@八急スクエア
東京都八王子市。
23区の脇に広がる市町村部──通称『三多摩地区』の中でも最大級の規模を誇る、東京都西部の中心都市だ。
人口は都内でも屈指の五十七万人、JRや京王電鉄、甲州街道に圏央道とたくさんの交通が結集している。丘で隔てられているとは言っても都心部からの距離も近く、ベッドタウン的な色合いも強い。立川と並んで、行政や業務などの中核機能を集約させている。
山間部には広大な敷地を利用して大学や研究施設が軒を連ね、どっかのアニメの学園都市さながらの様相を呈している。広い市内を見渡せば、昭和天皇その他の皇族が眠る多摩御陵や、多摩ニュータウンの拠点地域の一つである南大沢、世界最大の登山者数を誇りミシュランガイドに掲載された東京名物の高尾山まである。
と、こんな具合に八王子を語り始めたらキリがない。
とにかく、面白い町なんだ。
やたらに横広な廊下を抜けると、八王子駅前の景色が一気に目の前に広がる。
マルベリーブリッジ。駅ビルから駅前広場に架かる、巨大なペデストリアンデッキだ。形が悪くて微妙に使いづらいから、あんまり評判は良くないらしい。
「なあ、何のビジョンもなく出て来ちゃったけど、どうする?」
並んで歩く美南に聞くと、美南は満面の笑顔で一言。
「何も決めてない」
「ノープランかよ、おい……」
「だって、町歩きってそういうものじゃない? 私今日はいっぱいお金持ってるから、何だって出来るよ。シュンにもなんか奢ってあげよーか?」
「いいよ、俺だって金は持ってきたし」
女の子に奢られるのは男として許されない、っていうのは付け加えなかった。敢えて宣言するのって、なんか恥ずかしいし。
「てか、どうして突然町歩きなんかしたくなったんだ? もう十分知ってる町だろ?」
「ん、そうでもないよ? 私、出かけるのとか面倒臭くて買い物も大半駅ビルで済ませちゃうんだよね」
「一理ある……」
後ろに壁のごとく立ちはだかる巨大なビルを、俺は見上げた。
SELEO。JR八王子駅の南北の入口の上にのし掛かる複合商業施設だ。元はそごうが入っていたこともあって、買い物をしたくなったらほぼ何でもここで買えてしまう。便利さは時として、仇だ。
「それに……」
美南は急に、立ち止まった。
「やっぱ、何となくっていうのが一番かも。シュンと会うこと自体が久しぶりだし、色々話もしたいなーって。ね、良いでしょ?」
もちろんだよ。
俺はちょっと笑った。でなきゃ、わざわざここまで来た意味がないもの。久しぶりに会ってみたかったのは、俺だって同じだから。
人工地盤に突き刺さる街路灯を撫でながら、美南は首をちょっと傾ける。
「シュン、いつまで付き合ってくれる?」
「時間ってことか?」
「うん」
「入学準備とかはもう済ませたし、今日明日はすることないかな」
「じゃあ色々回れるね! 私も今日は丸一日使えるんだー」
丸一日、かぁ……。いつまでだったら母さんに怒られないかな。
少し狭い空を見上げながらぼうっとしていたら、いきなり美南に手を引っ張られた。
そのまま真っ直ぐ、デッキを直進する。
「ね、とりあえずあそこに入ろ!」
「え!? あ、おいちょっと待てって!」
手を握られたことにちょっと戸惑いながら──その力の強さにちょっとビビりながら──俺は美南の後ろを追いかけた。
初めての経験に溢れた一日の、始まりだった。
八急スクエアビル。
再開発で建設され、JR八王子駅前広場の一番いい場所を独り占めして建っている、文字通り箱みたいな要塞みたいな建物だ。十階までのフロアに小さなお店が犇めき合っていて、さらにその上の階は公共施設が入居している。
「いきなりここかよ……」
思わず俺は呟いた。
ビルの正面入口を突っ切り、目の前のエスカレーターを上ったすぐ後ろ。美南が指差したのは、アパレルブランド「Collage」。
当たり前だけど男性の姿はない。何ここ、超入りづらいんですけど。
「俺、コーディネートとか何も分からないよ……?」
「私も分かんない」
たははっ、と美南は頭をかく。なんか、嬉しそうだ。
