第6話 芦野姉妹1
遅れてきた赤城からの連絡。
彼は新たな人物たちを伴って現れるが……。
――――― 11 ―――――
赤城は、深夜になってやっと現れた。
このまま逃げることもあり得るな、と思っていた沢田は、むしろ彼が律儀に深夜でもやって来たことで、少しだけ彼を見直していた。しかし、約束の日時を過ぎても連絡を寄こさなかったのは事実なので、話の内容には警戒をするつもりであった。
赤城は、事前にショートメールで「人を連れてくる」と連絡して来ていた。
だが、3人も連れてくるとは予想外だった。
対して沢田は、サブリーダーという事で同席した綾子と二人だった。
5人で「奥州宇宙遊学館」のセミナールームの一角に作られた応接スペースは一杯になった。
沢田は漫然と、記者会見とかあるとここじゃ困るな、等と、関係ない事を思い浮かべた。
それを軽く首を振って頭から消してから、約束を6日も引き伸ばした赤城に対して、さてどうしてやろうと考えながら、沢田は口火を切った。
「深夜、遠路はるばるご足労有難うございます」
まずは紋切り型の挨拶をしながら深々と頭を下げる沢田に、赤城も礼を返す。
沢田がチラリと時計を見ると22時を回っていた。
21時を過ぎると、直行で当日に帰れる交通機関は無い。夜行で帰るか、泊まるしかないはずだ。
「ああでも、この時間だと帰りの電車は無さそうですね、宿の手配はされましたか?」
呼びつけた沢田からの言葉に、赤城は少々むっとしたようだったが、そこはこらえて返答をした。
「ええまあ、ここから遠くないところに、ビジネスホテルを2部屋抑えました」
「では時間を気にせずお話しできそうですね。儀礼とかはさておきで、早速話題に入らせて頂きたいと思います。私は国立天文台《NAOJ》のWAプロジェクト、ソフトウェア開発リーダーの沢田です、こちらはサブリーダーの保泉です」
綾子を名字で紹介する。
「これは失礼、保泉さん初めまして赤城です。ノスタルジックPCコンソーシアムという団体と、ノルンというソフト企画会社をやっております」
「保泉綾子です」
「で、こちらの3名なのですが、お伺いした事情から私なりに考えて、知人関係に声掛けして来てもらいました」
それにしてもいきなり連れて来るとはどういう思考回路なんだろう。
沢田はちょっと訝しんだ。
「出来れば事前にスキルシート(業務で使う技術的能力をリストまとめた資料)か、職務経歴書などをお送り頂けていればよかったのですが」
「それが、かなり特殊な経歴の方々ですので、書類からは読み取って頂きにくいと思いまして、直接お連れした次第です」
「ふむふむ」
「では、一人ずつ紹介させて頂きます」
赤城はそういうと、男性へ手を差し伸べた。男性は沢田と綾子にアイコンタクトして、軽く会釈してきた。
「まずはネットショップ運営の川見さん。元ソフト会社の社長さんなのですが、会社で色々ゴタゴタが有って、嫌気がさして人に譲って今の生活になったそうです」
トラブルが嫌で辞めた人とか、それじゃ役に立たないだろうに。
沢田はちょっと呆れた。
沢田は表情に出してしまったらしい。
川見は静かに、しかしはっきりとした口調で真っ直ぐ沢田の方を向いて話してきた。
「ああ、いえいえ、トラブルが嫌になってやめたという訳ではないのです」
「と、言われると何かご事情が? あ、失礼しました。初めまして沢田です」
案外腰の低い人だ。そう思いながら沢田は川見と握手しながら、外見と中身は一致しないものだなと感心した。
川見は一見すると厳しい感じのする男性で、人のまとめ役というよりは地上げ屋か何かのような印象だった。だが、話し口はすごく優しく低姿勢だった。
「ご挨拶が前後して申し訳ありません。川見です。紹介で誤解を受けたのかもしれませんが、私自身は組織の取りまとめが嫌、という事はないです。ちょっと収益の権利関係のゴタゴタが起きてしまいまして。面倒臭くなって辞めたんですわ」
にやりと笑いながら、川見はあっけらかんとそう言う。
沢田はその言葉で「ああ、そういう事なのか」と納得した。
この人は技術屋的親分肌の持ち主なのだ。厳しさと感じたのはその部分なのだろう。
川見は続けた。
「ええと。実は私が経営していたのは、××という会社でして、一癖も二癖もある連中をまとめて作業をさせておりました。少々の問題位なら全然平気ですよ」
彼が名前を出した会社は、沢田もソフトを使ったことがある、割と有名なソフト会社だった。安定した性質の良い製品を出す会社だったのだが、いつの間にか、他社製品を利用した応用製品の様なものにべったりになっていてがっかりした覚えがある。
