とあるマイペース少女の北海道旅行記 ①
おまけその③、
本編続編「とあるマイペース少女の北海道旅行記」です。
…………これで、よかったんだ。
よかったんだよね……。
目の前でドアがばたんと閉まった時、私はそう心の中で問いかけた。
ガラスの向こうになったシュンの顔が、壊れちゃいそうに歪んでる。私が笑ってなくちゃ。そう思って、無理矢理笑ってみた。
そう。これでよかったの。
電車がゆっくりと発進して、立ちすくむシュンの姿は横に流れていった。追いかけて来ることもなく、やがてホームの先っぽが視界の端に消えてゆく。
何も考えられなかった。その間にも電車はどんどんスピードを上げて、目の前からどんどん八王子の景色が過ぎ去っていった。駅前にそびえる高層ホテル、北へと旅立っていく八高線の線路、彼方に見える北八王子の工業団地。
みんなみんな、離れてく。
「………………ありがとう……」
浅川を渡り切った時、ようやく言えた。
もう、何度言ったか分かんないその言葉。でもずっと言いたかった、一番大切な気持ち。
それが、「ありがとう」だったんだ。
喉が詰まって、それ以上は何も言えなかった。電車が住宅街に突入して、八王子の景色が見えなくなった途端、全身が寒気に覆われたような気がした。
もう、ここへは戻れない。
ううん、違う。戻らない。
今の私には、前へ進む道しかないんだから。
自分で決めた道なんだから……。
誰もいないシートの端に腰かけて、少しだけ──ほんの少しだけ、私は泣いた。
寂しかった。恋しかった。でももう、引き返す気も起こさなかった。
私は変わるんだ。何があってもぜったいに、変わってみせるんだ。冷たい涙を拭うたび、私はそう言い聞かせた。
だからあれは、悲しみの涙じゃなかったと思うんだ。
午前四時三十五分。
生まれ育った大好きな町や人のもとを離れた私の旅は、こうして始まったのでした。
◆◆◆
JR中央線は、八王子から浅川と多摩川を渡って立川に出て、そこからまっすぐ東京駅まで向かう東京の大動脈。
各駅停車に乗って行けば、終点の東京までだいたい一時間と少しくらいだったと思う。まだだいぶ、余裕があるはず。そんな油断もあったのか、私はいつのまにか眠ってたみたいだった。
『──田、神田。お出口は右側です。山手線、京浜東北線は──』
「────はっ!」
ぼんやりと聞こえた車内アナウンスに、私は跳ね起きた。
神田!? 東京の一つ手前の神田駅!? もうそんなに来ちゃったの!?
間違いないっぽい。あののどかだった周りの風景が、超高層ビル街に変わってしまってる。一時間近くも寝てたんだ、私……。
身体の節々が痛いや。変な姿勢だったからかな、乗った時は座席の横の肘掛けにもたれていたし。ふぁあ、と立ち上がって欠伸を吐くと、私は思いっきり伸びをした。反対側のガラス窓に映った私の姿は、まるで夜通し遊んで帰ってきた人みたい。いや、それ間違ってないんだけどね。
目的地──東京駅は、もうすぐそこだ。まだ薄暗い町の中で、私は昂ってきた気持ちをそっと抱き締めていた。
────ああ、
おなか空いたなぁ…………。
東京駅の中央線ホームは、他の路線より一際高いところにある。改札階まで下りる長いエスカレーターに乗りながら、これからの行動を考えた。
とりあえず、新幹線に乗るための自由席券はあるんだよね。キップを買う手間は省けたから、あとするべきは何だろう。そうだ、お母さんに電話しておかなきゃ。昨日から一度も連絡してなかったし、心配してるかもしれないもん。
そしたら、駅弁買おうかな。新幹線の中じゃ高いってシュンも言ってたし、お昼ご飯も買わなきゃだから抑え気味の方がいいのかもしれない。だったら、駅のコンビニで買えばいいよね。
美味しそうなお菓子やお弁当の並ぶコンコースを頑張って通り過ぎると、新幹線の改札の前まで来た私は電光掲示板を眺めた。
あれがいいな。北海道新幹線はやぶさ1号、札幌行き。
出発まであと、三十分くらいだ。先に電話をかけようっと。…………って、あれ。なんでこんなに通知が溜まっているんだろう。
まあいいや。電話帳からお母さんの電話番号を探しだすと、私は電話をかけた。
『もしもし!? 美南!?』
「もしもしー。いま東────」
『バカっ!!』
怒鳴られた!?
見えない力で、壁に押し付けられる私。
うそ!? 私、なんかやっちゃったっけ!?
『あんた、なんで昨日一日連絡してこなかったのよ! 半日に一回はしてくる約束だったでしょ!?』
「────忘れてたっ!! ごめんなさい!!」
『ごめんなさいじゃないわよ! どんだけ心配かけたと思ってんの!?』
「ひいっ……!」
『ったく、相手が俊介くんだと分かってたからよかったようなものの……今度からは許さないからね!』
ごめんなさいお母さん。
私、完全に忘れてた。
……でも、覚えてたとしてもきっと忘れたフリをしただろうなって気がする。お母さんに連絡なんかしてたら、せっかくの昨日の空気も雰囲気も壊れちゃっただろうから……。
『…………で、進展はあったの?』
黙ってたら、お母さんに尋ねられた。
「し……進展?」
『あんた言ってたじゃない。俊介くんに告白するとか何とか』
!!!!!!
