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みうらみちるとゆうたの夏。

みうらみちると俺の夏。

作者: 尋道あさな

 



 俺には分からなかった。

 本当に、まったく、さっぱり、理解出来なかった。

 とぼけている訳でも何でもなくて、本気で分からなかったのだ。

 みうらみちるが抱えている悩みも、今こうして目の前で泣いている理由(わけ)も。


 夏休みが始まった。

 待ちに待った夏休みだ。


 宿題には触れないでおこう。

 提出物?なにそれ美味しいの?


「ちょっと雄太(ゆうた)

「なんだよ」

「ごろごろしてないでお使い行ってきてよ」


 夏休み三日目。

 暇だしすることねぇし、遊びに行くかなーでも暑いしなーとグダグダ考えている間にロックオンされたらしい。


 これはマズイ。


 身体を起こしてソファから退き、二階へ上がろうとした瞬間、タンクトップの裾を掴まれる。


 裾か?むしろ背中だろ?


 鷲掴みにされた俺のタンクトップはぎちぎちと言いながら伸び、若干危ない音を醸し出した。


「なあに、用事でもあるの?」

「ないです」


 母強し。なんて恐ろしいんだ。

 渡される財布は買い物専用財布、ド派手なエコバッグまで持たされた。

 ちくしょう、何が悲しくてハートマークいっぱいのピンク色のエコバッグなんぞ持ち歩かなきゃならないんだ。





 近所のスーパーには家から徒歩十分ほどで着く。

 炎天下の中タンクトップで出てきたのは失敗だった。

 いくら近いと言えど、これだけ日差しが強ければ肌は真っ赤に腫れるだろう。こんがり焼けた肌色は嫌いじゃないが、痛いのは嫌だ。焼け過ぎも微妙。となると汗を大量にかくことを覚悟で走らねばなるまい。


 走れ、俺。

 タマゴンティウス(玉子ひとパック)が待っている。


 たったったと軽快なリズムで駆けていく。


 俺は風になっている。──なんて、馬鹿なことを考えていた、そんな真っ最中だった。




「はーいもういっかーい」


 楽しそうな笑い声が上がる。

 賑やかな声がして、反射的に声がした方を見る。


「はい次ー。せーのっ」


 ぐしゃ、と。潰れたような音がした。




 五・六人の女達が囲む広い円のなか、ひとりの女が砂まみれで倒れている。


 一瞬、異様な雰囲気に飲まれて頭が真っ白になった。


 なんだ、あれ。なにやってる?なんの遊びだ?


 炎天下だというのに、すうっと背筋が寒くなった。


 見間違いじゃなければ、勘違いじゃなければ、真ん中で小さく丸まっている女が、いじめられている。


 コンビニの袋だろうか。

 真っ白なビニールの中から取り出したのは、俺も好きな袋のかき氷で、定番のいちご味で、こんな暑い日にはもってこいな氷菓で、やっぱりそれはどう考えても食べ物で──だけど。


