第4話 人を辞めた日
「てめぇ、いつの間に逃げやがった!!」
後ろから先ほどまで彫刻のように固まっていた男が、
何事もなかったように動き出し、勢い良く怒鳴る。
誇りを全て捨てた成れの果ての姿に見えて少しだけ同情する。
「私の国の人たちまで、一緒の道を辿らせるわけにはいかない・・・」
ナタリーは振り向いて、ゆっくりと震える手で【カナンウェルナン】を抜く。
品のある鈍い光が、刃から解き放たれる。
驚いたのは男の方だった。
「なっ・・・、なんだ、いつの間にそんな獲物を隠し持ってやがった!」
「あなた達のお陰で『人間を辞めてしまった』のだけど、責任取ってくれる?」
自嘲気味に笑うナタリー。
その表情は先ほどまで、恐怖と絶望に震えているだけの姫ではなかった。
(こうなればやるしかない。案外、目を覚ましたら夢だったって可能性もあるよね?)
一生懸命に自分自身に言い聞かせる。
「な、何を言ってやがる。ふざけるな!!」
手を伸ばして、再度、ナタリーに掴みよろうとする男。
目を瞑ってナイフを振り回す。
『スッ』
バターにナイフを通すような感覚が手に走る。
違和感はあった。しかし何に触れ、何を切ったのか、はわからない。
「うぉおおおおお、う、腕が!!!うでがぁああ」
絶叫に近い声を上げる男。
その声に反応して、思わず後ずさりながら目を開く。
目の前には、腕を押さえながら叫び狂う男がいた。
「なんなの、なにが、えっ!?」
自分の手元を見ると、短剣【カナンウェルナン】の刃には、ベッタリと血が付いていた。
思わず、地面を見る。
そこには、切り落とされて地面の上で、
ピクリとも動かなくなっている肉の塊があった。
「くそぉおお、もう、やめだ。お前は殺す!!!!そして、お前の代わりに・・・・・・、
そうだな、あのクソガキでも頂こうか!!!!」
目を充血させ、舌なめずりをする男。
腕からは、血が止まる事無く滴り続ける。
残った手には、ナイフが握られている。
(出来る、出来ないじゃない。ここから脱出して父様、母様を、そして、姉さま、シャルを助けないと・・・)
血の蒸れた臭いが鼻をついて、意識を失いそうになるのをグッと堪える。
そして、武術など、嗜んだ事がないその手に短剣を握る。
人を言葉でしか傷つけた事の無い体で、今、人を殺そうとする。
「本当に酷い夢ね・・・、本当に性質の悪い夢・・・」
そう言うと、同時に男に向かって走り出す。
「なっ、なんだと!!!」
男はまさか姫から飛び込んでくるとは、思ってもいなかった。
だから、反応が遅れた。
それは、致命的な遅れ。
『キンッ!!』
迎撃しようと構えた刃と一瞬重なり合う。
『スッ』
「なんだと、ナイフの刃を切り落・・・」
「えっ・・・」
ナタリー自身も相手のナイフの刀身をバターに刃を通すかのように切り落とす。
『ザシュ!!!』
目を瞑って、そのまま一気に振り上げる。
「・・・・・・・・・」
何か硬い物にあたっている事に気付き、ゆっくりと目を開ける。
ナタリーの短剣は、男の頚動脈を切り、それでも勢い余ったのか、
首の側面から真ん中辺りまで深々と短剣がめり込んでいた。
「うぇっ!?」
思わず、短剣を引き抜く。
『ブシュ!!』
勢い良く血を噴き出しながら、倒れこむ男。
返り血を、生まれて初めて浴びるナタリー。
「うぇぇええ」
強烈な血の臭いに思わず、胃の中の物を地面に吐き出す。
苦い胃液を拭いながら、倒れた男を見る。
先ほどまで、あれほど饒舌だった男は、逆に全く何も言わなくなっていた。
そして、ビクッビクッとした痙攣の間隔は、間が開いていき、そして、動かなくなった。
そう、ナタリーは、生まれて初めて人を殺したのだ。
「これは夢よ、そう、夢に違いないわ」
短剣を持った手が震えているのを、もう片方の手で押さえる。
まるで震える手が、『これは現実』と言っているようで怖かった。
震えが止まれば、まだ、夢だと信じられる。そう、思い込もうとした。
「どうした!?気持ち良いのかわからないが、声が大きすぎるぞ」
奥の方から声が聞えてきた。
(そう言えば、もう一人いたわね)
「おい、どうした、楽しみすぎて寝・・・」
ようやく、姿を見せた男は血だらけの光景に声を失う。
この男も、運が悪かった。
そのまま、ずっと物色を続けていれば、
いや、そもそもこんな卑劣な行為に加担、もしくは、提案なんかしなければ・・・
それよりも悔やむべきは、両手にいっぱいの財宝を抱えて、攻撃も防御も取れない。
その己の欲が死を呼び込んだ。
「何もしなくて、ただ生きていれば幸せだったのに」
「なっ、お前は誰だ!?」
驚いたのは言うまでも無い、先ほどまでこの場にいたのは、
仲間の男と、ただ好き放題されるだけの存在でしかなかった姫。
しかし、仲間の男は血の海に沈み、純白のドレスの胸元は破れ下着が見え、
そのドレスは、おそらく返り血であると思われるが、真っ赤に染まっていた。
その血に染まった姫は今、短剣を構えて、こちらに突っ込んで来ている。
男はすぐさま両手に持っていた宝を、その場に落として、剣を引き抜こうとした。
『ザシュ』
しかし、その剣を引き抜く前に、頚動脈を切りつけられ、
勢い良く血を噴き出しながら、その場に倒れこみ二度と動かなくなった。
「はぁはぁ、私は剣の才能があったのかしら」
あまりにも、簡単に相手が斬られてくれるから、調子が狂う。
これならもっと真剣に、武術を勉強すれば良かった、と真剣に後悔するナタリー。
そして、すぐにこの場を後にして、謁見の間に、先ほどまで王達と一緒に
国民へ手を振った場所へと向かった。
そこに帰るべき日常が待っていると信じて・・・。
次回更新予定日は10月16日の12時ごろです。