とあるマイペース少女の北海道旅行記 ③
『──館、新函館です。お出口は右側です』
ああ。
車内アナウンスが聞こえる。
薄目を開けると、風景はがらっと変わって大きな町になっていた。青函トンネルを抜けた新幹線が今いるのは、北海道の南端・函館だ。
案外、すぐ目を覚ましちゃったみたい。伸びをすると、迫ってきたホームを私は眺めた。たくさんの人が到着を待ってるのが見える。
長万部まで、あと三十分もかからなさそう。もう少しの辛抱だよ、私。そう言い聞かせながら、寝ぼけ眼をこすった私はスマホを起こした。これから乗り換える電車を調べておこうって思ったんだ。へえ、長万部からは特急かぁ。降りたら特急券買っておかなきゃ。
案外、楽な旅路かもしれない。何だかんだ言って速い電車に乗ればあっという間だし、現地まで直行だし。またゆっくり発進した新幹線の中で、シートに深く腰かけると私はリラックスした。
予想外のアナウンスが聞こえてくるまでは。
『新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございます。この電車は、はやぶさ1号札幌行きです。停車駅は新小樽、札幌です』
え。
あれ?
長万部は?
「…………!」
真っ青になった。
そうか。はやぶさって一番速い新幹線だから、長万部を通過しちゃうんだ!
どうしようどうしよう!? どこかで引き返さなきゃ! 新小樽ってどこ!? 確か札幌に近いガラスの有名な町だよね!? それめちゃくちゃ遠いじゃん!
頭の中が真っ白だ。あたふたしてる間に新幹線は野山を駆け抜け、無情にも長万部駅を通過していく。ああ運転士さん! ここで降ろしてください! ちょっと停まってください! 今ここで停まられても、もう行き過ぎちゃった後だけど!
反対方向の新幹線に乗ろう。
ホントはそんなことしちゃダメなんだろうけど、大丈夫。検札さえ乗り切れば、捕まったりなんかしないもん。
新小樽駅のホームに降り立つと、私は反対側のホームへと急いで向かった。誰かに見られていそうな気がして、背徳感が半端じゃなかった。現に防犯カメラには見られてる訳だし……。
やっと飛び乗った東京行きの新幹線は、もうめちゃくちゃ混んでて座れる席なんか見当たりそうにない。そりゃそうか、もう早朝って時間帯じゃないもの。長万部までは頑張って我慢しよう。
廊下にもたれ掛かると、私は長いため息を吐いた。
お母さんやお父さんはすごいなあ。旅行とかに行っても、こんな間抜けなミスなんてちっともしない。予定通りの電車に乗って、予定通りの場所に行って、何もかも予定通りに進むなんて。それともただ私がおっちょこちょこいなだけかな。
やばい。
急に恋しくなってきた。
早く会いたいな。一足先に苫小牧で待ってる、お母さんやお父さんに。
会ったらいっぱい、お土産話をしてあげるんだ。八王子でのこと、北海道までの旅のこと。
早く、着かないかなぁ。
やっぱり時速320キロだなんてとても感じられない新幹線の中で、半目を瞑って休みながら私はそう祈った。
◆◆◆
私は怖がり。
そんなの、初めから分かってた。
シュンとの別れから数日後、私は中学に入学した。
地元の中学にして、ほんとによかったと思った。周りはみんな知ってる人ばっかりで、元からの友達も多かった。知らない人がいても、みんながシュンの代わりになってくれた。一年と経たない間に、私はクラスの誰とでも気軽に話せるようになった。
私は寂しがり屋。
それだって、初めから分かってた。
中学にもなれば、もう正真正銘思春期だ。
やがて私の周りで、色んな恋の欠片を目にするようになった。中学生だとまだ分かりやすいもので、あの子とあの子が付き合ってるなっていうのはバレバレだった。私に恋の相談をしてきた友達もいた。
だけど仲の良かった友達四人全員に彼氏が出来ても、私にはいっこうにチャンスは巡ってこなかった。どうしてかなんて何も分からない。ただ、寂しかった。みんなが私を置いて、先に一段階大人になっちゃったみたいだった。
私は甘えん坊。
それさえも、初めから分かってた。
シュンと連絡を取るようになったのは、ちょうどそんな時期だった。
シュンも新しい環境ですっごく頑張っていた。文化祭の実行委員とか部活の幹部とか色んなことに挑戦していて、忙しかったみたい。
何度も電話して、何度もメールして、気づいたら日々の塞いだ気持ちを吐き出す場になっていた。俺も全くないなあ、ってシュンも笑っていたっけ。少し悲しそうなその笑い声が、まだ耳に残ってる。
そういうとき、シュンはいつも決まって私のことを持ち上げた。ルックスは全然いいのにとか、マイペースな所なんか萌え要素になり得るのにとか言ってたかな。よく分かんなかったけど、嬉しかった。次の日の朝にはまた、暗い気持ちになるって知っていても。
私は、怖がりで、寂しがり屋で、甘えん坊。
苦しかった。