そうか、この人がキーマンだったのか。と、沢田はひとり納得した。
「分かりました、後で職務経歴書を頂けますか?」
「そうですね。分かりました」
話が一段落したとみて、赤城が声を掛ける。
「よろしいですか? 次の方を紹介したいので」
「ああ、はい」
沢田は次の人に目を移した。中年、というよりもう少し上の感じのする年齢の女性だった。髪にも白い物が混じり始めている。
「フリープログラマーの芦野さんです。CGプログラマを長年やられています。リーダー役、という訳ではないんですけど、川見さんにお話をしたら、この人も是非。と」
「えっ」
沢田はまさかと思った。
「CGプログラマの、芦野 鶉さん。ですか」
なんでこんなところでこんな人の名前を聞くのか。
と、彼は驚いた。それは彼がまだ学生の頃から聞き知った名前だった。
「最適化プログラマの芦野さん、といっても良いですね」
「ええ、存じ上げています。こんな女性の方だったとは……」
芦野は恥ずかしそうに俯く。沢田は少し興奮してしまい、構わず捲し立ててしまった。
「私、子供の頃、鶉さんの作品を沢山見ました。アミーゴ(アメリカのアドミラル社が発売していた映像に特化したパソコン)のメガデモ(美しい映像でプログラム技術を競う映像作品的なプログラム)とか、グループサウンドの背景に先進的な映像を提供されたりで、神業の様なプログラムを書く、と、有名プログラマの方が英雄視されていたような」
「有難うございます。でも私、そんな大層なのじゃないですわよ」
女性はにっこりと笑う。川見がそこに説明する。
「お仕事の内容を聞きかじりまして、私が行くならこの人も是非。と思いましたので、お声掛けして引っ張ってきました」
「ほうほう」
だが、芦野はあまり気乗りし無さそうな寂しそうな顔をした。
「私はもうロートルの部類ですし――障碍持ちですから」
「大丈夫、大丈夫、あなたの腕は保障する。障碍だって別に命に関わるとか、作業に関わるものじゃないんだから」
川見が助け舟を出した。沢田は少し心配になって尋ねた。
「済みません、病気となりますとお仕事を任せる側としても気になりますので、お話しをお聞かせいただけるとありがたいです」
「重度の睡眠障碍なんです。他の方の様に普通に起き続けたり、寝続けたりできないという――」
「作業に支障は出ませんか?」
「長時間の連続作業や、決まった時間の通勤は難しいですが、1日の稼働時間は8時間以上はあります」
「ふむ――」
沢田が考えていると、まだ紹介されていない最後の女性が声を上げた。
「私が補佐しますから、大丈夫です」
「あなたは?」
「芦野の妹で、鵯と言います。姉とは系統は違いますが、プログラム開発の仕事をさせて頂いてます」
「ほほう」
赤城は慌てて説明する。
「彼女はサーバーエンジニアです。遠隔地でのやり取りにも貢献できるでしょうし、いろいろ使える人材だと思いますよ。鵯さんが補佐すると、鶉さんの睡眠タイミングなどをよく御存じなので、仕事の効率を上げることができるそうなのです」
「ふむ……」
沢田は合点が行った。いきなり3人を連れてきたのは、ワンセットだから、という事か。人の取りまとめをしてくれる人間が入ってくれるのはうれしいし、その人の紹介する、しかも過去の実績を持つ人が来るのもありがたい。どうしたものかなぁ。
「取り敢えず、3人の職務経歴書をお送りします。あ、芦野 鶉さんの方は、障碍の所為で最近は仕事をうまく回してもらえていないそうなので、あまり判断材料にはならないかもですが」
伝説の人でも、最近の実績が無いのはどうかなぁ――。
考えあぐねていると、綾子が口をはさんだ。
「では、取り敢えず様子見で入って頂く、というのはどうでしょうか。国が絡むプロジェクトですので、承認は多少手間取りますが」
「ふむ、ちょっと考えさせてもらえますか、資料は送って頂くという事で」
「分かりました。よろしくお願いします」
やれやれ、お荷物が増えなければいいんだけど。
――――― 12 ―――――
時間は少し巻戻る。
綾子は沢田がイライラしているのを気にしていた。原因はおそらく人員補充の話を反故にされたから、という事らしい。相手は赤城という男性だそうだ。
プロジェクトは人を増やせば早く終わる、というものではない。
むしろ、人を闇雲に投入すると、仕事はどんどん遅れていく。
