@ボーダーステーション
「あー、お腹いっぱい! シュンも元気出たみたいだし!」
「なー。よく考えたら俺、カラオケで饅頭食べたからあんまり腹が減ってなかったのかもしれない」
「あ! 私まだ王子まんじゅう食べてない」
「忘れてたのか……」
サイゼリヤを出た時には、もう夜の九時半を過ぎていた。
満面の笑みを湛えた美南の顔が、俺の横に並んでいる。まったく、こいつのせいで俺まで途中から食欲復活しちまったじゃねーか。美南と違って俺の財布には底があるんだよ。『辛味チキン』なんて頼む余裕はなかったんだからな畜生。
「ねえ、もうちょっと遊ばない?」
「そうだな……。このまま家に帰ると腹痛起こしそうだし。母さんいないなら門限もなくなるからな」
「この時間帯で開いてるのって言ったら、何があるかな」
「ゲーセンとかどう?」
「あ、それいい!」
いや、良くないんだけどな。11時過ぎたら見回りの警察が来るだろうし。
けど、ここに来て俺も妙に気が大きくなってきていた。いいか、少しくらい悪いことしたって。
目指すのは八急スクエアの向こうに立つ大型ゲームセンター『ボーダーステーション八王子店』。ゲーセンの犇めくこの八王子にあって、かなり学生も多い所だ。単に近くに高校があるからって理由もあるだろうけど。
「ミナ、ゲーセンって入ったことある?」
「二回来たことあるか無いかくらいかなあ。私こういうのあんまり上手くなくて、興味もあんまりなかったから」
「太鼓の鉄人って分かるか?」
「……シュンがバカにした」
「ごめんごめん……。ほら、あれだったら初見でも割とプレイしやすいと思うんだけど」
「あれでしょ、流れてきたマークに合わせて太鼓を叩くやつでしょ? うん、確かにあれならちょっと希望あるかも」
「お、空いてるな。二百円、っと」
「私が払う!」
「まだ言うか!」
……えー、結論。
美南はめちゃくちゃ強かった。
何が強かったって、リズムを掴むのが上手かった。ただマークをばら蒔いただけみたいな譜面を前に呆然とする俺の横で、すごいすごいってはしゃぎながらフルコンボを何度も叩き出した。
俺、こう見えてもかなり太鼓の鉄人は修行していたつもりだったのに。美南、音楽関連は何でもかんでもいけるらしい。
ついに階級差が四段にまで広がった所で、俺は恐る恐る言い出した。
「……な、なぁ……。そろそろ別のにしない……?」
汗で濡れた袖で額を拭いながら、美南は笑顔で尋ね返す。
「やだ。もうちょっといたい」
「マジかよ……」
「あ、さては私に負け続けだから辛くなったの?」
「そ……そんなことない! そんなことないっ」
「えへへ。いいよ、他の所に行っても」
どっちなんだよ……。
悔しかったけれど、仕方ない。俺ももっと修行を積んで、いつかまた美南に挑んでやる。
バチを太鼓の脇に置くと、俺は辺りを見回した。UFOキャッチャーの所が空いている。
「UFOキャッチャーにしない?」
「げ、私が一番苦手なやつ……」
「大丈夫だって、慣れればそんなに難しくはないよ。俺も最初は超苦手だったけどさ」
「そうなの?あ、このマシンの景品みんな八王子のゆるキャラだ」
「『ゲンキダー』、『たき坊』、『松姫マッピー』……へえ、こんなに色々いたっけ」
「可愛い……」
「やるか?」
ゆるキャラのストラップを見て、一転やる気になったらしい。こくんと美南は頷いた。
「先にやりたい?」
「ううん、先やっていいよ。シュンの見て勉強する」
よっしゃ、見ていやがれ。
さっきのはともかく、UFOキャッチャーは本当に得意だからな。三回連続で同じ携帯ゲーム機を手にいれて、後で困って友達に売り飛ばした事だってあるくらいだ。泣きたい。
汗ばんだ手で、レバーを握った。ゆっくり傾けると、中のロボットアームがきいっと動き出す。
「どれ狙う?」
「うーん、あのはしっこの『松姫マッピー』のやつ……いや! やっぱりあれ私が当てたい!」
「んじゃ、あのクリアファイルでも狙おうかな。もう少し……右っと」
左右の移動が終わったら、次は前後だ。ちょっと力を込めただけでもすぐに行き過ぎてしまうから、慎重にやらないといけない。
あと少し、あと少し……!