 女達は真ん中の女にかき氷をぶちまけた。

 ひとつ、ふたつ、じゃない。

 周りにはたくさんの空になった袋が落ちていて、今開けたばかりのかき氷の他にもまだ残っているらしかった。


 気持ち悪ぃ。

 見て見ぬふりで、通り過ぎようとした。

 それなのに。


「なんだよ……」


 真ん中の女が一瞬、こっちを見たような気がして。


「くそっ」


 さっぱり理解できねぇ。全く意味がわからねぇ。

 でも、見捨てたら可哀想だと思った。

 見捨てたら、自分が汚れるような気がした。


「もったいねー!なにやってんだよ!」


 声をかけると一斉に散らばって行く女たち。

 ロクに此方を見もしないで逃げた辺り、やっぱりこれはいじめか何かで女たちはやばいと思ったのだろう。


 自分の身体を守るように抱きしめて、地面で小さくなっている女だけがその場に残される。




 泣いているようだった。


「汚いから立ち上がれよ。砂、すげぇついてるぞ」


 なんと声をかけたらいいのか分からなくて、搾り出すようにそう言った。


 女はゆっくりと立ち上がる。

 ふらふらの身体をなんとか保ちながら、小さく頭を下げた。


「ごめんなさい」


 イラっとした。

 なんで謝るんだよ。

 別に、悪いことしたのはおまえじゃないだろって、妙に腹が立って。


「いじめられてんの?」

「たぶん」

「なんで?」

「わからない、わから、ないの」


 か細い声でそう言うと、女はバッと顔を上げて──堪えていたものが溢れたみたいに、ひっく、と引きつった声を皮切りに大きな声で泣き出した。






 俺はなんでこの女に付き合ってやっているんだろう。

 タマゴンティウスが待っているのに、足は完全に止まってしまった。


 あー、なんだっけ。

 泣いてる女にはどうすればいいんだっけ。



 とりあえず、子供みたいに泣き出した女を放置して、落ちていたかき氷のゴミ袋を集めていく。

 ここが公園で良かった。

 燃えるゴミの方に袋を入れてトイレで手を洗う。

 女はまだ泣いていた。



 ちくしょう、どうすればいいんだ。



「あのさ、俺、買い物頼まれてんの。玉子買いに行きたいんだけど」


 うええ、と全く可愛くない声を上げて女は首を振る。

 もっと上品に泣けないのかよ。上品に泣いてる奴なんか俺は見たことないけどさ。


「帰りに寄ってやるよ。だから、それまでに泣きやめ」


 頷いた、ように見えた。

 実際はそうじゃなかったかも知れない。でも、頷いたように見えたから、俺は玉子を買うために公園を駆け足で出た。



 たぶん、測定のときですらこんなに必死になったことない。

 どうしてか俺は、玉子ひとパックを買う為に全速力で走っていて、買った後も何故か、全速力で公園に戻っていた。



「俺が帰ってくるまでに泣きやめって言ったのに」



 ひっく、ひっく、としゃくり上げる女の涙は止まらない。

 女が肩から下げているでかいエナメルバッグにローマ字で名前が書いてある。



 みちる、みうら。



「みちる。ベンチに座れ。砂だらけだ。落とさなきゃ」


 みちるの手は砂だらけで、正直触ってうえ、と思った。

 ざらざらの感触が気持ち悪い。さっき手を洗ったばかりなのに。


「ハンカチとか無いんだよ。持ってる?」

「ある……」

「じゃあ使えよバカ。目、真っ赤だぞ」

「うん……」


 少しずつ、ゆっくりと、みちるは涙を止めた。

 ぶり返すようにまた涙が溢れそうになっても、なんとか声を押し殺して泣き出すのを我慢していた。


「ねえ、なんで、私の名前……」

「カバンに書いてある」

「そっか、あ、ホントだ」


 エナメルバッグに書いてある自分の名前を指でなぞると、みちるはハッとしたように俯く。


「さっき、わからないって言ったけどね、本当はね、なんとなくわかるの」


 沈んだ声に苛立つ。

 なんで、みちるはこんなにも落ち込んだ声で話すのだろう。もうあいつらはいないのに、話しているのは俺となのに。


「私、鈍いみたいで、だから、いらつくんだって」


 また、溢れ出しそうだった。

 ふっ、と漏れた声を必死で無かったことにして、みちるは唇を閉ざすと我慢するように目を閉じた。


「鈍いってなんだよ」

「反応が遅い、とか、察しが悪い、とか」

「だからなんだよ。それでなんでいじめられんの、意味わかんねえ」

「……なんでって」


 俺には理解出来なかった。


 みちるがいじめられて泣いてることが。

 言い返さないで、ただ泣いてることが。


「みちるの反応が遅かったら、いじめてもいいのかよ。察しが悪かったら、なんか悪いのか。なんで泣いてんの。なんで、言い返さないわけ」


 だって、変だろ。そんなの、絶対におかしいだろ。

 反応が遅いとかき氷ぶちまけるのか。それで黙ってるのか。


「私が悪いのに言い返したりなんて、できない」

「悪いって本気で思ってんのかよ」


 みちるは、どこか諦めたように、あまり納得できていない様子で「いらつくんだって」とさっき言った。

 自分が悪いと思っているなら、そんなふうに言うのはおかしい。だから、納得してないんだって俺は自然とそう思った。


「お、思ってない……」

「だろ」

「でも、自分が悪いからって思わなきゃ、たえられない」

「だから言えばいいだろ。やめろって」

「言えないよっ!」


 びっくりした。

 心臓が破裂しそうなくらい、びっくりした。


 わんわん泣いてた女が急に大声で怒鳴るから、俺の心臓は危うく口から飛び出して旅に出そうになった。

 みちるは自分が怒鳴ったことに俺以上に驚いていて、呆然と目を見開いたまま石のように固まった。


「でかい声出すなよびっくりするだろ」

「私も、びっくりした……」


 驚きで涙は止まったらしい。

 でもそこに触れたらまた泣きそうだったから、敢えて言わなかった。


「あいつらに言えないってなんでだよ」