「なんか、こういうお店って私一人でも入りにくくって……。お客さんみんなおしゃれしてるのに、私だけ普通の格好だし、自分の服だって大半お母さんに買ってもらってたからコーデとか何も分からないもん」
あー、それは同感だ。
普段の学校は制服だし、コーディネートとか真剣に考えなきゃならないようなシチュエーションになったこともないし。
いや、物事は正確に言おう。俺は誰かと付き合ったりした経験が皆無だ。確か、未だに美南もそうなんじゃなかっただろうか。
だから必然的に興味も湧かなくって、母さんに適当に買ってきてもらう事の方が多くなるんだよな。
「必要に迫られないと、どうしても……ねっ?」
「確かにな……。でもさ、こんだけ入りやすい位置にあるお店なんだし、そんなに気負う必要ないんじゃないか?」
「いいの! とにかくシュンがいたら入りやすくなるんだから!」
いや、だからそんなに胸を張ってどや顔されても。
俺は視線を下ろして、自分の格好を見つめた。Tシャツにジャケット、下はちょっと緩めの長ズボンか。自分で言うのもなんだけど、かなりまともな組合せを選べたと思う。てか、これでまともとか悲しすぎるだろ俺……。
対する美南の出で立ちはジャケットの中にブラウス、下はショートパンツにニーハイソックス。さらにウエストポーチだ。
多分、機動性を最優先にして選ばれた組合わせなんだろうけど、俺は思わず心の奥で吐いた。なんだ、全然普通じゃないか。その組合せならどこだって歩けるだろうに。
「シュンにはさ、私ってどういうタイプに見える?」
興味津々といった目付きで並ぶ商品を眺めながら、ふいに美南が尋ねてきた。
「タイプってどういう意味?」
「ほら、活動的とか読書キャラっぽいとか……」
服選びの参考にするってのか。やだよ、そんな期待されても俺なにも分からないよ。
「うーん……ミナって小学生の頃はけっこうボーイッシュって言うか、男子に混じって遊ぶようなタイプじゃなかったっけ?」
「そこまで限定的でもないよー。女子同士でも割と色々やってるしね。ちっちゃい子の相手するのも得意だし、お年寄りの話を聞くのも好きだしー」
「万能だな……」
だとすると、やっぱり万人受けしそうな服装がいいんだろうか。
「ワンピースなんてどう?」
適当に漁って引っ張り出した真っ白のワンピースを、俺は差し出した。
これなら多分、嫌いな人なんて少ないはずだ。そこまでやたら個性を発揮している訳でもなければ、埋もれちゃうくらい地味でもないし。多分。多分だけど。
細い指で掴むと、美南は自分の身体にぴったり合わせてみる。膝上くらいまである丈のせいで、今着ている服はほぼ全部隠れてしまった。
「どう?」
「いいんじゃないか?」
「どの辺が?」
「どの辺がって訊かれても……うーん、何となく」
「それじゃ分かんないよー」
「俺だって分かんないんだよ……」
分かったら苦労はしませんよ、ええ。
ただ個人的には、いや男的には、絶対領域──ニーハイソックスとワンピースないしショーパンの間に生じる魅惑の肌色が見えてくれたほうが目の保養になるから嬉しいんだけどな。ついでにショーパンももうちょっと見えててほしい。
「お店の人に聞いてみるか? 聞けば色々教えてくれるんじゃない?」
そう言うと、ワンピースを手に持ったまま美南は少し俯く。
「うーん……、それはちょっと恥ずかしいな」
「なんでだよ……」
「だって、ねえ? コーデを考えてもらうってことは身体をじろじろ見られるって事じゃない……?」
やめろ、その言い方。一瞬変なもの想像しちゃっただろうが。
返す言葉が思い付かなくなって、十秒ほど沈黙が辺りを漂う。先に口を開いたのは、美南だ。
「うん、やっぱりこれにする! シュンがいいって言ったんだからきっとこれで大丈夫!」
「いや、だから俺はそういうの何も分からないんだって────」
「いいの!!」
耳元で思いっきり叫ばれた。
まぁ……、そこまで気に入ったんなら俺の口出しする幕じゃないな。白ワンピースを腕に抱いてにこにこ微笑む美南を前に、俺はそう思った。