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@由木家






 小さい頃から、美南は怖がりだった。

 ホラー映画なんかに限らない。新しい体験とか出会いには基本的に臆病だった。人見知り、と言い換えることも出来るだろう。

 だから二人でいると、どっちかって言うと比較的新しいモノに飛び込んでいくことが多かった俺はいつも美南の前にいて、美南は後ろでそっと覗いてるみたいなポジションだったっけ。

 学校生活においても、それは同じだった。一度仲良くなってしまえばその関係を保つのは得意なのに、仲良くなる段階が美南にとっては試練だったようだ。転校生が来てもなかなか関われないし、連れて行くと走って逃げちゃうし。

 そして、もう一つ。関係を創るのが下手なばっかりに、美南はその繋がりが切れることにも異常なまでに抵抗を示した。部屋の片付けがちっとも進まない、手伝ってと言われて部屋に入らせてもらった事があるけど、一見どうでもよさそうなゴミみたいなモノがちゃんと保管されているのを見つけて、子供ながらに思ったのを覚えている。美南は、何かを無くすのが怖いんだなぁって。


 先へ突き進む俺と、得た地盤を固める美南。

 俺たちはいつも、二人で完璧だった。宿題をするのにも、遊ぶのにも。幼稚園に入園するよりも前から、ずうっとそうだ。

 友達でもない。恋人でもない。友情なんて知らないし、結婚したいなんて思わない。だけど友達よりもお互いを知っていて、恋人よりも気を許すことが出来る。そこにいるのが当たり前、いないと不安になる。

 そんな関係が成り立ったのも、必然だったのかもしれない。


 しかし。

 事実だけを述べれば結局のところ、その関係を俺は捨てようとした。

 リア充してる友達の姿に、いつしか俺は無性に憧れていたんだ。いつも一緒だった美南の存在は、却って周りの女子を遠ざけてしまうかもしれない。そんなことをぼんやりと思った時、偶然にも引っ越しの話が立ち上がった。

 八王子市には学校選択制度があるにも関わらず、俺はあえて美南と違う学校を選んだ。言い訳がましいけど、同じ中学に通っていたとしても結末は同じだったと思う。

 幼馴染の関係を創るのは、時間だ。美南も言っていたように、時間は経験を積んではくれない。恋や友情という外的要因の前に、幼馴染なんて関係は呆気なく崩れ去ってしまう。

 俺は怖かった。お互いの気づかない間に、紡がれてきた糸が一本一本解けて、やがて消滅してしまう終末を迎えるのが本当に怖かった。消えていってしまうくらいなら、自分から消しに行ってしまえ。当時の俺は、そんな風に考えたのかもしれない。今となっては、何も分からないけれど。

 後悔を覚えた時には、もう遅かった。中学に上がってからの俺の努力はかなりのものだったけど、彼女は作れなかった。小学校の頃から親友だった奴との距離を感じるようになって、ようやく俺は気がついたんだ。関係を守る努力も、時には必要なんだって。だけどどれだけ連絡を取りたくても、返信の遅い美南との間はどんどん離れてゆくような気がして……。


 俺は美南のことを、どう思っていたんだろう。

 美南は、俺のことをどう思っていたんだろう。

 今そんなことを考えても、仕方がないのかもしれない。ただ、今の俺にはっきりと言えるのは、一つだけだ。美南が幸せになれるなら、俺は何だってしてやる覚悟があった。それだけだ。

 引っ越しを機に美南が頑張ると言うのなら、全力で応援してやりたい。この町が名残惜しいのなら、最後の時間にそっと寄り添っていてあげたかった。

 もしも、美南が苫小牧での生活に慣れて、俺のことを忘れてしまったとしても、それでいいって思えた。一度は俺が捨てようとした関係だ。美南には寂しい思いをさせてしまったかもしれないし、自分が招いたことだって納得する心の準備は出来ていた。

 恋とか愛とか、そんなことじゃなしに、俺は美南のことが大切だったから。



 今、その決心が風に吹かれて揺らいでいる。




◆◆◆




 右手で取っ手を握ると、俺は静かに窓を開けた。

 窓の外いっぱいに、赤い光を頂きに点した巨大なビルの影が空を埋め尽くしている。サザンスカイタワーだ。

 涼しい風が頬に気持ちいい。深呼吸すると、俺は後ろを少し振り返る。規則正しい息の音が、小さく聞こえてきた。


 ちっとも泣き止みそうにない美南の肩を抱いて、浅川を離れてから一時間。

 道中は大変だった。警察にでも出くわしたらどんな有らぬ誤解を受けるかも分からない。美南はほとんどずっと下を向いていたし、多分涙で前なんか見えなかっただろうから、障害物があることを示すのは俺の役目だった。

