@フレンチ・リヴィエラ
横山美南。
その正体は────別に、ただの人間だ。どこにでもいる、ごく普通の女子。
俺と仲がよかったせいか、遊び相手には男子も女子もいて。その気になれば誰とでも仲良く、誰に対しても差別なく平等に接することが出来る。人間関係でトラブルを起こしたことなんか、今まで一度もない。徹底したマイペース人間だけど、振り回された側もそんなに悪い気はしなかったりする。
少し怖がりで引っ込み思案気味の割には、背伸びをしたがる節がある。『可愛い』とか『カッコいい』っていう事や、トレンドとか流行の類いには基本的には無頓着で、それでいて他人が着飾っていると羨ましそうに目を細める。案外真面目な一面もあって、やる時はとことん勉強したりする。そんな性格は今でも何も、変わっていない。
そして、その緩いんだか堅いんだか分からない性格が災いしてなのか、これまで彼氏が出来たことがないそうだ。
フラグの一本さえ立てたこともないらしい。たまに飛んでくる連絡も内容の大半はそんなことばっかりで、全く同じ境遇の俺も美南の愚痴には密かに共感させてもらっていたっけ。
出会ってから今年で、十三年。
幾つもの季節を越えるうち、俺は美南の『人』を知ってしまった。知りすぎてしまった。
だから、今の俺はきっと戸惑っているんだと思う。いつもと少し違う様子の美南に。そして静かに別れの時が迫ってきているという、冷酷な現実に。
物理で言う潜熱みたいなもんだ。言葉にも顔にも出さないけど、そんな気持ちはきっとどこかに隠れている。でなきゃ、美南の趣味までも知り尽くしていたはずの俺が──実際には知り尽くしてなんかいなかった訳だけど──プレゼント選びごときにあんなに悩むはずがないんだ。
美南、俺には分からないよ。
見えない紐に締め付けられるようなこの気持ちは、何なんだ?
「シュンのばか!!」
映画館を出た途端、美南に思いっきり頭を叩かれた。
「痛っ……! いや、あれは俺のせいじゃ」
「ううううう……!」
涙ぐむ美南を前に、俺は言葉を続けられなかった。
何が起こったのか説明させてほしい。端的に言えば、『佐田子4D』が怖すぎた。上映開始後三分でいきなり凄惨な死体の映像やら何やらが画面を埋め、身構えていた俺の脳を一撃のもとに粉砕してくださったのだ。
美南の話では俺はその時点で気絶し、その後どれだけ叫んでも揺さぶっても、上映終了間際まで目を醒まさなかったらしい。映画の記憶が最初と最後しかないから、多分間違っていないんだろう。
「私……、途中何度も怖くなって……シュンまで死体みたいに動かないしっ……!」
「悪かった、悪かったよ。でもさ……俺もお前もホラーが苦手だって知ってるのにアレを選んだのはミナなんだよ……?」
「そんなの分かってるよっ!!」
ぷいっ、と美南はそっぽを向いてしまった。
何て言うか、苦笑いしか浮かばない。気を失ったおかげで一番ヤバい辺りは見ないで済んだけれど、気を失っていなかったらその……美南に泣きながら抱きつかれたりとかしたんだろうか。
いや、間違いなくしてたな。俺が目を醒ました時、美南その場にうずくまってぶるぶる震えてたし。あれ完全に泣いてたし。
どっちが良かったんだろう。ただ一つ言える事は、結局二人とも都まんじゅうを食べ損ねたって事くらい……か。
「……ミナ。その……、どうする?」
「……笑う」
「笑う?」
「私知ってるんだからね、シュンが実は歌うたうのが超ヘタだってこと」
「……最低だな、お前」
「映画館の中で私に寂しい思いと怖い思いをさせた代償は大きいんだよ?」
「はい……」
……カラオケに向かうことになったらしい。
フレンチ・リヴィエラ八王子駅前店。
お洒落な名前のそのカラオケ屋は、ユーロードの八王子駅前側の端に建つ雑居ビルの中にある。