「今だ!」
俺は降下ボタンを押した。
鋭い口をカッと開きながら、ロボットアームは下降してゆく。その端が僅かにクリアファイルを捉えた。
ぐらっと揺れたクリアファイルは、吸い込まれるように落ちてくる。
来た!
「わ! すごーい!」
「へへっ、これは得意だからな。操作方法、分かる?」
「うん、前にちょっとやった事はあるから……。シュン、さっきのって何かコツとかあるの?」
「コツなんてないよ。経験さ、経験」
「へえー!!」
美南は知らないだろう。俺がここまでの技術を手に入れるまでに、少ない小遣いをどれほどこの機械に貢いで来たか。
何てったって中学で一時期『UFOの覇者』ってあだ名がついたくらいだからな。駅のすぐそばにあるゲーセン『UFO』で必死に鍛練してた頃は、ドアをくぐるたびに店員にギョッとされてたよ。
UFOと言えば、この町では2008年、多数のUFOが目撃されているそうだ。八王子出身の狂猿組のメンバーのブログに書いてあった。どうでもいいな。
さっきの仇とばかりに会心のどや顔をしてみせると、きらきらと煌めいていた美南の瞳が、すうっと黒くなった。
「よっし、私も頑張ってみよっかな! 狙いはあの子! はじっこの落っこちそうな奴!」
「なかなかにレベル高そうなの狙ったな!?」
「そうなの? お、動いた動いたー」
「なっ、そんなに動かしちゃうのかよ! 端っこだぞ?」
「シュンみたく先っぽでつついて落としたくて。あと少し、少し────あ! いけた! やったよいけたよ!!」
「…………!?」
視神経がエンストでも起こしたのかと思った。
美南は一回目でいきなり、狙いのグッズを手に入れてしまったのだ!
取り出された松姫マッピーを前に、『UFOの覇者』の文字が音を立てて崩れ去ってゆく。やばい、今日のこの流れはやばい。負け続けてる。
「あれ? おかしいな、微調整が上手くいかない……」
「調子悪いの? あ、また何か当てられた」
「え、マジで!? あ……よし! 何とか落とせた!」
「私も三つ目狙おうっと……。決めた! 狙うはあのマッピーのぬいぐるみ!」
「新幹線に持って入れないぞ!?」
「送るからいいもーん。あとちょっと……ちょっと左……やったー!!」
……次々と獲物を落としていく美南を目の当たりにさせられて、俺は強く決心した。
こいつの『出来ない』『苦手』は金輪際信じない。やれば出来たじゃねーか、しかも経験者の俺を軽く凌駕して。
案外、何だってそうなのかもしれないな。
怖がりな美南のこと、食わず嫌いで遠ざけてる事はたくさんある。こと食べ物に限って言っても、俺が知ってるだけでもトマトとかナスとか椎茸とか……。ラインナップが完全に子供なのは、置いといて。
凹んだ俺と上機嫌の美南は、そのあと二時間かけてゲーセンの全てのマシンに総当たりをかけた。そして結果は、見事に俺の惨敗だった。全十種類中、俺の方が成績がよかったのはガンシューティングだけだ。情け無さすぎる。
「トイレ行ってくるね。ちょっと待ってて」
そう言い残し、ぱたぱたと駆けていく美南。
喋る相手がいなくなった途端、疲れがどっと出てきて俺は壁にもたれ掛かった。冷たい感覚が、時間のスピードを遅くする。
よく考えたら、当たり前だ。俺たち、丸一日歩き回ってたんだから。精神すり減らしたシーンの多さを考慮に入れれば、実際はもっと負担は大きいに違いない。
ああもう、美南のやつ買った物の袋全部ここに置いて行きやがるし。盗まれたらどうするんだよ、もう。
一頻り心の中で愚直を吐き出すと、俺はぼんやりと辺りの景色に焦点を合わせた。
バカでかい派手な箱が目に入った。ああ、プリクラか。
「お待たせー。あれ、どうしたの?」
美南が戻って来た。
慌てて身体を起こす俺。しまった、不覚にも見とれてた。
「あ、ごめんごめん。ちょっと…………」
「…………プリクラ、かぁ」
……えっ。
顔を上げると、美南もプリクラの方をぼんやりと眺めていた。
その顔が少し、赤らんで見える。幻覚では無さそうだ。
