第14話 死ねぬ人外者ナタリー
顔に何かがあたった―。
重い瞼を開けた。
真っ黒な雲が、空を覆っていた。
そして、耐え切れなくなった空から、雨をポツリポツリと雫が零れ落ちる。
それほど待たなくても、その量は大雨と変わった。
ただ、動く気がしない。ナタリーは空を見ていた。
【私は死ぬ事も出来ないの―】
目覚めて、最初の思考は、呪われた自分に対する絶望を口にした。
その言葉が頭の中をグルグル回る。
そして気付く。
雨の雫以外に、顔を伝う雫に。
でも、それを拭う気持ちは、少しもなかった。
ただ、ナタリーは思った。
この雨が全てを、流してくれないだろうかと。
自分の過去の思い出、自分の家族、自分の今の姿、これからを考えようとする気持ち。
そして、この止め処なく溢れる涙を。
「なぁ、バカ姫、気がついてるんだろう?」
王の間で出会ったクラッシュと言う少年が立っていた。
「・・・」
「無視すんな」
「・・・」
誰とも話したくない。
「止めとけ、クラッシュ。そっとしといてやれ」
もう一人、聞いた事のある声の人もいるらしい。
雨の音の中でもハッキリと聞える。
「ヘルムート、行こうぜ」
「なぁ、姫さん。あんたに一応、今の状況を教えとくぜ」
「いらない」
ヘルムートは、ナタリーの言葉を聞えなかったのか、勝手に話し始める。
「俺達が助けに来たのを知った帝国軍のアルベルトが、
2人の姫様を馬車に押し込んで、逃げるように去って行った」
「そう」
「そして、それから4時間ぐらいが経った」
「ねぇ、ヘルムートさん、一つ聞いていい?」
ナタリーの言葉に、一瞬驚いて少し間が空くヘルムート。
「どうした?」
「私は致命傷を負ったのに、何で生きているの?」
答えはわかっていた。けど、信じたくなかった。
「ハァ?ふざけるな。悪魔だからに決まってるだろう!?」
「クラッシュ、お前ね、どうしてそんなにデリカシーがないのかね」
「そう・・・悪魔だから・・・なのね」
「何をそんな暗い声出してんだ!!悪魔は、悪魔でも魔王だぞ。
悪魔だけど魔王なんだぜ。カッケェじゃねぇか!!!!!!」
まるで新しいおもちゃを、自慢するかのように誇らしげに胸を張る。
「そんな気持ちになれるわけないじゃない」
「だからバカ姫なんだよ、テメーはよ」
「言いすぎだ、クラッシュ。姫さん、俺達は明日の朝まで此処にいる。
もしも、俺達と一緒に来るつもりがあるなら、此処に来ればいい」
「バカか、ヘルムート。こんな荷物と一緒に旅が出来るかよ」
ヘルムートに抗議するクラッシュ。
「私だって、そこのバカと一緒にいたくない」
「ハァ、何でお前に言われなきゃなんねーんだ」
「クラッシュ、話がややこしくなるから黙ってろ。
どっちにしても、今の姫さんの事情を知っているのは、姫さんと同じ境遇の俺達だ。
だからこそ、理解できる事もあるだろう。それに・・・」
「それに・・・何?」
ヘルムートの言葉が途中で途切れたので、話の続きを促すナタリー。
「これから起こる厄災には、俺達だけの力では勝てないかもしれない。
だから、姫さんの力を貸して欲しい」
「ヘルムート!?」
「何を言っているの?」
「この大陸がじゃない。世界が終わりに向かって走り出しているのさ。
ある連中の手によって・・・な」
「世界の終わり?何が言いたいの?違うわね、何と戦っているの?」
「ほら、見ろ。これでコイツが味方にならなかったら、
情報漏えいとかって奴で、俺達また怒られるぞ。
俺関係ないからな。先に止めたからな。わかったな、ヘルムート」
一生懸命自分の保身に、走ろうとするクラッシュ。
「何度も言わせるな。黙っていろクラッシュ。
姫さん、これだけは言わせてくれ」
「何?」
「俺達は、人間じゃなくなってしまったのかもしれない。
人並みの幸せを求める事は、出来なくなったのかもしれない。
これからは光の差す道じゃなく、
日の差さない暗闇を歩かないといけないのかもしれない。
けどな、
人間辞めちまった俺達だからこそ、
出来る事があるんじゃないかって思うのさ」
「私にはわからないわ」
「そうか、まぁ、いきなり言われても理解できるわけがないか。
とにかく一度考えてみてくれ。そして、早く城に戻った方が良いと思うぜ」
その言葉に気付いた。自分の身に今日一日で起こった事を。
そして、色々な別れがあった事を思い出した。
泣いた。大声で泣いた。雨は好きじゃなかったけど、今だけは好きになれた。
だって、雨は涙と声を打ち消してくれるのだから。
「姫様、ご無事でしたか!!」
王の間に戻った途端、走って駆け付けるアクセル。
「爺、無理してごめんなさい」
「そんな事よりも、姫!!王妃様が、王妃様が」
「お母様?」
アクセルが走り出す。その後を追って走るナタリー。
辿り着いたのは、お父様とお母様の寝室の前だった。
「時は一刻を争うのです。入りなさいませ、姫様」