つまり、ほぼユーロードの端から端までを歩かなければいけないわけだ。もっと手前にビッグエコーがあるんだけど、カラオケマシンはJOYSOUNDがいいと言い張る美南に押し切られた。ちなみにワンドリンクはそこそこ掛かるものの、時間当たりの部屋代は例に倣ってかなりの安さだ。八王子恐るべし。
幸いにも、上映時間が二時間半にも及んだ『佐田子4D』が終わる頃には、強烈だったあの日差しも幾ばくかましになっていて、さっきよりずっと歩きやすい。
「ミナは普段、どんな歌を歌ってる?」
「うーん、かなりバラバラ。特に得意なジャンルとかもないんだよね。シュンは?」
「俺もだなー。ヘタでもカラオケは好きだからよく行くんだけど、相手が色々代わるから。演歌だろうがKーPOPだろうがレゲエだろうが必ず一曲は歌えるよ。ヘタだけどな」
「すごい、マルチなんだね……。練習とかするの?」
「割とするよ。一人でカラオケボックスにこもって。誰かに聴かせられるほど上手くないからさ」
意図した訳じゃないけど、嫌味っぽくなってしまった。
自虐なんかではない。誰でも楽しめるのがカラオケだ、歌が下手な奴にだって輝けるチャンスはある。合唱のサブパートとか拍手要員とかタンバリン奏者とか、或いは苦手な奴の多いラップとかな。
美南め、二年かけて俺が磨いたタンバリンスキルに驚愕するがいい。
……って思ったからああ言ったんだけど、美南は皮肉っぽい部分だけを受け取ったらしかった。急に、顔を下に向けてしまったんだ。
「……シュン、その……さっきのごめん」
「俺、お前に謝られなきゃいけないようなことされたっけ?」
「その、歌がヘタだって知ってるのにカラオケに行こうって言ったりして……。確かに私、最低だったかも…………」
歩くスピードが落ちている。
しまった。入れちゃいけないスイッチが入っちまった。
「ごめんね、なんかさっきから私が振り回してばっかりだよね…………」
こうなると美南が誰より面倒臭いことも、俺は永く共にしてきた時の中で身をもって知っている。
真面目な一面が響いてか、考えすぎると好循環にも悪循環にも陥りやすいんだ。
まぁ、こういう時の対策と言ったら……アレしかない。強引に進めるしかない。
「いいから、行くぞ」
思い切って、俺は俯く美南の手を取った。
やばい、こいつに握られるのはともかく握るのは久しぶりだ。こんなに肌、柔らかかったっけ。
「ちょ、シュン……?」
「カラオケは好きだって言ってるだろ。理由は確かにちょっと腹立つけど……、まぁそれは映画の時の事もあったし、お相子ってことでいいじゃん。ごちゃごちゃ言うのは後にしよう?」
「でも……」
尚も渋ろうとする美南。ええい、非モテかつ経験ゼロの俺にお前はここまでさせる気か?
握った手を離すと、俺は美南の肩を両手で掴んだ。ぐらり、と美南の身体が揺れる。
「最後なんだろ? 元気出して、楽しく回ろうぜ!」
まっすぐ見詰めて、俺はそう言った。
有無を言わせるつもりなんて、なかった。
「……ありがと」
「あー? いいよいいよ、そんなことより早く行かないと夕方になって部屋代上がっちゃうよ?」
「その時は私が奢るから」
「……マジで幾ら持ってるんだ、お前」
「うーん……一万円と少し?」
「嘘つけ、その倍はあるだろ」
「もー! いちいちそんなの覚えてないよ!」
「そこはテキトーだなオイ!」
「最悪、シュンから借りようと思ってた」
「……俺がそんな金持ちに見える?」
「見える!」
「雑だよっ!」
カラオケまでの長い道程に、救われた。
着く頃には美南はもうすっかり元に戻ってくれて、あの爽やかな笑顔がその顔に甦っていた。
俺の会話術も、舐めたもんじゃないな。鍛える相手が美南くらいのものだったから、ある意味当たり前と言えば当たり前だけど。
ともあれ、せっかくの空気が壊れる最悪の事態は回避できたわけだ。内心ホッとしつつ、取り敢えず二時間半分の部屋は確保して、部屋に向かう。
女子とカラオケに入るのはこれが初めてだ。しかも、二人きり。相手が幼馴染でなかったら萌えシチュエーションだったのかもしれないのになぁ。