@ユーロード②
「うわぁああ……暑い……暑いよシュン……」
「くそ……もっと十六夜庵でまったりしてればよかったな……」
十六夜庵を出た俺たちを待ち受けていたのは、情け容赦を感じさせないほど進化した日差しだった。
空調に慣らされた身体が、汗と言う名の悲鳴を上げる。駅に向かってユーロードを少し戻っただけで、もうべっとりだ。
「おかしいな……。今日、四月だよね……?」
「そんなのどうでもいいよ! ああもう、服脱ぎたい! 何も着ないでいい! はだかでいい!」
「おい、ここ町中!!」
不快げに叫んだ美南、ふと何かを見つけたらしい。
ねえねえ、と俺の肩を叩く。
「私、香水が見たい」
「香水?」
「香水って汗かいてる時こそ本領を発揮する代物じゃない?私、あそこ入ったことなかったんだー」
袋を持っていない方の指で、美南は前方を指差した。
背の低い建物の看板には、「アストリアン」の文字。ここも、八王子では有名な服飾店の一つだ。店舗の一番出入口に近い場所には据え置きのショーウィンドウがでんと構えられていて、変わった色の液体の入ったグラスが詰まっている。
「これ、どうやって使うのかなあ」
「塗るんじゃない?」
「直に? なんかお肌荒れちゃいそう……」
「荒れるような商品なんか売らないって……」
それにお前肌なんか気にしてないだろ、と喉まで出かかったセリフは頑張って肺胞の奥まで押し込む。それは小学生の時の話だ、さすがにそれくらいは気にするようになってんだろ。だよな。
「どんなのがいいんだろう。ほら、色とかいっぱいあるし」
「香水なんだから、やっぱり香りで選ぶんじゃないか。ほら、ちっちゃくどんな香りかって書いてあるだろ」
「うーん……イマイチどれもお値段するね……。香水ってどこもこうなのかなぁ」
「まぁな……少なくともここより都心の店でここより安い所はないだろうけど」
「あ! これなんか可愛い!」
そう言って美南が手にしたのは、『セクシーガール・茉莉桑の薫り』などと銘打たれた瓶だ。
うへえ、こりゃまた名前が凄いな。セクシーな美南とかまるで想像つかないんだけど。ちなみに気になる価格は1296円、五倍以上する周りのに比べれば断然安い。
「ミナ、セクシーになりたいの?」
真面目な顔して聞いたら、美南にものすごい目で見られた。
「────シュン、変態」
人に平然と『童貞』Tシャツを推してきたお前が言うなお前が。
ともあれ、俺たちは無事購入を済ませた。美南はさっそく開封して、使ってみている。少し顔が赤く見えるのは多分日光のせいだ、きっと。
「どう? なんか香る?」
「うん……なんか仄かに香りが漂ってるのは感じる」
なるほど、香水ってのは凄いんだな。汗の臭いにうっすら覆われたユーロードの中で、美南の周囲半径一メートルの球体空間内だけに爽やかな芳香が広がっている。脇を歩く俺だけの特権だ。
あー、素晴らしい……、
「……王子まんじゅうのいい匂いがする……」
……確かに。
ユーロードを駅に向かって進むうち、『セクシーガール・茉莉桑の薫り』が気にならなくなるくらいいい匂いが段々と向こうから流れてきた。
八王子名物、るりや製菓の『王子まんじゅう』だ。小判状の饅頭の中に白餡がぎっしり詰められていて、その美味しさには完全に病みつきになる、魔の和菓子。だと、俺は思う。
「……あれ、食べれる?」
「私、お菓子は別腹だよ」
「奇遇だな、俺もなんだ」
買うことにした。
王子まんじゅうのもう一つの魅力、それはその値段にある。あれだけトッポの如く最後まで白餡たっぷりなのに、十個入りで三百五十円しかしないんだ。この値段を知ったら、もううっかりスーパーの饅頭なんて買えない。どこまで安かったら気が済むんだ八王子。
このくらいなら、俺が奢ってやれるな。そう思って肩掛けカバンから財布を取り出したのと、美南がウエストポーチから財布を引っ張り出したのは、全く同時だった。
「……俺、奢るよ」
「やだ。私が奢る」
「いいよ、このくらいならダメージ少ないから」
「ダメ! 私が奢りたいの」
「子供かよ!」
「シュンだって!」
財布を握りしめたまま、睨み合うこと十秒。俺たちさっきから、ホントに馬鹿な時間の使い方してる気がする。多分、気のせいじゃない。
だが、この時俺は密かにほくそ笑んでいた。美南に見えないように財布の中から上手くお金を出すことに成功していたんだ。
貰った!