「……シュン」
「……何だ」
「……あれ、撮ったことある?」
「……男同士で入るほど俺は勇気ないよ」
「……私も」
俺たちくらいの関係になると、以心伝心ってやつが働く事が時々ある。
お互い、無言のうちに話がついていたみたいだった。俺と美南はゆっくりと、一歩を踏み出した。プリクラに向かって。
人生初のプリクラだ。もしかしたら人生最後になるかもしれない……とか悲観的になりそうになって、頭を振って悪魔を蹴り出す。当然撮り方なんて知らないわけで、まずは外の説明を見てみることに。
「最初に名前を入力して、次に背景を選択……か。ああ、名前はスタンプになるんだ」
「私は『みなみ』って入れればいいのかな。シュンは『しゅんすけ』?」
「うん、それでいいや。背景どうする? 二十秒で決めなきゃ……」
「時間制限あるとかシビアだね……。これにしない? 後ろの柄が可愛いよ」
「俺はどれでもいいや。じゃあそれにするよ」
「そしたら撮影だね」
幸い、中には誰もみたいだった。でっかく女優の写真が貼られた暖簾をくぐって、俺たちは恐る恐る中に踏み込む。
証明写真機みたいなもんかと思っていたけど、意外と広い。音声ガイドが、ポーズを決めるよう促してくれる。まずは一枚目、顔だ。
「どんな顔にしよう」
「変顔とか?」
「やだ、恥ずかしい。シュンだけやって」
「俺だけなんてやだよ!」
「じゃあどうするの!? シュン考えて!」
「俺!? いや、そんな急に言われたってっ!!」
って騒いでたらシャッターを切られてしまった。
「ぶふっ」
表示された写真に、俺も美南も揃って吹き出す。顔だけで喧嘩してる俺たちが、ばっちり写されていた。マンガの一コマみたいだ。
「なんかもう、何でもよくなってきた。テキトーにポーズ決めようぜ」
「ベタにピースとかどうかな。こう、ちょっと顔を傾けて」
「ミナ、そんなに傾けるとなんかギャルっぽい」
「え、ウソ!? ああ! 撮っちゃったじゃん! シュンのせいだー!」
「俺かよ! 俺はギャルっぽいって言っただけでそれが悪いなんて一言もっ」
「じゃあどうやったら可愛く見える!? ああっ、あと三秒だよお!」
「笑え! 取りあえず笑えば可愛く見える!」
「こう? あああ口開けた状態で撮れちゃった!」
「俺もだ! くそ、時間短いんだよ! もうこうなったら画面に出てるお題で撮るか?」
「そんなのムリだよ! 『アへ顔ダブルピース』なんて恥ずかしくて出来ない!」
「確かに──あっ、また撮られた!」
結局、かっこよくて可愛い写真なんて一枚も撮れないまま、最後の一枚がやって来た。
最後だけは顔ではなく、全身だ。もうすっかり叫び疲れて黙ったままカメラを睨む俺と美南が、画面に大映しになっている。
どうしよう。どうしよう。
こういう時、クラスのやつらならどんなポーズを取るんだろうか。写真ならずっと前にリア充友達に見せてもらった事があったけど、確かあいつらは抱き合って『YES,フォーリンラブ』とかやってたような……。
ネタが古い。しかも俺たち、そういう関係じゃ……!
「…………あっ」
ふいに右手が、柔らかいモノに触れた。
……指がある。美南の左手だ。
「…………」
息が喉に詰まって、声にならなくなる。
どんどん白くなる意識とは裏腹に、俺の手はしっかりと美南の手を握っていた。美南の手が俺の手を握ったのと、同時だった。
美南の左手、あったかい……。
違う。
これは、そう言うんじゃない。
この胸の高鳴りは、きっと違う。
「……これで、いい?」
急に静かになった空気の中で、俺はそっと美南に尋ねる。
「……うん」
小さく頷いた美南の顔も、画面に映った俺の顔も。
真っ赤に染まっていた。
ええい、もうどうにでもなれ。俺は握った手にそっと身体を寄せる。
少し背の低い美南の身体との間に、すき間はもうない。仄かで柔らかなあの香水の芳香が、鼻孔に染み込んでゆく。
アナウンスの甲高い声が、遠く聞こえた。
「さん、にぃ、いちっ!」