プロローグ
2016年11月13日、僕はいつも通りに朝の朝礼1時間前には教室に入っていた。そしていつも通り自分の机の前で立ち尽くす。机には
【死ね】【キモい】【学校に来るな】
などという悪口が黒の油性ペンでびっしり書かれていた。所々黒く滲んでいるのは、僕がこの文字を消すために机を磨いていたからだ。
少し前までは綺麗に消していたが、消しても消しても僕を嘲笑うかのように次の朝には机が黒く染まる…罵倒や罵声が悪口を言われた事を表す言葉ならば、なんと言えばいいのだろうか…罵筆、罵書と表せばいいのか?しかし僕の認識では違っていた。悪口を書かれていただけならば先ほどの2つの言葉でいいだろうが、僕にとっては机の上に悪口があるのは当たり前の事だ。まるで悪口が僕の机に置かれているかのように…
ここまで言えば解るように…言わなくても解るように見れば解る。僕はいじめを受けているのだ。この状況では同級生の全員が気づかなかった…などと言い訳はしないだろう…そうできないのではなくしないのだ、する必要がない。なぜなら先生からもこの状況を認識されているからである。
上の物から認識されておりその対処がされていないという事は、許可されているという事と同義である。つまり僕に対してのいじめとはいじめとみなされず、僕に対してのいじめとは当たり前の事なのだ。結論を述べると僕は同級生や先生から罵声や暴行、無視や窃盗、そして今朝のように罵置されているのだ。