その言葉に、一瞬ドアノブを回す手が止まる。
けど、思い直してゆっくりと扉を開けた。
そこには風邪になった時に、いつも来てくれていたお医者さんが立っていた。
「ナタリー姫!?」
看護してくれている女性の付き添いの方が、口を抑えて小さく震える。
「お母様の容態は?」
「王妃様、ナタリー姫様が帰って来られましたよ」
この部屋を見渡していると昔、お父様、お母様と一緒に寝た日の事を思い出した。
一度だけ、お父様と、お母様と、カータス兄様と、マリア姉様と、シャルと、ナタリーの6人で
寝てみようって話になって寝た事があったけど、朝になると、
カータス兄様だけが、ベッドから落ちていたのをマリア姉さま見つけて、
皆で盛大に笑った。
「ナタリー?」
懐かしいけど、凄く弱々しい声がベッドから聞えた。
「お母様!?」
一目見て驚いた。顔色が真っ青で、綺麗だった髪の毛は、グシャグシャになっていた。
一気に老けたしまった姿に、驚きと悲しさが溢れてしまう。
「ごめんなさい。ナタリー、あなた達を置いて行くのはツライのだけど、
もう、無理かもしれないわ。でも、最後にナタリーの顔を見る事が出来たのだから、
今まで頑張って良かったわ」
「何、言っているの?マリア姉さまも、シャルももうすぐ此処に来るよ。
だから、それまで頑張ってよ、お母様!!!」
もちろん、嘘だ。
マリア姉さまも、シャルも、帝国軍に連れ去られてしまった。
自分は、助けだせなかった。
この国を守れなかった。
何よりも、お父様と、お母様に貰った体を傷つけてしまった。
「マリアもシャルも元気なのね。良かった、安心したわ。
あなた達だけは、何があっても幸せになりなさい。
私とお父様は、あなた達を見守っているわ」
最後に力弱く笑った。今にも消えてしまいそうな笑顔だった。
そして、その後、静かに息を引き取った。
「姫様・・・」
「アクセル、エドワードとグスタフを王の間に呼びなさい」
「グスタフを、ですか?」
「急ぎなさい。後、一人使いの者を急ぎ、私の部屋に来るように言いなさい」
「ハッ、エミュリ、ナタリー姫様の御用をお聞きなさい」
そう言うと、母のベッドの横で看病をしていた女性が立ち上がる。
「はい、どのようなご用件でございましょうか?」
「私のお気に入りのドレスを仕立て屋さんに持って行って、
色を染めるようにお願いして」
「あの白のドレスを、ですか?」
「そう、お願い」
それだけを言い残して部屋を後にして、王の間に歩き出す。
お母様の笑顔を見て、最後についた嘘を嘘にするわけには行かない。
「私のやるべき事は決まったわ」
誰に言うわけでもなく、一人呟く。
その言葉は、誰の耳にも届く事はなかった。
「姫様!!!!!!!!!!」
エドワードが、ナタリーの姿を見つけると大声を上げる。
「エドワード、無事で良かったわ」
「すまねぇ、王様を守れなくて、王国もこんな姿にして、
グスタフの反乱にも気付かないとは・・・」
視線を落とすエドワード。
その横には、縄で縛られたグスタフが下を向いたまま動かない。
「エドワード・・・」
「もし良かったら、俺の命で責任を償えるなら喜んで自害します。
今回の一件は完全に俺の不覚だから・・・」
「そう、ならば、今から私が言う事に異論を唱える事は、一切許しません」
「何を考えていらっしゃるのですか!!!!」
ナタリーが、エドワードに、最悪の罰を下すと思ったアクセルが叫ぶ。
「この国の臨時国王を、グスタフにまかせるわ」
「・・・・・・おい、何を考えているんだ、姫様。コイツは、コイツのせいで、
どれだけの人が死んだのか。あんたが一番知っているんだろうが!!!!!!!」
吼えるエドワード。
「私も同意できかねますな。しかしながら、せめて理由だけは、お聞きしましょうか?」
アクセルも、渋い顔のままでナタリーを見つめる。
一回だけ深いため息をついてから、話し始めるナタリー。
「あのね、私もグスタフを許す気なんて、さらさらないわ。
むしろ、この場で一番苦しい死に方で殺してやりたいわ」
「姫・・・」
ナタリーの口から、このような言葉が出るとは思っていなかったのか、
驚きの顔をするアクセル。
「でも、今回はグスタフの心の弱い部分を、帝国に突かれたと言う部分もあると思うわ。
そして、彼の家系が元々王族の出だった事も始めて知った」
「何ですと、グスタフが王族の家系・・・」
「もう、崩壊して何代か経っているみたいなのだけど」
ナタリーは、アルベルトが言っていた事を思い出す。
「だからって、許せるわけないだろうが!!!!!!!」
エドワードは、グスタフを睨む。
グスタフは、自分の名前が出る度に、体を大きく震わせる。
「うん、でも、この国が好きだと言わなかったかしら、エドワード」
「確かにこの国は生活水準に差はあるが、一番下の者も最低限の生活を送れている。
この国はとても優しくて、いつも笑い声が絶えなかった。
