に神に仕える私の元を足繫く訪れた。無論、私との対話より、教会の書物に関心を示していたのだが。
当時の彼女は家族にすら予言を疑われ、子供とは思えぬ奇妙な知識を披露しては孤立を深めていた。同年代の友人もいなかったのではなかろうか。
故に救いを外に求めたのだろう。ただし、何故、私なのか? という問いへの答えは、いかにも子供らしい無邪気で残酷なものだった。
「あなたはヒロインの攻略対象ではないからです」
意味が分からず聞き返す私に、彼女は少し考えてから「貴方様の名もお姿も、異界の神の記す物語の中に一切見当たらなかったのです」と申し訳なさそうに俯いた。
なるほど、私はこの国の陰であり、膿のようなもの。正直、神など……信じたことはない。ここにいるのは、ここしか居場所が無いからだ。
私の父は伯爵家、母は公爵家の出だ。双方ともに政略結婚と割り切り、婚前から今日に至るまで互いに複数の愛人を侍らせて享楽の日々に耽っている。母と愛人の一人との間に生まれた私は、実父の外見的特徴をあまりに色濃く継いだが為に、幼くして家を出された。実父と母の実家からの支援を受けて暮らしに困ることはなかったが、幽閉同然の身であることは一生涯変わるまい。
それでも枢機卿などという大層な地位をあてがわれ、私の名を利用する者は後を絶たぬが、その逆はない。やれば出来るのだろうが、一体何を成せというのか。
要は暇だったのだ。
世捨て人同然の私だからこそ、娘ほどにも歳の開いた幼き令嬢の語る摩訶不思議な異界の物語に根気よく耳を傾けることが出来たのだ。
ゲーム、マンガ、アニメという奇妙な娯楽、デンシャ、ヒコウキという乗り物、トウキョウという街の眺めと喧騒、サクラという花、究極の美味であるらしいチョコレート、デンキという名の魔術を使わず下々の民すら照らす光の球……
拙い言葉で荒唐無稽の世界を語る彼女のバラ色の頬と唇に、私のくすんだ心は癒された。
そうして、ある時、ようやく私は知ったのだ。
カトリーヌは予言を声として「聞く」のではなく図像として「見て」いることを。
信じがたい話であったが、この国のある一時期のある特定の人物たちと空間だけが、異界の神の奇跡の御業により、ヒロイン――すなわちメアリの思惑通りに動くのだという。
メアリが誰を夫とするかで未来の図は変化するが、それが誰であろうとも幸福で満ち足りたものとなる。ただし、どの未来でもカトリーヌは16歳で王太子から婚約破棄を言い渡されるのだ。カトリーヌはそのことに不満は無いのだという。
彼女が抱くただ一つの懸念と恐怖は、メアリ自身が己の力に気づいているか否か。
全てが己の思惑通りに動くと知れば、メアリでなくとも己が掌中たりえる貴公子たちの全てと淫らに結ぶ道を選ぶのは、ある意味自然の流れかもしれない。
まさに……我が愛しき母のように。
私の胸の内に黒く暗い思念が淀む。それは私の奥底にひっそりと沈んでいたもの。私があえて見て見ぬふりをし続けた私の本性だ。
メアリが特定の男を一途に慕い添い遂げるのであれば、たとえその相手が王太子であろうとも、彼女は立派な国母となり、その後の人生は色鮮やかに続くという。
だが、淫らな……ハーレムルートとやらだけは様相が異なる。
「ふっつりと絵が消えて唐突に物語が終わるのです」とカトリーヌは静かに頬を涙で濡らした。それはすなわち国の終焉を意味するのではないか? カトリーヌはたった一人で巨大な恐怖を抱えていたのだ。小さな体を震わせる少女の肩を、私はそっと抱き寄せて黄金の髪を撫で続けた。
その時、私は生まれて初めて欲を抱いた。力を望んだ。
彼女の嘆きと苦悩を少しでも軽くしたいと。
私は私に使える全ての権力でメアリを監視した。あの小娘が、美しくも淫らでおぞましい我が母と同様に堕ちた時、私は動く。そう決めた。
手始めに、妹の苦しみを理解しようと努め続けたカトリーヌの兄アレックスを引き込んだ。彼の協力なくしては、密偵網の掌握と、裏社会との繋がりと、国家秘密警察の組成は叶わなかったであろう。
私の動きに一部の聡い貴族は警戒を示したが、行動に移すことはなかった。
それどころではなかったのだ。
メアリだ。
あの女は着々とその醜い本性を現し始めていた。
権力と贅沢を覚えた彼女は、程なく王太子の側近全てに色目を使い、所かまわず平然と肌を許し、股を開く淫婦と化した。ところが王太子と側近たちは争うどころか、はたから見ても異様なほどの団結を示し、身も心もメアリに隷属するという体たらく。
これこそがカトリーヌの恐れていたことであろう。
王や側近の親たち、婚約者たちがいかに正当な理由でメアリを非難しても、世間はメアリを擁護し、聖女と敬い、むしろ王の側に非難が集まっていく。
こんな異常事態を他国が放っておくはずがない。すみやかに排除しなければ!