すぐ横で、すぐ前で、楽しそうに会話されるのが。
悔しかった。
ホワイトデーのお返しを腕いっぱいに貰った友達に、余ったからあげるって言われるのが。
情けなかった。
ファッション雑誌を片手に、これなんかかわいいねって笑いあってるみんなを遠くから見てるのが。
私は、あの輪の中には入れない。トレンドとか流行りとか、私はとことん疎かったから。だったら分かる努力をすればいいのに、私はしなかった。
逃げたかった。
生き苦しいこの場所から、逃げ出してしまいたかった。
いつだったかお父さんの実家から帰ってきたシュンが見せてくれた、日光東照宮の三猿の写真のように。目を瞑って、耳を覆って、離れていってしまいたかった。
だったら、いっそ本当に見えなくしてやる。そう思った。
いちゃいちゃしてる友達の横で、私は一心不乱に勉強した。何がなんでも、女子高に入ってやる。いっそ都心のお嬢様学校にでも入学して、見返してやる。そんな気概でいた。急に人が変わったみたいになったって友達は心配してくれたし、すっごくありがたかったけど、でも私の心は変わらなかった。
苫小牧へのお父さんの異動の話が出てきたのは、そんな時だった。
暦の上でやっと春を迎えたばかりの北海道は、まだまだ風が冷たい。
長万部駅に降り立った私は、ぶるっと肩を震わせた。あと四十分、特急が来ないなんて。待合室は団体さんで埋まってるし。
ああ、新幹線は快適だったなぁ。今の境涯に涙が出そうだよ……。
「電話だ」
ふと、スマホが振動してるのに気がついた。
急いでポケットから出すと、お母さんからだ。
『もしもし? 美南?』
「もしもしー」
『あんた今、どこにいるの? そろそろ室蘭辺りにはいるわよね?』
「今まだ長万部……」
『……乗り損ねたのね』
さすが、私のお母さん。ものすごい察しの良さ。
また少し吹き付けた風に肩を竦めると、お母さんの大きなため息が受話口いっぱいに聞こえた。
『まさかとは思うけど、傘は持ってないわよね』
「うん。すっごい晴れてたもん。今はちょっと曇ってるけど」
『苫小牧、雨が降ってるのよ』
……!?
えっ……嘘でしょ?
『駅まで迎えに行ってあげるから、着く時刻が分かったら連絡しなさいね。特急に乗るんでしょ? 主要駅の到着予想時刻くらいはアナウンスしてくれるから』
「……うん、分かった」
『ちゃんとこっちまで来るのよー』
つー、つー。
通話の切れたスマホをポケットに仕舞うと、私はホームの柱に寄りかかった。少しどんよりと重たそうな雲が、遥か彼方の空を流れてくのが見えた。
知らない町。
知らない風景。
知らない人たち。
私の周りを、知らないモノが埋め尽くしてる。
知ってるのは後ろの新幹線と、私の所持品だけ。
そう思った途端、不安がどっと押し寄せてきた。
迷子にでもなったら、大変なことになっちゃう。落とし物でもしたら、二度と戻ってこないかもしれない。なんだか居ても立ってもいられなくって、でも乗る特急はまだ来なくて。
私は思わず紙袋をぎゅっと抱き締めた。
「みんな…………」
いつまでもずっと、そうしていたい。
今の私が確かに心を寄せられるのは、このアルバムの中身だけだったから。
…………なんか、
お腹すいた。
そうだ、何か食べよう。
そしたらきっと、塞ぎこみそうなこの気持ちをどうにかできる。そうだよ、食べ物は人を救うんだよ。
よく分からない理論に急かされるように、私は新幹線のコンコースへと引き返す。乗り換え改札の手前に、売店があった。
よく考えたら、もう十一時も回ってるんだよね。朝も早かったし、ちょっとくらい生活リズムが前倒しだって許されると思うんだ。うん、大丈夫だよ。
美味しそうなお弁当がいっぱい並んでる。財布の中身と相談した方がいいかな、と思って小銭入れを開けたら、いつの間にかずいぶんお金が減っていた。あれ、おかしいな。こんなに少なかったっけ。
ま、これから先使う予定も特にないし、最後くらい大盤振る舞いしてみてもいいよね! 最悪、まだお札があるし!
「すみません! この『海鮮弁当』お願いします!」
「あいよ、海鮮ねー。はい千二百円」
買っちゃった、買っちゃった。
特急の暇潰しにも事欠かないように、文庫本も一冊買っておいた。これで完璧、後は特急に乗るだけだ!
『──番線から、特急スーパー北斗札幌行き間もなく発車しまーす』
「なんでこうなるの!?」
全速力で駆け戻る私!
もうやだ! 東京駅の時とおんなじじゃん! なんでこう、私ってすぐに時間のこと忘れちゃうんだろう!
ホームに止まってる青いボディーの特急が、フシュンフシュンって不快そうな音を上げながら扉を開けている。最後の力を振り絞って床を蹴った直後、扉はゆっくりと閉じた。
危なかった……。何とか、間に合った……。息が苦しいよ……これで明日私が喘息になってたら、ぜったいJR北海道のせいなんだからね……!
「はぁ…………」
情けないなぁ。