俺はこの国が好きだ」
「その国を作ったのは、宰相であり、政を司るグスタフの手腕よ」
「しかし、しかし、こいつは・・・」
「うん、ごめんね、エドワード。
ありがとう、私のお父様やお母様の為にここまで抵抗してくれて」
「姫・・・」
「姫様が、王位を継がれるおつもりはないと?」
アクセルは、エドワードとナタリーのやり取りを、見つめながら考えていたようだった。
「うん、私は城を出るわ」
「何を言っている?姫がいないと誰がこの国を守るんだ!?」
エドワードが、驚いたように拳を握り締める。
「エドワードがいるじゃない。この国を守るのに最も適した将軍が」
「姫・・・」
「アクセル、あなたにも一役買って欲しいの」
「私にグスタフの世話を行え、とおっしゃるのですか?」
「さすがに鋭いわね、そう、もちろん監視も含めてね。
グスタフはどうかしら?」
自分の名前が呼ばれた事に、一番大きく体を震わせるグスタフ。
「私を、もう一度信じてくださるのですか?」
「もちろん、また、民や兵士、この国に住む誰かを泣かすような事をしたら、
即刻、死刑に処するつもりだけど、後、カータス兄様がなんて言うかだけど、
気にしなくて良いと思うわ」
「姫様、国の未来を軽々しくお決めになるのは・・・」
やはり、険しい表情のままのアクセル。
「うん、だからこその臨時なの。グスタフはどうなの?
臨時だから、もしかするとすぐに誰かが正式な継承する時は、
潔く宰相に戻ると言うのが条件だけど、それでも、この国をもう一度動かしてみる?」
「自分はチャンスを頂けるのなら、どんな形であれ是非やらせて下さい!!」
縄に縛られたまま、体だけを前に出すグスタフ。
「そう、なら、お願いするわ。グスタフ、あなたにも意地があるでしょ。
もう一度、いえ、前以上に誰もが笑う良い国を作りなさい。
エドワード、グスタフの縄を解きなさい」
「もう、知らねぇからな」
深いため息をつきながら強引に縄を切るエドワード。
「アクセル、エドワード、グスタフ、この国を頼むわ」
そう言うと、王の間から出て行くナタリー。
「姫・・・」
最後まで険しい表情で、ナタリーの背中を見送るアクセル。
アクセルは、ナタリーの決定に異論があると言うよりは、
まだ子供だと思っていたナタリーが、国の未来を迷い無く決断させている物は
何なのかを思案していた。
ただ、思い当たる事は何もなかった。
ナタリーは、その日は夜中まで王妃の傍で座って手を重ねて過ごした。
早朝、外がまだ暗い中、自室で一人起きるナタリー。
昨日、仕立て屋さんに頼んで貰った服装に着替える。
「うん、この服はあの色の方が良かったけど、この色にしないと目立っちゃうよね」
1人で苦笑しながらも、ため息をつく。
そして、まだ、誰も起きていない城の中を1人で歩く。
マリア姉様の部屋や、シャルの部屋に入って、何をするわけではなく、
ベッドに腰掛け部屋を見渡して、昔ここで話した事や、笑った事、ケンカした事を
思い出したりしていた。
そして、満足したら部屋を出る。
「しばらく、帰って来れそうにないわね」
「やはり、もう行かれるのですかな?」
「えっ・・・」
振り向くと、アクセルが立っていた。
「アクセル・・・」
「止めても無駄ですかな、姫?」
2度同じ問いを口にするアクセル。
「私は、マリア姉さまと、シャルのいない世界なんて嫌なの。
だから、私は迎えに行かないといけないわ」
「そうですか、ナタリー様は、昔から一度決め込むとワシの言う事なんて、
一度も聞いてくれた事は、ありませんでしたからな」
そう言うと、アクセルは、ナタリーの頭を優しく撫でた。
遥か昔は、良くこうして何か出来た時は頭を撫でてくれた。
(今、自分は何が出来たのだろう― )
考えてみたけどわからない。
今はわからない。あくまで今は。
「この国、私が帰って来たら無くなっていたとか許さないわよ、アクセル」
「心得ております。
臨時国王グスタフの世話役を、果たして見せましょう。
ですが、姫に一つだけお約束して頂きたい事があります」
「何かしら?」
「この爺めが、生きている内に帰って来てください」
「わかったわ」
アクセルも、ナタリーの旅が長くなる事をわかったのか、
少しだけ目が、潤んでいるように見えた。
「爺!!」
そう言うと、アクセルに抱きつくナタリー。
「いっ、いきなりどうしたのですか!?」
いきなり抱きつかれ、フラ付きながらもしっかり抱きしめるアクセル。
「今までありがとう。行ってきます」
そして、ナタリーは早朝、日が少し出始めた頃に城を後にした。
次回更新予定日は2016年1月1日12時ごろです。
物語は最終話となります。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
そして、最終話までお付き合い頂けましたら、光栄です。