「だって、言ったらもっと酷くなる」

「はあ?酷くなったらまたやめろって言えよ。やり返せよ」

「ど、どうやって?」

「かき氷ぶちまけるとか」

「勿体無いじゃない」


 そうだな。確かにもったいない。俺もそれは思った。


「じゃあどうするんだよ」

「どうするって言ったって……だから、今は我慢するしか……」

「いつまで我慢すんの」

「……」

「つーか、どれくらい我慢してんの」

「一年、くらい」

「長えよバカ!ほんっとバカ!やめろって言えよ!言えないなら俺が言ってやる!連れて行け!」


 なんなんだこの女は。なんでそんなに我慢してんだ。意味が分からねぇ、まったく分からねぇ。悪いことしてるのは向こうだろ。なんでこっちが我慢しなきゃいけねえんだよ。


 むかむかする。すっげー腹立つ。

 そんな俺を見て、みちるは笑った。


「笑うな」

「だって、おかしい」

「なにが」

「どうしてきみが怒るの」


 初めて見た、笑った顔。

 泣いてるよりずっといい。


 砂だらけでブスだけど、泣いてる方がもっとブスだ。


「雄太。俺のなまえ」

「どうして雄太が怒るの」


 そんなの。


「みちるが情けないからだろ」


 変な女。


「雄太。私、ひさしぶりに、笑ったかもしれない」

「ブサイクだぞ。砂まみれで」


 また、みちるは笑った。


「うるさいなあ。帰ったらお風呂に入るよ」

「そうしろよ。俺も風呂入りてぇ。暑い」


 みちるは結論を出さなかった。

 俺も蒸し返したりしなかった。


 言えないというみちるの言葉が、怒鳴り声が、必死の叫びのように思えて、話を蒸し返したらみちるはまた泣いてしまうと思ったからだった。


「雄太、ありがとう」

「なにが」

「ううん、なんでもない」







 夏が来ると、思い出す。

 小学四年の夏休み、公園で会った変な女──みうらみちるのこと。


 たった一回しか会っていないのに記憶に深く刻まれた女は、夏が来ると俺の頭の中で大声を上げて泣く。


 泣きやめ、泣きやめ、と思って俺は、あの手この手で笑わせようとする。


 でも、記憶の中の彼女はまったく泣き止まなくて、最後には諦めた俺が「そんなに泣くくらいならやめろって言えばいい」と投げやりに言うと彼女は怒って「言えるわけない!」と俺を怒鳴った。


 そして、びっくりして。

 怒鳴った自分に驚いて。

 彼女はその瞬間全ての悩みを忘れたように、ただ俺にだけ笑いかけた。





「雄太ー!なにしてんの!売り切れちゃうでしょ!」

「はいはい」

「おひとり様ひとパックまでなのよ。ふたパックあればあんたの好きなとろとろ卵のオムライスが出来るんだから」

「分かってるって」


 あの公園は遊具がいくつか無くなったけれど、まだ、其処にある。

 通りかかるとき、いつも中を覗いてしまうのはきっとみちるの呪いか何かだろう。


「母さん」

「なあに」

「ごめん、やっぱ、ひとりで行って!」




 駆け出す。全速力。




 だって、また、泣いてる。




「俺が、帰ってくる前に、泣きやめって、言っただろ」

「え……?」


 服装も髪型も違うのに、身長も、きっと体重だって、違うのに。


 絶対にみちるだって、俺は直感して。


「あ、いや、えっと」


 ──違った。


「すみません、間違えました」


 ちがった。みちるじゃ、ない。


「本当にすみません。人違いで……」


 みちるじゃなかった。




「全然、変わってない」

「……は?」

「砂まみれじゃないと、わからないかな」


 ずっと、ずっと、気になってた。

 通りかかる度に中を覗いた。


 また泣いてやしないかって。

 またいじめられてるんじゃないかって。


 けれど、彼女はそこにいなくて。


 当時、小学生の俺に探すことなんてまったくできなくて。

 高校生になってやっと彼女の名前を知ってるやつがいないかどうか聞くことが出来たけれど、当然知っているやつなんていなくて。


「私、覚えてるよ。ブサイクだって言われたこと。女は根に持つんだよ、気をつけなきゃ」


 穏やかな笑顔。


「……みちる」

「うそ、なんで泣くの、ええ……どうしよう、ハンカチいる?」


 よく笑うようになった。

 自信なさげな声も消えて、普通に喋るようになった。

 心細そうに伏せていた目も、今は俺を──ちゃんと見つめている。





 何年経った?みちるは何歳だ?

 出会ったとき、俺は小学四年で、みちるはたぶん、高校生で。


「みちる、今、何歳」

「二十二だけど。え、いきなりどうしたの」

「彼氏は」

「いないよ?」

「なんで」

「なんでって言われても……そうだなあ、好きな人がいるからかな」

「はあ!?なに!?」

「雄太、なんで怒ってるの。怖いってば」


 嘘つけ。いないだろ!俺は認めねえ!ここは感動の再会を経て俺とみちるが結ばれるところだろ!


「ねえ、雄太」

「なに!」

「だからなんで怒ってるの。あのね、私もちょっと聞いていい?」

「なんだよ」

「雄太、何歳?」

「十七」

「……あ、そ、そう、なんだ。へぇ、え、じゃあ、あの時まだ小学生だったの!?」





「みちる」

「う、うん。なに」

「好きな奴って、どれくらい好きなの」

「……地元の大学に進む事を決めて六年間も頭から離れないくらいかな」

「俺とどっちが好き?」

「え、ええ……困ったなあ、えっと」

「どっち」

「う、うーん……。ええっと、鈍感だなあ、どうしよう。しかもちょっと俺様だなあ……」

「なに?」

「なんでもない。雄太、とりあえず、連絡先でも交換する?」

「する」



 夏が来ると、思い出す。

 出会った日のこと、再会した日のこと──思い出に溢れたあの公園で、きみと過ごした愛しい時間を。




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