@SELEO八王子
「どっちが先に歌う?」
「じゃんけんで勝った方でどうだ?」
「男気じゃんけん? いいよ、受けて立つ!」
「じゃん、けん、ぽん!」
……負けました。
否、正確には勝ちました。
おかしいな、普段美南っていっつも最初にチョキを出してるのに。敗北(?)を喫したパーの右手を見ていると、美南がクスッと笑う。
「シュンほんと、変わってないね。裏をかいたらあっさり勝ってくれちゃって」
「まさか……お前に裏の意図を読まれるなんて……」
「さあ、先に歌うのシュンだからねっ!」
へいへい。急かされながら、俺は入力装置の画面をタッチした。誰にするかな。
マルチプレイヤーの俺にだって、得意な歌手くらいはいる。元から難易度が高めの歌が多いだから、多少オンチでも誤魔化せるっていう悲しい理由ではあるけれど。
「よし! いっちょ行くか!」
「へえ、GreenPeaceかぁ! シュン歌えるんだ!」
「ふふ……血の滲むような努力がな……。喉潰した翌日の体育が地獄と化したよ」
「私、『MOMENT』なら行ける!」
「マジで!? あれ、ビブラートで得点稼ぐのキツくないか……?」
「ほらほら、曲始まってるよー」
「しまった──!」
……きっかり二時間半、俺たちは歌い続けた。
カラオケって、あらゆる娯楽の中でも指折りのコストパフォーマンスの高さだと思う。歌い上げた後のぞくぞくするような恍惚感は、堪らなく気持ちがいい。ストレスとか何とか、そういう鬱要素が全て根こそぎ吹き飛んでいくような気がする。
あれだけマルチだと強調しておきながら、結局ジャンルは似通ったものになってしまった。二人ともJーPOPかアニソンばっかりだったからな。特に美南なんて、ほとんどラブソングしかなかったし。
美南は、歌が上手い。とにかく声が透き通っていて、ビブラートやしゃくりのような高等技術にも長けている。曲次第では艶まで張って、何て言うか……エロい。もし美南に彼氏が出来たなら、ぜひここに連れて来るといいと思う。あの声の主にゼロ距離でラブソングを歌われたら、一撃で堕ちるに決まってるよ。なんてな。
「ねえ、最後に二人でアレ歌わない?」
「アレって何だっけ」
「ほら、狂猿組の『祈望』。カラオケで歌うとパートが男女で分かれちゃうから、なかなかトライ出来なくて……」
「けっこう難しい奴だよな……。俺とでもいいのか?」
「うん。シュン、しばらく聞かないうちにすっごく歌上手くなってたもん!」
何だその言い方、下手だったら拒否されてたのか。失礼な。
喜んでいいのか分からなくてカラオケの画面に目を移すと、入力を終えた美南はさらに一言付け加えた。
小さな声だった。
「……それに私、シュンとがいいの」
今、何て?
「ほら、なにボーッとしてるの! 始まるよ!」
「お……おう……あれ、マイクは?」
「ジュースのグラスの陰にあるってば!」
……現代の若者の感情をリアルに捉えた歌が人気の、狂猿組。『祈望』は、まだ見えない明日の世界を生き続ける「僕」と「あなた」が、生きて行くための原動力がお互いの存在である事を歌う歌だ。
握ったマイクに、俺は懸命に声を吹き込んだ。とても美南の声には敵わなかったけれど、それでもいいと思った。多分、美南があんまり楽しそうに歌っているからだと思う。
さっき、美南がマイク越しに小さく残した声が、まだ耳の中で反響している。
俺がいい、か……。
……これまでラブソングオンリーに等しかった美南が、最後の一曲にこの歌を選び、俺を誘った。そこには、今日ここで時間を共にする相手に俺を選んだのと同じ理由があるような気がしてならない。
それが何かは、分からないけど。でも今や俺も、心の中で渦を巻くような不思議な気持ちを抱えていた。
「やった!! 92点だよ92点!!」
「すげえ……! 俺たちそんなに──分かった!! 嬉しいのは分かったから揺さぶらないで!!」
「ねえ、この後どうしよう!」