それも思い出した。私、シュンと二人きりにしてもらうことを頼んだ時にそう言ってたんだった……。
受話器の向こうのお母さんがニヤニヤ笑ってる顔がまぶたに浮かんだ。うち、お母さんもお父さんもそういう話題には興味津々だから、帰ったらきっと問い詰められる。やばい、どうしよう。シュンのお母さんにも同じことを言っちゃったから、ウソついてもそっちからバレるかも……。
「その……特に進展とかは」
「じゃあ家に入れてあげないわよ」
「うそ!! 今のウソ!! ほんとはその…………」
「その?」
やっぱり、誤魔化せないや。
私は小さく息を吸い込んだ。
「…………キス……的なことした」
口に出した途端、なんだか唇がむずむずしてきた。
思わず手で拭おうと──って、危ない危ない。それじゃせっかくあんなことした意味がなくなっちゃう。
って言うか、やばい。今更ながら、すっごい恥ずかしくなってきた……。
『へえ!!』
お母さんの声が、一気に明るくなった。
『あんた、頑張ったのねえ!』
「う……うん……なんか成り行きで……」
『じゃあもう遠距離恋愛確定なのね!』
「ちょっ、いやっその……あれはそういうんじゃ」
『ふふーん、お母さんちょっと嬉しいのよー。俊介くんならあんたのことよく分かってるだろうし、私たちもよく知ってるから安心できるしねー。おまけにイケメンだし』
「…………」
『じゃ、頑張ってこっちに来なさいね!』
あ、電話切られちゃった……。
どうしよう、お母さんに猛烈な誤解をさせちゃったよ。私たち、そんな関係じゃないのに。あのキスは、そういうつもりじゃなかったのに。
そういうつもりじゃ────
「…………朝ごはん、買いに行こう」
ぽつり、私は呟いた。
発車時刻まで、あと二十分だった。
東京駅って、すごい。
駅ナカを探せば何だってある。コンビニ的なお店だって、いくつもある。外の世界よりはちょっと高いけど。
改札の近くのNEWLIFEに入ると、私は真っ先にお弁当のある辺りを漁りに行った。何かいいのないかな。そんなにカロリーとか高くなくて、でも食べ甲斐はあるなんて都合のいいお弁当。
そうだ、苫小牧では太らないように気を付けなきゃ。北海道は食べ物が美味しいからみんな太る、って聞いたことある。何年か経って再会した時、シュンに「お前、太った?」なんて笑われたくないもん。
白身魚のフライ……うーん、いいんだけど揚げ物だから油がなぁ……。
ちくわの磯辺揚げ……低カロリーに見せかけて油がなぁ……。
唐揚げ……美味しそう……美味しそうなんだけどさりげなく油が────って、コンビニ弁当の揚げ物率高すぎ!
うーん、ならばおにぎりに逃げるべきか、それとも腹持ちよさそうなパンにしようか。
散々迷った挙げ句、やっと私の心は決まった。サンドイッチにおにぎり。面白くも何ともないけど、いいもん。別に誰かと一緒な旅でもないし。
もうさっきからグーグー鳴ってるお腹を擦りながら、私は店のドアをくぐった。構内放送が流れてるのが聞こえる。
『北海道新幹線、はやぶさ1号札幌行きは、二十三番線から間もなく発車いたします』
!?
とっさに私は走り出した。やばい!意外とNEWLIFEで時間食っちゃってたんだ!
どうか間に合いますように! ウエストポーチから特急券を取り出すと、強引に改札に突っ込む! ばたんと開いた扉を尻目に猛ダッシュ、目指すは一番奥の二十三番線! なんでこういう時に限って遠いホームにいるかな!?
「はぁ……はぁっ……!」
もうダメ、死にそう……新幹線のホームの高さ、高すぎ……。
息も絶え絶えに駆け込んだ私の後ろで、北海道新幹線はやぶさ1号のドアがしゅーっと閉まった。
どこ、だっけ。自由席……。
滑り出した新幹線の中を、ふらふらと彷徨いながら私は自由席車両を探した。幸い、平日の早い時間だからか車内はそんなに混んでない。
一番端の車両まで歩いて、やっとそれは見つかった。あった、空席。かなり奥の方だけど……。
「すみま……せん、そこ……いい……ですか……?」
手前に座ってる男の人に、そう聞いてみる。男の人はぎょっとしたように私を見上げ、あわててどいてくれた。
「あ……ありがとう……ございます」
「あ……はぁ……」
よかった、何とか座席を確保出来たよ。ここから北海道まで立ちっぱなしとか、確実に途中で行き倒れしちゃう。ウエストポーチもお弁当も、シュンにもらった紙袋も健在なのを確認して、心底ほっとした私は席に座り込んだ。
ここから北海道の長万部まで、約四時間半。長い長い、旅の始まりだ。
ああ、シュンとの距離がどんどん離れてく。
八王子は、あの辺かな。それともあの町の向こうかな。あの駅前のタワーからなら、私の姿は見えるのかな。
あっという間に新幹線は上野を出て、荒川を越え、東京を後にする。飛ぶように流れていく景色の彼方に、またあの懐かしい日々の記憶が蘇りそうで、少し悲しくなった。