 それでも何とか、家に辿り着いた。俺の家があるのは八王子駅の南口すぐ、サザンタワースクエアから少し西に行った所だ。距離がなくて、ほんとに助かった。

 家の前に来た時点で、まだ鼻を啜っていた美南。泣き疲れたのか歩き疲れたのか、俺の部屋に入った途端にベッドに倒れ込んで、そのまま気を失うように眠りに落ちていった。寝場所を失った俺は仕方なく勉強机に座り込み、こうして今に至っている。いや、隣で寝ていいって言うなら話は別なんですけどね。俺寝相悪いから、寝てる間に美南を襲っちゃうかもしれないし。逆も……あり得るな。


「ふう……」


 窓の外に向かって息を吐くと、代わりに澄んだ夜の空気が口腔を充たした。ここ八王子は市域の半分近くが森林の街だ。空気もきっとキレイだろう。都心と比べれば、だけど。

 思えば、何だかんだ言って俺も美南も大病にかかったことは一度もなかった。新鮮なこの町の空気のお陰なのかもしれないな。


「…………ふ……ぁ……」


 後ろで、声が上がった。

 振り向くと、美南が何やら唇を小さく開閉させている。寝言でも言ってたんだろうか。

 人のことは言えないが、美南もかなり寝相は悪い。何度布団をかけてやっても剥がすし、しかもそれを抱き枕みたいに抱え込んじゃうし。可愛いからいいんだけど、それで風邪を引かれても困る。ブラウスが捲れて露になった背中に、俺は適当に引っ張り出してきた毛布を被せてやった。さあ、これでいよいよ俺の防寒具はゼロだ。泣きたい。


「…………」


 そうだ、こんなことしてる場合じゃなかったんだった。

 美南が乗りたいと言っていた中央線の始発まで、残り二時間強。起こすのは、その三十分前でいいだろう。

 それまでに一つ、やるべきことがある。

 寝る場所も温もりも失って、かえってよかったのかもしれないな。ゆっくりと腰を上げると、俺は準備に取りかかった。

 必要なものは、だいたい六つ。母さんの部屋に置いてあるプリンター。ハサミ。ノリ。ペン。新学期用に買っておいた、ファイル。

 あと一つはまだ、秘密だ。



 家に向かって帰りながら、色んな光景が頭に浮かんだ。

 小さかった頃、一緒に過ごした日々の記憶だった。

 抱き寄せた美南の肩は思っていたよりもずっと小さくて、手を離せばすぐに流されて消えて行ってしまいそうに思えた。それはきっと、肉体的な違いからだけじゃなかったと思う。

 どれだけ嫌だって、俺の家に美南が寝泊まりなんてのは無理だろう。それに、眠っている間に美南もきっと落ち着きを取り戻すはずだ。電車に乗る時には、また平気な顔をしているのかもしれない。笑いと言う名の仮面を、また手にしているのかもしれない。

 俺は考えた。美南をただ突き放す事が、ただ「頑張れ」と送り出すのが、本当に今の美南のためになるのか。俺はそれで満足出来るのか。それは、俺が望んだ結末に繋がって行くのか。考えて考えて、危うく信号無視しそうになるくらいまで考えた。

 掴んだ答えは、確かに(ここ)にある。でも、面と向かってそれを言う勇気はさすがに俺にはない。美南と同じくらい、俺だって怖がりなんだ。

 だから、伝えるためのツールを作るんだ。


「……ぅ……にゃ……」


 ──あーもう、集中できない…………。

 美南、頼む。その猫紛いの寝言は今すぐやめてくれ。気が散ってしょうがない。

 がりがりと髪を掻きむしると、美南がまた何かを呟いた。


「…………しゅ……ん……。て…………にぎっ、て…………」


 いいや、俺は負けないぞ。

 美南が昔から寝言多いことも知ってりゃ、ああ見えて妄想が激しいことも知ってるんだから。

 全身を暴れ回るむず痒さに必死で耐えながら、俺は黙々と作業を続けた。

 次に美南の顔を見られるのは、何年後だろう。そんなことを思いながら、またちょっと寂しい気持ちを持て余しながら、ただ手を動かし続けた。ちょっと足も使ったけど。


 そんなこんなで、夜は更けて行き──────







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