大事なのは適材適所に人を配置することと、その流れを円滑にすること、そして、仕事の問題点を常に明らかにしていき、どこかで仕事が止まるという事態をなるべく避けていくのが大事なのだ。
そもそも、エンジニアやプログラマという人種は、放っておくと、遅れ気味な仕事を黙って一人で抱え込んでしまうきらいがある。
そして、重大な問題を抱えているにも関わらず、毎日の進捗会議などでは「多少遅れています」程度の反応しか示さない。
日々そのレベルの進捗が続いて行く。だが、暫くするとそのしわ寄せが顕在化してくるのだ。
予定の日に成果物が出ない、詳細が報告されない、等が危険の兆候だ。
やがて作業が日程通りに進まない、他の人の作業が止まるなど、どんどん実害が出てくる。
にっちもさっちも行かなくなって、ようやくふたを開けたら、ろくに作業が出来ていないし、その解決策もないという手づまりを露呈することになる。噴出した問題でデスマーチ確定。いや下手をすればプロジェクトが空中分解することすらある。
だが、これはエンジニアの所為とは言い切れない。職制の問題が少なからずあるのだ。だから、人が仕事を抱え込まない仕組みはいろいろと考えられてきた。一つのプログラムを二人で交互に触りながらお互いの事をチェックし合うペア・プログラミングや、会議の時に、実際に作業している内容を見せ合って状況を判断するコードレビューなどなど、枚挙に暇はない。
綾子は、沢田をみていて、そう言った危険の兆候が出始めているのを感じていた。
そういう時の人材投入は危険だ。
だが、彼一人に事態を任せているのも愚策だ。
そのための綾子のバックアップチームであったはずだし、綾子自身も彼を補佐するために、彼の仕事をトレースしていた。
沢田も、手詰まりの兆候があるとはいえ、それを回避するための手段は努力は積極的に取り入れているようだ。まだ顔を上げているのがせめてもの救いだと思った。そんな時だった。
「赤城の奴、今頃連絡して来て、どういうつもりだ……」
沢田はイライラをそのまま口に出してしまっていた。
「例の反故にされた人材の件です?」
綾子の質問に、沢田は苦笑いしながら答えた。
「ああ、人を連れて来るらしい。今更どの面提げてとは思ったが、正直ぼく自身も手詰まりを感じては居る。もし使える人材だったら頼りたいのは事実だ」
沢田が、自分の状態をある程度自覚していたので、綾子はほっとすると同時に、今がチャンスなのかもと考えた。
「そうですね、今が良い機会かも。私も同席して宜しいですか? 相手の方を見て見たいわ」
「うむ……そうだな、君にはバックアップチームを任せてあるし、意見を聞きたいとも思う」
そして、同席した結果3人の人物を紹介された。
その中に、沢田にとってとても意外な人物がいたようだ。綾子は相手が女性、という点もあり、少し気になった。
芦野鶉――、伝説のプログラマーらしい。
幸いながら、相手は初老の域に達していて、沢田が恋愛感情を持つような相手ではないようにも思えた。
だが、憧れというスパイスは土岐として、そういう障害をものともせずに飛び越える為のブースターになることもある。
「私はもうロートルの部類ですし――障碍持ちですから」
鶉の告白を聞いて、綾子ははっとした。
私は……何を考えていたのかしら。いまは誰も恋愛感情の話なんてしていない。
赤面しそうになったが、目をしばたいてこらえると、努めて冷静に話を聞いた。
――私、調子が悪いのかしら。
その感情が何物なのかを、綾子は漠として考えていた。
――親族会議の時に、父は裕也さんを私の入り婿に迎えるつもりでいたみたいだけれど。でもそれは卑怯な手段であったと思う。私は父に抗議した。でも、私自身の気持ちはどうだったんだろう。
色々と考えながらその場の話を聞いていたら、沢田が悩み始めていた。
――鶉さんの病気は気になるけれど、裕也さんが心配するほどのことかしら? 彼女は既にこの場で数人の方に認められている。それに、私自身もプログラマだから分かるけれど、この人にはなんというか、出来る人が放つ雰囲気というか、オーラが漂っているように思えるし。
綾子は妥協案を考えた。
「では、取り敢えず様子見で入って頂く、というのはどうでしょうか。国が絡むプロジェクトですので、承認は多少手間取りますが」
気になるならば、直接付き合って人となりを見てみるのもいいのじゃないかな。妹の鵯さんも気になるし。
綾子は頭を切り替えて、この姉妹に正面から当たってみることにした。
(続く)
芦野姉妹は沢田たちのチームで働くこととなったが、そこにはいくつもの問題が山積していた。
次回「芦野姉妹2」