「この後? 今は六時だから……ってミナ、新幹線は大丈夫なのかよ!?」
「うん、明日まで使える自由席券なんだー」
「嘘つけ! そんなチケット聞いたことが────」
「はいはい追加徴収される前に部屋出る出るー」
……また、誤魔化された。
春先の日は、まだそんなに長くはない。六時にもなるとそこそこの暗さだ。日が落ちてお店が閉まっちゃう前に、という美南の提案で、俺たちは駅ビル「SELEO」に入ることにした。
元はデパートだった北館は服飾系が中心、再開発で新たに建設された南館には大手家電量販店が入居している。まだ美南はウィンドウショッピングに未練があったらしく、その後二時間近くも俺はあっちこっち連れ回される事になる。服屋、雑貨屋、書店……。
確かにカラオケではずっと座ってたけどさ、美南の元気さにはつくづく呆れると言うかなんと言うか。むしろ俺がへとへとになって、そろそろ休まないか、って言い出さなきゃならなくなるくらいだった。
「いやー、買った買ったっ♪」
新たに二つ増えた紙袋を右手に振りかざしながら、美南は幸せそうに笑う。
「……マジでさ、お前の財布ってどんだけ深さがあるの? 何万円持ってきたんだよ……」
「ちょっと待って、今計算してみる。このブレスレットが1400円で、あのキュロットが…………」
「すげえな……。俺もそんな粗っぽい野口さんの使い方してみたいよ」
「──あっ」
美南ははっとしたように俺を見た。
「どうしよう、こんなにたくさん荷物があったら新幹線に乗りにくくなっちゃうよ……」
あー…………。
頭を抱えたい。こいつ、バカだ……。
「どうしようって言っても、どうにかするしかないな……」
「無責任だよー!」
「誰のせいだ! なあ、頼むからもっと先を見て行動してくれない?」
「よし! 宅配便で送る!」
「徹底して無尽蔵な財布だな!?」
そうだ、それで思い出した。
もう午後八時になる。帰りの新幹線、本当に間に合うんだろうか。何だかんだ言って、この町って東京駅から一時間かかるし……。
もう解決を見たことになっているのか、ふんふんと鼻歌を奏でる呑気な美南に、俺は聞いてみた。
「ミナ、帰りどうするつもり?」
下りエスカレーターの手すりを握った美南は、きょとんとしたように俺を見て、笑う。
「今夜は無理だから、どっかに泊まらなきゃだね」
えっ……?
What...?
「シュンの家とか、空いてないの? お父さん確か単身赴任でしょ?」
「……本気で言ってる?」
「私はいつだって本気だよー」
「さらっと嘘つくなよ……。大体、そんなことしてミナの母さんと父さんは許してくれんの?」
「うん。今朝そう聞いたら、シュンなら安心ねって」
「!? ……うーん、それなら……いや、そんなの俺の母さんが許してくれないよ」
そこはかとなく嫌な予感を肌に感じながら、そう言った途端。
ポケットのスマホが震えだした。メールだ。
「誰から誰からー?」
「覗くな!」
美南から隠すように画面を付けると、メールを開く。
俺は唖然とした。
[急にパートの社員研修で帰れなくなったから、戸締まりとかごはんとか自分で宜しくねー。
母]
母さん……!?
「やった! これで大丈夫だよねだよねっ!!」
「人のメールをナチュラルに覗くのやめてくれ!」
「ね、いいでしょいいでしょ? やったー、一度シュンの部屋に入ってみたかったんだー!」
「ちょっ……まだ俺の心の準備が……! いや、ダメ! 普通に恥ずかしい! ましてやその……女子だし」
「あ、さてはえっちな本でも隠してるな? シュンのお母さんに教えてやろー」
「……殴るぞ」
きゃーきゃー騒ぐ美南の笑顔が眩しい。本当に眩しい。
予想外すぎる展開に、まだ頭がついて行けずにいる俺。泊まる? 同じ屋根の下に? 同年代の女の子が? 冗談だろ? たちの悪い冗談だろ!?
いかん、このままでは色々とやばい。
「……取り敢えず、さ」
俺は美南の肩を叩いた。
その手が微かに震えていた。
「どっかで、晩飯食べない?」