え~打消し
國府田は我に返った。新しい定義を考えているときはどうしてもぼんやりしてしまう。考えが一度に湧き上がり、それを全体的に俯瞰するために敢えて焦点をぼかしているのだと自分を分析している。
周りでは生徒が模試の結果を貰って一喜一憂している。進学校とはいえ、やはり目の前に良い成績や悪い成績が提示されると感情が変化するのだろう。かくいう國府田も前回より数学の偏差値が上がっているので、少し気分が良くはなっているのだが。これらの要因は、國府田自身が良く理解している。先月の座席替えで、周囲がほとんど理系になってしまったのだ。例外は右に座っている小山くらいか。特に、國府田の前に座っている崇神や、その左に居る田沼が國府田の数学ができるようになってきた最たる要因である。
私が我に返った時には零ちゃんと田沼さんの会話がちょうど一段落したところだった。
Effortlessまでは聞いていたけど、そこからぼんやりしてしまった。その後、零ちゃんは何か面白いことを話したのだろうか、少し気がかりではある。ちなみに、零ちゃんは会話の事あるごとに数学の用語を持ち出してくるから、文系の人間(特に平)には敬遠されがちであるが、本人は露ほども気にしていないらしい。
数学の偏差値上昇は前の2人の「理系雑学」のお陰かな、なんて思っていたら、案の上最後に模試の結果を貰い席に戻った南が騒ぎ始めた。
『方位磁針』と呼ばれるこのグループは東、西、南、北の4人から構成される所謂「仲良しグループ」であるが、このグループはたまに5人になることがある。東が属することがあるからだ。いつもグループにいるのは東、そして、たまに属したり属さなかったりするのが東である。4人が5人になったところで特に問題はなく、そして東がグループに属するのはある法則があるかららしい。この法則は零ちゃんが見つけたものらしく、座席替え3回目にしてやっと見つけたものだと言っていた。ただし、その法則が何かに応用されることは全く以ってないことから、零ちゃんはその法則を誰にも教えてはいないけれど。
南が成績を周りの『方位磁針』に見せ始めた。『方位磁針』たちは、國府田の席の後ろから東西南北の順に見事に横に並んでいるので、机を寄せて各々の成績を交換して見ている。
「やっぱりみんな数学できてるよね。理系って感じで羨ましいな」このグループの中で唯一の文系である北が口にした。
「やっぱり文系の私には数学は無理だな。辛うじて公式を暗記してるからそれを使うことしかできないしさ」
「公式を暗記できるくらいだったら、何故公式がそうなっていくのかを逆に考えていけばいいんじゃない?そうすれば少しは暗記に頼らなくても公式が導けるかもよ」と、髪をいじりながら東が言った。北と一番席が離れているため、少しばかり声が大きくなる。確かに、と國府田も同意する。
「えー、それは無理だよ。それができてたらみんなと同じ理系に進んでたし、そもそも、公式とか定理とか原理とか言われた時点で私の頭の中はパニックになっちゃうし、いくら説明されて最終的に公式が導かれても、これを覚えればいいんだなって気になっちゃうから、完全に思考を放棄してるの」
あぁ、北は「非理系系」なんだなと國府田の中でカテゴライズされている最中に、また新しい事を思い着いてしまった。ただの戯言かもしれないが、考えることは自由なので、自由にやらせてもらおう。
古典で「え~打消し」という文法がある。例えば、「え知らず」で「知らない」という意味になるように、「え」を用いることによってその文の後半には打ち消しが来るということを示せる。これと同様なことが現代にも残っているのではないか。それが、先ほど北が言っていた「えー、無理だよ」である。会話の受け答えにおいて圧倒的に多い出だしの文句は「えー」か「あー」である。出だしに母音が多くなるのは分からなくはない。古典において、「ああ」は「嗚呼」となり感嘆を示すが。「ええ」においてはやはり「え~打消し」が一番メジャーである。「嗚呼」は現代でも充分通じる。しかし、「え~打消し」においては、打消しの語が「ず」や「ざる」となり、これらの言葉はもは死語である。よって、「できない」や「無理」などのように形を変えることによって現代でもひっそりと受け継がれているのではないか…
なんてことは、どうだろうか。
記述者 國府田 紡