焦る私をカトリーヌが引き止めて、力なく首を横に振る。「今はダメです。ハーレムルートはメアリが20歳になるまで続くのです」と。彼女はこうも続ける。「それまでは、けして私に近寄らないで。メアリにとって私と私に連なる者は全て『悪役』なのですから」
その言葉の通り、正面切ってメアリに歯向かう者たちは悉く破滅した。
メイデレ侯爵はメアリの虚言で領地没収の憂き目にあい、奥方と共に毒を煽った。
復讐を誓うアレックスは私の支援で闇に紛れた。
生活の援助を失ったカトリーヌは、修道院の片隅で、名もなき卑しい男に身体を与えて日々の糧を得るようになった。男は黒づくめの襤褸を纏い、夜な夜な彼女を訪ねては獣のように彼女を貪り、また闇の中へ去っていく。
もはや、カトリーヌを令嬢と知る者はいなかった。
ようやくメアリが20歳を迎えた。
一月後、メアリの取り巻きの一人である近衛師団長の息子ハインリヒの使用人から密告があった。メアリは急に自分の命令を聞かなくなった使用人たちに「どうしてよ! 私はヒロインなのに!」と怒り狂っていたという。
私は声をあげて笑った。
ようやく言質を手に入れたのだ。
やはり彼女には自覚があった。
『ヒロイン』というこの世界には存在しない謎の言葉を知っていたのが何よりの証だ。
あの小娘は初めから自分は無敵の存在だと知っていたのだ。
ただし、それが20歳までの期限付きだとは知らずに。
欲に溺れた淫売め、悔いるが良い。他の一途で貞淑なルートであれば、魔王討伐ルートや冒険者ルートや子育てお受験ルートに分岐して、あと6年は我が世の春が続いたものを!
ああ、私はこの日を待っていた!
元から凡暗気味の王太子はともかく、側近たちは悪い夢から覚めつつある。そっと王太子から距離を置く者、なぜ自分はこんな愚かなことをしたのかと呆然と立ち尽くす者。全てを懺悔し私の傘下についた者もいる。
時は満ちた。
王、王妃、全ての者たちがいる中で、この私が淫婦メアリに破滅をもたらすのだ。
さあ皆の者、あの4年前の晩餐会の屈辱を晴らそうではないか!
「王太子よ、今すぐここで決めるのだ。王位を選ぶか、それとも隣の娼婦を選ぶか!」
もうメアリに味方はいない。
否、元からそんなものはいなかった。
魅了の魔術に惑わされた哀れな下僕の群れに囲まれていただけだ。
王太子は選択を迫られた。
対する相手は、わずか数年で『暗黒の枢機卿』と呼ばれるに至った権謀術数の悪魔アーデン・インテグラント卿だ。この4年、聖女の色香にうつつを抜かし、ロクに政治をしなかった若造に勝ち目などあるわけがない。勝利を確信したアーデンは常にベールで隠し続けてきた素顔を今は惜しげもなく人前に晒している。
その特異な風貌に貴族たちは沈黙し、王は俯き、王妃は失神しかけている。
王太子は王族特有とされる薄い銀色の瞳を限界まで見開いて、悲鳴のように叫びをあげた。
「どうして……!? どうして貴様が私と同じ目の色をしているのだ!?」
王も王妃も蒼白の顔で私を見ている。
私はもう隠す気も無い。逃げもしない。一度でも私の目を見れば、どうあがいても隠しようのないことだ。
「それは王太子、あなたの御父上にお尋ねなさい」
その場に力なく座り込んだ王太子を見て、衛兵たちはメアリを速やかに独房へ連行した。
処罰を待つまでもなく、誇り高き聖女メアリは隠し持っていた毒を煽り、この世から消えた。
表向きはそれで良い。
「たかが毒殺に5人がかりさ。最期まで多くの男に囲まれていたよ」と秘密警察長官アレックスは酷薄な……しかし満ち足りた笑みを浮かべ、同時に一筋の涙をこぼした。
色香に狂った暗愚の王太子は廃嫡とし、暗黒の枢機卿が後見を務める聡明と名高い第2王子が王太子となって、はや6年が経とうとしていた。
ある昼下がり、貧民街の一角に馬車が止まる。
降りてきたのは、メイデレ家の復興を果たしたアレックス・メイデレ侯爵と、漆黒の衣装に身を包んだ男。馬車を見るなり逃げ出した貧しい女が衛兵に捉えられ、二人の前に引き立てられた。貧困に疲れ果て痩せ細った女の前に漆黒の男が膝をつく。
「ようやく見つけましたよ。カトリーヌ……なぜ姿を消したのですか」
「枢機卿様。恐れながら、私はもう……穢れた女でございます」
地面にじかにひれ伏すカトリーヌの傍らには、私を見上げ、薄い銀色の目で睨みつける少女がいる。あの頃を思い出す。幼いカトリーヌが私を見上げ、無心に異界の物語を語り続けた懐かしき日々を。
目の色以外は全て母親に似た我が娘を見下ろして、男は――私は言った。
「私が穢したのです。漆黒の襤褸を纏い、貴女を。貴女ただ一人を……!」
『ゲーム』とやらはもう終わった。
しかし、我々の人生は続く。
私は私の人生をカトリーヌと我が子の為に続けねばならない。
誰に何と言われようとも。
※注釈
アーデン・インテグラントは乙女ゲーム『乙女の祈り~キラキラ学園ラブラブ☆ピースMAXぱぅわぁー! きゅんきゅん~』における、普通にプレイすると影も形も出てこない幻のキャラである。全ルートをクリアしたプレイ2週目のオープニング画面から表示される『すぺしゃる☆ハードモード』にのみ登場するヒロイン妨害キャラとして作られたが、無駄にダークなイケメン設定の為か、薄い本業界などで人気が出てしまい、2週目以降のデータを所持していれば攻略キャラとして選択可能になる特典データがクリスマス限定で別売りされる事態となった。
ちなみに彼の好物は、ダークチョコたっぷりのチョコクリームパフェ。
現在、彼を落とせたのは廃人ゲーマー2名のみである。
多分、テンプレに沿っていると思います。