「すみません、まんじゅう十個ください!!」
勝った……、と思った。
俺と同時に店のおばさんにそう叫びながら、俺と同時にお金を叩きつける美南の姿が目に入るまでは。
怖いくらいシンクロしていた。俺たちは目を丸くしながら向かい合い、お互いを頭のてっぺんから爪先まで眺め回す。
「そんな、シュン……」
「……いや、ミナもだろ」
どうしよう。
「はいよ、二個ね」
言葉が出なくなってる俺たちの前に、紙包みが二つ、差し出される。
穏やかな笑みを浮かべたおばさんの手が、いつの間にか俺と美南にそれを一つずつ握らせていた。
「仲良くやりなさいな。自然体が一番、魅力があるもんだよ」
…………。
ちょっとまた頭が混乱してきたので、俺たちはとにかくおばさんに会釈してその場を離れることにした。
つまり、だ。俺も美南も三百五十円を出し、おばさんはそれぞれ買い物をしたと思って二人に一つずつ渡した……って事なのか。
マジかよ……。一人十個とか、なかなかにハードな量だぞ。
「あったかい……ほかほかしてる」
呆けたような顔で、美南は紙包みを撫でている。
ふと、その仕草がこれまでとは違うモノに見えたような気がした。
「……俺たち、完全にカップルと勘違いされてたな」
「うん……」
「なんか、すげー恥ずかしい……」
「あはは……」
……美南の返事に微かな違和感を覚えたのは、僅かに一瞬だけのことだった。
ぴったりと横にくっつきながら、美南は言ったんだ。
「ね、疲れたしどっかに座らない?」
「そ、そうだな……。けど、ユーロードにはベンチはあんまりないし……」
「王子まんじゅうも食べたいし、しばらく時間を過ごせる場所だといいんだけど」
「……そんな場所、どこかにあったっけ」
「映画館とか」
その手があったか。
ユーロードと甲州街道の交差点から南に延びる国道十六号線──通称、東京環状を少し行くと、「八王子シネマタウン」という映画館がある。そんなに離れてはいないし、観るお金だってこれまでの出費に比べりゃ可愛いもんだろう。俺たちはまだギリギリ中三だから、千円で済むはずだ。
本当は映画館にまんじゅうを持ち込むのは御法度なんだろうけど……うん、バレなきゃきっと大丈夫だ。
「私、観たい映画があるの」
「今上映してるのだと……、『相方』とか? 上映始まったばっかりだしチケット取れないかもしれないよ」
「サスペンスなんか家族で観るよ」
今、然り気無くサスペンス映画を貶しやがったな。許さんぞ。
なんて思ってたら、美南は恐ろしいことを言い出した。
「先週から始まった『佐田子4D』ってホラー映画があるじゃない……?」
「……まさか、あれが観たいのか?」
「うん、そのまさかなの」
「マジでか……」
俺が知ってる限り、美南ってこういうの苦手だったような気がするんだけどな……。
ちなみに、俺はさらに輪をかけて苦手だ。リビングで和風ホラー系ドラマが始まった途端、自分の部屋に逃げ込んでイヤホンで耳を塞ぐくらいには苦手だ。美南の怖がり方も尋常じゃないけどな。
色んな意味で、気が大きくなってるんだろうか?
何だかよく分からないけど、ここで断るという選択肢は無いだろうなと思う。さっきは奢り損ねたし、ここで一つ男っぽい所を見せつけてやらなきゃ。
「い、いいよ。付き合うよ」
やばい、声の震えが抑えられてない。
それでも頷くと、美南は電球のようにぱっと明るくなった。妙に嬉しそうだ。
今日の美南は、徹底して解せない。
「……なぁ、そんなぴったりくっついて歩かないでくれないか?」
「なんで?」
「暑い」
「私も」
「じゃあ離れろよ……」
「こうしないと香水の香りがシュンまで届かないもん」
「そりゃそうだろうけど……、そんなにセクシー強調したいのか?」
「……変態」
ごめん、今のは俺が悪かった。